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エリンの大地に  作者: 倉崎りん
第一章 白い花
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紫苑の放課後(番外編③)

前半部に登場する


アシュレイ・オ・ニールはキアランの父

ショーン・マクギネスはウルフの父

アーサー・ノードンはグレッグの父、

ダニエル・リッカートンはムーアの父です。


この時代(1950年代末)RAの活動は停滞期にありました。

"エリン"の地下は緊迫していた。アシュレイ・オ・ニールは腕を組み、そこにいる全員を見回した。


「多くの仲間がインターンメント(非常拘禁制度)によって不当に連行されていっている。我々の活動はRUC(アルスター警察)によって弾圧され、上の連中は北も南もそれぞれの議会選挙の結果に一喜一憂して、闘志を無くしている。我々は我々で同志を守らなければ、人権を叫ぶ活動すらも不可能になる。」


アーサー・ノードンはアシュレイの向かいに座っていたが、ため息をついた。


「上の奴らは民衆の支持を失ったと判断して、闘争終結宣言を出そうとしていると聞いた。」


ダニエル・リッカートンはアーサーの話を聞いて逆上した。


「闘いは終わっていない!俺たちの生活はちっとも良くならないし、差別は横行したままだ!」


すると、そこにいる男たちが次々に不満を口にした。


「選挙で負けたというが、まともな投票権がない俺たちカトリック系住民が、この北アイルランドで政治を動かせる訳がない!」


「職場は独占され、あったとしても賃金体系に差別がある。」


「公共住宅だってプロテスタントが優遇されて、俺たちは小さな住居に押し込められるように生活している。」


そんな中、アーサーはアシュレイに向かって不安を訴えた。


「先週、カトリック系のセカンダリー・スクールに通う子供がシャンキル・ストリートの連中に暴行を受けた。オレンジメン崩れのチンピラどもは、我々の生活を脅かしている。」


それまで黙って聞いていたショーン・マクギネスが眼鏡を外して銀髪の髪を掻きながら、口を挟んだ。


「わたしは、基本的には武力闘争には反対なんだよ。しかし、子供たちに関しては積極的な防衛が必要だと思う。」


ダニエルがショーンを見て頷いた。


「マクギネス先生の言うことは一理あるな。」


アシュレイは再び男たちを見回して力強く言った。


「それについて、自警していけるように考えよう。しかし、自衛のみならず、平等への渇望を忘れてはならない。我々は活動を継続し、訴え続けることを誓うべきだ。今日はそろそろお開きにしよう。RUC(やつら)に目を付けられないよう、したたかに酒を飲み、酔った風情で帰るんだ。」


彼らはアシュレイの言葉通り、既に閉店している"エリン"の店舗に上がり、ビールを飲み、時間をずらしながら帰っていった。残ったのはダニエル、ショーン、アシュレイと店主のアーサーだったが、その内ダニエルが立ち上がった。


「もう少し居たいけどな、息子がいつも俺が戻るまで寝ないんだ。」


ダニエルは嬉しそうな、照れくさそうな笑顔をみせて、赤毛を掻いた。


「ムーアもたまにうちの書斎にくるよ。天真爛漫でいい子に育ったね。」


そう言うと、ショーンが微笑みながらカウンターの椅子に座った。


「ありがとう。長いこと出来なかった子だから、俺も嫁もかわいくて仕方ないんだ。じゃあ、またな。」


鐘の音がなり、店内には3人だけになった。アーサーが片付けをしながらアシュレイに話しかけた。


「グレッグが言ってたぞ。キアランを相当鍛えてるらしいな。」


アシュレイは目を伏せてビールを飲みながら、ポツリと呟いた。


「あいつは感情に振り回されているんだ。身体(からだ)を鍛えることで、動揺しない心を育てさせなくてはな。」


隣でそれを聞いていたショーンは眼鏡をクッと上げて言った。


「君は昔から自分にも他人にも厳しいから、誤解を受けるけど、本当は誰よりもキアランを心配してるんだろ?」


アーサーも静かに頷いた。アシュレイは返事をしなかったが、肩肘をカウンターについて、グラスをトントンと叩いた。


「…ウルフは、あいつに似てきたな…。」


ショーンは笑顔でアシュレイを見た。


「ああ…。」


そう言ったきり、3人は懐かしそうな、苦しそうな不思議な笑顔を見合った。


*************************


「これ…母が朝 "持って行きなさい"と、渡してきたんだ…。」


バスケットボール・コートのベンチでキアランが小さな箱をエドナに渡した。ウルフは少し離れたところで何度もシュートしてはドリブルして、を繰り返していた。


「何が入ってるの?開けていいの?」


キアランが頷くので箱を開けると、中には小さい黄色い数珠のラウンドのロザリオが入っていた。小さなカードには「祝別(カトリックの司祭が祈祷)済」と書かれていた。


「かわいい!」


「知ってるみたいなんだ。俺の知り合いが花を置いてるって。」


キアランとは以前よりは会話が増えた。しかし、未だにエドナには自分のことはあまり話さなかった。それでもエドナは自分の暴走を(いさ)めたウルフに感謝していた。落ち着いて話せるようになると、いかに彼が自分のエリアに他人が入ることを嫌うか分かったし、たまにそのドアを開けてくれるようになった気がしていた。


「ありがとう!」


エドナはまるで溶けてしまうのではないか、という程の笑顔をみせた。キアランは何も言わずに無表情で頷いたが、エドナには彼が笑顔であるような気がした。


「俺、邪魔?」


ウルフがいつの間にか近くに来てニヤニヤしていた。


「…かもな。」


「えっ、そーなのか?!」


「 …冗談だ。」


「お前がそんな冗談言うなんて、成長したなぁ。」


ウルフはエドナの方をチラッと見た。


「俺、先に帰ってるわ。夜は稽古だろ。またな。」


そう言うとフェンスを出ていった。


「今日、稽古なんだね。」


何気なくエドナが聞くと、長い沈黙があったが、キアランが顔を上げた。


「今日は行かない。」


「どうして?ウルフは行くって言ってたじゃない。」


「…。」


それきり彼は何も言わなくなってしまった。


「じゃあ、私たちも帰ろっか。」


エドナが立ち上がると、キアランは見もしないで彼女に言った。


「じゃあな。」


「…帰らないの?!」


返事はなかった。キアランは帰れば先日と同じ騒ぎになるのが分かっていた。事情を知らないエドナは立ち上がってコートに転がっていたボールをつき始めた彼をチラチラ見ながら、フェンスの外に出て思った。


「…そんなに行きたくないのかな…。」


キアランは狙いを定めるでもなくボールを放って、転がったそれをジッと見ていた。その時、フェンスを開けてエドナが走ってきて、キアランの左腕を掴んだ。


「ねぇ、一緒に行きたいところがあるんだ。」


そして、キアランを引っ張ってフェンスの外に出た。


********************

初夏といえど肌寒いこの国は、この時期7時を過ぎてもうすぼんやりと明るい。夕景の中に数えきれない(いろどり)の光がくるくると回ったり、(またた)いたり、まるで夢の中にいるような光景だった。


「来てみたかったんだ、移動遊園地。」


エドナが光の中に吸い込まれそうな笑顔で言った。何に乗るでも、何かを買うでもない。それでもいつも無表情なキアランでさえ心が浮き立つような気がした。エドナは見るものすべてを歓喜の表情で眺めた。くるくる回る光の渦のように、くるくる表情が変わって、エドナを見ていると温かくて幸せな気持ちが込み上げてくるのをキアランは感じた。


「わあっ!」


エドナが落ちていた瓶に(つまづ)き、すてんと転んだ。キアランはびっくりしたが、フッと笑った。


「…お前は幼稚園児か。下ぐらい見ろよ。」


そういいながら右手を差し出した。


「えへへ。」


エドナは手を取って起き上がり、二人は何も言わずに手を取り合ったまま立ち尽くして光の森を眺めていた。


**************************


帰り道、二人の家への分岐点にウルフが立っていた。エドナはウルフが複雑な表情なのに気付いた。


「キアラン、俺がエドナは送っていくから、早く帰れ。」


キアランはウルフの表情で彼が伝えたいことが分かった。


「ああ…。」


キアランは一人で家路についた。エドナはウルフがなぜ険しい表情をしているか、分からなかった。自分の家に向かう道を歩き始めて、ウルフに尋ねた。


「どうしたの?お母さんに何かあったの?」


ウルフはエドナが誤解しないように言葉を選んで話した。


「いや…エドナ、これだけは気を付けてほしいんだ。お前は知らないだろうけど、キアランの親父さんはすごく厳しい人なんだ。あいつが今日、稽古に来なかったことがどういうことか、考えてほしい。」


エドナの脳裏には、放課後にコートで一人佇むキアランの姿が思い出されていた。居てもたっても居られなくなり、走ってキアランの後を追った。


「エドナ!」


ウルフはエドナの後を追ってオ・ニール家の方へと向かった。


**************************


キアランは玄関先で左の頬を赤く腫らしていた。


「自分の行動は自分で責任を取れ。やるべきことはやり通し、自分に厳しく生きろ。」


アシュレイはキアランの胸元を掴み上げて言った。キアランは鋭い眼差しで父を睨んでいたが、何一つ反論しなかった。


「なぜ、はっきり言わない!お前は義務を怠った!その理由を聞いているんだ!」


普段口数が少ないアシュレイも、黙り込んだままのキアランに怒りを(あら)わにした。その時、キアランが詰め寄られていた玄関のドアをドンドンと叩く音がした。


「夜分にごめんなさい、謝りたいんです。ドアを開けてください。」


アシュレイは少女の声を無視していたが、続いてウルフの声がした。


「おじさん、話があるんです。いいですか?」


その声にため息をつきつつアシュレイは扉を開けた。すると会ったこともない少女が泣いていた。


「私がキアランを連れ出したんです。ごめんなさい、ごめんなさい…。」


エドナは真っ直ぐアシュレイを見ながら、ぼろぼろと涙を流して訴えた。その姿を見てキアランは自分が情けなくなってわなわなと震え始めた。エドナのせいだと言わせてしまった自分を恥じた。ウルフは扉を閉めると、アシュレイに言った。


「嘘をつく気はないです。あいつが稽古をサボったのも、俺は擁護しない。でも、あいつにはあいつなりの理由があるはずです。落ち着いて聞いてやってくれますか。」


「ウルフ、お嬢さん、俺はね、息子が情けないんです。いつも黙って何も言わな…。」


「強制はされたくない。」


挿絵(By みてみん)


それまで黙っていたキアランが力強い声で言った。そこにいる3人が彼を見た。


「俺は、俺の意思で強くなりたい。やらされるのではなく、自分の意思で。」


そして、口元についた血を右手で拭きながら、アシュレイをギッと見た。


「俺は、父さんより絶対に強くなる。母さんやゼルダは俺が守る。でも、その方法は自分で見つける。」


アシュレイは息子が自分を超えたいと思っていることを初めて知った。思春期に入り、大人になる過程で自分も父親を超えたいという反発心を持っていたことを思い出した。アシュレイはフッと笑ってキアランを見た。


「やれるもんなら、やってみろ。」


息子を頼もしく思った。そして、自分は自分を高めることによって、その壁を高くしようと心に誓った。アシュレイはキアランに背を向けると、寝室に向かったが、振り返ってキアランに言った。


「ちゃんと送っていけ。遅くなったことを親に謝るんだぞ。」


その場からアシュレイが立ち去ると、それまでリビングの入り口で悲し気に見ていたキアランの母がエドナに近づいてきた。


「いつもありがとう。あなたよね。」


そういうと涙でぼろぼろの顔をしたエドナの手を取った。


**************************


「じゃあな、俺 逆だから。」


ウルフは少し笑って二人に手を振った。二人になっても何も話すことが見つからず、黙ったまま歩いていたが、エドナがため息をついて言った。


「ドア、こじ開けちゃったね。ごめん。」


キアランはしばらく黙っていたが、ゆっくりと口を開いた。


「ウルフが余計なことを言ったんだな。」


「…いや、あの、えっと…。」


「心配するな。あいつの言いそうなこと、考えそうなことはわかる。俺はその通りなんだろうな。」


「それだけじゃないよ。あなたを見ていると、必要以上に人に踏み込まれるのが嫌なんだろう、って…。」


キアランは立ち止まって、エドナの方を見ずにつぶやいた。


「嫌じゃなかった。」


「え?」


「お前が泣いてるのを見て、自分がハッキリしなければ、自分で囲いをしたところから出ていけないと初めて気付いた。」


そう言うと振り向いてエドナの頭を右手で自分の肩に抱き寄せた。


「わわわぁ…」


エドナは真っ赤になって変な声をあげてしまった。キアランは大きな声を上げないように笑いをこらえた。


エドナの両親は事情を説明したら、すぐに理解してくれた。両親ともに明るくて、どんなに彼女が家族に愛されて育ったか、分かる気がした。彼女の家の玄関を離れて数歩歩いたところでキアランが振り向くと、2階の部屋に明かりがついてエドナが窓を開けた。キアランを見つけると、くしゃくしゃの笑顔で手を振った。キアランは手を振り返して、幸せな気持ちを味わっていた。



しかし、キアランがエドナの姿を見たのはその日が最後だった。



週末を挟んだせいもあり、その日を境にしばらくエドナを見かけなかった。週が明けて学校が始まって、いつもエドナと会った通学路でも姿を見なかった。毎日置かれていた小さな花束も見なくなった。


「風邪ひいたのか?」


ウルフがキアランに言った。一週間が過ぎたころ、さすがに心配になってエドナの家を訪ねようかと思っていた週末、ウルフがキアランの家にやってきた。ウルフの顔は青ざめていた。


「エドナが、シャンキルの奴らに暴行されたらしい。」


何を言われたのか、一瞬理解できなかった。


「あの週末、教会の帰りに襲われたようだ。たまたま親父の教え子が通りかかって、倒れていたエドナを病院に運び込んだんだけど、これはあいつの私物かな…。」


ウルフの手には黄色い数珠の、引き裂かれたロザリオがあった。キアランは何も言わずに飛び出し、エドナの家へ走った。間違いであって欲しい、風邪をひいたと笑顔で言う筈だ。頭の中は、光の中で笑うエドナの顔ばかりが浮かぶ。彼女の家に着き、ドンドンと玄関を叩くと、エドナの母親が出てきた。


「会わせてください、お願いです!」


母親はもう何日も泣きはらした顔をしていた。


「今は、誰にも会いたくないと…。会える状態じゃないんです…。」


キアランは首を何度も左右に振った。


「エドナ、エドナ!」


家の中に向かって彼女の名前を叫んだ。


「お願いします。そっとしておいてください…。」


母親はキアランの足元に泣き崩れた。遅れてきたウルフがその光景を見て、茫然としているキアランの肩を抱き、引き下がらせた。玄関から下がったところで、キアランは一週間前にエドナが手を振っていた窓を見た。窓は固く閉ざされて、人の影すら見えなかった。ウルフは泣きながら言った。


「なんであいつなんだ。どうして、そんなことができる?俺たちは、一体いつになったらこんな理不尽を見なくて済むんだ…。」


キアランはそれからしばらく食事ものどを通らず、誰とも話をしなかった。ウルフはそんなキアランの傍に黙って一緒にいた。しばらくして、エドナの家族が南に引っ越したらしいという噂を聞いた。それ以来、キアランはエドナの話を一切しなくなった。



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