いろのない街(番外編⑧)
このお話はフィクションです。実際の事件・事故は参考としたか、架空の出来ですので、ご了承ください。
実際のテロ事件とは関係ありません。
ウルフがベルファストを去ってから、半年が過ぎようとしていた。
最初の頃、キアランはウルフのいない日常が何とも不思議だった。いつも大して話すことはなかったが、二人で通った通学路、クラスは違えど授業をサボるタイミングもよく一緒になったので、昼寝したり本を読んでいた屋上への階段、毎日のように行っていた、マクギネス家の書斎…。
キアランにとっては見慣れた光景が、何故か寒く冷たい場所に感じられていた。
特にマクギネス家の書斎は、階下から窓を見上げると、ウルフが旅立った翌月には新しい住人が入ったようであった。前を通るたびにいつも立ち寄っていたこの書斎の窓を仰ぎ、もう立ち入ることもないのかと寂寥感を覚えた。
傍らに居た者が一人居なくなるだけで、こんなにも当たり前の日常が違う景色に見える。人に執着してこなかった彼にとって、それは奇妙な感覚だった。
「キアラン!」
下校途中に呼び止められて振り向くと、グレッグとムーアがブカブカの制服を着て、笑顔で歩いてきていた。
「昨夜の爆発音、凄かったな!」
ムーアがカバンを肩に背負いながら大きな目をさらに見開いて話しかけた。
「今朝テレビで見たけど、アルスター警察の施設が入ったビルの一部が爆破されて、要人が一人死んだらしいよ。」
グレッグは女の子のような可愛らしい顔を歪めてキアランを見た。
「あいつらが悪いんだよ!俺たちを押さえつけるばかりで、警察なんて、名ばかりだ。父さんが言ってたよ。」
ムーアはグレッグに食ってかかった。グレッグは"ハイハイ"という感じでそれに応じた。キアランは黙って二人の会話を聞きながら歩いていた。ムーアの住むフラットに差し掛かると、入り口付近に大柄の女性が立っていた。
「うわぁ、お袋が仁王立ちしてるよ…やばい、時計を分解したの、バレたかな。じゃあな。また明日。」
ムーアは手を振って母親が立っているのとは違う入口に走って行った。
「あのさ、キアラン…」
グレッグがため息をついてキアランに話しかけた。
「キアランの親父さんは、今回の爆破事件のこと、何か言ってた?」
「いや…俺は何も聞いてない。」
「僕さ、気づいたんだけど、この街で何かが起こる時、大抵父さんは夜遅くに帰ってくる。キアランの親父さんも、そうじゃない?」
キアランはそもそも父の動向にさほど興味がなかった。父がアイルランドの男の典型として、"エリン"で大人の男の社交をしていることに、何の疑問も抱かなかった。ムーアの家の前を過ぎると、直ぐにグレッグの自宅があったが、彼は立ち止まって斜め下を見た。
「最近ね、よくムーアのウチに泊まるんだ。僕は母親がいないし、父さんは店のことがあるから、いつも気にかけてムーアの母さんが泊まって行けって言ってくれて…。でさ、やっぱりムーアの親父さんも、大抵事件の前には帰りが遅いんだ…」
キアランは顔を曇らせてグレッグを見た。グレッグの父が営む"エリン"には、この界隈の男たちが集まる…彼らの多くは顔見知りで、殆どがこのカトリック居住区に住む者だ。男たちは酒を飲みながら政治、経済、家族、その他のことを話していた。
活発に政治や経済について話し合う男たちは、酔って自宅に戻っても、酔っていなくても、家族の前でもこの国に対する不満や差別について活発に話すものが殆どだった。
まして、現実的に住宅、賃金、制度、多くの面で差別されている抑圧感がカトリック系住民には強く、テロも大小頻繁に起きていた…。
そのため、この辺りの子供達の間では"ナショナリスト(南との統合・イギリスからの完全独立を望むIRAがわ)"と、"ユニオニスト(イギリス連邦に留まることを望む者たち・RUC・アルスター警察を含む。多くがプロテスタント系住民)"に分かれて"ナショナリスト・IRA"役がユニオニスト"役を袋叩きやリンチにする、といった残酷な遊びが当たり前のように見られた。
ウルフやキアランも物心ついた頃からそんな環境を見てきたので、当然のように"ナショナリスト"としてこの国を統合・独立に導くために戦うのだ、という意識が強かった。
ただ、ウルフの父、ショーン・マクギネスは、暴力的な運動には否定的だった。マクギネス家の書斎で、小さい頃ウルフと一緒に戦いごっこをすることもあった。そんな時、マクギネス先生には「戦う」ことは暴力だけではないと聞かされた。
しかし…日常生活でこの頃は徐々にテロを目撃することも多くなっていた。爆発や銃撃、怒号…現実にそれらを目にすると、心が固くなっていくのをキアランは感じていた。
「お前はどうなんだ?俺たちの親父どもが、もしテロに関わっていたら…」
グレッグはキアランを見て口籠った。
挿絵(By みてみん)
「…僕は…父さんには危ない目に遭って欲しくないけど、気持ちも分かるんだ…。一つの島が南北に分断されて、他国の支配を受けてる…それを一つの国に戻したい、って気持ちはね。母さんが出て行ったのは、そこの考え方の違いだったんじゃないかな…」
グレッグの母はプロテスタント系家族の出で、彼が小さい頃、家を出ていた。グレッグはまだ幼い見た目だが、大人びた考え方をするのだな、とキアランは感じた。
「…お前は、どうしたいんだ?」
「……」
グレッグは俯むいたまま、黙ってしまった。キアランは髪を掻き上げてため息をついた。
「例え、どうしたいかビジョンがあったとしても、子供の俺たちでは、そこに加わって意見することもできない。親父たちに大人の男として認められなければな。」
そう言い残すと、キアランは振り向いて自宅に帰っていった。
三話で終わらなそうです…