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エリンの大地に  作者: 倉崎りん
第一章 白い花
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琥珀の封印(番外編⑤)

ため息ばかりが癖になっていた。

それでも自分にブレーキをかけられるとしたら、今しかないことをよくわかっていた。


ベルは自分を落ち着かせようと、大きく息を吸い込んだ。

今日は午後からマクブライド先生の講義がある。その前に図書館に依って予習。マクギネス先生の蔵書を借りれないのは痛いけど、頑張らなければ。ベルはカツカツと大学の図書館に向かっていたが、グンと誰かに左腕を掴まれ、ズルズルと引っ張られた。その主を見ると、それはウルフだった。


「話があるんだ。」


「ちょっと待って!」


ベルはウルフの手を解こうとしたが、彼は強く掴んで離さず、校舎の裏に連れて行った。

彼女も話をしようとは思っていたので、観念して彼に向き合った。


「ごめんなさい。ちゃんと説明せずに…。」


ウルフは首を振った。


「今は、しなければいけないことを優先しないと。それに…」


「父から他の教員に論文のことで何か言われていた、とはそれとなく聞き出したけど…他にも何か言われたんだろ。」


「…学業とプライベートは分けるようにって言われた。その先生は、あなたの事も小さい頃から知っていて…。街で私たちが一緒にいるところを見て、"マクギネス先生夫妻にご迷惑がかかる"って…。」


「そんなことだろうと思った…そんなの、関係ないのに…」


「そういうわけにはいかない。その先生に言われる以前に、どこかでは分かってはいたけど…。これ以上踏み込むと、自制ができなくなるのが、私も怖い。」


 両親ともに同じ大学に勤めているのは、周りの職員も知っている。ましてや先日のように届け物をすることも多いので顔を知っていたり、家族ぐるみで付き合いがある教員もたくさんいた。両親の耳に入るのも時間の問題だろう。しかし、やはり自分よりも彼女に忠告が行ってしまうのが情けなかった。


「親父の蔵書、ないと困るんだろ。」


「貴重な資料だけど、他の書物を参照したり、どうしても必要なら准教授にお願いする。」


「いいよ、じゃあ 元の関係に戻れば。」


ウルフは頭を掻いて、うつ向いた。


「いやなんだ。俺のせいで君が責められるのも、やりたいことを我慢させるのも…」


近くにいるだけで、こんなにつらい。会わなかった数週間は食事もろくに喉を通らなかった。でも目の前の彼女が大人としての選択をする気持ちも、ちゃんと分かっていた。それ以上に、子供が駄々をこねながら食い下がっているようで、自己嫌悪に陥った。


「分かったわ。じゃあ、以前通り。それでいい?」


「ああ・・・。」


ウルフは俯いたまま、ベルが立ち去るのを見送った。


挿絵(By みてみん)


大学にいたクレア・マクギネスの元に先日ウルフの担任から電話があった。その日連絡も無く休みだったが、何か事故にあったり、体調に異変はないかの確認だった。ウルフはクレアが帰ってきた時は家にいるらしかったが、夕食も取らずに部屋から殆ど出てこなかった。


何日か経った朝、キッチンに現れた息子に母は向き合った。


「この間、マクブライド助教授に食堂で話しかけられたの。息子さんにご迷惑はかかってないですか?って…。」


母は思い切って息子に話しかけた。ここしばらく、食事もろくに口にせず、明るくて優しかったウルフがイライラしたり、沈んでいたりするのをずっと感じていた。


「ねえウルフ、お母さんは人を好きになることをいけないと言っているわけではないの。でもね、学校をサボったり、食事も喉を通らなかったり、今のあなたはそれに全てを支配されているのは分かってる?」


母は朝食に口をつけず、コーヒーを飲んで学校に行こうとしているウルフに言った。


「もっと時間をかけて、ゆっくりでいいんじゃないかしら。まだセカンダリーなんだし…。」


母は座ることもせずにカップを持つ息子を見た。


「時間が育む愛はね、どんなものにも代え難い、強くて大事なものになるのよ…。」


母がウルフの生活に口出しをすることは今まで殆ど無かった。しかし、そう言われて不思議なほどイラついた。"愛"だのなんだの、教会の説教のような、こちらが(かゆ)くなるような言葉をよく口にできるな、と思った。嫌悪感から無言でコーヒーカップをダン!とテーブルに置くと、"バン!"と不必要に大きな音を立ててドアを閉め、学校に向かった。


ショーンは大きな音をたてて家を出て行くウルフと廊下ですれ違った。キッチンを覗くと、妻がため息をついて手をつけていない皿を片付けていた。


「クレア、ウルフは今、そういう時期なんだよ。むしろ、順調に成長している証拠さ。」


ショーンがダイニング・テーブルに座り、カフスを付けながら彼女に穏やかに言った。


「そうね…分かっているのだけど、つい言ってしまうものなのね…。」


クレアはショーンの前にコーヒーをコトリと置いた。彼はそれを手に取り、口に運んだ。


「迷ったり、転んだり、傷だらけになったり…もがいて自分が何者かを見出そうとする…。孤独だと(なげ)いて、その幸福には気づかない。誰もが通る、道なんだ。」


「いろいろな経験をして、その先にある"信念"をきちんと持った人間になって欲しい…。」


「その為には、今のことも必要なんじゃないかい。」


クレアは無言で頷いた。窓の外を見ると、晩秋のこの街は既に家々の壁の蔦が黄色く色づき、空は冬の訪れを感じさせていた。


*************************


ベルとの関係は一見、以前のように振舞った。彼女は必要なら書斎にも訪れるようにはなったが、ウルフを見ようともしない。それは、あの日より以前以上に辛かった。


「ウルフ、進路の紙が未提出だぞ。このままじゃ、キー・ステージ・テストを受けられない。」


放課後、ロッカーに教材を戻し、帰ろうとしている時にウルフは担任のオコナー先生から声を掛けられた。


14歳、 year11に当たる学年はこのテストを受け、その成績が大学進学に影響した。


「母に渡してサインをして貰ってるはずなので、明日出します。」


そうは言ったものの、先日 キッチンで気まずい空気になってから、母と口も聞いてなかったので、ウルフは気が重くなった。


家に帰ると、両親の寝室角にある母のデスクに書類を探した。母は大事な書類はいつも大切な人から貰ったという、深い味わいがある焦げ茶色の皮の箱に入れていた。


その箱を覗くと、その一番上に書類が乗っていたが、他の書類の束からかなり古い薄茶けた封筒が少し出ているのに気付いた。一番下になっていて、雑に隠したように端だけが顔をのぞかせていた。



ウルフは何気なくその何組かの封筒を手に取り、中身を確認しようと取り出した。それは、だれかから母に当てられた手紙だった。差出人には"レオン・A・グリフィス"と書かれていた。


「 クレア 体調は大丈夫かい?ここでは全てが遮断され、目に入るのは小さな窓の外の曇った空で、耳に入るのは木々を往き来する鳥の(さえず)りくらいだ。だから、僕は毎日 未来のこの国のために僕たちができることは何か、IRAがどうしたら真の力を持ち、テロや暴動ではなく、彼らと話し合いのテーブルに着けるかを考えてる。


でも、小さな窓から見える雲の狭間の夜の月を見るとき、僕は君を思い出す。君が何をしているか、君の中に宿った命がどうなるのか、僕が陥っている状況が歯がゆくて、月を見上げながら壁を叩く。


生まれてくる子供は、どんな子だろう?目の色は、髪の色は、君に似ているのか、僕に似ているのか?女の子か、それとも男の子か。君が過酷な選択をしたことを申し訳なく思いながらも、僕は僕の命を受け継ぐその子のことが愛しくてたまらない。


ショーンに感謝を。彼は物静かだが、自分の意見を持ち、本当に大事なものを知っている。彼の優しさは君にとって安らぎと調和をもたらすだろう。


クレア、幸せでいてくれ。僕たちの子を守り、いつかこの国が誰もが平等で安心できる国になる日を見届けてくれ。」


手紙を途中まで読み、ウルフはパニックを起こした。日付を見ると、自分が産まれた日から数ヶ月前であった。近くのベッドサイドに座り込み、頭を抱えた。心も、頭の中も混乱し、呼吸がうまくできなかった。


自分は、ショーン・マクギネスの息子ではないのか?この男は一体、誰なのか?


夕方、母が帰って来た音がした。ウルフは母が荷物を置き、キッチンに向かい、カタカタと夕食の準備に取り掛かった音を虚ろな表情で聞いていた。


「帰っていたの?今日、オコナー先生から連絡があったわよ。進路志望の手紙、渡さなきゃね。」


母はキッチンの入り口に制服のまま寄りかかったウルフをチラッと見て言った。ウルフはキッチンテーブルまで進んで、数通の手紙をバサッとそこに投げた。


「…俺は、父さんの子じゃないの?」


ウルフの言葉に、忙しく夕飯の仕度をしていた母が振り返った。母はその古い手紙の束を見て、驚きのあまり声が出ない様子だった。


「レオン・グリフィスって、誰?俺が産まれたのはこの手紙の3ヶ月後だよね。ここに書かれてる"生まれてくる子供"は俺のことなの?」


長い沈黙が続いたが、ウルフが急に嘲笑(ちょうしょう)にも、嗚咽(おえつ)にも取れる声を上げて、(あざけ)った。


「自分はよその男の子供を産んで、よく俺に説教できるね。」


ウルフはテーブルに広がった手紙を右手でザッと払った。手紙は宙を舞い、床にバサバサと散らばった。


「幸せな家族ごっこなんて、するなよ!母さんの言っていた"愛"ってなんだ?そんなもの、この家にはちっとも無かったじゃないか!」


その時、ウルフは肩を掴まれ、振り向きざまにガツっと殴られ、衝撃でキッチンの壁へぶつかった。殴ったのは、いつの間にか帰宅していた父だった。


「知ったようなことを言うんじゃない!」


父はウルフの目を厳しくじっと見た。父に殴られたのは初めてだった。いや、父が声を荒げる姿すら見たことが無かった。ウルフは拳をギュッと握り、自分が叩きつけられた壁を"ドン!"と叩いて、振り向きもせずフラットを出て行った。


後に残された母はほろほろと涙を流した。


「クレア…」


ショーンは妻の肩を抱いてなだめた。


「大丈夫だ。ウルフは賢い子だよ。きっと、わかる日がくる。戻ってきたら、ちゃんと話をしよう。」


夫婦はその夜、ウルフの帰りを夜通し待っていたが、彼は朝になっても帰っては来なかった。


夜の寒さはいよいよ厳しくなり、霜がおりるような冷たい朝がこの町を包んでいた。




我が娘も正にY11…テスト頑張れ

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