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エリンの大地に  作者: 倉崎りん
第一章 白い花
3/51

碧い正午

前半は舞台版にないシーンです〜。

グレッグ・オーエンにとって、朝 10時から店を開けるのはなんの苦でもなかった。3年前に父親が他界し、パブ"エリン"を引き継いで以来、淡々と店を切り盛りしてきた。


元々、全てのことをキッチリ計画的に実行するたちで、理路整然としていないと気が済まない。穏やかな性格だが、プライドも高い。見た目の華やかさから女性にモテるが、どこか一歩引いた印象があり、その冷たい態度からゲイだと疑われることがあった。


挿絵(By みてみん)


「それで、どうしたんだよ。この間の子は。」


ムーアが野菜を紙袋から出しながら言った。


「ああ…食事に行ったんだけど、途中で用ができたから、って帰ってきた。」


グラスを拭きながら、グレッグがしれっと返した。


「はぁ?あんな美人でグラマー、放って帰ったのか?!」


ムーアはカウンターの内側に入ってきて、信じられないといった顔でグレッグを覗きこんだ。背の低いムーアを一瞥(いちべつ)してグレッグがあっさりと言い放った。


「俺、食べ方が汚い()はやなんだよね。」


「おまえ、なんて贅沢な…あんなイケてる()、俺が声かけても返事すらしてくれなかったんだぞ!」


「うっわ、性格悪いな。自分が振られるわけないって思ってるんだろうな。だから、帰りがけにでかい声で"あんた、ゲイでしょ!"って怒鳴るわけだ。」


「ざまみろ。じゃあ、差し詰め 彼氏はキアランだな!」


とニヤニヤとムーアに言われて、グレッグは右手でムーアの胸ぐらを(つか)み上げた。


「てめぇ、よくそんなことが言えるな…。」


グレッグの顔がみるみる怒りで赤くなった。


「やっだぁ、ナニ赤くなってるのよぉ〜エヘヘ。」


「オレにそんな趣味はねぇよ!」


さらに両手でムーアのシャツの(えり)を掴み、食いつかんばかりに怒鳴った。


「安心しろ。俺にもそんな趣味はない。」


二人の動きがピタっと止まって、今度は青くなった。と、同時にソファ席の背もたれからキアランの頭がムクリと持ち上がった。


「わーっ!居たのか、キアラン!冗談、ジョウダンだからね。」


キアランは当然だとばかり、ムーアをスルーしてカウンターに移り、図面のようなものを広げた。グレッグは無言でムーアの頭を叩いた。


「いってぇ、何すんだよ!」


グレッグとムーアはいつもこんな調子だった。キアランとウルフが言葉をあまり交わさなくてもお互いの考えていることがわかる仲なら、この二人はウルフに言わせると、仔犬のジャレ合いのようなコンビだった。しかし、4人で一緒にいる頃は、キアランとウルフにとってグレッグとムーアは癒される存在だった。


「グレッグ、もうオープンの時間か?」


キアランが図面に印を付けながら言った。


「ああ、そうだね。まだ早いけど、そろそろ客が入り始める時間かな。」


「地下を借りるぞ。ムーア、武器庫の件だ。来い。」


「そういえば、ルークから連絡があって…」


キアランとムーアは図面を持ち、地下への隠し扉へ消えていった。この店の地下にはウィスキーの貯蔵庫があり、実は昔から北アイルランドのIRAの根城になっていた。つまり、彼らの先祖も常に活動に参加していたのだった。グレッグにとっては、小さい頃から見慣れた光景だった。単にそこに自分たちの世代が中心になったに過ぎなかったのだ。ただ、ここ数年の対立激化に、グレッグは密かに戸惑いを感じてはいた。


客がなかなか来ないため、彼は新聞を開いた。と、突然、入口の鐘の音がなり、衝立から艶やかなプロンドの女性が、おずおずと店内を伺いながら入ってきた。


「あの…、入ってもいいですか?」


新聞から彼女に目を移したグレッグは、一瞬心臓が止まりそうになった。適度な薄化粧、清楚でシンプルだがセンスのいいワンピース、洗練された細い手足。何より、その可憐な雰囲気に心を奪われた。


挿絵(By みてみん)


「え…あ、はい、えっと、あの、いえ、どうぞ…」


ドギマギしながら促すと、その女性は一番奥の、グレッグがいるカウンターからは遠い席に着いた。


「あの、ご注文は…」


「紅茶をお願いします。」


「ごめんなさい、この店は紅茶は出さないんです。でも、美味しいコーヒーなら…。」


「じゃあ、コーヒーをいただきます。」


「はい…。」


グレッグは慌ててコーヒーを出すと、何気ない会話のふりをして彼女に尋ねた。


「待ち合わせ…ですか?恋人と?」


不自然にならないように聞こうと思ったのに、"恋人と"のところの声が変に裏返ってしまった。彼女はそれにクスッと笑って首を振った。


「いいえ。女性とです。ブルネットの。来ませんでした?」


「今日はあなたが最初のお客さんなんですよ。それに、この辺りはブルネットの方が多くて…。」


そこまで話したところで、鐘が鳴り何人かが入ってきた。


「じゃあ、少し待たせていただきます。…お客さんですよ。」


衝立から陽気な男性客二人が賑やかに入ってきた。


「は、はい…。」


グレッグは名残惜しそうに他の客の元に行った。


心臓の鼓動を感じながら遠くから伺っていると、その後から続々と客が来始め、彼女の姿をジッとは見ていられなくなった。しかし、合間合間にチラチラと見ていると、しばらくして黒いワンピースに長いブルネットの女性がサングラスを掛け、人目を避けるように近づいていった。二人が何を話してるかは、グレッグの位置からは聞き取れなかった。


「…ひさしぶりね。イネス。」


ブルネットの女が少しサングラスを傾けてイネスを見た。

美しい顔のライン、透き通るように白い肌、鉛筆で書いたような稜線を描く鼻、形の整った唇…全てを人混みに紛れさせるようにオーラを消して人目が来ないソファ席に座った。


「…リーアム姉さん…。」


イネスは心配そうに女をそう呼んだ。女は右の口の端をクイっと上げて(あざけ)ると、タバコを吸おうとクラッチバッグに手を伸ばし、ハッと気づきそれをやめた。


「気安く姉さんなんて呼ばないで。あんたと私は、お育ちが違うわ。」


「そんなこと…」


「それより、あんたのお父さんからの手紙をちょうだい。」


イネスは女にハンドバッグから取り出した手紙を渡し、てを胸に当ててうつむきながら話し出した。


「私、パパが姉さんに何をさせようとしているか、怖いの…。イギリス政府から北アイルランド担当相に任命されて、ロンドンからこっちに戻ってきて以来、パパは人が変わったよう…。」


「人が変わった?」


女は鼻でその言葉を笑い飛ばし、吐き捨てるように言った。


「わたしは子供の頃、ママが病気になって、物乞いに行った時に見た、あんたのパパの苦虫を噛み潰したような顔しか知らないわ。」


女は先程はためらったタバコを取り出し、イライラと火をつけて一息フーッと吐き出した。


「"乞食が、何をしにきたんだ"って顔だった…。自分がよその女に産ませた子を、虫けらのようにしか見れない男も、アンタには優しかったのね。」


「ごめんなさい、わたし、そんなことを思い出させるつもりじゃ…」


イネスはポロリと涙をこぼした。自分がいかに恵まれていたかを、そして、それがいかに目の前の腹違いの姉を傷つけるかを思い知ったがゆえに、後から後から涙が出てきた。ハンドバッグからハンカチを取り出し、涙を拭いた。女はそれを見て少し動揺したが、目をそらして皮肉に笑った。


「いいのよ。所詮(しょせん)貧しいカトリック女に産ませた子なんだから。でもね、女王様の(しもべ)であるアンタのパパが私を利用しようと言うのなら、私もアンタのパパを利用させてもらうわ。」


「姉さんはそんなことしなくても、充分有名になったじゃない。女優としてハリウッドで成功して、とっても美しくて…。なにも、危ないことをわざわざする必要はないじゃない…」


イネスは心から姉を心配して言った。しかし、女には皮肉にしか取れなかった。


「…かわいいイネス…。世の中はね、甘くないのよ。1本や2本映画で名が知れたって、次から次に仕事が来るとは限らない…。わたしは日に日に老いていくわ。美しくなくなれば、女優なんて(みじ)めなもの…なんの保証もない。」


一息フーッと煙を吐き出すと、タバコを灰皿にひねって、帰り支度を始めながら言った。


「わたしはね、あんな暮らしは二度とイヤ。アンタのパパに協力して、莫大な富を約束されるなら、仲間を売ったっていい。」


「姉さん!」


イネスは止めようとしたが、女はスッと立ち上がって、イネスの目を見ないで呟いた。


「イギリス人のアンタに、わたしの気持ちが分かる?差別を受けている身でありながら、仲間からも私生児と(のの)しられる、わたしの気持ちが…。」


そう言うと、振り向きもせずに出口に向かい、ヒールの音をコツコツと響かせて立ち去った。


グレッグは客の対応をしながらも時々、イネスの方をチラチラと伺っていた。何か深刻そうだな、と思いつつも前に座った女の影でイネスの様子が見えなかった。女が立ち去った時、やはり気になって彼女の方を見ると、白いハンカチで顔を覆って、嗚咽(おえつ)を隠すように泣いていた。


「おれ、タバコ買ってくるな〜。」


丁度その時、ムーアがグレッグの肩を叩いて店の外に出て行った。


「お〜い、グレッグ!ギネスをもっと持ってきてくれ!」


店の中はランチ目当ての客や、昼から一杯飲みたい客でごった返してきた。

そのうちの一人の客がグレッグに話しかけたが、彼の耳にはもう何も入って来なかった。人をかき分け、彼女の元に走った。


「…どうしたんですか?」


慰めたかったし、話して欲しかった。しかし、彼にとって、彼女は名前すら知らない存在で、そう言うのがやっとだった。イネスはびっくりして立ち上がった。


「あ、いいえ、何でもないんです。お勘定、ここに置いておきますね。」


ハンドバッグから財布を出し、いくらかをテーブルに置くと、慌てて出て行ってしまった。


グレッグは彼女が消えた衝立の先を、ただじっと見ていた。


「おい、この席、座ってもいいか?」


彼女が座ってた場所を指して客がそう言った。グレッグはふとその席に振り返った。彼女が座っていた席に、先程まで涙を拭いていた、白いハンカチが落ちていた…。











イネスのイラスト追加しました〜。かもちゃん、イネスが一番難しかったよ〜。

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