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よっこいせ、と畑にかがんだ。ころころと小さな芋がくっついてこれまた美味しそうに土だらけだ。「ああ……よく育ったねぇ……」 さわさわ、となでてあげた。しかしいけない。この土こそが美味しさの秘訣で、土がついていない作物など水から上がった魚みたいなものなのだ。まあ、生きている魚なんてお目にかかったことはないので、どこかで聞いてかじった知識なだけなのだけれど。


「今年はよくできてる……お料理するにも喜びがあるというものですねぇ」


独り言が多いのは私の癖なので仕方がない。邪魔なスカートを縛ってくくって、ほくほくとかごの中に詰め込んでいたとき、軽やかなベルの音がした。


「お嬢様? エヴァお嬢様――――?」

「はあい!」

「カルトロール伯爵様がお呼びでございます」


そうして柵の上から顔をひょっこり覗かせたときに珍しくも父からの呼び出しに、あらまあ、と体中の服を叩いて土を振りほどいた。もちろん、使いっぱしりの少年は大層奇妙な顔でこちらを見ていて、ありありと見て取れるその思考に、少しだけ苦笑した。




***




「エヴァ、お前の嫁ぎ先が決まった」

「嫁ぎ先ですか」

「わざわざ口にする必要もないが、お前ももう18だ。いつまでも屋敷の離れに一人で畑を作って耕しているわけにはいかんだろう」

「私は十分に楽しく暮らしてはおりますが……」

「いいわけがあるか」


私の言葉にかぶさるようなその言葉に、ひゃっと両手を合わせた。自分でもわかってはいたけれど、とうとう、という気分である。父の考えはわからないでもなかったので、今日か明日かとびくびくどきどき心の底では準備していたのだ。相変わらずの口ひげで強面なこの父だが、とうてい他の貴族との足がかりにもなりそうにない情けない娘である私を、心の底でひどく案じていることは知っていた。だからこそ、「仕方ありませんねぇ」と口元に拳をあてて、ううんと唸る私をひどく意外気に見ていたのだ。


きっと私がごねてひねて、暴れて逃げるとでも思っていたのだろうけれど、私だってもう18なのだ。いつまでもこうしているわけにはいかないと理解している。



そんな私の気が変わらないうちとばかりに、まるで光の矢のような速さで次々と私の輿入れ準備は整っていく。年の離れた兄達に、辛ければ戻っておいでと両手を振られながらも、旦那様の顔すら知らずカポカポ馬車に揺られながら王都へと旅立った。



本来なら盛大な結婚式を行われるはずだったのだけれど、あまりにも急であったためあちら側の都合がつかず、それよりも私が首を振る前にと婚姻の書類に幾枚もサインをさせられて、それらは後生大事に早馬に乗って一足先に去っていった。エヴァ・カルトロールであった私はすでにフェナンシェットという名に変わり、実はすでに人妻であるだなんて、一体どこに変化があるというのだろう。

結婚式は正式に夫婦となってからでもいいだろう、なんてお父様はおっしゃっていたけれど、そんなにたくさんの人が渦巻く会場なんて、考えただけで目眩がするので、一生後回しにしてくれるとありがたい。



お父様は、私の夫の生家――――フェナンシェット家には、たっぷりと持参金を払ったと聞く。ただ馬車から足をおろして見上げた屋敷は、なんとまあこじんまりとしたものだった。


もちろん、市民階級と比べるのであれば、大きなお屋敷なのだろうけれど、いくつもの土地と家を保有していたカルトロール家とは比べ物にはならない。それは当たり前のことで、旦那様となるべきお方は、カルトロール家の分家である子爵、その上次男であるから、家の名を継ぐことすらできない。貴族とは名ばかりで、王宮にて騎士の身分でお勤めされていると聞く。


初めからある程度の話はきいていたので、特になんの不思議もなくぼんやりと屋敷を見上げた。よく見れば茶色い瓦が可愛らしくて、周囲には珍しく庭がある。ひょっこり生えた樹木はオレンジだろうか。深い緑の葉っぱが朝日に照らされて、きらきらしていた。


(美味しそうな、オレンジ……)


侍女もいないものだから、私は大きな鞄一つを引っ張って、ただただ立ちすくんでいた。ここまで運んでくれた馬車も消えてしまったために、一人ぼんやりおろおろ、この家で本当にあっているのだろうか、と首を傾げるしかない。なんたって、出迎えの一人もいないのだから。


けれども意を決して、ドアベルを鳴らした。涼やかな音だ。やっぱりノッカーの方がよかったかしら、と口元を押さえたとき、はっとした。扉が開いた。




その向こう側では、ひどく機嫌の悪い顔をした茶髪の男性がじろりとこちらを見下ろしている。その割には翠の瞳は優しげで、整った容貌にどきりとする女性も多いかもしれない。


「……あの、リオ・フェナンシェット様でいらっしゃいますか?」

「はあ?」

「エヴァ・カルトロール……あっ、いえ、エヴァ・フェナンシェットと申します」


言い慣れた名前に慌てて口元を押さえて、ぺこりと頭を下げた。相変わらず青年は不機嫌な顔を作っており、まあ彼がリオ様で間違いはないのだろう。「ああ、あなたか」 ぼりぼり、と青年は頭の後ろをひっかいて、あまつさえ欠伸をした。その様子を、私はぱちくりと瞬き見上げた。


「言っておくが、私もあなたのことをついさきほど聞いたところなものでね。悪いがなんの準備もできていない。それでもよければあがってくれ」


そうして扉を開けたまま寝ぼけ眼に背中を向けて家の中へと消えていく。なんとまあ。




驚いたのは別のことだ。


(彼女がエヴァさんか。申し訳ない、女性にこのような態度を取るなど、本当に申し訳がない! 許してくれ、いや、俺を許さないでくれ!!!)



そう言って、彼の心の中では両手を合わせて、ぺこぺことこちらに頭を下げていた。




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