みそらいろのひと
本来「漆黒…」の前に挿入されるはずでしたが、1話分前後してしまいました。
あの日からいつも街に出ると名前も知らない彼女の姿を探してしまう。
グレッグは深いため息をついた。”エリン”の中で泣き出した姿を見て以来、何かと理由を付けてはベルファストの街を歩き回り、ブロンドの髪がいちいち目にとまる。
「こんなところにいるはずないよな…」
あの娘は育ちの良い空気を持っていた。品のいい物腰に服装、おっとりとした雰囲気。この市場に来るような子ではない。
「どうしたんだい、グレッグ。」
リンゴの山をジーっと見ながら考えていたら、ムーアの母が話しかけてきた。
「あ、おばさん。今日は今からですか?」
「そうなんだよ。朝は任せて今日は夕方まで。ダニエルのとこに毎日行ってるから…。」
「どうですか?おじさんの容体。」
グレッグはりんごをいくつか店のカゴに入れると、ムーアの母に渡した。彼女はそれを紙袋に入れながらため息をついた。
「あんまり良くないんだよ。毎日、私やムーアの顔を見るのだけが楽しみのようなんだ。」
「おじさんらしいですね。それで元気になってくれればいいですね。」
「あんたの父さんは突然だったからね…。」
3年前、グレッグの父は昼下がりの"エリン"で倒れていた。その頃、外資系資本だが小さい広告代理店にデザイナーとして就職していたグレッグは、プロテスタント系の同僚の何倍も努力してN.Y.の本社に転勤が決まりかけていたが、最終的に"エリン"を受け継ぐことにした。母はプロテスタントの女性で、グレッグが小さい頃に家を出ていた。父と離婚はしていないが、何処にいるかも分からず、父は彼を男手一つで育てた。
「あいつもオヤジさんをうんと大事にしないと…。」
グレッグが父親のことを思い出し、少ししんみりとムーアの母を見た。
「そうだね…あの子は昔からパパっ子で、今でも毎日ではないけど、行くと甲斐甲斐しく世話をしているよ。」
そう言うと、笑顔でお釣りを差し出した。
ムーアの母の商店を出て、少し行ったところに花屋の露店があった。店先でまたぼうっと花を見ていた時、その視覚の左側にスッとブロンドの髪が目に入った。よく見ると、きている洋服こそ違え、先日の彼女だと確信した。
「あ、あの!すみません!」
駆け寄って声をかけた時、その女性がキョトンと振り返った。
「あ…この間のパブの方…ですよね?」
グレッグは嬉しさのあまり、笑みがこぼれた。
「…覚えててくれたんですね。」
彼女はニッコリ笑った。
「今日はお店、お休みですか?」
「あ、いいえ、買い出しに出ていたら、あなたを見つけて…。これ…。」
そういうと、ポケットから白いハンカチを出した。綺麗に洗濯し、アイロンもかけてあったのに、なんだかシワだらけになってしまっていた。
「…ありがとう。ずっと持っていて下さったんですか?」
そう言われて不覚にもグレッグは顔が赤くなり、何も言えなくなってしまった。彼女は白い細い手でそれを受け取った。
「ごめんなさい。わたし、まだあなたのお名前を聞いていませんでした。」
「…グレッグ…グレッグ・オーエンです。」
「わたしはイネス。イネス・フィッツジェラルドです。何か、お礼をしなきゃ…。」
「いいんです、そんな…ただ、もう一度あなたに逢いたかっただけですから…。」
「え…?」
イネスはびっくりしてグレッグの顔を見上げた。グレッグは慌てて言葉を繋いだ。
「あ…じゃあ、その…今度 食事を付き合ってください。」
イネスは少し微笑んで頷いた。
「はい。でも、お店は?」
「その時は絶対に休みます。どっちにしろ、ここ何日かあなたのことが頭から離れなくて、ろくに仕事が手に付かなかったんです…。」
グレッグは頭を掻きながら俯いた。
昼下がりのマーケットは賑やかさを増し、二人の姿は人混みにかき消されていった。
本来、本編で恋愛色強いのはこの二人のみです…。