表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/20

青春の蒼い牙 ①

「おれとしたことが……」


 白い紙前に、おれは頭を抱えていた。

 完全に失念していた。今日は数学の小テストがある日だった。

 ここ数日のドタバタで完全にテストのことなど頭から外れていたから勉強なんざまったくしちゃいねえ。もとより数学は苦手だが勉強する時間さえあれば問題なかった。

 ……ちくしょうわからん

 左からは矢鱈が軽快に筆を走らせる音が聞こえる。理系科目は矢鱈の得意分野だ。


「……」


 全部が全部解けねえってこたあねえが、しかし八割がたの問題はにっちもさっちもいかねえ。こいつは期末にも響きそうだ。

 わけのわからん問題を前に目を白黒させていたそのときだった。


「……うおッ!?」


 思わず大きな声を出してしまい、教室の前方に立つ教諭がおれに視線を向けてきた。


「うおっほン……」


 慌てて咳をしたふりをして、おれは視線を机に落とした。

 左手が、左手が勝手に動いている!

 肘から上が着脱可能な左腕が、おれの思考をよそに勝手に動いている。鉛筆を握り、自ら答案用紙に数式を描き込んでいる。

 これは……これはもしや……

 おれを操っている奴の仕業か?

 おれが解けもしねえ問題を『左腕』がすらすらと解いていく。ペンを握って紙に字を書きこんでいる『感覚』はあるのだが、それをおれが命じているという『自覚』はない。なんとも奇妙な気持ちだった。

 しかし……待て。これはおれを監視している黒幕の正体に迫るチャンスじゃねえか。

 丸っこくて細い字を眺めながら、おれはそう考えた。

 左腕をこれほど自由自在に使えるということは、もしかしたら奴は左利きなのかもしれない。それにこの字……もしかして女か? どちらも推測の域を出ねえが……

 そしてやけに数学が得意そうだ。やはり、科学者的な人間と見て間違いないだろう。


「……」


 おれはあえて、視線をテスト用紙から外して机の隅を凝視した。すると今まですらすらと数式を書き並べていた左手が止まり、やがて左腕が持ち上がっておれの顎を掴んだ。

 いらだたしげな『手つき』でおれの顔を答案用紙に向け直すと、左手は再び回答を始めた。


「……」


 なるほど、おれの思考を読んでいるというより、おれの視界を共有しているのか。

 だとすれば……

 天啓に導かれて、おれは視線を左手の先に向けたまま右手でこっそりと消しゴムを握った。

 そのまま視線を固定したまま、おれは静かに『自分の名前』を消しゴムで消した。


「…………」


 『奴』がマヌケならひっかかるはずだ。

 そのまま難なくテストの答案を終えた左手は心なしか満足そうに筆をおいた。驚異の速度だ。勉強不足でも、書かれた答案が正しいかどうかくらいは理解できる。おそらく満点だろう。おれが元から解いていた部分の間違いも修正されている。おれの左腕のくせに生意気だ。


 ――今だ。


 おれは素早く視線を空白の名前欄に向けた。

 瞬間、弾むようにおれの左腕が動き出し、慌てた様子で鉛筆を握る。そのまますらすらとその空欄に文字を綴り出す――

 かかった!

 左手はなれた『手つき』で、



             『1・A・富良野 操・27』



 と書きだした。


「……!」


 この高校の人間なのか!?

 いや……まさか……テストで名前を書き忘れたことに気が付いて、反射的に高校時代を思い出した『奴』の手癖に決まっている。高校一年生が死人を蘇らせる発明などできるはずもない。

 だが、学年とクラス、名前、出席番号の順で表記して間を中黒で区切るのはこの高校のローカルルールだ。すらすらとそれをして除けた様子から鑑みるに、この富良野という人間がこの高校に所属している可能性も否定はできない。

 ブラフか……?

 脂汗をかきながら考えていると、おれが名前欄に注視しているのにようやく気が付いたらしい左手が猛烈な勢いで消しゴムを引っ掴んだ。

 答案用紙が破れるのではないかという勢いで名前を消しにかかる左手を見て、おれは思った。

 いや……こいつはただのマヌケだ……

 どうやら今更名前を消しても意味がないことに気が付いたらしい『左手』が、消しゴムを手放すや否や矢のような速度でおれの顔面に迫って来た。

 目潰しをする気だ。

 おれは自由の効く右手でがっしりと左手首を掴んだ。馬鹿め、もう遅い!


「おい、荒町。どうした」


 突然自らの目を左手で潰そうとして、その上それを右手で押さえているおれの奇妙な行動をみかねた教諭が声を掛けてくる。


「いえ、なんでもありません」


 とおれが答えると、ようやく左手が諦めたようにぐったりと力を失った。


「……残りあと一分だ。名前書き忘れるなよ」


 そんな教諭の言葉と同時に、おれはもう一度消しゴムを手に取った。


「……」


 左手が解いた答案をごしごしと消し始めると、悲痛な様子の左手がおれの右手首を抑えにかかった。

 わりぃが、勉強もしてねえのに満点取るわけにゃいかねえからな。

 左手で右手を抑えたまま、おれは答案を消し去ってテストを終えた。

 富良野操。

 どうやら放課後に一年A組を訪ねなくてはならないようだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ