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エリンの大地に  作者: 倉崎りん
第二章 濃紺の空
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スカーレット・スカイ

  コップを拭く手が止まったまま、ゼルダは昨日のことを思い出していた。心の中は深い霧の中のように薄ぼんやりとしか物の形が見えず、その中で手探りをして歩くように不安や恐怖に満ちていた。


「ゼルダ?出かけてきて良いかい?」


 グレッグが心配そうにエプロンを外しながらゼルダに話しかけた。


「…あ、ごめんなさい。ちょっと考えごとしてて…。行ってらっしゃい。」


「ありがとう。夕方の開店までには帰るから。」


「うん。ごゆっくりどうぞ。」


 ゼルダは笑顔でグレッグを見送ると、大きくため息をついた。


「私が見たことは、お兄ちゃんには言わない方がいいのかしら…」


 昨日"エリン"の角を入った狭い通路で見かけた、ムーアとキャスリーン・フラーが何かをコソコソと話している姿が頭から離れなかった。何かがずっと心の奥に引っかかり、女優が兄に銃口を向けられた時の肝が据わった表情の違和感と共に、ゼルダの胸をざわつかせていた。


 ゼルダは拭いていたコップをコトリと置くと、カウンターから出てテーブルを拭き始めた。カウンター席にはムーアが忘れたジッポがあり、何気なくそれを手に取った。


「…冷たい…」


 そう感じると、それまで不安で仕方なかった心がスッと消えて、大きな欠伸(あくび)をしていたウルフの横顔を思い出し、クスッと笑った。


「カタッ」


 物音にふと振り返ろうとした瞬間、背中に何かを押し付けられた。


「振り向くな。黙って従え。俺と一緒に来るんだ。声を上げたら引き金を引くぞ。」


 背の高いガタイのいい男の影が、ゼルダの腕をグッと掴んだ。


「キャーッ!」


 ゼルダは悲鳴を上げて、パニックに落ちた。


「この女!頭がおかしいのか!」


 後ろから口を塞ぎながら、男はゼルダを脅すように、低い声で怒鳴った。


「お前、あの時のメスチビだろ?俺はお前のアニキに仲間を殺されたんだ!ちくしょう!!あのチビガキが、まさか"黒きナイフ"になるなんてな!」


 男がガクガクと痙攣(けいれん)し、頭を抱えるようにしゃがみ込んだゼルダを立たせようとした時、男は誰かに首に腕を回され、ギュッとと締め付けられて一瞬で気を失った。


「ゼルダ、大丈夫か?」


 ウルフは男が気を失っているのを確認すると、男の腰からベルトを抜き取り、後ろ手にして両手を何重もベルトで括った。足には近くにあった梱包用のロープを使い縛り上げた。


 ゼルダは気絶している男の近くでブルブルと震えていた。男は締め上げていたものの、いつ目を覚ますかわからない。しかし、無理に引っ張って男から遠ざけようものなら、先ほどのようなパニック状態に再び陥るのは目に見えていた。ウルフは焦りを見せないように落ち着いた声を装って、静かにゼルダの方に手を伸ばした。


「ゼルダ、分かるかい?こっちにおいで…。」


  ゼルダはウルフの声に気づいたのか、ゆっくりと右手を動かそうとしていたが、力が入らないようだった。やっとのことで右手をウルフの方に伸ばした。ウルフは戸惑いながら、しゃがんでその手に自分の左手を伸ばし、そっと握ったが、ゼルダに拒否感がなかったので、ゆっくりと自分の方へ彼女を引き寄せた。そして、ゼルダの背中を右手でそっとさすると、安心して大きなため息をついた。ゼルダはウルフの左手ををギュッと掴んだまま、まだ震えていた。


  丁度その時、キアランが鐘の音を鳴らして"エリン"に入ってきた。まず、倒れて気を失っている男が目に入った。


「なんだ、こいつは…」


「あんまり報告したくないんだけどな…工作員のようだ。ゼルダを連れ去ろうとしていた。たまたま忍び込もうとしていた後ろ姿に出くわした。」


  男の奥、少し離れたところにウルフがしゃがみ込んでいた。そして、信じられないことにキアラン以外は誰にも触られることを拒否してきたゼルダが、その腕にしがみ付いて震えているのを見て、キアランは動揺した。


「…アルスター警察に突き出したって無駄だろうが、ここに転がしておくわけにはいかないからな。あとで俺が連れて…。」


  ウルフが言い終わるか終わらないうちにキアランは男につかつか近寄り、足で男の体を上に向かせ、顔を確認し、上着から銃を取り出した。


「よせ、気絶してるんだ!なにも、殺すことは…」


  ウルフの声も虚しく、3発の銃声が店の中に響き渡った。キアランは躊躇ためらわずにその男を殺し、愕然としてるウルフの方を振り返った。


  ゼルダは銃声に敏感だったため、その音に更に怯えたが、ふっと我に返り、震えながら周りを見回した。そして、自分がしがみついていたのがウルフだと分かると、パッと左手を離して、きょろきょろと周りを見た。そして自分の方を見ているキアランと目が合った。


「…お兄ちゃん?」


  キアランはいつもの無表情に戻り、無言で二人の前を通り過ぎて、地下へと消えていった。


 ウルフは青ざめた顔で息絶えた男を見ていた。半地下になっている"エリン"の大きなステンドグラスからは、夕方の弱い光が斜めから男を照らし出していた。



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