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エリンの大地に  作者: 倉崎りん
第二章 濃紺の空
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イエロー・ベリー

 久しぶりに会った父母の顔色は決して悪くはなかった。


 目隠しとヘッドホンをされて連れてこられた場所は、ベルファスト中心街から約1時間ほど車で走った場所だとムーアは体感した。テロに参加し、機械の修理を仕事とするムーアには、移動していた車から降ろされて館内のある部屋に通され、目隠しとベッドホンを外された時、少なくとも半径約1km以内に民家や民間施設がないであろう、というのを耳から入る雑音の少なさや物音の反響から感じ取った。


 その施設は恐らくかなり古い小さな療養病院を買い取り、改装を施したものであろう。修道院などを使用した、中世のライ病患者隔離施設ではないかとムーアは思った。


 数人の男たちに囲まれて開錠された部屋に入るとすぐに後付けのバスルームが左側にあり、その先にベッドが二つ、窓際の方に父が横たわり、そのベッドサイドの椅子に母が座っていた。窓には鉄格子がはめ込まれ、出入口はセキュリティーの整った施錠が、部屋中に防音壁が施されていた。


「ムーア!」


 母が男たちに連れられたムーアを見ると、顔を真っ赤にして抱きついてきた。あれほど体格の良かった母が、一回り小さくなったように感じた。


「母さん、ごめん…俺のせいで…」


 母と息子は抱き合って泣いた。母には自分がIRAに関わっていることを話してはいなかった。しかし、多分昔からの付き合いでグレッグの店が彼らの根城になっていることは知っていたはずだ。そして、父のことも。ふと父が横たわるベッドを見ると、父がムーアの方を不思議そうに見ていた。ムーアは父の傍らにゆっくり近づいた。


「…父さん…分かる?俺だよ、ムーアだよ。」


「ああ…ムーアか。」


 ムーアの父ダニエル・リッカートンはここに連れてこられる前、白内障を患っていて手術をする予定になっていた。それゆえ、ムーアの姿がハッキリ見えない様子だった。近くに寄ったムーアの頬を両手で撫でて、息子を確認した。


「お前、病院に行かなくていいのか?」


「父さん、俺はもう26歳だよ。事故に遭ったのは、13年前。もう、病院にも行ってない。」


 父はベルファストの病院にいる時から精神を病み、白濁した記憶を行きつ戻りつ話が噛み合わないことが常であった。


「…事故…ああ、そうか…。」


 老人は息子を強く抱き寄せた。


「お前は、俺たちの宝物なんだ。どうしても助けたかった。助けたかったんだ…。」


 ダニエルは(うつ)ろな表情なまま、真っ白になったくせ毛をワナワナと震える両手でかきむしり始めた。


「アシュレイ…アシュレイ!すまない、あんなことになるなんて…!アシュレイ!知らなかったんだ!まさか…まさか…!」


 ここに連れてこられるまでも既に記憶は交錯し、幻影にうわ言のような叫び声を上げることが度々あった。しかし、ムーアは父がアシュレイ・オニールを助けることが出来なかった後悔からの言葉だと思っていた。だが…今のムーアは、父がキアランの両親を(おとし)めたことを知っていた。ムーアは父をなだめようと、背中をポンポンと叩いた。まるで、赤ん坊をあやすように…。


「分かったよ、父さん。」


 興奮して泣いていた父は落ち着きを取り戻し、その姿を見てムーアは父の老いて筋張った両手をギュッと握りながら涙を流した。傍らにいた母も無言のまま泣いているようだった。


「キアランは、元気か?あの子たちは…」


 先ほどとは打って変わって穏やかな口調で父が静かにムーアに話しかけた。


「うん。キアランも、ゼルダも、グレッグも、みんな元気だよ。そうだ、ウルフが帰ってきたんだ。」


「そうか、ウルフか。レオンの子か…。」


「違うよ、父さん。マクギネス先生のところのウルフだよ。」


「そうだとも…ショーンはどうしたんだ?」


「マクギネス先生は…亡くなったそうだよ…。」


「…ショーンは…勇敢だったレオンの子を守ってきたんだ。彼は本当に最後まで男らしく、堂々と散っていったんだ…。なのに、俺は…。」


 ダニエル・リッカートンは再び自分を責めているようだった。ムーアは父が言っている”レオン”という人物が誰なのか分からずにいた。 


「…いいか、ムーア。イエロー・ベリー(臆病者)にだけはなるな。後悔したくなければ…」


 そう言うと、父はフッと意識を失った。ムーアは呼吸を確認し、そっと父をベッドに横たわらせた。その様子を静かに見守っていた母が呟いた。


「毎日、こんな感じさ。遠い過去に戻ったり、幻影と話したり…ここに来てから、一層ひどくなった。」


「母さん、次の日曜日…それが過ぎたら、父さんと母さんを開放してもらう約束なんだ。日曜のデモさえ、無事に済んだら・・・。」


 ムーアの後ろに控えていた男たちが作戦のことに話が及ぶとそれを遮った。


「そろそろ面会は終了だ。シティに戻るぞ。」


 そう言うとムーアを両サイドから囲み、立ち上がらせた。ムーアは悔し気に母を見た。


「ムーア!」


 部屋の出口に差し掛かった時、母がムーアに向かって叫んだ。


「父さんを見ただろう…後悔するような生き方だけは、しないでおくれ!私たちは、覚悟しているから、心配しなくていい!」


 振り返ろうとしたムーアを男たちが無理に出口へと引き立てた。母は見張りの男に口を塞がれようとしていた。


「母さん、母さん!」


 隔離室の扉は冷たい音を立ててムーアの背後で閉じられ、彼の嗚咽(おえつ)だけが静寂の世界の悲鳴のように、何もない世界で響いていた。


 

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