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エリンの大地に  作者: 倉崎りん
第四章 光の渦
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緋色の大地⑤

何年ぶりなんでしょう。はぁ、すっかり文章を書くのに時間がかかるようになってしまった・・・。

ドアの前に二人、恐らく階段のところに一人。別の階には普通に一般人も生活している。

生活音がすかに下階から聞こえてくる。恐らくIRAの目を(あざむ)くためにも、一見何の変哲もないアパートメントの方が都合がいいのだろう。しかし・・・その欠点は出入り口付近を鉄壁の警戒態勢にはおけないこと。ビル内の警備を崩せば、屋外で監視している連中を()くのは可能だろう。


ムーアは窓の隙間からビルのエントランスを眺めていた。奴らはエントランスから少し離れた位置から出入りする人物をチェックしている。捕らわれてから数日、彼は警備の人員の交代時間を頭に入れていた。


その時、ムーアはドアの外の物音を感じ取って窓からさっと離れた。


「ふぅん。いい待遇じゃない。」


女優はドアから入るなりムーアが監禁されている部屋をぐるりと見回した。


フォサークが所有するビルの一室はベルファストの中心から少し外れた場所に位置していたが、まるでホテルのように豪華だった。幾何学模様のような美しいペルシャ絨毯、ロココ調で統一された照明、手入れの行き届いた布張りのソファ・・・。小さなフラットで家族三人、肩をすぼめて生きてきたムーアには、むしろ居心地が悪かった。子供の頃、一人でも狭い自分の部屋にグレッグがよく泊まっていったが、ベッドに重なるように寝た次の日は、グレッグによく寝相が悪いことをブツブツ言われた。

(あいつの口をとんがらせた顔・・・楽しかったな・・・あの頃は・・・。)

ムーアの落ちくぼんだ目は女優の姿ではなく、うつろに過去を見ていた。


アイリスは憔悴したムーアを冷たく眺めていたが、その時 けたたましく部屋に備え付けられている電話が鳴った。


「ああ、あなたね・・・。」


フォサークの声はいつものように冷静だった。


「・・・MI5の諜報員から情報が入った。ベルファストのカトリック居住区にある住宅から、若い男女の銃殺体が発見された。アルスター警察の検視の結果、遺体はグレッグ・オーエンと・・・イネス・リンスター・フィッツジェラルドと確認された。」


イネスの名前が鼓膜に響いたとき、アイリスは耳を疑った。


「・・・なんで・・・あの子が・・・」


口の中が一瞬で乾き、わなわなと下あごが震える中、やっと絞り出した声だった。


「アルスター警察は今回のデモがテレビでも放送されていたこともあり、当初 当日IRAがわを仕切っていた男を『黒きナイフ』と疑い、内偵を進めていた。ようやくその男の自宅を突き止めて、突入した時に遺体を発見した。ところが、遺体から見つかった銃創と、その残された銃弾は、過去 要人の暗殺などで『黒きナイフ』が使用していたものと一致した。・・・無能なやつらだ。僕らの情報には一切耳を貸さず・・・挙句、みすみす自分たちの元上司の娘を見殺しにした・・・」


「・・・じゃあ、二人を殺したのは・・・キアラン・オニール・・・」


「ああ。二人の傍からコードネーム・アイリスへの指令が書かれたメモが見つかった。もちろん、暗号で書かれていたが、ブラーニーの下で世界中のインテリジェンス(諜報)を学んだ『黒きナイフ』なら、読み下せただろうね・・・」


アイリスは目の前が白くかすんで何も見えなくなるのを感じた。


脳裏に浮かぶのは、自分とは住む世界が違った幼い日のイネス。それに病院で会った、(おか)しがたいオーラを放つ姿、そして、世間知らずな自分を恥じて泣く、純粋な妹の涙・・・会うたびに憎もう憎もうと睨みつけたが、決して憎み切れなかった。あの子を見ていると、心のどこかで自分に残された清浄な部分を探してしまった。リンスター卿(あの男)からスパイのオファーがあった時、イネスを連絡役にできるなら、と意地悪く提案したのはわたしだった。世界で唯一、「リーアム姉さん」とわたしを呼ぶ、あの、柔らかいひかり・・・


アイリスは力なく電話を切った。動揺を悟られないよう、ムーアに背中を向けたまま告げた。


「・・・あなたがスパイと疑われることは、もうないわ・・・キアラン・オニールはグレッグ・オーエンをスパイと疑い、射殺したそうよ・・・」


ムーアには女優の言った意味が理解できなかった。グレッグ・オーエン・・・射殺・・・・グレッグ・・・キアラン・オニール・・・射殺・・・!ムーアは座っていた椅子から立ち上がり、女優に詰め寄った。


「・・・なに・・・いってんだ、あんた・・・どこの誰だよ、グレッグ・オーエンって・・・なあ、おれの知らない奴なんだろ?そうだろ、なあ!」


女優はうつろな顔で首を横に振った。ムーアは膝から床へと崩れ落ち、右の拳を胸に何度も何度も打ち付けながら叫んだ


「・・・おれの・・・俺のせいだ!あいつは、俺の代わりに殺されたんだ!俺の・・・俺のせいで!」


小さな頃の生意気なあいつの顔、走り回って顔を真っ赤にして笑ったあの声、病室で目覚めた時、両親の間から見えたくしゃくしゃの泣き顔、身長を越された時のむかつく笑顔・・・そんなグレッグの姿ばかりが浮かび、頭の中がぐちゃぐちゃだった。ただ、いつもそばにいたもう一つの魂が、すっと離れて行ってしまった気がした。


ムーアは(くずお)れて頭を抱え、激しく慟哭(どうこく)した。女優はその姿すら目に入らず、茫然と遠くを見ていた。しかし、しばらくするとムーアの嗚咽(おえつ)は徐々に小さくなり、ゆっくり立ち上がると、うつ向いたまま歩き出した。


「どこへ行くの!」


女優の声に振り向きもせず、ムーアは答えた。


「・・・『エリン』に・・・キアランたちの元に帰るんだ・・・。そして、俺のしたことを・・・お前たちがしようとしていることを、世界中に知らしめるんだ・・・!」


「そんなことになれば、組織はあんたの両親を抹殺するわよ!」


ムーアは立ち止まって背中をわなわなと震わせたが、ゆっくりと振り返って女優の目を指すように睨んだ。


「・・・殺すなら、殺せ!」


「なんですって!?」


「親父は・・・祖国の独立を誓い合った仲間を裏切り、その罪の意識に(さいな)まれ続けたんだ・・・ずっと苦しかったんだろう。・・・俺も、同じだ!もう、それから解放されたいんだ!たとえ、殺されても・・・!」


ムーアはドアへと悠然と歩き始めた。「イエロー・ベリー(臆病者)にはなるな・・・」という父のうわごとと、「後悔するような生き方だけは、しないでおくれ!」と別れ際に叫んでいた母のことば。きっと何かを察していたのだろうな・・・


「・・・待ちなさい!」


女優が制止したが、彼は意に介さず、歩を進めていた。彼女はカバンの中から小銃を取り出すと、震える両手で引金を引いた。


「・・・待たないと、撃つわよ!」


ムーアは真っ直ぐと出口へと向かった。


「パン!」



乾いた銃声を冷たい冬の雨がざわざわとかき消し、鎮魂の涙のようにエリンの大地へと染みこんでいった。



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