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秘密は氷の城の中 ②

「どうしてそれがそこにあるの!?」


 目を見開いて、ただごとでない表情だ。風呂あがりだからか、金色の髪が濡れている。

 ソファの真ん中に座っていたおれに飛び込むように、来栖宮はソファを跨いできた。


「勝手に私の部屋に入ったのね!? 信じられない!」

「そんなことするかい!」


 飛び込んできた来栖宮の勢いを殺しきれず、おれと来栖宮はソファの上に倒れ込んだ。しっとりと濡れた来栖宮の体から甘い匂いがする。


「違うの! それは違う! 私が描いたんじゃないの!」

「ならそんな慌てるんじゃねえ!」


 手を伸ばしておれから漫画を奪い取ろうとする来栖宮を抑えながら、おれは漫画をテーブルの上へ戻した。この勢いなら破かれかねん。


「テーブルに置いたぜ! よく見ろぃ!」

「はぁ……はぁ……テーブル……」


 おれの手首を掴んだままの来栖宮は、おれの言葉を受けて動きを止めた。馬乗りになったまま、彼女は首をテーブルの上へ向ける。

 漫画が置いてあるのを確認して落ち着いたのだろう。来栖宮はおれを見下ろして、そして全身を赤く染めてソファを飛び降りた。


「……っ! これは……その……!」


 テーブルの上から漫画をひったくって、来栖宮はそれを胸に抱いたまま慌てふためいている。もはや氷の姫君の面影などどこにもなかった。


「この漫画は……!」

「おめぇが描いたんだろ」


 はっきりとそう言ってやると、来栖宮は目に見えて狼狽した。


「恥ずかしがるこたねぇじゃねえか。隠すほど下手でもねえ」

「……! そ、そう? ……じゃなくて!」


 一瞬照れくさそうな顔をした来栖宮は、我に返ったようにおれの方に身を乗り出した。


「お願い! 誰にもいいふらしたりしないで!」

「あぁ?」


 半ば懇願するような口調の来栖宮に、おれは気圧されてしまった。


「変なのは分かっているのよ、漫画なんて……あなただっておかしいと思うわよね。それはいいの、でも周りの人には秘密にして……」

「……」


 来栖宮はおれの目を見た。そこにあったのは意を決した表情の女だった。


「……なんでも、するから」

「馬鹿にすんじゃねえ!」


 あまりの気持ち悪さに思わず大声を出したおれは、がらんどうの屋敷に思いのほか強く言葉が反響したのを聞いて我に返った。

 呆気にとられたような顔の来栖宮と目が合って、おれは気まずさに顔を逸らした。


「気色の悪りぃ真似すんじゃねえ。言われなくてもそんな軽い口はしてねえやぃ……」

「……そ、そうよね」


 来栖宮も気持ちが落ち着いたのか、静かにそう呟くとソファに腰かけた。


「軽薄な人間だと思っていたけど、そうでもないみたいだし」

「おれが軽薄だと?」

「だって、『あんなこと』を言って私を渋谷に誘ったのよ?」

「……」


 『あんなこと』?

 ますます昨日、自分が何を言ってのかが気になってたまらねえ……

 いっそはっきり訊いてしまおうかと思ったが、今この場で来栖宮をより混乱させるべきではないと思っておれは言葉を呑みこんだ。


「おめぇのこともつっけんどんな女だと思ってたが……そうでもねえみてぇだな」

「あれは……演じているのよ」


 はぁ……と来栖宮は深いため息を吐いた。


「仲良くなって漫画のことがばれたらおしまいだし」

「なんだってそんな隠したがるんだ?」

「あなたみたいな鈍感な人には分からないかもしれないけど、ただでさえ目立つ人間が目立つことをすると、受ける反発は凄いものよ。余計なストレスを溜めたくないの」

「……さっきといい漫画のことといい、せまっ苦しい生き方してやがんなあ」

「誰もがあなたみたいに好き勝手に生きられるわけじゃないのよ」

「なんだと」

「全部拳で解決できたらどんなにいいか……あなた、まっすぐ生きるのはいいけどそうできない人間もいるってこと、ちゃんと認識しなさい」

「……おめぇに説教される筋合いはねえ」

「そうね。言い過ぎたわ」


 あっさりとそう言った来栖宮に、おれは勢いを透かされたような気持ちになった。


「……」

「……」


 沈黙だった。雨音がやけに大きく聞こえる。


「やけに静かな家じゃねえか。おめぇしかいねえのか?」

「ええ。夜には料理をしてくださる人が来るけど、それまでは一人」

「……そいつぁ、寂しいな」


 来栖宮はちらりとおれのことを見た。他人の顔色を窺うのは苦手なので、彼女の視線にどういう意味があったのかはわからなかったが、来栖宮は一拍おいて小さな溜息をついた。


「お父様は仕事で忙しくてめったにこの家には帰ってこないし――」


 さらに一拍おいて、来栖宮は


「お母様はもう亡くなってるの」

「……すまねえ」

「いいのよ」


 あなたも気が遣えるのね。と来栖宮は薄く笑った。うるせえ。


「あなたが言った通り、寂しいわ」


 来栖宮はそう言うと、手に持った漫画に視線を向けた。


「だからね、教育に厳しいお父様が禁止していた漫画に、こっそり手を出したの。中学生のとき」

「ハマっちまったんだな」

「その通りよ」


 来栖宮は微笑んだ。


「情報社会で助かったわ。漫画を本棚の裏に隠すような努力がいらないもの」

「それで自分でも描こうって考えたのか」

「ええ……私の心の支えなの」


 愛おしそうに原稿を眺めている来栖宮の言葉には、一片の嘘も偽りもないのだろう。棗先輩の創作の原動力は他人を喜ばせることにあったが、今の来栖宮の原動力は、きっと『漫画』への恩返しなのかもしれない。


「つっけんどんな女かと思ってたがそうでもねえな」

「うるさいわね」

「このことは墓場まで持って行ってやるから安心しろやい」


 と、そこまで言っておれは重要な事実に気が付いた。


「……つっても墓場まで持って行くのはまだ難しいかもしんねえな」

「どういうこと?」


 焦燥感を露わにする来栖宮の目を見返して、おれは側頭部の髪をかき上げて見せた。そこには飛び出た螺子がある。


「漫画より奇妙なことが起きてやがるんだ。耳の穴かっぽじってよく聞け」


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