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エリンの大地に  作者: 倉崎りん
第四章 光の渦
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緋色の大地②

「ウルフ、頼むよ。」


ブラー二ーは帽子を目深に被りつつ、ウルフに言った。


「私は…決して優秀ではないですが、全身全霊でお守りするつもりです。」


ウルフは直立不動で胸を張った軍人の立ち方で敬礼をしながら、その動きとは似つかわしくない言葉を静かに口にした。ブラー二ーはフッと笑って彼を一瞥(いちべつ)した。


「…そうかもな。軍人としては情が邪魔をするタイプだ。だがね、私はそんな君を信頼している。例えば君は私を撃とうとしているのが年端も行かない少年だったら、その子を撃つのを躊躇(ためら)うだろ?」


ウルフは直立不動のままだったが、彼の問いかけに答えられず、目には戸惑いの色を宿していた。


「…いいんだ、それで。さあ、行こう。」


ブラー二ーはウルフの肩をポンと叩いて出発を促した。


ウルフは大きく息を吸い込み、空気を切替えて無線を使って仲間に司令を出した。


「対象者 出発する。沿道のIRAに民衆が道路に出ないよう、警戒するように伝えてくれ。」


****************************


広場に(しつら)えられた粗末な演台の周りには、それぞれの主張を書いたプラカードや横断幕、手書きの紙を持った民衆がブラー二ーの登場を今かと待っていた。

キアランは演台の後方に立ち、仲間の動静を見守っていた。そこから10mほど離れた場所では無線を片手にグレッグが仲間を統率している姿が見えた。ムーアはそこからさらに離れた歩道脇に立ち、民衆の流れを促していた。

 当初点々とした数人ずつの集まりだった人々はにわかに街角を埋めてゆき、ざわめきは徐々に彼らの叫びにも似た轟へと変貌した。口々に訴える彼らの窮状は周囲の同調によってその熱を高めていった。


予防拘禁法(よぼうこうきんほう)(起訴または裁判なしでの拘束)による不当な拘束(こうそく)を許すな!」


「住宅や就職上の差別を撤廃しろ!」


「アルスター警察やBスペシャルズによる暴力的な公民権運動への排斥を糾弾する!」


「我々カトリック系住民にも平等な選挙権を!」


「そうだ!私達の主張を、政治に反映しろ!」


「ブラーニーを、政治の世界に!」


 彼らの中から、これから演説をするブラーニーの名前が挙がると、さらに民衆はヒートアップしていった。


「ブラーニーは時代の申し子だ!アメリカのジャーナリズムにこの北アイルランドの現状を伝え、イギリスを我々との交渉の席に座らせようとしている!」


「私たちだって、テロはもうゴメンよ!爆弾テロや銃撃戦に市民が巻き込まれて怪我をしたり、命を落としたり。サイレンの音に怯えて、毎日おちおち眠れやしない!」


「ブラーニーの戦いはテロなんかじゃない!アメリカの下院議員に働きかけて、イギリスに圧力をかけているんだ!」


長年抑圧されてきた民衆の(いきどお)りは今や爆発寸前であった。

自由民権運動の世界的世相を背景にデモが各地で開催され、先進国の発達したメディアがそれを伝えた。ブラーニーはそれを利用して北アイルランドの現状を変えていこうとしている人物だった。


「ブラーニー!ブラーニー!ブラーニー!」


 演台に向かって民衆の声が高まっていった。その時、建物の影から高々と右手を挙げたブラーニーがウルフらSPと共に登場し、歓声が轟に変わっていった。演台に上ったブラーニーは両手を挙げてそれを笑顔で制し、誰もが彼の声を聞くために耳を傾け、息をのむように静まり返った。そして、革命家は湿った空気を切り裂くように力強く語り始めた。


「我々は、八百年以上の長きに渡ってイギリスの支配に苦しめられてきた! 土地を奪われ、食料を奪われ、宗教を弾圧され、人間としての尊厳すら奪われてきた!


 そして、このアイルランド島を南北に分割したアイルランド統治法以来、南がイギリスから独立した半面、この北アイルランドと名付けられた国は、未だイギリスの属国に過ぎない!差別、虐殺、英国軍による監視、そして、理由なき投獄!自由と平等を訴え続けた同志が日々ハンストによる抗議で獄中に命を落としている!


 我々は今こそ全世界に知らしめなくてはならない!いま、イギリスが我々に何をしているか、そして、我々が何を望んでいるか!

 

 それは、宗教の違いによる差別の撤廃、イギリス軍の撤退、さらにこのアイルランド島の南北統一!


 それを武力ではなく、民衆一人一人の声によって戦うことを私は提案する!


 民衆よ!イースター蜂起(ほうき)に散った、パトリック・ピアスの言葉を思い出すのだ!


 ”戦いを拒むことは敗北であろうし、戦うことは勝利である。我々は過去への信頼を持ち続け、伝統を未来に伝えるのだ!” 」


 大きな歓声と口笛と拍手とが周囲の建物を振動させるほど鳴り響いた。誰もが熱狂し、ブラーニーの名を連呼し続け、彼は凍てつくような真冬の大地に集まった聴衆の熱気に抱擁(ほうよう)されるように強力な光を放っていた。


 その様子を演台の後方で観ていたウルフは、隣に立つキアランを見ずに(つぶや)いた。


「・・・・・こういった活動に火が付けば、テロ行為なんて必要なくなる。血を流しあうこともいつかなくなれば・・・・」


 しかし、キアランはやはりウルフを見ることなく感情の機微が(うかが)い知れない表情で応えた。


「この国では、今やデモすらも禁止されている。穏便に済まされるかどうか怪しいものだ。」


 ウルフは何も言わず、ブラーニーを誇らしげに見ていた。やがてブラーニーが演台から降り、聴衆の前へと進み、デモ行進の先頭で歩きだした。予定通り王立裁判所までデモ行進が始まり、ブラーニーを囲むSP及び民衆の警備に当たっているIRAらも民衆と共に進んだ。


「我々に平等な投票権を!」


「職場や住居の差別を撤廃しろ!」


「インターンメント(非常拘禁制度)の廃止を要求する!」


「公平な裁判権を!」


「イギリス軍は撤退しろ!」


 歩を進めるたびに熱を帯びた隊列が地響きのようにその主張を連呼し、通りを埋めていた。デリーのボグサイト地区に住むユニオニストの窓は固く閉ざされ、逆にナショナリストの家々の窓からは声援が飛んだ。口笛で鼓舞するもの、歓声を上げるもの、手を振るものがデモの隊列を歓迎し、それが更にヒートアップを助長しだした。


 その時、ウルフの隣を歩いていたキアランが何かの音を感じ取り、顔を上げて目を見張った。


「・・・・なんだ、この音は・・・・」


 ウルフはキアランの言葉と共に空を見上げ、北北西の方角に光るものを見つけ、その見慣れた物体に驚愕の声を上げた。


「・・・・なぜだ・・・?! あれは、イギリスの航空特殊部隊のヘリだ!」


それまでイギリス政府は北アイルランドの治安を守るためという名目で軍隊を駐留させていたが、立場的に直接介入はしていなかった。


「みたことか・・・・」


 キアランが忌々(いまいま)しげにヘリを見上げた。ウルフは無線機を取り出し、(あわ)てて部下に指令をだした。


「ブラー二ーを安全な場所へ移せ!」


 不穏な空気を帯びたその数基のヘリは、あっという間にデモ隊の上空まで来るとそのハッチから銃を携えたイギリス軍のパラシュート連帯兵を降らせた。ウルフは身を挺してブラーニーを建物の路地に移動させ、護衛のSPたちへあらかじめシュミレートしていたルートで退避させるよう指示を出した。その時、地上に降り立ったパラシュート部隊が銃を市民に向け発砲し始めた。騒然とする中、キアランの無線からグレッグの声が聞こえてきた。


「キアラン、イギリス軍が民衆に発砲している!町の要所に待機していた仲間の多くがBスペシャルズによって拘束された!ムーアもだ!!」


「ムーアが?!グレッグ、とりあえずほかの連中の後援に回れ!」


ウルフはキアランに振り向いて叫んだ


「キアラン、IRAに発砲させてはダメだ!煽るだけだぞ!!」


「もう遅い!黙って民衆が殺されるのを見ていろと言うのか!」


 キアランがグレッグからの無線を聞きながら銃を抜いた一瞬、その視線の先30mほどの建物のテラスから何者かがブラーニーを守る一団に銃口を向けているのが目に入った。銃を向けるとその男は自分の銃をずらし、キアランを薄笑いの表情で(あざけ)っていた。


「 ! 」


男は、キアランにとって虫唾(むしず)が走るほど憎んでいた、自分を買った例の英国紳士だった。


彼は眼光鋭く銃を発射したが、と同時に男も彼に向かって発砲した。


キアランの弾は男の帽子の下の額に命中し、相手のひきつった顔が倒れていくのが見えた。キアランも男の銃弾を左肩に受け、その衝撃で後方に倒れた。ウルフは銃声に振り返った。


「キアラン!」


銃声と怒号、ヘリの轟音(ごうおん)と悲鳴。そして血の匂いがいたるところでし、デリーの街は騒然となった。




 


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