亜麻色の雨
舞台版が分割されて、やはり長くなりそうな気配…。
一幕、まだまだ続く…
レプラコーンと呼ばれるのは好きじゃない。
でもレプラは自分の個別の名前すら忘れてしまっていた。自分がなぜここに棲み着くことになったのかも忘れてしまったので、もう他に移り棲むつもりもなくなった。この"エリン"と呼ばれるパブの湿気が丁度良くて、長い間ここにいた。
ひよっこりいろんなところに顔を出してはイタズラをしたりしていた。が、基本この辺りでレプラを見ることが出来る唯一の人間キアランは、98%レプラのことを無視していた。
「黒きナイフ」が、妖精と会話…。恐らく、本文的にも可笑しいだろう。とにかく、レプラはなんだか物騒な話し合いだったりには近づかず、賑やかな客が来た時にチョッカイを出すことにしていた。
今日はランチどきにイスを引いて客にシリモチつかせたり、あっち向いてる間にビールを捨てちゃったり。
「あ〜、楽しかった。」
と、客が引いた店内でホクホクしていたら、店主のグレッグが白いハンカチを持ったまま、カウンターでボーっとしていた。
「これ、さっきの子のだな。キシシシシ。」
レプラがニヤニヤとグレッグを眺めていると鐘の音がなり、ゼルダが入ってきた。
「グレッグ、ごめんなさいね、遅くなって。」
ゼルダはエプロンをかけ始めた。彼女は客が引けたランチタイムの後、夕方まで仕込みや掃除を手伝っていた。それは人を恐れて外出を避け続けないために、キアランがグレッグに頼んでさせていることだった。
「グレッグ?どうしたの?」
話しかけてもグレッグはハンカチを握りしめたまま、ゼルダのか細い声が耳に入っていない様子だったので、彼女は肩をすくめて食器を洗い始めた。
すると、すぐに鐘の音がし、賑やかな声が聞こえてきた。
「うぃ〜っす!グレッグ!」
ムーアが右にウルフ、左にミアの首を抱えて陽気に入ってきた。ウルフは長身の腰を折ってムーアの背丈に合わせてやっていたし、ミアは完全に脇に抱えられて迷惑そうだった。
「あっれぇ、どうしたの?ハンカチなんか握りしめちゃってぇ。」
騒がしいムーアの登場に、流石のグレッグも現実に引き戻された。
「こ、これは、えっと…」
グレッグが言い淀んでいると、ゼルダが助け舟を出した。
「ムーアこそ、右手に大事そうに持ってる、それはなぁに?」
「あのさっ、聞いてくれよぉ〜。今さっき そこでまたキャスリーン・フラーに会っちゃったわけ。二度目だろ、だから特別にジャ〜ン!サイン、ほらサイン!」
ムーアはカウンター席に座っているグレッグの顔へ押しつけるように、先程女優からもらった名刺をかざした。
「見えねぇよ!」
グレッグが振り払うも、人の話を全く聞いてない様子で、今度は自分の顔の前にカードをかざし、くんくんとその香りを嗅ぎ始めた。
「う〜ん、いい匂い。シャネルかな、ゲランかな。」
恍惚とした顔で目をキラキラさせ、ムーアが遠くを見た。
「この間のキレイなお姉さん、女優さんだったんだね。」
ミアがウルフを見上げて言った。ウルフは顎に手を当て、右上を見ながらつぶやいた。
「キャスリーン・フラーかぁ…。プライドが高くて有名で、ハリウッドの大物プロデューサーともめて以来、あんまりいい役に恵まれていないんだよね…。」
それぞれの話を聞いていたレプラがカウンターの下からひょっこり顔を出した。
「僕は、ゼルダやさっきの女の子の方が好きだなぁ。」
と、グレッグが持っていたハンカチをヒョイと取り、床に落とした。
「何すんだよ!」
グレッグはすぐ近くにいたムーアに怒鳴った。
「え?」
ムーアはなぜグレッグが自分に怒っているのか分からず、目を丸くしてグレッグを見た。
「それ、あのおじさんが落としたんだよ〜。」
ミアは不思議そうにレプラを指差した。
「おじさんじゃな〜い!あれっ?」
レプラはビックリして振り向き、同時にそこにいた大人が一斉にミアの方を見た。特にムーアは恐々尋ねた。
「おじさん???」
「うん、あそこの、変なかっこした人。この間も、チョロチョロしてた。」
ミアがレプラを指差すと、4人が一斉にその先をザッと見た。レプラは見えるはずないと分かっていたのに、一瞬動きを止めて、周りを目だけで見回した。
「ウソ言っちゃダメだ!立派な大人になれないぞ!」
ムーアがミアの頭をコツンと軽く叩いた。
「ウソじゃないもん!」
そう言うと、ミアはレプラを追いかけ始めた。レプラはカウンターの下、テーブルの下、ピアノの脇に隠れようとしたが、ミアがその度に覗き込んできた。
「そうよムーア。子供には大人に見えないものが見えるのかもしれないわ。」
ゼルダがカウンターの中からコップを拭きつつ言うと、ウルフは頷きながら言った。
「うん…確かに、ミアには不思議なものが見えるのかもな。一緒に旅をしている間、時々誰もいないのに話をしていることがあったな…。」
「うわっ!まさか、幽霊とかじゃないだろうな!やめてくれ、オレ、そういうのパス!」
ムーアは顔の前でバツをつくり、胸の前で十字を切った。ふと、思い出したようにグレッグが話し始めた。
「ああ、そっか。きっと精霊が見れるんだな。ここの守り神だよ。」
ムーアは胡散臭そうな顔をしてグレッグを見た。
「ここが、精霊の棲家かぁ?」
グレッグは髪をかきあげ、鼻でふんっと高飛車に笑いながら遠くを見た。
「何てったって、百二十年前からの由緒あるパブだからな。ジェームズ二世に忠誠を誓って、イギリス軍と戦ったアイルランド貴族の末裔に相応しいパブだ。」
その気取ったグレッグの後頭部をムーアがピシャリと叩いた。
「な〜に言ってんだよ、落ちぶれ貴族が。お前の名誉は270年前に終わってんの!」
大人たちのやり取りを尻目にレプラとミアはずっと追いかけっこをしていた。どこに潜り込んでもついてくるミアに、レプラはテーブルの下で降参した。
「あ~もう、なんなんだよ。きみ、ぼくが見えるの?」
レプラが足を延ばしてテーブルの下で座ると、ミアも同じ格好をして屈託なく笑いかけた。
「うん、みえるよ。どうして?ほかの人にはきみのこと、見えないの?」
「キアラン以外はね。最近は特に減ってきたね。…きみは、ぼくのこと、捕まえたりしない?」
「なんで?捕まえるって、おにごっこ?」
ミアは嬉しそうにレプラの方を見た。レプラはもうごめんだとばかり、首を横に振った。
「昔の人はよく、”妖精を捕まえると宝の在りかを教えるから”ってぼくたちを捕まえようとしたからね。」
「ようせい?!きみ、妖精なの???」
と、大きな目をさらに大きくしてミアは持っていた絵本をパラパラとめくり、妖精の絵が描いてあるページを見た。
「…この本とちがうよ…。」
ミアは疑うような目でレプラを見たので、レプラは慌ててひったくるようにその本を手に取った。
「なに?これ??」
「ウルフがアイルランドのことが書いてあるよ、って買ってくれたんだぁ。えっとぉ、妖精のお話とかぁ、神話とか!」
レプラを見ると、必死に絵本をめくっていた。
「あっ!トリムのいたずら者のエルフだ!…ねえ、この絵、ちょっと美化しすぎじゃない?」
ミアはレプラの話は一切聞いておらず、明るくレプラの顔を両手でつかみ、自分の顔に向けた。
「ねえ、友達になろうよ、ね!」
「えーっ、ぼく かわいい女の子の方がいいなぁ。」
不服そうにレプラが言うと、ミアはレプラの顔を持ったまま、目を見開き、眉をハの字にしてゆっくり首を傾げた。
「…女の子だけど…。」
「う、うそっ!?」
***************
ミアは奥のテーブルの下に潜ってしまった。グレッグとムーアはずっと言い合い…というか掛合のように話していた。ウルフはゼルダの方をちらっと見た。ゼルダはカウンターから出て、それぞれのテーブルを拭き始めた。ちょうど少し近くに来た時に、ウルフは距離をうかがいつつ、ゼルダに話しかけた。
「あの…ゼルダ、昨日はびっくりさせちゃったみたいで…ごめん。」
ゼルダは意外やウルフの眼を見て、小さく笑った。
「ううん。本当に、久しぶりでちょっと驚いただけだから…あんまり気にしないで。」
ウルフはゼルダにそう言われても、罪悪感を表情に滲ませていた。ゼルダはそんな彼に少し気を使ったのか、いつもより明るい声で話し始めた。
「あのね、お兄ちゃんが今夜は貸し切りにしろって言ってた。きっと、ウルフの歓迎会をするつもりなのよ。ねえ、グレッグ。もう来てもいいころだけど…。」
「そうだね。今日は一旦家に帰るって言ってた。」
キアランは毎日のようにこの店にいた。地下室だったり、閉店後の店内だったり、地図を広げ、書類を見たり、黙々と任務の遂行のために必要なことをしていた。
「少しは寝たのかな…。寝てるところなんて、あんまり見ないんだ…。」
グレッグがテーブル席の椅子を下ろしながらボソッと呟いた。ゼルダは黙ってうつ向いた。
「例え横になっていたって、人の気配がすると身をひるがえす。まるで野生のクロヒョウだ。かっこいいなぁ。」
ムーアはグレッグと一緒に椅子を下ろしながら、子供がヒーローに憧れるように言った。ウルフは彼らの話を聞いて、ため息をつきながらカウンター席に戻って座り、彼らの方を見た。
「あのさ、俺がここに帰ってきたのは…」
ウルフが言いかけた時、鐘の音が鳴り、ずぶ濡れのキアランが入ってきた。
「お兄ちゃん!」
濡れた髪をうざったそうに掻きあげると、無表情のままウルフが座ったカウンター席のいくつか先に座った。
「グレッグ、ギネスをくれ。」
「髪ぐらい拭けよ。風邪ひくぞ。グレッグ、俺もたのむ。」
「さっき、シャワーを浴びてきた。それと変わらない。」
「そういう問題かなぁ…。面倒くさいだけだろ。」
その時、グレッグがカウンターの向こうからギネスの瓶を二人の前にトンッと置いた。二人は同時にそれをくっと飲み、同時にトンッと置いた。そして、お互いの目が合った。それが何だかおかしくて、フッと笑い出し、止まらなくなった。ステンドグラスを叩く夕方の雨の音が、小人の足音のように二人には聞こえていた。
レプラが…レプラがぁ…