キング・クリムゾン ①
「おうバンちゃん! なんやえらい顔色わるいなぁ」
「すこぶる元気だ」
「そんならええけど」
先に教室に着いていた矢鱈とそんな会話をしながら、おれは席についた。
白鯛矢鱈はおれの級友だ。大阪生まれの大阪育ちで、高校進学に伴い上京してきたらしい。
口角が水平方向より上がらないおれと違い、矢鱈はよく笑う。ツラもしゅっとしてやがるから女受けがいい。付き合い始めて二年目だが、その間にも女に言い寄られているのを見たのは一度や二度ではない。
こいつとの馴れ初めは……語るほどのことでもあるめぇか。
「なんか甘い匂いがするなぁ……香水でもふって来たんか?」
「そんなしゃらくせぇモンは使わねえ」
「まあバンちゃんはそやろな」
でもやっぱり香るなあという矢鱈の言葉に、おれは思い当たる節があった。
もしや……死臭?
まさかな……
今日こそは絶対に告白をしようってときに腐乱臭を漂わせている男に未来はあるだろうか?
一度は消えた不安がまたふつふつと沸いて出てきやがる。
腕を鼻に当てて匂いを嗅いでいると、教室がざわめきだした。
「お、きたで。お姫様」
矢鱈の声に反応して目を移すと、丁度女子生徒が一人教室に入ってくるところだった。
月を解いて作ったような金色の髪、未踏の雪のような白い肌。少し吊り目がちな瞳は新海のような深い蒼色――
来栖宮ステラは絶世の美少女である。
教室にいる全員の視線を集めている彼女だが、それを全く意に介していないかのような振る舞いだ。氷のように冷たい表情のまま自らの席に着く。
「ベッピンさんやなぁ」
「お前、ああいうのが好きなのか」
「そらそやろ」
当然だと言わんばかりの矢鱈だ。声を潜めておれに顔を近づける。
「あんなかわいいコ、ほかにおらんやろ」
「好きなら告白でもなんでもすればいいじゃねえか」
「アホか! ウワサ知らんのか?」
知っている。
『氷の姫君』と名高い来栖宮だが、当然言い寄る男も多い。しかしながら彼女のお眼鏡にかなう男は今まで一人もおらず、そればかりか彼女に手を出そうとした男はことごとく『しばらく姿を現さなくなる』らしい。帰ってきたら帰ってきたで、来栖宮の名前を聞くだけで震えあがり言葉を失うらしい。
「来栖宮財閥に連れ去られて拷問を受けるらしいで。おっかないわ」
「バカバカしい……」
わざとらしく震えて見せる矢鱈に、おれはそう答えた。
「仮に本当だとしても、ほんとに惚れてんなら正面切って好きだと言ってやればいいじゃねえか」
「神田に七代の江戸っ子は言うことが違うなあ」
矢鱈は苦笑して見せた。
「バンちゃんは告白したことあるんか?」
「……」
おれは閉口した。
「それに、バンちゃんは好きやないんか? 来栖宮サンみたいなコ」
「はなからツラなんざ見ちゃいねえよ。茹でる前のそうめんみてえな真っ直ぐて真っ白な心根、そいつが肝心だぜ」
「ようわからんなぁ」
首をかしげる矢鱈をよそに、おれは鞄から水筒を取り出す。梅雨に入って蒸し暑いから喉も乾く。
「わけのわからんことに拘ってると、神田に七代の荒町家もバンちゃんで途切れてまうで?」
「バカ言え、順風は可愛い。婿なら事欠かん」
「あきらめとるやないか」
水筒の蓋が開かねえ。強く閉めすぎたのかもしれん。
ぐぐぐ……と力を込めて蓋をまわそうとしていると、つっかえが取れたかのように猛烈な勢いで蓋が回った。
渾身の力で水筒を握っていたから、勢い余って水筒の中の緑茶が飛び散る。
「おっと……いかんいかん」
机が緑茶まみれになってしまった。
手ぬぐいを取り出そうとしていると、教室が水を打ったかのように静かなことに気が付いた。
顔を机から上げれば、クラス中の目がおれに向けられている。
「なんでぃ……見せモンじゃねえぜ」
クラスの連中を睨んでいると、左に座っている矢鱈がおれの肘を突いてくる。
そちらに首を向けて見れば、真っ青になった矢鱈がおれを挟んだ向こう側を見ていた。
なんだと思って矢鱈の視線の先を振り返ると――
「………………」
射殺すような目をした来栖宮がおれを見下ろしていた。
ぽた……ぽた……と音がするのは、来栖宮のブレザーからおれの緑茶が滴るからだ。
「……ちょっと、話をしましょう」
ほとんど初めて聞いた来栖宮の声は、よく研いだ包丁を思い起こさせた。