ブルー・ブラッド
「あの男がヘマを踏んだらしいね。」
フォサークはネクタイの結び目を直しながらアイリスに言った。美しい稜線を描く鼻と、グレーの目、白髪に近いプラチナ・ブロンドは冷たい印象を彼に纏わせていた。
「…余計なことをしてくれたわ。遺体がIRAに上がって、身元を調べられたらしい。」
アイリスがため息を吐きながら上着を羽織った。フォサークはソファに座ろうとした彼女に近づき、スッと唇を寄せてキスをしようとしたが、アイリスはそれを左手で遮った。
「おふざけは止めて、フォサーク。その話をするなら、ここからは私情はなしよ。」
彼はフッと笑って肩をすくめた。
「君は、そういうところ昔から変わらないね。」
「…あなたは、随分大人になったわね。傲慢で感情的なところをすっかり見せなくなった。」
彼を斜めから見たアイリスの視線は、苦々しく挑発的だった。
「私情はナシじゃないのかい?」
「……」
彼女は彼の目をキッと見ると、立ち上がり、衣服を整えながら帰り支度をし始めた。フォサークはその腕をグッと引っ張ると、アイリスを抱き竦めた。
「子供のままじゃ、欲しいものは手に入らないからね。君も、爵位も。」
アイリスは男の抱擁から離れて、彼を嘲笑した。
「高貴なる青い血が、あなたには大事よね。」
「そうだよ。でも、今やハリウッドの女優が一国の妃になる時代だ。僕が爵位を継げば、どうとでもなる。だからそのためには君のお父さんの後ろ盾が必要なんだ。」
「あの男を利用するのは一向に構わないわ。でも…あの娘を傷つけるのは止めて。」
「ははは…それは本音かい?」
「あの娘は…私がどん底の時代、何度も母の病室に来ては、私を気遣った…。純粋で、優しくて、妬ましかったけど、あの時の私には救いだったの。」
「僕はその頃、君が居なくなった屋敷でいろんな事と戦っていたよ。親族の蔑みや嫉妬、権力欲と支配欲…。病弱な父が危篤になるたび、繰り返される醜い争い。母の希望だった兄はそれに耐えきれず、留学したアメリカの大学で学位を取って研究に埋没していき、とうとう帰らないと言い出した。その時、僕に突然向けられた親族の目…。血の繋がりなんか、厄介なだけだ。」
「それでもあなたは、それにしがみ付いている。」
フォサークはアイリスの頬に右手を当ててその目をジッと見た。
「僕はもう、君が見つけた植え込みの中でボロボロになって悔し泣きしていたフォサーク坊ちゃんじゃない。君と同じだ。利用できる者は利用する。」
アイリスはフォサークの手を振り払って、チラッと時計を見た。それからまるで彼の言っていることに関心がないように装いながら、ハンドバッグからピルケースを取り出し、中の薬を一錠飲んだ。
「何の薬?」
「あなたには関係ないわ。」
「まあ、いいさ。日曜日の作戦が成功すれば、僕は受勲して、女王陛下に跪く。君の妹と結婚して爵位を受継ぎ、その先は徐々に僕の思うままに持っていくさ。」
フォサークは窓際に立ち、カーテンを開けた。
「日曜日に、全てが決まる…。」
どんよりとした空に同化するような彼の姿を見て、アイリスは身震いした。
* ブルー・ブラッド Blue blood
日焼けしていない白い肌に浮く血管が青く見えることから、王侯貴族や上流階級の高貴なる血筋を指す。
ヨーロッパの一部王族では下々の血脈が高貴なる血筋に混ざることを嫌い、親族間の結婚を繰り返したため、遺伝子病に悩まされた。