ブルー・バード
離れるのが怖かった。会えない日はまるで背中に不安を背負っているような感じだった。会うとそれがなくなる。どうかしてる、と自分でも思ったが、全てが初めて味わう感情で、それといかに付き合っていけばいいか分からなかった。
グレッグの家の玄関で、イネスは立ち止まった。玄関ドアを開けて振り向いたグレッグは、うつ向いてドアの先に進もうとしない彼女にやさしく尋ねた。
「どうしたの?行こう。」
イネスは首を左右に振り、ポロポロと涙を流し始めた。
「イネス…?」
グレッグはドアを一旦閉めて、肩を抱き寄せ、右手で彼女の頭をポンポンとなだめるように軽くたたいた。イネスは彼のそんな慰め方に、さらにヒックヒックと嗚咽を漏らした。
「大丈夫だよ。明日は危険なことはないから。帰ってきたら、N.Y.に行く話をしよう。前に働いていた代理店の先輩が、仕事を紹介してくれることになったんだ。住むところも相談に乗ってくれるって。」
イネスは不安と涙でいっぱいの目をグレッグに真っ直ぐ向けた。グレッグが愛しそうに微笑むと、イネスは彼の首に両手を回してギュッと抱きつき、絞り出すように一語一語訴えた。
「離れたくないの。怖くて…お願い、側にいて…」
彼女は泣きながら抱きついたまま、そこを動こうとはしなかった。グレッグはイネスのあまりの泣きじゃくり方にどうすることもできなくなってしまった。
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カタッという音でイネスは目を覚ました。傍らに寝ていたはずのグレッグが起き出して、仄暗い中を身支度していた。ソファで泣き疲れて寝てしまった彼女にはブランケットが掛けられていたが、もたれていた上半身を起こすと、イネスは悲しそうに言った。
「ひばりだって、まだ鳴かない時間よ…。」
グレッグは彼女に心配させてしまう自分に自嘲的に軽いため息をついた。そして、何も言わずにイネスに近寄り、今までで一番長いキスをした。それから傍らにあったブランケットをそっとイネスの肩に掛けて、彼女をくるんだ。
「行ってくるよ。」
おでこをこつんとぶつけてグレッグが彼女から離れ、自宅の扉から出て行った。夕べ、泣き続けたイネスを彼はずっとなだめていた。それでも、今日デモの護衛に行くことを諦めさせることはできなかった。律儀な性格を付き合い始めてから見てきたので、イネスは彼を止められないことを本当は知っていた。
父の不穏な動きや姉の厳しい表情から、この国で何かが起こるような胸騒ぎがしていた。しかし、それをグレッグに伝えるにはあまりに根拠がない上に、イギリス政府の要人である父のことを知られるのは、彼との決別を意味していた。
イネスは言いようのない不安を抱えたまま、彼をリビングから見送った。その時、鳥のさえずりが聞こえた気がして、彼女は窓を振り返った。しかし、まだどんよりと暗い空がカーテンの隙間から見えるだけだった。
「…青い鳥ならいいのに…」
イネスはグレッグが掛けたブランケットのまま、自分の両腕をギュッと握って、枯れそうにない涙をまた流した。