緋色の大地③
「先程入りましたニュースによりますと、デリーで行われていたデモにおいて、テロ集団のIRA工作員であるキアラン・オニール容疑者がデモ行進中、突如モールバラ伯爵に発砲。興奮したデモ隊が暴徒化したため、安全対策に来ていたイギリス軍がやむなく応戦し、ケガ人が多数出た模様です。モールバラ伯爵は病院に運ばれましたが、死亡が確認されました。氏はユニオニストとナショナリストの折衝役としてイギリス政府に委託され、今回のデモを平和的に取り行おうとしていた人物でした。警察及び内閣府はキアラン・オニールを指名手配し・・・・・」
後部座席のウルフは大きくため息をついた。車のラジオから聞こえてきたニュースは事実と乖離していた。
「先に発砲してきたのは奴らの方なのに・・・。」
グレッグは運転しながら苛立ちを隠さなかった。ウルフの隣でキアランは青白い顔をして黙って外を見ていたが、彼の左肩にはウルフのネクタイで縛られた布が血で滲んでいた。
「仲間はかなり負傷したようだ。死亡した者も多数いる。一般市民にも死傷者が多く出ている。それに・・・・ムーアが捕らえられているのがどこなのか・・・。」
グレッグは遠慮がちにムーアの話をした。以前、キアランが捕虜となった者には死を選ぶように示唆していたことを思い出したからだった。ウルフもそれに気付いているようだった。
「検問は通過できたが、この先 キアランはすぐに自宅に戻らないほうがいい。グレッグ、ゼルダにエリンの地下に避難するように伝えてくれ。俺はこいつの傷の手当てを俺のフラットでするから下ろしてくれないか。」
「そのほうがいい。ゼルダには伝えておくよ。俺はそのあと一旦家に帰る。」
「ああ、イネスさんも心配してるだろう。」
キアランは二人が話している間、オーブラディーの言葉を思い出していた。
あの後、ブラーニーはSPたちを説得し、負傷した民衆の救護に当たった。キアランは傷を負いながらもイギリス軍へ応戦し、グレッグと共に彼らが撤退するまで追い込んだ。ウルフはキアランのことが気になっていたが、ブラーニーらと負傷者を運び、軽症者には応急処置を施した。
イギリス軍が撤退し、泣き叫ぶ声や怒号、サイレンの音、けぶる硝煙、夥しい血の匂い、負傷者を運ぶ者たちの混乱の中、オーブラディーがキアランの腕を掴んだ。
「忘れるな、この光景を!最初からこういった腹づもりだったんだろう。デモを平和的に進行しようと近づいてきたヤツらは…」
オーブラディーの目は怒りで小刻みに震えていた。
「・・・キアラン、俺は・・・・・」
グレッグの声でハッと現実に引き戻された。
グレッグは運転しながらも意を決したように前を見据え、キアランに言った。
「・・・・俺は、ムーアを救出しに行く。それが俺たちのルールに反するのであれば、俺はIRAを抜けようと思う。あいつのことは・・・・あいつが拘束されたのは、俺の責任でもある。」
キアランは何も言わずに外を見ているだけだった。
「あいつは、昔 俺を守ろうとして命を落としそうになった。だから、今度は俺が助ける。たとえ、それが組織を裏切るようなことになろうとも・・・。」
キアランはグレッグを見ることもなく呟いた。
「あては・・・あるのか?」
「・・・Bスペシャルズや英軍の捕虜になったという情報はない。報道された警察への拘留者は主に一般人だった。仲間がムーアが連行されるのを目撃していたが、どうやら軍隊の者ではなかったらしい。ただ、車に乗り込むときにスカルがアバコーン侯爵家とリンスター侯爵家、つまりイギリス貴族のモールバラ伯爵以外にアイルランド貴族の両侯爵家がこのデモの制圧に一枚かんでるらしい、と耳打ちしてきた。とくにリンスター侯爵フィッツジェラルド准将はリンスター家の姫と政略結婚した生粋のイギリス人だ。英国議会から北アイルランド担当相の任命を受け、数か月前に着任した。氏が所有していた紡績工場は数年前から閉鎖されていて、俺はそこが怪しいと思っている。」
ウルフはグレッグの肩を叩いた。
「正攻法があるかもしれない。一人で敵陣に乗り込むようなことは避けたほうがいい。俺も手伝うよ。」
車がウルフのフラットに着き、二人が車から下りるとき、キアランがグレッグにボソリと呟いた。
「・・・・勝手にしろ・・・」
グレッグはいつもと変わらぬ真っ直ぐな目でキアランとウルフを見て別れを告げた。
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「ミア、何か布を持ってきてくれ!」
ウルフがフラットのドアを開けてミアに叫んだ。キアランの出血はかなりひどく、左腕は血に染まり、中指から血が滴り落ちてきていた。ミアは驚いた顔をしていたが、すぐに奥へと包帯の代わりになるようなものを探しに行った。
「・・・デモは・・・死傷者はどれぐらいだったんだ・・・」
リビングのソファに座らされたキアランは動じることなくウルフに尋ねた。
「15人が射殺され、14人が負傷して運ばれた。両方とも約半数が警護に当たっていたIRAだったが、半数は一般のデモ参加者だった。アルスター6州全域に戒厳令が出されていて、このベルファストも緊張状態だ。いたるところにアルスター警察が張っている。」
15人もの射殺・・・!当初、イギリス軍が北アイルランドに駐留し始めた時、カトリック系住民を含む一般市民は彼らを歓迎さえしていた。長く続くIRAとRUCの抗争に市民は疲れ切っていたのだ。治安を守るためという建前を持つ彼らは、徐々にIRAだけではなく一般市民を銃で威嚇し、支配するようになった。しかし国際社会の立場上、両者の対立に表立っては介入してこなかった。それが・・・今回のデモへイギリス軍が航空特殊部隊を送り込み、しかも市民を射殺したということは、完全なる支配への意思表明ということだった。いたるところで撃たれた者や、彼らを助けようとしていた者たちが血染めのハンカチを振って助けを求めていたのを鮮明に思い出した。キアランは立ち上がり、左肩に巻かれたネクタイや布を引きちぎって玄関へと向かった。
「どこへ行く気だ!」
「こんなところでグズグズしていられるか・・・・」
歯をギリリと噛みしめてキアランが絞り出すように言った。その左腕には更に血が伝い、流れるように床を染めていた。ウルフは彼を引き留めて叫んだ。
「よせ!出血がひどいんだ、死んじまうぞ!!」
キアランはフッと笑った。
「死のうが生きようが、俺の勝手だ。」
「お前が死んだら、ゼルダは一人っきりになるんだぞ!」
「・・・・ゼルダは、お前が助けてやってくれ・・・・」
ウルフは大きくため息をついた。
「俺じゃ、ダメなんだ。」
「・・・・あいつにはもう、俺は必要ない。」
「そうじゃない!よく聞け、お前にゼルダが必要なんだ!!」
ウルフはキアランの襟首をつかみ、その目をキッと見た。キアランは言われている意味が分からず、混乱した表情を一瞬浮かべたが、我に返ってウルフの手を振り払った。外ではアルスター警察の威嚇射撃が鳴り響いていた。
「行かなくては・・・ゼルダは銃声に敏感なんだ。」
再び立ち去ろうとするキアランをウルフは無理やり床に座らせ、手近にあったタオルで出血を止めようとした。
「ゼルダにはグレッグが『エリン』の地下まで送っていく。両方とも目と鼻の先だから大丈夫だ。お前が今、ふらふら市中に出歩く方がよっぽどゼルダが危険にさらされることになる。」
キアランは悔し気に大きなため息をついた。
「・・・俺は・・・ずっとお前がスパイだと思っていた。だが、どうも腑に落ちない。お前らSPではなく、英軍の特殊部隊は主に俺たちの配置を把握し、動きを封じ込めようとした。情報を流している奴がいることは確かだ。お前はこちら側の細かい配置は把握していなかったはずだ・・・・!」
キアランは拳で床をドンと叩き、右手で髪を搔きむしった。
「今は余計なことを考えるな。町が落ち着くまで潜伏するんだ。」
ウルフがキアランをなだめていると、ミアがキッチンの方から走ってきて、様々な生地をウルフの近くに下ろした。
「ウルフ、布って、こんなのしかないよ。どうしよう・・・・。」
借りぐらしのため、止血に使えそうなものはあまりなく、タオルでは厚みがありすぎて圧迫するには不十分であった。
「あ、そうだ!」
思い出したようにミアはサルペットのポケットから白いハンカチを取り出した。
「これ、お姉ちゃんに借りたものだけど・・・。」
それは、以前『エリン』で転んだ時、泣き出したミアにイネスが差しだしたものだった。
「ありがとう、ミア。止血にはちょうどいい。」
ウルフはミアからハンカチを受け取ると、それをさっと広げた。その時、紙片がそのハンカチからはらりと落ちたのを、キアランは何気なく拾い上げた。
「・・・これは・・・今回のデモの俺たちの配置を調べろという指令だ!この暗号は以前見たことがある・・・英軍関係者のものだ・・・このハンカチは誰のだ!」
ミアはキアランの迫力に圧倒され、一瞬口ごもってしまった。
「え・・・あ、グレッグの大好きなお姉さん、”イネス”って人だよ。」
「まさか・・・!」
ウルフが言うまもなくキアランはウルフを振り払ってフラットを駆け出して行った。