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キング・クリムゾン ③

 渋谷がどうとかではないのである。


「大分上手になってきたね」


 夏の風鈴のような声でそう囁かれ、おれはどうしようもなく浮足立った。


「来月の発表会にも間に合いそう。よかったよかった」


 ちょこんとおれの対面に座ったのは小柄な女子生徒だ。小さな顔に合っていない大きめの眼鏡がずれるのを、彼女は袖からわずかに見える指で押し上げた。


 棗小詠なつめこよみ。おれの先輩であると同時に、『紙芝居同好会』の部長でもある。とはいえ、先輩を除けば部員はおれしかいないので、同好会と言えるのかも正直あやしい。本来もう一人部員がいるらしいのだが、少なくともおれは会ったことがない。そんなやつは勘定に入れずともよかろう。


「みんながよろこんでくれるといいなあ」


 柔らかく微笑みながらそう言った先輩に、おれは「ええ」と短く答えた。

 か、かわいい……! まともに言葉を交わせねえ……

 彼女の言う『みんな』とは、来月に訪問する予定の小学校の生徒のことだ。紙芝居同好会は定期的に、自作した紙芝居を持参して小学校や児童館に出向いている。

 ガキのお守りなんざに一片たりとも興味はなかったが、あの日棗先輩の志と紙芝居に思わず涙したおれは、こうして紙芝居作りに邁進している。

 それに、なによりもおれは先輩に惚れちまった。純粋に他者を思い、献身のために日々己を磨く彼女の姿は、現代においては荒野に咲く一輪の花のように尊い。正直おれには勿体ねえひとだが、この思いも捨てきれねえ。

 一度死んだおれがこうして将門様の加護で生き返ったのだ。それを無駄にしちゃ男が廃る。


「……先輩」

「うん? どうしたの?」


 おれが呼びかけると、先輩は小首をかしげた。短い癖毛がさらりと揺れる。


「今日の活動が終わったら、少し付き合ってもらってもいいですか」

「? いいけど……どうかしたの?」


 今や高まる鼓動もねえおれだが、この状況には否が応にも緊張させられる。


「話があるんです」


 ★


 和泉橋から見下ろす神田川は、都会の川らしく緑色に淀んでいた。そんな川でさえ、夕日を浴びれば揚げたての海老天みてえに輝きだす。


「ぼくに話って、なに?」


 横で川を眺めていた先輩が、おれに顔を向けてそう言った。

 彼女が『ぼく』と自称する理由はよくわからない。あまり親しくない間柄の人に対してはそれを恥ずかしがって『私』と言っているらしいから、これもおれに心を開いている証拠だと思っておこう。なにか所以があるようだが、語らねえところを見るにあまり詮索してほしいことでもねえってこった。

 先輩の方に顔を向けると、夕日を受けた彼女の顔があんまりにも綺麗なもんだからおれは直視できずに慌てて川に視線を戻した。

 川面にはしかめ面のおれと、横を向いた先輩の姿が映っている。


「話は、あります」


 二人しかいない部活動だ。おれが思いを伝えることによっておれと先輩の関係性が崩れてしまうことは十分に考えられる。そいつに賢い棗先輩が気付かぬわけもない。なにより先輩は優しいから、それを避けるために好きでもないおれの告白を受けるかも知れない。

 そうなることを想定した上で告白しようとするおれは卑怯なのかもしれん。

 だが、それでも今日、この場で『惚れた』と伝えるのだ。

 この世に溢れかえる軟弱な恋愛小説の登場人物のように相手を慮るあまり限りある青春の時間をドブに捨てるような愚行を、おれは犯さない。

 お情け結構。棗先輩が気を付かっておれの告白を受け入れるのだったら、そのあとに本当に惚れさせればいい。そのための努力は惜しまん。


「先輩、聞いてほしいんです」


 深く息をついて、おれは改めて先輩と向かい合った。


「うん、聞くよ?」


 夕日を受けて琥珀みてえに輝く両目を見ていると変な汗が噴き出してくるが、ここへ来てまた顔を逸らすほどおれも腑抜けじゃねえ。


「おれは、おれは棗先輩のことが――」


 風が吹いて、先輩の髪がそよぐ。彼女は少し不安そうな顔をしていた。

 おれの言わんとしていることが予想できているのか、それとも――


「好――」


 勢いのままに『き』とそのまま言おうとしたその時、おれの声は橋の下から突如として響いた悲鳴にかき消された。

 なにくそと思っていると先輩がまず橋の下に視線を向けた。つられて悲鳴がした方を見下ろせば、緩やかに流れる緑色の川の真ん中で子猫がもがいている。

 岸にいる人々は突然の事態に尻込みしているようだ。


「よく猫の流れる川でぃ……!」


 そうやけくそに毒づいて橋の欄干に手をかけたとき、再びおれをあの謎の倦怠感が襲った。

 抵抗するまでもなく、おれの意識は闇の底へと落ちていく。


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