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エリンの大地に  作者: 倉崎りん
第二章 濃紺の空
19/51

オーキッド・グレイ アイズ

二幕の始まりです。


一幕終わり、イギリス軍の武器庫襲撃の朝になります。

  「アイルランド島の天気はいつだって悪い。曇りや小雨が多くて、いつもどんよりと暗い。でもね、たまに出てくるお日様は、すごくキレイなんだ!雲の切れ間から光が差し込んで、パァッと虹がたつ。雨の雫は小枝にキラキラ輝いて、僕たちは嬉しくなって踊り出すんだ。みんなで、手をつないで。」


  "エリン"のテーブル席の下に、まるで緑の大地が広がっているようにレプラは目を閉じて話した。


「人間も一緒に?」


  ミアはジョンを抱き抱えながら、キラキラした目でレプラを見た。


「昔は…そんなこともあったかな。もっとも、もう500年くらい前だけど…」


  「いまは?」


 ミアに聞かれて、レプラは鼻をフンと鳴らした。


「今は、人間たちは争いのことで頭がいっぱいさ。」


  ミアはしょぼんと下を向き、小さな声でつぶやいた。


「…悲しいね。かわいそうだね…。」


「ーーーーカワイソウ?」


 レプラは首をひねってミアを見た。


「うん。だって、ここの人たちは、みんな悲しそうだ。」


 左上を見ながらうーんと唸りつつ、レプラがそれに答えた。


「ぼくは、カワイソウって思ったこと、ないよ。」


「なんで?!」


「だって、カナシイ、とか カワイソウって意味が、ぼくにはよくわからない。」


「あのね、悲しいって、大好きな人がいることだよ。」

 

 ミアはずいっとレプラの顔に近づいて、自慢げに話した。レプラは眉を寄せ、不思議そうに聞き返した。


「ダイスキナヒト?」


 ミアは嬉しそうに笑顔でレプラを見た。


「そう。ママは、ぼくが大好きだから、ぼくを一人にするのが悲しいっていってた。」


「死んじゃったの?」


「…うん…。ずっと前にね。」


「人間は、死んじゃうね。それがカナシイの?」


「ううん…それだけじゃ、ないんだけど…」


 レプラとミアが話しているテーブル下の世界とは全く違い、 "エリン"の店内には気まずい空気が流れていた。キアラン、グレッグは流れ弾に被弾したり、退却するときに負った傷が所々にあった。ゼルダは黙々とカウンター席の端で兄の傷の手当てをしていた。グレッグはドロやホコリにまみれた髪をかきあげて悲痛にソファー席の一つに座り、ムーアは誰とも目を合わせずにテーブル席でうなだれ、ウルフは少し離れたところに座って彼らを見ていた。


  キアランが重い口を開いた。


「他の連中はどうなったんだ?」


  グレッグはため息をつきながら、それに答えた。


「約半数が射殺され、捕まりそうになって自ら命を絶った者が2名。あとの行方はわからない。おそらく、市中のどこかに潜伏しているだろう。」


  キアランは悔しさを珍しく表情に出し、目の前のカウンターを拳で「ドン!」と叩いた。ムーアが青くなりながら場を取り繕った。


「日が…悪かったんだよ…。ほら、特別警備月間の真っ最中、とか…」


「そんなはずはない!あの兵舎の警備体制は、完全に把握していたはずだ!」


 そう言うと、キアランは下唇をギュッと噛み、拳を震わせた。ムーアは慌ててキアランをなだめようとした。


「じゃあ、調査に落ち度があったのさ。仕方ないよ…」


  沈黙が流れ、キアランがゆっくりとそこにいる全員を見わたし、最後に冷たい目でウルフを見た。ウルフはその視線に気づいていなかった。


「…情報が漏れていたんだ…。その可能性は高い…」


 グレッグはそのキアランの横顔を見て不穏な空気を感じ取り、戸惑いながら大きくため息をついて言った。


「あの時、ウルフが来なかったら、敵から逃げ切れなかった…」


「市中の下水は網の目の様になっている。一旦入り込んでしまえば、イギリス人には未知の世界だ。子供の頃は親に内緒でよく遊んだものさ。」


 ウルフが話すのを聞いて、グレッグはふと思い出したように首をひねった。


「…そうだよな…基本的に一般的なイギリス兵はベルファスト市街について鈍いはずだ。統率が取れている軍なら、自分たちが明るくないルートを敵が進むとき、一旦退却するはずだ。ところが、奴らはやみくもに兵舎外に追いかけてこようとした。何かがおかしい・・・。」


 キアランはおもむろに口を開いた。


「予定の警備ではなかったということだ。つまり、急ごしらえでうまく統制が効かなかった。だから、それ以外のルートには疎かったんだ。その程度の連中に、俺たちは振り回されたということだ。だが、次はそうは行かせない…!」


 キアランの目には悔しさが滲んでいた。ゼルダは手当の手を止め、兄の横顔に訴えた。


「お願い、もう危ないことはやめて、お兄ちゃん・・・。」


 キアランはゼルダの顔を見て、その頭に手を置いた。


「お前は、何も心配することはない。」


「違うの、私のことじゃないの…」


 ゼルダがそう言いかけた時、鐘の音が鳴り、帽子をかぶり、サングラスをした黒髪の女が”エリン”に入ってきた。そして彼らが店内にいるのを見て、言葉を失った。グレッグはその女性客に立ち上がって言った。


「今日は休みです。申し訳ないけど、取り込んでいるので・・・。」


 女はあごをガタガタ震わせていたが、一呼吸してグレッグに答えた。


「分かったわ。また出直すわ。」


 そういうと、店の外へ出て行った。


 アイリスは店の外に出て苦しそうに壁にもたれ、呼吸が荒くなっていくのを必死で整えようとした。苦痛にあえぎながらも悔しそうに唇を噛んだ。


「リーアム姉さん・・・。」


 アイリスの呼吸が落ち着いたとき、声をかけられて振り向くとイネスが立っていた。


「何をしに来たの?今日はここで連絡を取る日ではないはずよ!」


「・・・姉さんこそ・・・。」


 イネスは口ごもって少し赤くなり、うつ向いてしまった。


「私は様子を見に来たのよ。ここの主人が死んでいれば、この店もやってないはずだから。」


「ここの主人って・・・グレッグがどうしたの?死んだって、どういうこと?!」


 イネスはアイリスの正面に回り、その両腕を掴んで問い詰めた。


「グレッグ?あんた、まさか・・・」


「姉さん、あの人はIRAに関わっているの?死んだなんて、そんな・・・!」


 混乱し、動揺し、顔は青ざめイネスはガタガタと震え始めた。アイリスはその目を見てイネスの手を解き、大きくため息をついた。


「・・・安心しなさい。残念ながら、生きてるわ。」


「・・・神さま・・・!」


 イネスは十字を切って祈り、感謝をささげてエリンの入口へ向かった。


 アイリスはそんなイネスの後姿を複雑な表情で見送った。


「ばかな子・・・。」


 イネスは勢いよく”エリン”の入り口ドアを開けて中に入り、店の中をぐるりと見てグレッグの姿を確認すると、彼の元に走り寄った。


「グレッグ!」


「イネス?」


 イネスは血の付いた衣服や埃や泥や擦り傷でボロボロの彼を頭の先からつま先まで見まわした。


「どうしたの?どこを怪我しているの?どうしてこんな・・・」


 そういうとポロポロと涙を流した。グレッグはイネスに会えたことを感謝するように、彼女を抱きしめた。


「グレッグも隅に置けないなぁ。」


 それを見ていたムーアは遠目から少し羨ましそうに言ってウルフに同意を求めながら近づいた。


「全くだ。良かったな、生きてて。」


 ウルフはそう言いながら水の入ったグラスを持ち、ムーアと笑いあった。テーブル席の下からそれを覗いていたレプラがミアに悔しそうに舌打ちした。


「なんだ、いつの間にくっついたんだ?面白いところを見逃したなぁ。」


「なんで?」


 ミアがレプラの顔と二人の姿を交互に見ながら聞いた。


「だって、この間はグレッグが”ポ~”って見てただけだったもん。片思いだったんだ。」


「ふ~ん。」


 グレッグとイネスは少し落ち着いて話し始めた。


「夕べ、あなたのことをずっと考えていたの。そうしたら、寝れなくなってしまって・・・。もう一度、あなたに会いたくて・・・。」


「ありがとう・・・。」


 二人は幸せそうにお互いの目を見た。キアランは彼らのことなど全く興味がないように立ち上がった。


「少し、仮眠をとってくる・・・。」


 そう言い残し、地下へと消えて行った。


「あ、俺 タバコ買ってくる。」


 ムーアはすっと店から出て行った。ウルフはムーアが立ち去った後にテーブル席に彼のジッポが置き忘れてあるのに気づき、彼を追いかけようとした。しかし、すぐ戻ってくるかと思い直し、それを持ってカウンター席に移動して、コトリとジッポを置いた。ふとカウンター席の端を見ると、ゼルダが消毒薬やら包帯を片付けながらグレッグとイネスを見ていた。


「恋をする…って、どんなことかしら…。ああやって、人の温もりを感じることができる人しか、知らないことね…」


  ゼルダは諦めにも似たため息をついた。ウルフはそんな独り言のような言葉を聞いて、ゼルダを気遣った。


「ゼルダ、君にもその内、きっと恋をする人が現れるよ。そうしたら、キアランも安心する。君を守ってくれる人が見つかれば…。」


  ゼルダは片付けの手を止め、小さく首を振った。


「私は…わたしには、恋をすることなんて、できないわ。」


「どうして?そんなことないよ。」


「人を好きになっても、その人に触れることもできない…」


  そう言うと、黙ってうつむいてしまった。ウルフはそんなゼルダをじっと見ていたが、思い出したように自分の前にある、ムーアの忘れていったジッポをゼルダの近くにコトリと置いた。


「ゼルダ、そのジッポ、手に取ってごらん。」


「えっ、これ?」


  ゼルダはウルフが自分の近くに置いたジッポを意味がわからないまま、そっと手に取った。


「どう感じる?」


「…冷たい…。」


「うん。じゃ、これは?」


  ウルフは自分のポケットからジッポを取り出し、今度はそれをゼルダの前に置いた。彼はタバコを吸わないが、それは父が亡くなってから、形見としていつも肌身離さず持ち歩いているものだった。ゼルダはそれを手にとって、驚いた様にウルフの方を見た。


「…温かい…。」


  ウルフはカウンター席に肘をつきながら、ゼルダの目を見て優しく微笑んだ。


「それが、人の温もり…ってやつかな。直接触らなくても、感じることはできるだろ?いつか…君もそれをちゃんと感じる日が来る。焦らなくていいんだよ。少しずつで・・・。」


  ゼルダは瞳を潤ませながら、笑顔を作ってウルフを見た。


「…うん…。ありがとう…」


  いつも気持ちばかりが焦っていた。周りに迷惑をかけて、兄に負担をかけている自分がなんとも歯がゆくて、何とかしたかった。だからこそ、すこしでも人に慣れようと、"エリン"での手伝いもするようになった。でも、焦れば焦るほど、人に触れられることへの恐怖感は増していった。


  ウルフは小さい頃のゼルダを思い出していた。いつもキアランと同じように物静かな少女だったが、絵本を読んでやったり、肩車をしてやると、ニコニコと嬉しそうに笑っていた。そんなゼルダを見ていると、キアランがゼルダを大事にする気持ちがよく分かった。だからゼルダが困っていたり、悲しんでいればそれを少しでも和らげてあげたかった。


  二人が笑顔を交わし合ってる間にミアがポッと頭を出してきた。


「ぼくは〜?ぼくも?」


  ミアは少しヤキモチを焼いているようだった。ウルフは声をたてて笑いながらミアの頭をくしゃっとなでた。


「う〜ん、お前はまだまだ、早いかな。」


「その前に、ちったあ女の子らしくしなくちゃな!」


  レプラが少し離れたところからミアをからかった。


「ひどい〜!」


  そこにいる者たちには、ミアがテーブル席になにを追いかけて走っていったのか、分からなかった。グレッグとイネスもミアを微笑ましく見守った。バタバタとミアがエリンの中を走り回っていると、丁度 ムーアが戻ってきた。


「なんだ、すっかり"見えない友達"と仲良くなったんだな。子供って、不思議だな。」


「ミアはいくつぐらいなの?」


 イネスがウルフに話しかけた。ウルフは頭をポリポリと掻きながら答えた。


「さあ…そろそろ小学校に上がるくらいだと思うんだけど…ちゃんとした出生証明とかがなくて、親父の養子として引き取る手続きもいろいろ大変だったんだ…。」


 ムーアはミアが走り回ってる姿を見ながらウルフに聞いた。


「親はどうしたんだ?」


「・・・・・死んだよ、ベトナムで・・・・。俺が殺してしまったんだ・・・。」


 ウルフは淡々と話し始めた。そこにいた者は、驚きの表情でウルフを見た。


「…標的は、ベトコンの根城のはずだった。ところが、装甲車の砲撃の合間に子供の泣き声が聞こえてきたんだ・・・。その声を辿っていくと、倒壊した家屋の中に柱の下敷きになった女がいて、子供をかばうように抱いていた…」


 ウルフはその当時を思い出しているのだろう。息遣いは苦しそうに一点を見ていた。


「・・・言葉はわからない。でも、必死に俺に呼び掛けていた。俺が、子供を抱き上げると、その女は涙を目にいっぱい溜めながら、俺に小さく頭を下げた…。そして・・・そのまま・・・。」


 ウルフの目から涙がこぼれ落ちた。誰もがうなだれ、言葉を失ったが、ゼルダがウルフにはっきりと言った。


「あなたのせいじゃない。」


 ウルフは頭をわさわさと掻きながら、吹っ切るように顔を上げ笑顔で見えない友達と話しているてミアを見た。


「いや、俺のせいなんだ。その作戦は、士官学校を出た俺の指示のもと遂行されていた。アメリカ軍の方針に、当時の俺は何の疑問も持たなかった。死んでいくのは、資本主義でも、共産主義でもなく、ただの弱い市民だったんだ。」


 そして、悲しく微笑んだ。


「だから…あいつは俺の目を覚まさせてくれた。市民を巻き込まない戦闘なんてない。殺し合いでは何も解決しないんだ。」


「…それをお兄ちゃんに伝えたくて、ベルファストに帰ってきたの?」


 ウルフは頷きながらまた話し始めた。


「除隊して、ミアを引き取るために様々な機関に掛けあって世界中を回っている途中、旅先のニューズスタンドでIRAのテロ事件の記事を見たんだ。気になって、アメリカに帰ってからアイリッシュのコミュニティーに顔を出した時、キアランの名前を耳にした。コミュニティーでは、IRAの支援派もいるが、中にはキアランのことを”血も涙もないテロリスト”とか、"狂った黒きナイフ"とか、"血に飢えた殺人鬼"と(ののし)るやつもいた…。」


 グレッグは悔しそうにその言葉に反応した。


「そんな…!キアランにはそれだけの事情があったんだ!なんにも知らない奴らに、そんな言われ方される筋合いはないよ!キアランは、本当はそんなやつじゃない。」


 ウルフはムーア、グレッグの目を見た。3人の脳裏には昔笑いあったり、ふざけあったりした子供の頃が思い浮かんでいた。ウルフはキッと前を見据えた。


「わかってる・・・。だから、戻ってきたんだ・・・。」


 


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