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エリンの大地に  作者: 倉崎りん
第三章 外伝(番外編 後半)
40/51

いろのない街(番外編⑩)

「お願いします!必ずお返ししますから・・・」




 ダニエルは紡績(ぼうせき)工場の工場長に頭を下げた。これで何度目だか思い出せないくらい、毎日のように頼みに来ていた。




「しかしなぁ、そんな大金、わたしも都合できないんだよ…。」




「全額じゃなくていいんです。お願いします!」




「ああ…残念だが、あまり当てにしないでおくれ。すまないね・・・。」




 ダニエルはズボンをギュッと握った。この工場は、あまり景気が良くなかった。最近では人員整理もしだし、縮小の動きを見せていただけに、金を借りるのは難しかった。




 ようやく目を覚ましたものの、ムーアはまだまだ入院が必要だった。様々な損傷を受けたので、手術もいくつかしなければならず、費用は彼らにとって莫大な額となった。自宅を売り払っても全く足りる金額ではなく、ダニエルは途方に暮れていた。




 冷たい扉を開け外に出ると、人通りの少ないこの工場の前の通りに黒塗りで大型のリンカーンが停まっていた。いぶかし気にそれを見ながらダニエルが工場の階段を降りると、男が近寄ってきて小さな紙片を渡した。




『2ブロック先の路地に入ったところで車に乗れ。金は用意した。』




 ダニエルが顔を上げると男はすでにいなく、黒塗りのリンカーンはゆっくりと動き始めていた。




 本来なら、こんな怪しげな車には近づかなかっただろう。しかし、その時のダニエルは(わら)にも(すが)りたい心境だった。




 慎重に周りを見回しながら2ブロック先、車が左折した角へ入ると、狭い路地にその車は止まっていた。ダニエルが近づくと、車のドアが開いた。




 中を覗き込むと、グレイのスーツに青いネクタイを絞めた40代くらいの金髪の男がタバコを吸いながら座っていた。




「ダニエル・リッカートン。取引をしようじゃないか。」




 発音がイギリス(なま)りのこの男に(うなが)され、ダニエルは車の中に入った。




「…貴族様、ってわけか。」




「それはどうかな。」




「金を都合してくれるっていうのは、本当か!?」




 男はゆっくりと煙をくゆらせてダニエルを見た。




「当然、ただじゃないのは分かっているだろう?」




「なにが望みだ?」




「…先日のRUC幹部襲撃事件の実行犯の所在だ。」




 ダニエルは凍り付いた。




「・・・なんのことだ?お前は、アルスター警察の犬か?」




「いや、違うね。」




「どちらにしろ、俺のことを調べ上げたわけだ。」




「まあね。」




「そんなことを教えれば、その実行犯とやらは死刑になるんだろ?教えられるわけがない。」




「・・・北アイルランド政府だって、そう簡単に死刑にはしないさ。面子(めんつ)上、今回だけは犯人を検挙しないと収まりがつかないだけさ。レオン・グリフィスの時には非難が集中しただろ?彼らだってバカじゃない。」




 ダニエルはガタガタと震え始めた。




「おれに、仲間を裏切れというのか!」




「…金を用意するよりも、もっと手っ取り早い方法があるんだ。」




 男はタバコを自分の座席脇にある灰皿にひねり、不気味に微笑んだ。




「あの病院は、もともと私のものでね。この国では最も先進の医療を受けられるように投資している。だからこそ君の息子も助かったんだよ。」




 ダニエルは目を見開いて男を見た。男は冷たい、余裕の表情で静かに言った。




「聞いてるよ。全部。君の息子は意識が戻った。でも、このまま病院から放り出されたらどうだろう?損傷を受けた臓器はこれからもメンテナンスが必要だ。この国で、あれだけ瀕死(ひんし)の重傷を負ったものが、ほかのどの病院で後遺症もなく生活できるようにバックアップできる?」




 ダニエルはうつ向いて押し黙ってしまった。男はそれを見ると、見下すように鼻で笑った。




「1週間後、ここに書かれた場所に来るんだ。」




 真っ青な顔をしたダニエルに男はメモをよこした。リンカーンはダニエルを残し、貧しい街の路地をぬって消えていった。




「リンスター侯爵、ご自宅に戻られますか?」




 運転手が彼に話しかけた。




「いや。空港に行ってくれ。イネスが今日からスイスに行くはずだ。」




 黒塗りのリンカーンはベルファスト国際空港へと向かった。




************************






「しらないお兄さんたちが屋根裏部屋にいるんだよ。」




 帰宅したキアランにいつものように抱き上げられたゼルダが兄に言った。




「知らないお兄さんたち?」




「うん。あそんでもらったよ。」




 ゼルダの言葉を疑問に思っていると、父が二階から降りてきた。




「キアラン、話がある。上に来るんだ。」




 アシュレイ・オニールはいつになく厳しく、神妙な顔をしてキアランを呼んだ。そしてキアランが下ろしたゼルダにしゃがみこんで言い聞かせた。




「ゼルダ、あの人たちのことは、よその人には絶対言っちゃいけない。約束だ。」




「とうさんのおともだちにも?」




「ああ、そうだ。キアランと話すから、少し自分の部屋に行ってなさい。」




 ゼルダはこくんと(うなず)くと、自分の部屋に大人しく消えていった。




 キアランは父に従って階段を上り、二階の両親の寝室に(うなが)されるまま入った。中には体を起こした母と、その向こうのソファに二人の青年がいた。キアランにとっては、二人とも町内で見かけたことのある青年だった。




「今日から彼らはしばらくうちの屋根裏部屋に(ひそ)むことになった。お前はもう16歳になるから、ちゃんと話しておく。彼らはRUCに追われている。」




 キアランは数週間前に起きたRUCへのテロを思い出した。




「いいか、キアラン。彼らはもちろん銃を携行(けいこう)している。だが、俺がいない時、もしものことがあったら・・・これを使って自衛するんだ。」




 そういって、ベッドサイドのチェストから一丁の銃をコトリと出した。




************************




「君はウルフと同じ歳だろ?」




 屋根裏部屋へ食事を運んだキアランに男の一人が話しかけた。




「…幼なじみです…」




「そうだよな。俺は5年前に大学でマクギネス先生にお世話になったんだ。たまに書斎にもお邪魔してた。君らはまだ小さかったけど、何度かウルフといるのを見かけたな…と思って。マクギネス先生はアメリカに行ったんだって?」




 ウルフとは半年以上が過ぎても、特に手紙のやり取りもしていなかった。父親同士は正反対なのに昔から仲が良かったので、連絡先ぐらい聞いているだろうとも思ったが、ウルフからはなんの音沙汰もなかったし、キアランも連絡をしようとは思わなかった。




「ウルフは人懐(ひとなつ)こいからな。俺らが学生時代、近くのバスケット・コートで遊んでいると、いつの間にか一人小さいのが混ざってた。」




 すると、もう一人の男が(うなず)きながら話し始めた。




「俺の親がマクギネス先生に大学の紹介をしたんだけど、ウルフは親戚の家を出て、私立のボーディング・スクールで猛勉強しているらしいよ。」




「へぇ…あいつらしくないな…。」




 二人の男は声を立てて笑った。キアランはぽつりとつぶやいた。




「いや…アイツらしいですよ。」




 キアランはウルフが陰で何事にも手を抜かないのを知っていた。運動にしても、勉強にしても、人への気遣いにしても、いつも表立っては適当にこなしているフリをしていた。だが、本当は負けず嫌いで、努力の(かたまり)。それが表に出てしまうぐらいなら、多分相当(あせ)ってる。そう思うと、フッと笑いが()れた。




「…笑うと、年相応に見えるね。」




 男の一人がニッコリ笑ってキアランに言った。




「いつも無表情だから、かなり大人に見える。でも、まだ子供なんだから、もっと笑いなよ。」




「…子供とも言えないです。もう来年は義務教育も終わりだし。」




 キアランはスッと立ち上がり、下への階段を下ろそうとして動きを止めた。少しためらったが、振り返って彼らに尋ねた。




「…あなたたちは、何のためにあのテロを実行したんですか?追われる羽目になって、人は死んで…俺の知り合いだって、今、爆弾テロに巻き込まれて死にかけてる。」




「…きみは、知ってるだろ。犠牲が出ても、俺たちが追われる羽目になっても、どうしてこんなことを続けるか…。」




「俺たちは方法を間違ってるかもしれない。でも、声を上げ続け、誰かに聞いてもらわなければ単なる叫びでしかない。何のために叫び続けるか、どうしたら聞こえるのか。それが俺たちがやっていることだ。」




「それに、俺たちはこのエリンの大地に誓い合ったんだ。この国が平等な国になるまでは、目を(そむ)けずに戦い続けようと。」




 キアランは無言で屋根裏部屋を後にした。彼には彼らが言っていることが何となく分かった。だが、思想に共鳴しても、自分なら彼らのように我が身を危険にさらすことができるのだろうか?と自問自答した。子供のころから宣言してきたように、「たたかう」ということの意味を、自分の中に見出すことが出来ないでいた。




************************


 


「キアラン、ゼルダがお二階にいるから、連れてきて。」




 夕食時、母はガウンを羽織ったまま食事を作り、屋根裏部屋の二人にキアランは食事を運んでキッチンに戻ってきていた。先ほどまで母が料理をするのを見ていたゼルダは、いつの間にか二階に上がっていた。


 


 キアランが二階に上がって両親の寝室をのぞくと、母のひざ掛けを取りに来たゼルダが、それを抱えたまま両親のベッドの上にもたれて寝てしまっていた。




 キアランは小さく微笑むと、抱きかかえてゼルダを階下の子供部屋に連れて行こうとした。階段の上まで来ると、大きな音を立てて父が玄関を開け、階上のキアランに叫んだ。




「キアラン、下りてくるんじゃない!奴らがこっちに向かってる!」




 その声にゼルダも目を覚ましたが、キアランはゼルダを抱えたまま両親の寝室に走った。屋根裏部屋には彼らがいる。隠れる場所といったら、寝室のクローゼットしかなかった。キアランはクローゼットに入り、ゼルダの口を押えて言い聞かせた。




「ゼルダ、いいか、声を上げてはダメだ。俺が絶対に守るから、しばらく我慢するんだ。」




 ゼルダは何が起こっているか全く理解できていない様子だったが、青い顔で震えながらコクンと(うなず)いた。






「エリシャ、寝室にいてくれ。」




 父が母を連れて寝室に来た。




「母さん!」




 キアランはクローゼットを開けて二人を呼んだ。父は母を彼らの方に行かせようとしたが、エリシャはそれを(こば)んだ。




「こんなところに3人は無理よ。お母さんは、お父さんがいるから大丈夫。」




 母は父を見た。父は覚悟を決めたように(うなず)いた。




「いいか、キアラン。お前はゼルダを守るんだ。」




 父はキアランの肩を力強く叩いた。母は二人の頭を優しく撫でた。




「大丈夫。心配しないで。二人とも…愛してるわ。」




 父がガタッとクローゼットの扉を閉じた。




 しばらくすると、階下の玄関ドアを蹴破(けやぶ)る音がした。何人もの長靴の音、複数の怒鳴り声、階下のドアをいくつも開け閉めする音、階段を駆け上がる音がして、キアランは身を固くした。ゼルダをギュッと抱きしめた時、寝室のドアを開け、幾人も人が入ってくるのが分かった。両開きのクローゼットの隙間から、一人の覆面(ふくめん)をした男が両親に近づいてくるのが見えた。ゼルダも身を固くして兄に抱きつき、キアランは一層ゼルダを壁側にして抱え込んだ。




「お前がアシュレイ・オニールか!」




「ああ、そうだ。なんだ、この騒ぎは。ここは普通の民家だぞ。」




「ここに先日のFRビル爆破の実行犯が潜伏(せんぷく)しているとタレコミがあった。」




「…そんな物騒な連中、うちには置いておけないな。」




「…しらばっくれるのも、今のうちだぞ。」




「おい!いたぞ!」




 クローゼットの扉に男が手をかけた時、恐らく屋根裏部屋へのハッチを見つけた者がそれを開け、下にいるものに叫んだ。


 そこにいた者たちの何人かはその声で寝室を出て屋根裏部屋へと走っていった。冷や汗がキアランの背中を伝っていた。止めていた息を少し吐き出した時、7発の種類の違う銃声がして、キアランたちがいた寝室の天井に”ドスン、ドスン”という、何かが倒れた音がした。




「よし、黒だ!仕留めたぞ!」




 おそらくハッチから階下をのぞき込んだ男が、一階や二階にいる仲間たちに叫んだ。両親の前に立ちはだかっていた男たちは、鼻で笑いながら銃の安全装置をカチャリと外した。




「お前たち夫婦も、蔵匿罪(ぞうとくざい)ということだな。」




 キアランは目を見開いてクローゼットを出ようとしたが、ゼルダの存在に一瞬ためらった。




"お前は、ゼルダを守るんだ。"




 という父の言葉を思い出し、両親は連行されるだけだろう、しばらくは牢獄(ろうごく)へ行くことになるのか・・・と痛いほどに脈打つ心臓の音を落ち着けようとした。アシュレイはエリシャを(かば)うように抱きしめたままクローゼットの前に立ち塞がり、男たちに叫んだ。




「俺に罪があるのなら、司法の場で堂々と裁け!家族には関係ない!」




 銃を構えた男がニヤリと不気味に笑った。




「お前たちに裁判権なんて、あるものか。」




 4発の銃声が響いて、血しぶきがドアの隙間からクローゼットに隠れている二人にも飛んできた。




 兄妹は凍り付いた。




 ズルズルという音と共に、両親が抱き合いながら崩れていく姿が見えた。キアランは硬直しているゼルダの口を一層強く塞いだ。怒りと、悲しみと、絶望と、叫び出したい衝動を、ゼルダのために必死で抑えた。




「この家、子供がいるはずだよな。子供部屋が二つある。」




 再び二階に上がってきた複数の男が、ガタガタとあらゆる部屋の戸という戸を開けている音が聞こえてきた。寝室に入ってきた二人の男が、クローゼットを開けようとして呼び止められた。




「やめとけ。見つけたら殺さなくてはいけなくなる。両親は応戦してきたといえば正当防衛になるが、子供はそうは行かん。俺たちの立場が悪くなるだけだ。」




「あはは、確かにそうだな。」




 男たちは笑いながらカツカツと寝室を出て行った。




 キアランたちが隠れていたクローゼットの床に、じわじわと両親の血が(あふ)れこんできた。キアランは自分が涙を流していることも、声が出ないことも分からずに、ゼルダを抱いたまま動くことが出来なかった。



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