緋色の大地①
デリーの街に着いたのは、まだ辺りが暗い夜明け前だった。
とはいえ、冬のヨーロッパの国々がそうであるように、9時近くとも日が差すことがあまりなく、ぼんやりとした空の凍てつくような寒さは昼だろうと大して変わらなかった。
キアランは仲間と共に今回のデモに協力する者達が集まる拠点に向かった。ベルファストの面々もいく人かのグループがそれぞれ乗り合わせ、そこで集合することになっていた。指定された建物の前で、グレッグやムーアと合流した。
「キアラン、カーターが集合場所まで案内役を務める。他のものは、それぞれ分散して既に中で集合済みだ。」
グレッグがまだ年若い、下手をするとまだ十代ではないかと思われる男に前へ出るよう促した。
「オレは子供の頃、デリーに住んでいたんです。」
彼が頭を下げると、キアランは静かに頷いた。
彼らが人目につきにくい細い路地を通り、廃墟のような建物の錆びついた戸を開けると、さらに地階に降りる階段があった。それを下り迷路のようになっている機械室を抜けると、銀行の金庫室のような重厚な扉が現れた。鈍い音をたてて仲間がその扉を開けると、中は予想に反して広い空間があった。今回のデモに参加する者や警備に当たる男たち2〜300人程でごった返していが、地獄の門が開かれるような不吉な響きに、そこにいた全ての者が振り返ってキアランを見た。
デリーの組織でもキアランの名は知れ渡っていた。ベルファストから来た若者たちがキアランを筆頭にコツコツと進んでいくと、ざわざわとした波のようなさざめきが広がっていった。
「おい、あれが”黒きナイフ”だぞ。」
「”氷のテロリスト”といわれた男が、あんな女のような顔をしているとは…。」
グレッグはキアランの隣で聞きなれた彼への表面的な評価を押し流すように周囲を睨んだ。ムーアは二人の後ろから青白い顔をして周りを見渡した。キアランにとっては自分がどう言われようと、どうでもいいことだった。
「坊主、久しぶりだな。」
太く低い男の声が響き、それをよけるように人の波が割れて、その先に大柄の男が立っていた。
「お久しぶりです。オーブラディ…。」
そこにいたのは彼にとって第二の父とも仰ぐIRA暫定派のトップの一人、オーブラディであった。実際に会ったのは数える程だったが、両親をなくし、働くことすらままならなかったキアランを支援して、この世界一流の教育を施した男だった。その、オーブラディの隣には見知らぬ一人の若い男とウルフがスーツを着込んで並んで立っていた。彼らの更に後ろには、整然と並ぶ同じようにスーツ姿の隙がない男たちが10
名ほど立っていた。
「ブラーニー・マクブライドだ。今日、お前がその隣のウルフと警護に当たることになる対象者だ。」
オーブラディに紹介され、一歩その若い男がキアランの前に出た。
「今日は世話になるねキアラン・オニール。君の話はアメリカにいる頃からウルフに聞いているよ。」
右手を差し出した男は立ち上るカリスマ的なオーラを纏っていた。力強い眼光、意志の強そうな眉、口角の上がった口元は誰からも好感を持たれるようなバランスの取れた顔立ちを印象付けていた。物腰は柔らかそうだが隙のない身のこなしは、軍隊の経験を持つもの特有の緊張感を醸し出していた。キアランはその右手を取り、握手をした。
「こんな一見優等生だがな、かなり大胆なことをする男だぞ。この俺が学生時代、何度か度肝を抜かれた。」
ウルフがため息をつきながらキアランに言った。それを聞いてブラーニーはウルフをニヤリと見た。
「君は当時プリーブ(最下級生)だったからね。カデット(士官学校生徒)にとって上級生は上官と同じ。いいとこ見せて威嚇しておきたかったんだ。」
三人の挨拶も底々に、彼らの時間は逼迫していた。
「いいか、それぞれの持ち回りに別れて事前に説明されたフォーメーションに移動しろ。」
オーブラディはそこにいる者たちにそう言うと右手を挙げた。と、同時にざわざわと人の波が分かれていき、再び開かれた扉を抜けてそれぞれに移動が始まった。キアランとウルフを残し、グレッグやムーアも持ち場へと向かった。残ったのは4人と、ブラーニーを護衛するスーツ組のみとなった。
「オーブラディ、演説の前に少し確認したいことがあるのですが…」
ブラー二ーがオーブラディに小声で話しかけると、オーブラディは右手で顎を撫でながら、唸るような声を上げた。
「…少し話しておかなければならないことがあるのだが・・・・いいか?キア、ウルフと待っていてくれ。」
オーブラディがブラーニーに目配せをし、キアランとウルフから少し離れた位置へと移動した。
「一定の距離を保って、ブラーニーの警護を続けてくれ。」
ウルフがそういうと、スーツの男たちはウルフたちとブラーニーたちから等間隔で離れた。
二人の間にはまるで透明の壁があるようだった。ウルフはキアランの横顔をちらっと見て呟いた。
「ゼルダは大丈夫なのか?一人にして・・・」
「・・・あいつだってもう子供じゃない。」
そう言いかけてふと入口を見たキアランの表情が凍り付いた。目を見開き、血の気が引いているのがウルフにも明らかに分かり、キアランが釘づけになっている視線の先を辿った。そこには仕立てのいいスーツを着こなした銀髪で中年の紳士がこちらに向かって歩いてきていた。
「おや、久しぶりだね。君が私のところへ来なくなって7~8年かな・・・。」
キアランは顔面が蒼白になっていた。言葉を挙げようにも唇がガタガタと震え、立っているのがやっとという様子だった。
「なぜ・・・あなたが・・・・」
「私は北アイルランド政府側の担当だよ。今回は君たちと連携してデモの管理をする」
「・・・聞いてない・・・・。」
「マクスチョフェインに話は通してある。オーブラディはいるか?」
黙り込んでジッとその男を睨んでいるキアランの代わりにウルフが答えた。
「いま、奥にいます。打ち合わせ中ですが・・・。」
「少し顔を出してくるよ。じゃあ・・・。」
そういうと男はキアランの肩をポンと叩いてオーブラディたちの元へと歩いて行った。ウルフはその姿を見送ったが、ふとキアランに目を戻すと彼は茫然と我を忘れて立ち尽くしていた。
「おい、どうしたんだ?」
ウルフが彼の肩を触ろうとすると、拒否反応を示すようにその手を”パン!”と音をたてて払い、目をぎらつかせてウルフを睨んだ。
「触るな!」
そう叫ぶと彼はウルフからよろよろと離れ、背を向けてうなだれたままガチガチと震えていた。
小さい頃からキアランが心のドアを閉めた時、ウルフは何も言わずに側にいた。13年という時を経て再会してからは、
距離を持たれていることも分かっていた。しかし、ここまで強い拒絶をされて、何かに苦しんでいるキアランの姿を目の当たりにし、ウルフは強く動揺した。
キアランは必死に呼吸を整え、いつもの自分を取り戻そうとしていた。ウルフはわさわさと整えられていた髪を掻くと、キアランに向かって呟いた。
「俺はさ、お前に嫌われたって、別にいいよ。でも、どんなことがあったって、俺には兄弟のように育ったお前が大事なんだ。それだけは忘れないでくれ。」
キアランはウルフの言葉を聞き、背を向けたまま笑い声とも泣き声ともつかない声を上げ、振り返った。
「俺が13年間、してきたことを全て知ってもか?」
その表情はすっかり平静を取り戻しているようだった。
「キアラン、そろそろ移動だ。」
グレッグが遠く入口から声をかけた。
キアランはツカツカと仲間が待つ出口へと向かい、ウルフは去っていくキアランの後ろ姿をやるせなく見送った。
本当に申し訳ないです。
番外編の続きと思いきや、本編に一旦戻ってます…。
同時進行になるか、本編を進めるか…
活動報告にも書きましたが、悩み中です。
本編の場合、割込み投稿となります。
分かり辛くてスミマセン…