いろのない街(番外編⑨)
以前にも書きましたが、
ダニエル・リッカートンはムーアの父
アーサー・ノードンはグレッグの父
アシュレイ・オニールはキアランの父です。
尚、最初の方のムーアの話で書きましたが、子供の頃はグレッグの方がムーアより小さくて華奢でした。
「先日、RUCの幹部を襲撃した2人が捜索の末、辛くも捕縛されそうになった。」
"エリン"の暗い地下室のテーブルについた男たちは鎮痛な面持ちでため息をついた。そのうちの一人が呟いた。
「彼らは年老いた親を抱え、最近結婚をし、まだ子供も小さい。監獄に入れるのは、あまりに残酷だ。」
アーサー・ノードンは静かに話した。
「今回ばかりはRUCも面子のために必死で犯人を探してる。レオンの時じゃないが、このままだと二人とも即刻死刑になりかねないな。」
ダニエル・リッカートンが顎に手をやりながら意見した。
「…少し、小さな事件を小出しにして、気をそらそう。RUC以外の民間組織にハッパ(爆弾)を仕掛けるんだ。撹乱しているその隙にあの二人を匿う。」
それまで黙って聞いていた、アシュレイ・オニールが口を開いた。
「分かった。じゃあ、俺の自宅に彼らを匿う。うちの屋根裏部屋は物置状態だが、片せばなんとか二人を匿うスペースぐらいあるだろう。」
そこにいた全員が安堵のため息を漏らした。
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「なんでお前の顔はこんなに女みたいなんだ?」
ムーアがグレッグの頬を両手で伸ばしてしかめっ面で言った。
「ほんなほほいっはっへ…」
グレッグは眉根を寄せて、困ったように答えた。
「華奢だし、色白だし、俺より小さいし、ちゃんとついてるのか?!」
その言葉にムッとしたグレッグはムーアの手を払った。
「父さんが言ってた!お前はこれから大きくなるんだって!」
「…そうかな…ま、いいや。俺がお前を守ってやるから。」
「ぼ…おれはっ!男だから大丈夫だ!守ってなんかもらわなくたって!!」
グレッグの怒鳴り声に、ムーアの母親がドアを開けた。
「なんだい?なにを騒いでいるんだい?」
「あ…ごめんなさい、おばさん。」
「ケンカなら大歓迎だよ。一人っ子どうし、どんどんやりなさい。」
ムーアの母はニカっと笑って扉を閉めた。
「父さんと母さんが、グレッグはお母さんはいないし、お父さんはいつも仕事だから、守ってやらなきゃね、ってよく言ってるんだよ。」
「バーカ、それは大人だからだろ!」
「うん。でも、俺はお前より兄ちゃんだろ?」
「はぁ?たった2ヶ月じゃんか!」
「あっ、そうだ。この間預けた時計の部品、取りに行かなきゃ。」
ムーアはそういうと、立ち上がった。先日壊れた時計は、実はムーアが分解し、部品が摩耗していることがわかった…ので、その部品を時計屋に入荷してもらっていた。
「お前、僕の話、聞いてるのか?」
「あ〜、聞いてる聞いてる。」
グレッグはムーアが絶対に自分の言っていることを聞いてないと判断し、ため息をついた。
「僕も一緒に行くよ。シャンキル・ストリートだろ?」
シャンキル・ストリートとは、プロテスタント系住民が多い通りだが、治安があまり良くなく、カトリック系住人はあまり立ち寄らない場所だった。昨年、キアランたちの同級生の女の子が暴行を受け、病院に運ばれた事件があったところでもあった。
二人は連れだってシャンキル・ストリートへと出かけて行った。
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店を出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。ムーアが店で時計職人が小さな部品を組み立てているのをじっと見ていたからだ。
「さっ、早く帰ろうぜ。遅くなる。夕飯はうちで食べていけば?」
「お前がずっと職人のことを見てたからだろ。今日は"'エリン"に寄って、父さんのところで食べるから、いいよ。」
「遠慮するなって!」
「してな….してねーよ!」
二人がそんな会話をしながら歩いている先に、あるビルの植込みにケーキの箱のようなものをそっと置いて、走って立ち去ろうとしている男がいた。後ろ姿でも、ムーアにはそれが誰かすぐに分かった。
「あれ…父さんじゃないかな?忘れ物…」
ムーアは駆け出すと、植込みに置かれた箱の中身を確認した。グレッグはその少し離れた斜め後方でその状況を覗き込んでいた。そこには時計と、それに接続された複数のコード、円筒状の何か、が複雑に絡み合っていた。ムーアは見覚えのあるこの装置を記憶から呼び出そうとした。
「ムーア!危ない‼︎」
振り返って息子がいるのに気付いたダニエル・リッカートンは、少し離れた位置から走りながら息子に怒鳴った。ムーアはその時、それが時限爆弾だと思いだし、一瞬で振り向き、近くにいたグレッグを突き飛ばした。その瞬間、閃光と共に轟音を立てて装置が爆発した。
「ムーア!」
ダニエルが煙を払うようにムーアに走り寄ると、通りの車道まで吹き飛ばされたムーアが血だらけで倒れていた。その数メートル先にはグレッグがしりもちをついて、震えながらムーアを見ていた。
「テロだ!」
「子供が犠牲になったぞ!」
「だれか、救急車を呼べ!」
辺りはあっという間に野次馬でいっぱいになった。
「ムーア!ムーア‼︎」
ダニエルは泣きながら声が枯れるほど息子の名前を叫んだ。
遠くからサイレンの音が響き渡り、辺りは騒然としていた。
「ムーア!」
息子の名前を叫ぶダニエルの声が虚しく雑踏の騒音とサイレンにかき消されていった。救急車が到着し、ムーアは軽傷のグレッグと共に運ばれ、父もそれに付き添って車内に乗り込んだ。
野次馬の中、その様子を冷たい目で注視している男がいた。およそこの場には似つかわしくない、仕立てのいいスーツを着た銀髪の男は、彼らが救急車で去って行くと、乾いた笑いを漏らしてその場を後にした。
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「施すべきことは、全て試みました。しかし、内臓まで達する裂傷が多く、出血も多かったため、輸血を大量にしていますが、現段階では自発呼吸もできていない状態です。このまま目を覚さない場合、脳死状態となる可能性が高い。生命維持装置をこのまま稼働すると、一週間単位でもかなりな資金が掛かります。選択肢としては、このまま装置を維持するか、止めて自然に心臓が停止するのを待つか…」
医師は冷静にリッカートン夫妻に話した。ムーアの母は顔を真っ赤にしてハンカチで目から下を覆っていた。ダニエルは真っ青になって医師の襟をつかみ、必死ですがった。
「先生、金ならなんとかします!ムーアを助けてください!お願いです、あの子は、長年待ち続けた、俺たちの宝物なんだ!!」
医師は眼鏡を直すと、静かに言った。
「一週間が山場です。それ以上、意識が戻らないようなら考えた方がいい。もし、意識が戻っても、治療は長期に及び、もしかしたら後遺症も残るかもしれません。」
リッカートン夫妻の嗚咽は、病院の廊下にまで響いていた。
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「何やってんだよ、お前…」
グレッグはムーアの隣で頭に包帯を巻かれたまま、アザや無数のキズを負って座っていた。爆破事件から5日が過ぎていた。
「守るってさ、違うだろ意味が。ぼ…俺から見たら、お前の方が危なっかしくて、フォローしてやらなきゃな、って思うよ。」
グレッグの綺麗な青い瞳から、涙がほろほろと傷だらけの頬に伝わった。
「起きろよ、バカやろう。今度は俺が、お前を助けてやる。男だって証明するからさ…」
グレッグは涙を右手でグイッと拭った。その時、ムーアの左手中指が、微かに動いた。ほかの指も動かし、何か作業をしているように、繰り返し両手の指を動かし始めた。グレッグはそれを見過ごさなかった。病室の外で看護師と話していたムーアの両親を呼びにドアに走った。
「おばさん、おじさん!ムーアが!」
両親と看護婦は病室に慌てて入り、ムーアの指が小刻みに動いているのを見ると、駆け寄ってその名を呼んだ。
「ムーア!ムーア、起きなさい!」
母の声に、ムーアはうっすらと目を開けた。その姿を見て、看護師は医師を呼びに行った。
しっかり見開いたムーアの目には、涙でくしゃくしゃになった両親の顔が飛び込んできた。ムーアからは遠かったが、後方ではグレッグも顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。
ムーア・リッカートンの人生は、この日から大きく変わっていくことを、彼はまだ知らずにいた。