死体はつらいよ ②
目下の問題は『来栖宮ステラ』との渋谷での待ち合わせの件だ。
おれが何を言ってあの女と待ち合わせることになったか分からない以上、あまり雑には動けない。
朝日の差す自室で、おれは床に胡坐をかいていた。
一晩考えてみたが、やはり昨日の来栖宮との会話はこうだったに違いない。
『だが、もうひと目だけでも妹と母親に会わせてくれねえか』
『言っていることがよくわからないのだけど……』
『……無慈悲な女だ』
ここでおれの記憶は途切れている。何者かがおれの体を操っていたとしても、きっと『おれが言いそうなこと』を言ったはずだ。でなければ来栖宮が怪しむはず。
おれがあの状況で言いそうなこと、それはすなわち――
『どうせ死ぬなら果し合いで死なせてくれ』
これに限る。
おれなら男らしく散ろうと考えるはずだ。それを踏まえて、あの場面での会話をもう一度再現してみることにする。
『だが、もうひと目だけでも妹と母親に会わせてくれねえか』
『言っていることがよくわからないのだけど……』
『……無慈悲な女だ。どうせ死ぬなら果し合いで死なせてくれ』
『果し合い? なによそれ』
『洋風に言えば、決闘だ』
『はあ? いやよ。なんであんたなんかと決闘しなきゃいけないのよ』
『せめて男らしく死なせてくれ』
『あんたの信念のために私が死ぬリスクを負う意味がわからないわ』
『お前は武器でもなんでも使っていい。おれは素手でやる』
『いやよ、卑怯だと思われるじゃない』
『元はといえばおれが茶をぶちまけたのが悪い。場所もお前が決めていい。それでも決闘をしねえってなら、おれは今ここで舌を噛んで死ぬ』
『そ、そこまで言うなら仕方ないわね……』
完璧だ。
すなわち、おれはこれから渋谷へ決闘に行くのだ。
確か決闘罪という罪があったような気がするが、しかし来栖宮財閥の前に法などないも同じだ。渋谷と言う場所を選んだのも、あの女なりの示威行為に違いない。おれとて散り様を多くの人間に見てもらえるなら悔いはない。
「馬鹿言え、負けるもんかい」
悲観することはない、これは果し合いだ。おれが勝つことだってある。
来栖宮がどう出るかはわからねえが、おれはガキの頃から喧嘩で負けたことがねえ。銃でも槍でもステゴロでねじ伏せてやらあ。
そしてなんとしても棗先輩に思いを伝えるのだ。
「だが戦ってる最中に操られちゃあまずいな……」
どうもおれを操っているらしい人物は、おれの行動を逐一把握しているようだ。子猫が溺れているのに気が付いたあのタイミングで、果たして正確におれの意識を奪えるだろうか?
答えは一つ、そいつはおれの思考を覗き見ている。
方法は分からないが、おれを組み立てた輩は何らかの手段でおれの行動を予測しているはずだ。果たしてどうやって?
常におれの傍で行動を把握しているということはないだろう。来栖宮と話したあの場所には、おれと来栖宮以外の人間はいなかった。であれば、やはり『そいつ』は遠隔的な手段でおれの行動を把握しているに違いない。
★
「……思考盗聴? 電磁波攻撃?」
困ったときはネットで検索するといいらしい。矢鱈が言っていた。
この世で一人しか抱えていない悩みというものは少ないもので、大抵の人間の悩みというのは普遍的なものだ。インターネットというものは人類の集合知であり、その電子世界に住んでいるグーグル先生とやらが解決策を提示しているらしい。大した慈善家もいたものだ。
とはいえ……これほど多くの人間が思考盗聴に悩まされているとは思わなかった。
「国から攻撃されることもあるのか……恐ろしいじゃねえか」
思考をのぞき見されているという特殊な悩みを抱えているのは世界におれ一人だと思い込んでいたが、どうやらそうじゃねえらしい。
「なるほど……アルミホイルか」
集合知様々だ。ありがたく叡智を頂戴してやろう。
★
「な、なにしてんの……?」
台所でアルミホイルを頭に巻いていると、背後から困惑しきった順風の声がした。
「おれの思考は盗聴されている」
「…………え?」
二重三重とターバンのようにアルミホイルを巻いてから振り返ると、順風が絶望的な表情でおれを見ていた。ここ最近のおれに対する険呑な雰囲気はもうない。
だが無理もねえ。いきなり兄が頭にアルミホイルを巻きだしたら困惑もするだろう。だから懇切丁寧に説明をしてやらなくちゃなんねえ。
「どこのどいつからかは知らねえが、おれは電磁波攻撃を受けている」
「ば、馬鹿兄貴……?」
「おれの行動を監視しているそいつは、いつでもおれの体を乗っ取って支配しやがる」
「……い、一体何を言って――」
「だがアルミホイルを頭に巻いていれば大丈夫だ。あらゆる電磁波攻撃も思考盗聴も跳ね返すことができる。なんたって、アルミホイルだからな」
そろそろ家を出なくては待ち合わせに遅れてしまう。果し合いに遅参するなどあってはならんことだ。
「じゃあ、ちょっくら出かけてくらあ」
順風は目を丸くしておれを見たまま動かない。呆然としているようだった。これ以上説明している時間はないので、おれはその横をすり抜けて台所を出た。
アルミホイルをワサワサ言わせながら玄関まで歩いて行くと、台所に立ち尽くしていた順風が突然悲鳴を上げた。
「あ、あんちゃんがおかしくなったぁああああっ!!」
なんだと思っていると、台所から飛び出してきた順風がおれに縋りついてくる。
「あんちゃん! あんちゃんしっかりして!」
「どうした急に……」
『あんちゃん』なんて呼ばれるのは数年ぶりだ。親父が死ぬ前、おれたちが小さかったころ、順風はおれのことをそう呼んでいたのだ。最近はもっぱら『クソ兄貴』やら『馬鹿兄貴』だが……
「あたしが悪いの!? あたしが冷たくしすぎたからおかしくなっちゃったの!?」
「馬鹿野郎! おれはおかしくなっちゃいねえよ!」
「おかしいよ! ネットにいる危ない人みたいだよ!」
「てやんでぃ! てめぇいつからそんな思いやりのねえ奴になっちまったんでぃ! インターネットの人たちは真剣に悩んでんだ! 茶化すんじゃねえ!」
「ネットリテラシーーーーーッ!!」
順風はよくわからない言葉を叫びながらおれのアルミホイルをはぎ取った。
「なにしやがる! そいつがねえと思考を乗っ取られるだろうが!」
「大丈夫! 大丈夫だからあんちゃん……っ!」
アルミホイルを放り捨てて、順風はなぜか目に涙を浮かべた。
「あやまるから……あたしが悪かったから……もう反抗的な態度であんちゃんとかあちゃんのこと困らせないようにするから……っ!」
「……?」
わけがわからん。なぜ急に順風は昔みてえな態度に戻ったんだ? なぜやさしくおれを抱きしめてやがんだ?
「そうだよね……あんちゃんも辛かったもんね……あたしがワガママだったね……」
「? いいじゃねえかワガママでも。おめぇまだガキだろ」
「うぅっ……そういうとこ……そういうことだぜあんちゃん……」
「?」
非難めいた順風の言葉に、おれは疑問符を浮かべるばかりだ。年頃の娘の考えることはようわからん。
「とにかく……思考盗聴なんてされないし電磁波攻撃もないから……」
「いや――」
「ないからッ!」
その勢いで断言されては、おれももう言い返せまい。まだ納得できていないことも多いが、仕方なく玄関の下駄に足を通す。
「気を付けてねあんちゃん……」
「……おう、晩飯前には帰る」
慈愛に満ちた表情でおれを見送る順風に戸惑いながら、おれは家を後にした。
よくわかんねえが、まあ順風が昔みてえに戻んならそれでいいや。