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フラッテッド・フィフス(♭5th)

作者: 沙川邑楽

副題  リフレイン

すべては深夜放送ラジオの大学合格者発表に自分の名前が入っていたところから始まったような気がする。18歳の俺は大学への入学が決まり、親からの束縛を離れ自分で歩を進める自由と自分の行動に対する責任をセットとして手に入れたのだ。俺が若者として闊歩したのは昭和40年代後半、日本は高度経済成長期であったが周囲には事件が多かった時代だ。というかいつの時代も社会の常識の枠からはみ出したり、もって生まれた才能を持て余すあまりに社会に大きな変革を良くも悪くももたらしてしまう様な事件は普遍的に起こっているのかも知れない。高校は福岡県でも有数の県立進学校に進んだが文武両道で質実剛健を旨とする伝統校だった。俺の名前は小笠原秀平、小倉生まれの小倉育ち、第二次世界大戦後の日本が復興の道筋を模索している時に生まれた。昭和20年から昭和24年頃までに生まれた子供がいわゆる団塊の世代と呼ばれ、秀平達の世代は少しずつ出生率が減少していく世代に属し、何事も団塊の世代の背中や足跡を見ながら追っかけたとでもいうような特徴の世代だ。小学校は小倉でも伝統があり大きな学校で1学年7クラス300名もいた。中学校は三つの小学校が集まるので1学年14クラス650名がひしめき合っていた。団塊の世代が通り過ぎた後は子供が減るのでどの学校も空き教室ができていた。中学校に進学した時の3年生は16組まであった。そんな環境で進学したKR高校では月曜日の朝会が体育館に全校生徒を集めて行われる事があった。その内容は大学受験模試で成績優秀者の発表、表彰や生徒に対する素行の注意などが主で最後に校長の挨拶があったが、これに3年生が体制や政治に対して反論のヤジを飛ばすという衝撃的なものだった。当時は大学生を中心として学生運動が活発で学生によるデモがよく行われて高校生でも参加する者がいた。学生が大人や体制に対する反発や日本の将来の理想を求めるための行動を起こすという時代だった。1年生の秀平達くらいからは急に社会に対して何の意見も持たないノンポリと言われる政治運動に興味を持たない世代が続いていった。そんな時代背景の中、秀平は国家公務員の家に育ち小学校までは普通に育ったが、中学に進学するころから家庭内の変化の影響を受けることになった。小笠原は武士の家系で明治維新後、廃藩置県が行われた後、武士としての身分を失い食い扶持を探すことになったのだが、商売や農業はすぐにはできないので警察官とか役所勤めをするものが当時多かった為、曽祖父の時代から公務員をしていた。秀平の父親は検察庁に勤めていて事務官をしていた。仕事がら転勤が多く、単身赴任することもあった。秀平の父親は昭和一桁生まれにしては背が高く整った顔立ちで女性にもてていたと思う。確かによその父親と比べると手足が長くすらっとしていた。そんな父親は秀平が中学2年の頃から全く家に戻らなくなった。後で分かった事であるが、3人の子持ちであるシングルマザーの家に入り込んでしまったのだ。我が家はそのころからこれまでのように順風満帆という訳にはいかなくなった。父親は毎月少しの生活費は送ってきていたが、世の中は高度経済成長時代に入り、民間の企業に勤める家庭と格差がついていった。公務員の所得の方が民間企業より低かった時代である。秀平は意識せずとも父親を反面教師として捉えていてスーツを着てネクタイをする職業と家族を顧みない自分勝手な生き方に嫌悪感を抱いていた。そのしわ寄せは秀平の大学進学に及んできた。秀平は勉強自体、好きだった。その理由はやったらやっただけ結果が見えるからだった。もともと自然科学が好きで特に宇宙、天文に興味があり地動説や天動説、ニュートン力学など物理の本をよく読んでいた。クラブは高校に入ってからは大学進学を考えて運動部はやめて、考古学部という縄文や弥生時代の墓を発掘するというクラブ活動に籍を置いていた。休みの日とかにクラブの顧問の先生から発掘に連れて行かれた。宅地の造成中に古代の遺跡が見つかると、工事はストップされ教育委員会が登場して遺跡の発掘と記録を残す作業をするのだ。自衛隊が使うような折り畳み式のスコップとトレース紙と画板を持って発掘現場に集合した。T型をした鉄製のくしを地面に差し込みカツっと音がした石の感触で竪穴式墳墓の場所を探すのだ。宝探しみたいで面白かった。周りの土を少しずつ削っていくと赤い土(べんがらと呼んでいた)が出てきてそっと石をはぐると頭蓋骨や鉄製の刀子などがでてきた。それを写真とともに寸法を測定してトレース紙に記録する作業をしていくわけだ。石ころ一つでも丁寧に描きとっていく地道な作業は向いていると感じていた。考古学や天文学では食っていけないだろうなとは子供ながらに感じてはいたが具体的にやりたいことは見つからなかった。父親の放蕩が始まるまでは全校でも上位の成績で何となく京都大学に行きたいなと思っていた。友人の兄が京都大学の工学部にいたという単純な事からあこがれを持つ様になった。でも将来どんな仕事したいとかどんな世界を作りたいとかの具体的な将来像を描いていた訳でもないので大学や学部の選択には確かな根拠は無かった。家庭環境の変化に伴い、県外の大学への進学は無理かなと思い始めた頃から真剣に受験勉強をするのをやめた。それでも地元の国立大学の工学部に入学することになった。この頃に自己の願望や主張を無理に押し通さないという、ある意味受動的な性格の一面が形成されたのかも知れない。当時の大学は国立であれば半期で6000円という学費だった。経済力のない家庭では早稲田とか慶應などの大学に行くのはとても難しい話で加えて上京しての生活費の負担を考えると秀平の場合、私立大学の選択肢は全くゼロだった。秀平はこれといった受験勉強もせず、高校生活前半の努力で合格したみたいなものだった。4月6日は大学の入学式だった。9時に講堂に集合という事で秀平は高校の同級生と一緒に入学する友人と講堂の前で待ち合わせをしていた。秀平以外は両親のどちらかが同伴している。秀平のところはといえば父親の放蕩以来、母親が働いているので一人で来ていたが特別な感情は持たなかった。高校の入学式からずっと一人で出席する事に慣れていたからだ。いよいよ自立のスタートだなと決意しつつ同伴してきた友人の親に挨拶をした。秀平は親の保護を受ける環境から抜け出せる事、やりたいことの資金を手に入れる為にアルバイトが自由にできる環境を手に入れた事が素直に嬉しかった。講堂で入学式の式典が学長の挨拶で終わった後それぞれの学科ごとに集合写真を撮った。秀平は宇宙物理や天文学に興味があったのに機械工学に進んでしまった。春の霧雨の降る中41名のクラスメートと顔を合わせた。地元の大学なので同じ高校からの顔見知りが10名もいた。服装は詰襟の学生服を着た者、ブレザージャケットを着た者、下は皆ジーンズが定番でジャケットもジーンズ生地を着ている者もいた。秀平はというとジーンズにグレーのタートルネックのセーターにフラノ生地の黒いジャケットにトレンチコートを着ていた。当時の地方大学の工学部の男子は文科系に比べてもダサいというのが一般的な評価で秀平の大学から近距離にあった女子短大とは頻繁に交流があったのにカップルを見なかった事がその事実を象徴していると秀平は思っていた。秀平は父親の容姿を受け継いでいた。180cm近い身長に八頭身のバランスをしていた。集合写真の中ではおしゃれに見えていた。本人は全く意識はしていなかったが、小さい頃からおしゃれな父親と母親を見て育ったせいだったかもしれない。父親はスーツにネクタイ髪はオールバック革靴の裏は金具が打ち付けてあり歩くたびにコツコツと音がしていつもピカピカに磨かれてあった。靴の音で父親の帰宅が分かったくらいである。母親はミシンで器用に洋服を作ることができた。物のない当時は皆そうだったのかもしれないが、23歳と22歳で秀平の親になった二人は並んで歩くと当時としてはあか抜けていただろうと両親の昔の写真を見て思った事がある。秀平達はこれから学ぶ校舎の前でカメラマンによる記念撮影が終わるとあっさり解散となった。翌日から使用する教科書と製図用具を学内の生協で買い揃えてから帰路についた。翌日、早速オリエンテーションがあり単位の選択、教室、進級、学生課などの説明が数日続いた。1,2年の間は教養科目が多く広い教養棟で過ごすことが多かった。オリエンテーションの予定が全て終わってから食堂に行って定食を食べた。食堂から外に出ると久し振りに空を見上げた。昨日とは違って青空が見える。大学には入学したものの、これから何かやりたい事や目標が見つかるのかなと考えていると今日の青空とは対照的に心の中は曇りガラス越しの視界の様ですっきりしないものに思えた。このもやもや感は他の同級生達はどう考えているのだろうかと思いながら、クラブの部室を見学する事にした。秀平はどこかに宝箱が埋まっていて土の中から掘り出せる様な気がしたからだ。クラブの部室は学生寮の隣の古い2階建ての建物が当てられていて扉にはクラブ名が書かれている。1階の入り口から中に入ってみると20mくらいの通路を挟んで両側に木製の古い扉が並んでいる。目に飛び込んできたのはワンダーフォーゲル部、何だこれはと思いつつ扉の前を通り過ぎようとした時に扉がガシャッと開き、人が出てきた。あっ、先日記念撮影をしたクラスメートなのだが名前を知らない。今週末オリエンテーションの一環として1泊2日の研修に名を借りた懇親会が英彦山の中腹にある国民宿舎である予定になっている。それまではどこの誰なのかお互いに知らないのだ。見覚えがあるのでお互いに会釈をしてから秀平から切り出した。「同じクラスだよね。俺、KR高校から来た小笠原秀平よろしく。ワンダーフォーゲルって何?」とこの局面を打開するための質問を口にした。すると「俺はKM高校からきた北山隆。今入部届をだしたとこ。ワンダーフォーゲルって言うのはね、ドイツ語で移動する鳥というような言葉で他校と仲良くして旅行して回るクラブだよ」と訳の分からない説明。「そうか、近くの女子短大とかに出入りできるのか」と秀平が聞くと「まあそういう事もあるし、大学の間はユースホステルとか安い宿泊施設を使っていろんなとこに行くんだ」と北山は答えた。秀平は「そうか。俺はまだ何も決めていないんでまだ見て回るよ。じゃあまたな」と告げて木の扉にかかる名称の続きを見始めた。北山は話してみるまではどこの国の人かなと思っていた。中肉中背、色白で目が大きくくっきりした二重瞼を持ち眼球、正しくは虹彩といった方が正確なのか、色がブラウンなのだ。誰がみても白人のハーフに見える。北山と別れて通路の奥に進むとドスンドスン、ドンドンと低周波の響く音を感じた。ワンダーフォーゲル部、略してワンゲル部から一番離れたところにある部屋から聞こえる。まっすぐ歩いていくと楽器の音がしているは部屋の前に着いた。扉にはFRONTIER SPIRITSと書かれている。扉の前で耳を澄まして音を聞いた。ドラム、エレキギター、ベースギター、キーボードと認識できる。ギターはハムバッカーと言われるダブルコイル式のギターピックアップの特徴である図太く、多くの周波数を発生する機構のものでるとすぐに分かる。秀平は音楽にも拘りがあった。中学校の時に中古のフォークギターを父親に買ってもらい当時の流行りのフォーク音楽と分類されるものを聴いて真似をしていた。昭和40年代は前半にビートルズ来日による音楽革命というべきショックを音楽界に与えて、グループサウンズなるエレキバンドがたくさんできて作曲者が曲の提供と変化に応じきれずに、グループサウンズ自体がシュリンクしていく中、自前で作詞作曲して歌う、シンガーソングライターがフォークソングの分類で拡大していった。秀平も流行りの音楽は一人で演奏していたが、音楽の基本はメロディー、ハーモニーと楽器によるアドリブソロの三点セットが必須と独自に考えていた。秀平にとって心地よい音楽の共通点がそこにあったという方が正しい。個人的な好みの問題であるがギター1本で独唱というのはちょっと寂しいと感じていた。ビートルズの前はポール・アンカ、コニー・フランシス、クリフ・リチャード、プラターズなどを聴いていた。音楽の原点はラジオから流れてくる音楽にあった。子供なのでどんな音が飛び出すのか分からずにただ聴いていた。何を歌っているのかも分からなかったがリズムや楽器編成にワクワク感があった。ラジオで聞いた曲をTVで日本の歌手が歌っているのもよく聴いた。プレスリーもラジオから流れてきた。そんな事を思いめぐらしながら、輝きを失った真鍮製のドアノブを回した。中から秀平の目と耳に飛び込んできたのはリズムを刻む圧倒的なドラムの音とエレキベースの腹の底に響くアンプからの音、ドローバーオルガンの音色に近く設定されたキーボード、エレキギターのディストーションの効いた音、秀平の全身に音が襲いかかってきた。その瞬間リーダーらしき人が音を止めた。一瞬の静寂の後、「よお、新入生かい」とリーダーと思しき人が尋ねた。秀平は確固たる目的があって入室した訳ではなかったので、当然聞かれるだろうとは考えていたが、うまく考えがまとまらないので咄嗟に「こんにちは。通りかかったら音がしたのでのぞいてみました」と答えて部屋に入って扉を閉めた。「俺、2年生のドラムス担当、城山真治。FRONTIER SPIRITSのバンマスね。入部なら届け出用紙に名前を書いて」とリーダーいやバンマスは応えた。秀平がバンドのメンバーを一人一人見渡しているとリーダーが「おい、自己紹介しようか」と切り出してメンバーが自己紹介を始めた。「キーボード担当、2年生の本山雅史。小学生の頃からピアノやってて楽譜をまともに読めるのは俺だけ。入部するならよろしくね」とビートルズの髪型みたいな頭の黒縁眼鏡の人が挨拶したので秀平は頭をぺこりと下げた。次にFender製のジャズベースという定番みたいなベースギターを持った人が「俺も2年生、ベース担当の後藤健一」と挨拶し、続けて「俺はギター担当、鈴木裕樹よろしく」と楽器担当の紹介が終わった。ギターはアメリカgibson社のレスポールの国産コピー版だった。レスポールなのでピックアップはハムバッカーというシングルコイルが2個並んだような構造のものが2か所についている。出力の高いアンプから出てくるギターの音は国産だろうがアメリカ製だろうがその時の秀平に区別はつかなかった。部室は内部から見ると確かに2部屋を仕切っている壁を取っ払ったらしい柱の跡が残っていたし、木製の床は壁があったと思われる部分だけが周りと比べると明らかに経年変化が違って少し明るいダークになっていた。奥の部屋には楽器とアンプとマイクロフォンのスタンドが並んでいて窓際には録音やミキシング編集するような機材と電気工具が乱雑に学生食堂にあるような大きなテーブルに置かれていた。シールドと呼ばれるアンプなどにつなぐケーブル類が何本も床を這っている。「ところでさあ、小笠原君は楽器、何ができるの?バンドの経験は?」とバンマスである城山が尋ねた。秀平は人前で演奏などしたことは無いし、ギターも自己流で音楽雑誌を見てコードくらいは弾けるレベルという状態だったのでバンマスの質問には答えずに「どんな曲をやるんですか」と逆に質問した。バンマスは「メンバーで各自がやりたい曲を持ち寄って決めるから特定のアーティストばかりじゃなく、幅は広いね。それに完璧な楽譜とかないんで耳コピ(耳で聴いてコピーすること)だね。今やってたのはランニングの後の準備体操みたいなもんだ。コード進行が決まっているブルースをキーを決めて演奏するんだ。例えば今日はキーをAにしてたんでⅣ度とⅤ度に当たるDとEのつくコードを順番に弾いて各パートのアドリブソロを回していくという練習、曲の頭や要所で出てくるギターでコード内の音でリズムを刻むことをリフレインと呼んでいてリフレインを挟んでパートや曲が変化していくんだ。聞いたことあるだろう」と説明してくれた。秀平も好きな曲は何度もレコードを聴きギターで音を探ってみるが同じ音階でも6本の弦のどこのフレット位置なのか音色までは判断がとても難しい事は分かっていたので即答を避けていたらバンマスが入部するならいつでもいいと言ってくれたのでとりあえず、挨拶をして個の部室を出ることにした。ブルース、リフレインとかエレキギターの世界に興味を持った。翌日は土曜日でオリエンテーションの一泊研修の日だった。午前中に学内で選択科目の申請などを済ませて午後から貸し切りバスで英彦山の国民宿舎に出掛けることになっていた。学食で定食を食べてから校門を出ると既にバスが待っていた。入学式依頼、高校の同級生が一団となって行動していた。10名以上の一大勢力の中に秀平もいた。バスに乗り込むと既にクラスメートがシートに座っていて修平達は固まらずに座ることになった。秀平は空席だった通路側のシートに座った。先に窓際に陣取っていたのは髪の毛ボサボサのやせ気味の男が「たばこ吸わんね」と話しかけてきた。煙たいのが苦手だったので断ったがそれが話をするきっかけとなった。彼の名前は田代実といいY高校から一浪で入学していた。高校の事や同級生の事、これからの勉強や単位の事など先輩筋から仕入れた情報など色々指南してくれた。科目により先生の試験問題の癖があるので過去の問題や演習を先輩からコピーさせてもらうのがいいらしい。田代君は既に情報屋として活躍する気配だった。バスが出発して2時間ほどで英彦山の中腹にある国民宿舎に到着した。各自簡単な荷物を持って国民宿舎のガラスの自動ドアを通り1階のロビーで一緒に行動する先生から部屋割の指示を受けた。ロビーには一般の客もいた。大広間での食事の時に全員の自己紹介をしてから懇親会を兼ねたものとなった。入学者の年齢がバラバラなのでビールを飲める人は飲んでいた。秀平の時代はアルコールに関しては20歳とかの壁はあまり厳しくはなかった。18歳でビールを飲む人もいた。この懇親会で機械工学科42名はお互いに顔と名前を一致させることができた。懇親会が2時間くらいで終わって9時も過ぎようかという頃にお開きとなり4人1グループに割り当てられた部屋に分かれた。単純に出席番号でグループにしたみたいで秀平の部屋は赤松哲二、上田嗣治、岡村純一、という3人とにと一緒になった。風呂に入ろうという事になり一足先にタオルをもって部屋を出た赤松に続いて秀平と岡村、上田は大浴場と案内の表示に従って歩いた。国民宿舎の風呂は温泉になっていて、自己紹介をした広間と寝る部屋は2階にあり風呂は1階にあった。2階から階段を下りて1階の受付のある場所を通り過ぎた突き当りが細い通路となりその先に大浴場があった。露天風呂もあるらしく入り口は男湯と女湯に分かれていた。分かり易く青い色の暖簾と赤い色の暖簾が向かい合わせに下がっている。青い暖簾に向かって3人並んで歩いていくと先に風呂に行ったはずの赤松が大浴場につながる細くなった通路の小さな扉から飛び出してきて秀平達3人を見つけると周りをきょろきょろと気にしながら手招きをしている。扉の外に来いという事らしい。赤松の手招き通りに扉に近づいてみると屋外につながっていた。足元は御影石のブロックを敷いてあり国民宿舎の屋外にある駐車場につながっていた。赤松が右手の人差し指を口にあてシッーという子供がするような仕草で私たちに指示をしている。秀平は「えっ」と思いながらも静かにすると浴場の方から女性の声が聞こえる。どうやら露天風呂に入浴中の女風呂を覗こうという誘いらしいと理解できた。確かに女性が入浴中らしいが、露天風呂自体は秀平たちが立っている地面からはブロックの壁と岩により防御されていて高さは2m以上はある。秀平は覗き趣味のある人をでばがめというがその言葉を思い出し、おかしくなって笑い出した。赤松イコールでばがめという事が妙に似合っていてそこが面白かった。連れ立っている2人も何を馬鹿な事を思いつくなという感じで笑っていた。秀平達3人は赤松をおいて暖簾をくぐった。引き戸を開けると脱衣場があり、湯気で曇ったガラス戸の向こうが風呂場になっている。すでにクラスメート達が入浴中だった。風呂から上がって部屋に戻るとまだ10時で寝るには早かった。部屋についている冷蔵庫を開けると何もなかったのでジュースでも買おうと1階のロビーに降りて行った。やや離れたところから音楽が聞こえていた。受付のデスクがある向かい側にレストランや土産物売り場があった。その一角に自動販売機が2台置いてありその横にはジュークボックスがあった。音はジュークボックスから流れる曲だった。そこには先客がいて瓶入りコーラを飲みながらジュークボックスの前に佇んでいた。秀平もコーラを飲もうとコインを自動販売機入れてガチャガチャという音の後ドスンと瓶に入ったコーラが出てきた。その音でジュークボックスから秀平の方に視線を投げたのは河野義彦だった。流れている曲はサンタナのインスツルメンタルで楽器演奏だけの曲だった。秀平は洋楽ばかり聴いてきたのでなじみのある曲だった。すると河野の方から「小笠原だったっけ、お前、どげん音楽ば好いとうん」と博多弁で聞いてきた。「河野だったよな、俺は洋楽を聴いてきたのでビートルズからローリングストーンズ、ジミヘン、クリーム、ツエッペリン、ジェフベック、BBキング、アルバートキング、ジョニーウィンター、ロイブキャナン、それにサンタナも好き」と好きなアーティストを並べた。すると「小笠原、お前の好みはほとんどブルースやなあ」と言われて秀平は「あっ」と声が出た。それまで音楽のジャンルを意識したことはなかったからだ。河野の指摘通り、秀平の好みはブルース、ロックンロールでよく使われるコード進行、メロディーラインだった。河野は唐突に「バンドばやらんけんか」と言った。秀平は「どんな曲、どんな楽器でやるの」と聞いた。すると河野は「フォークたい」と言う。その頃は1969年アメリカのウッドストックフェスティバルという3日間ぶっ通しの野外コンサートが若者の新しい文化を象徴する出来事として認識されていった。出演したアーティストはフォークからロック、R&Bまで幅が広く反体制を主張する若者が自由、平和や愛を訴え現実の社会から解放される刺激を求めた混沌とした文化のうねりとして日本のミュージシャンも後を追うように自己主張をするシンガーソングライターが登場しフォークソングのブームとなっていた。最初は反戦や学生運動とも関わるような曲も多かったが次第に日常生活や愛をテーマとしたものが増えて日本独自の音楽がニューミュージックという表現の音楽につながっていくことになるのだが、河野は既に大きな流れを感じ取っていたのか知らない。秀平は「フォーク?」と聞き返した。すると河野は「フォークソングをやれば女にもてるぞ」と答えたのだ。秀平は「う~ん」とうなって考えた。とりあえず、フォークソングのバンドを組むことになった。河野は博多で中学から高校までバンドをやっていてドラムとギターの経験があった。録音やミキシングの知識もありマイクロフォンやスタンド、ミキサー、アンプなど一通りのPAを持っていた。かなりの坊ちゃんらしい。秀平は父親から買ってもらった中古のフォークギターのみ、それもネックが少し反っていてハイポジションではチューニングが合わない。子供の時から音楽を聴いてきたので音のずれには少し敏感だった。バンドは2人でもやれるが楽器編成も決めてないので来週から学内でメンバーを探そうという話でまとまった。入学から2日目にして知り合いが何人かでき、フォークのバンドまでやる事が決まったが音楽活動を含めて自分が何をやりたいのか、これから何が起こるのか不安と期待が同居している。未来は明るいとは言えず霧の中にいる感覚は変わらないが少し何かが動き出した。秀平には昨日、FRONTIER SPIRITSの部室で聴いたブルースのリフレインが耳の奥で鳴り響いていた。このような背景で育った主人公小笠原秀平の正直で不器用な青春が始まった。恐らく他人よりも遅く。


第一章 アルバイト

一泊の研修を終えてから授業の合間にバンドのメンバーを探すには学生食堂の掲示板でバンドのメンバーを募集しようと河野がアイデアを持ってきたのでそうしようということで決定した。大学の授業は2年生までの間は工学部で共通の教養科目が午前中に大きな教室で講義があり午後からは専門科目の講義があった。秀平は大学院への進学を目標にして3年生までに卒業研究以外の単位を取り終えるようなカリキュラムにしていた。講義は8時50分から始まり終わるのが午後4時過ぎまでびっしり詰まっていた。教育課程という教師の資格をとる授業も選択していた秀平は6時頃まで授業を受ける日もあった。高校時代に想像していたゆったりしたキャンパスライフとはかなり違って特別に大学受験勉強をしなかった秀平にとっては逆にハードな学生生活となった。バンドメンバー募集から1週間くらい経ったある日に河野がメンバー候補を1人見つけてきて土曜日の午後から放課後の教室でオーディションをやる事になった。土曜日は午前中の2時限までしか講義はなかったので教養棟と呼ばれる教室には専門科目を受講する学生も専門分野の研究に没頭する学生もいない静かな場所だった。秀平は朝からおんぼろギターをビニールのソフトケースに押し込みベルトを肩にかけた。勉強道具はいつものように米軍キャンプ払い下げのショップで買ったデニム生地のショルダーバッグがA4サイズの大学ノートと教科書がきっちりと収まるサイズでかさばらずにすんだ。両方の肩に荷物を下げた状態で込み合う路線バスに乗り込んだ。秀平が利用していた路線バスは自宅のある小倉から戸畑方面に向かう学校の多い場所を通る学生のためのバスになっていた。HT私立高校、県立KN高校、私立HT短大、県立K工業高校、私立SN女子中学校、私立SN女子高校、私立SN女子短大、私立MJ学園中学校、私立MJ学園高校、県立TB高校、県立TB超高校これに加えて秀平の通う大学があるので一般のサラリーマンはほぼいなかった。秀平が抱えている荷物がバスの狭い空間を圧迫していることへの罪悪感を少し感じながら目的のバス停で何とか降りた。バス停からは徒歩でキャンパスに向かう。フォークギターとはいえ長い時間持っていると体力に負担がかかる。1次限目の教室に入ると河野はもう来ていて他のクラスメートと話をしている。河野は博多から来ているので当然、ウィークデイは下宿生活で週末に戻るという生活だと言っていた。秀平は河野に近づき「おはよう」と声をかけた。河野は「おおっ」と言って秀平の方を向いてから肩から下げられたギターを見た。河野も陣取った座席の足元にやはりビニールのソフトケースに入れたギターを置いていた。外見からすると少し小さいのでガットギターのようだと秀平は思った。フォークギターの方が音を響かせる箱の部分が大きくその分、音も大きい。張る弦もスチールが材料何に比べガットギターはナイロン製の弦を張り小ぶりだけど独特の哀愁のある温かい音がする。気が付けばもう一人ギターのハードケースを持ってきたクラスメートがいた。一泊研修で同室になった岡村純一だった。懇親会の時には音楽の話は岡村とは全くしていない。岡村だったら顔を知っていたのだが、河野は名前を事前に言わなかった。秀平は岡村のところへ行き、「よう、おはよう、岡村ギターやるの?バンドに入るの?」と聞いた。岡村は「俺も高校の時フォークのバンドやってたから」とハードケースを開けてギターを見せた。YAMAHA製FG-450だった。とにかく大きな音で鳴るギターだ。当時は高級品の部類で秀平は羨ましく思った。学食で昼食を済ませ3人でがらんとした教室に向かった。扉を開いて階段教室の一番高いところに場所をとった。壁はコンクリートなので声もよく響く。早速オーディションにとりかかった。といっても各自のギターの腕前やバンドとしての形を形成する音を合わせる事ができるのかをお互いに確認するという作業のレベルだった。まず河野がガットギターをソフトケースから取り出しAの音叉で5弦を合わせた。秀平と村岡もギターを取り出し5弦からチューニングを始めた。通常ギターは演奏しない時はネックに無理な力がかかって反らないように弦を少し緩めておくので演奏をするたびにチューニングという作業が伴う。河野の音叉を使った。音を出しだすと他人のギターの音がうるさいので3人とも背中合わせにちょっと距離を取りペグを回して音を合わせていく。5弦から残りの弦を5本チューニングするのでその時の調子によって相当にずれてしまう事もある。毎日やってるとコードをジャランと弾いた時にいつもと違う弦は分かるようになる。後はコードを少し弾きながらずれている弦のみ微調整していく。そんな作業を5分くらいして各自納得したころを見計らって3人は車座に向き合うような形で立っている。ギターにはストラップという肩掛けベルトがつけてあるので胸から腹にかかる部位にギターのボディーが当たるように抱え左手はネックの部分を握っている。河野が先頭を切って演奏を始めた。S&Gの四月になれば彼女はという曲をきれいな音でスリーフィンガーのアルペジオと英語の歌詞でやり切って見せた。当時はアーティストの曲についての著作権とか問われない時代だったので音楽雑誌に流行りの曲の楽譜やバンドスコアという楽器のパート別楽譜が掲載されていた。そして音楽に関する雑誌が多く存在した。楽譜はかなり怪しいものでレコードと合わせても全く合わなかったりして、かっこよく演奏するには耳で聴いた音を再現する耳コピという能力が必要だった。河野のギターは人前で演奏できるレベルだと秀平は感じた。次に岡村がFG-450を肩にかけて演奏を始めた。曲は3人編成のフォークグループで歌のハーモニーがいいGRとうバンドの曲をコードのカットに歌を乗せて演奏した。FG-450は確かに音がでかいが奏でるメジャーセブンの音はとても繊細に響いて聞こえた。一番演奏経験の少ない素人の秀平ではあるが、岡村の演奏はギターのカットは正確だが、歌のピッチが少し揺らいでいる事と声は高音の領域が弱いと感じた。とても生意気な感想だ。いよいよ秀平の番になり、迷った挙句好きな音よりも慣れている曲を選んだ。ビートルズのIF I FELLを演奏した。英語の歌詞で3小節の終わりからジョンとポールのハーモニーがとても奇麗な曲だ。秀平は声量は無いが高い音に張りがあった。裏声まで出せば相当な領域までカバーできると自負していた。小学校、中学校と音楽の授業では独唱の試験があり採点されていたので同級生を含め、自分の歌唱力を知っていた。3人の音楽志向はアメリカのポピュラーソング、日本のフォークソング、英国のロックに分類されるもので明確に分かれていた。バンドの目的が女にもてる事だったのでアーティストGRの路線を中心にやっていこうというのがオーディションの結論となった。相当に動機が不純ではあるが音楽は楽しいと秀平は感じていた。岡村から「小笠原のギター、上のフレットが音痴になってるぞ」と指摘された。河野が「小笠原、名前少し長いっちゃけど、これから秀平いや秀でいいか?秀のギターは買い直した方がいいけど金が必要なのでアルバイトをしよう」と発言した。秀平は「秀でもなんでも呼び名はいいよ。アルバイトは学費も稼ぎたいし探そうと思っていた」とギターの弦を緩めながら答えた。今日のオーディションは終わったが顔合わせをしただけで、合格も不合格もなくとりあえず3人のフォークバンドができた瞬間だった。早速、翌日の昼休みからアルバイトを探す事になったが地方の国立大学の工学部なので家庭教師の依頼は相当に多く、キャンパスの事務棟や生協の掲示板などに募集の張り紙があった。河野は事情がない限り、週末は自宅のある博多に戻るので家庭教師のアルバイトはしないと言うのでいつもの食堂に行き、3人で昼食を済ませた後岡村と二人で生協の建物の前の掲示板を見に行った。そこにはアルバイト募集情報だけでなく、学生バンドの合同コンサートや部活の宣伝募集や下宿人の募集など色々な情報があった。家庭教師の文字だけを選別して目で追っていると後ろから声をかけられた。振り向くと同じ高校から一緒に入学してきた中野義彦だった。「小笠原、家庭教師なら俺が紹介するよ。既に自宅の近所の知り合いから頼まれて1件引き受けたんだけど、うちの母親が町内の人の子供の勉強をみてくれる人がいないか頼まれたんだ。俺は2件もできないから、それでよければどう。1回2時間程度を週2回教えて10000円から15000円というとこだ」秀平の自宅と中野の自宅は歩いて15分くらいの距離だからアルバイトで家庭教師をする家も徒歩で通える範囲だと推察ができた。当時としては相当に率のいいアルバイトに違いなかった。大学への進学率が高くなっていたので将来を見据えた両親は子供の教育に資金を投入していた。家庭教師は圧倒的に私立の中学生、高校生を教える案件が多かった。秀平は中野から紹介してもらう事にした。連絡先の電話番号をメモして午後からの講義を受けた後、帰宅してから母親の作る夕食を食べて8時過ぎにメモの番号に電話をした。母親らしき人が受話器を取ったみたいで家庭教師の件を友人の中野から頼まれたことを手短に伝えた。するとすぐに最初の訪問日時を明日の夕方7時と決めて話は終わった。翌日は大学の講義を終えると講義の時だけかける近視用の黒縁めがねを取ってケースにしまい、教科書、ノート、筆箱を例のデニム生地のショルダーバッグに押し込んでバス停に向かった。5時前のバスに乗り込み6時過ぎに帰宅した。家庭教師の初日が7時の約束なので夕食を取らずにバスの時刻表を調べてバスで行くことにした。実際の距離は自宅前の県道にバス停があり歩くと5分くらいのところで大きな国道にぶつかりそこから新興住宅街が広がり歩くと20分以内の距離に目的の家があるはずだった。最寄りのバス停で降りてそこから聞いていた住所を目指して歩いた5分ほどで見つかった。玄関は歩道から階段を2段ほど登ったところの鉄製の黒い観音開きの門扉があり片方の柱に宮本と石に彫刻された表札があり黒い鉄の扉のレバーを回して中に入り玄関の扉の横壁にあるプラスチック製の白い丸ボタンを押すとピンポンと音がして中から人が出てくる気配がしたかと思ったら若い女性が出てきて中に案内してくれた。玄関に入ると靴を脱いで一段上がった板張りの廊下を通って洋室の前で止まりノックをした。すると部屋の中から男の子が顔を出した。その女性と一緒に部屋に入ると板張りの部屋にベッドと勉強机、床の上の絨毯を敷いた部分に縦長の背の低いテーブルが備えてあった。対向する位置に敷かれた座布団に秀平と男の子は座った。女性がくすっと笑みを浮かべながら、「弟の健太です。それから私は姉の美恵です。先生、弟をよろしくお願いします」と言ったところでドアをノックする音がして40歳前後と思われるこの姉弟の母親が登場した。冷えたオレンジジュースの入ったガラス製コップを二つテーブルの上に置いて「宮本です。中野さんとは以前からの知り合いで息子さんにお願いしてうちの健太の勉強を見ていただけるいい人はいないかと相談していたら小笠原さんというクラスメートがいいという事でお願いすることにしました。健太は今公立中学の2年生で小倉のKR高校を目指しています。先生よろしくお願いします」と説明を受けて中野から頼まれた経緯が理解できた。秀平は「こちらこそよろしくお願いします。先日まで高校生だったので記憶も新しく分かり易く教えますよ。それで週に2回伺うとして何曜日がいいですか」と母親と健太に尋ねた。「そうですね、月曜日と木曜日でどうでしょうか」回答されたので秀平は「月、金の7時から9時まででいいですね」という事人生初の家庭教師が決まった。そのようなやり取りを姉の美恵はいつのまにか健太の勉強机の椅子に座り、一段高い所から一部始終を観察していた。特に秀平には興味津々という目つきをしていた。美恵をよく観察すると前髪は眉当たりで揃えてカットされてあとの髪は肩につくかつかないかで黒く艶があるように見えたのは室内の照明の影響かも知れなかったが秀平にはそう感じられた。秀平とあまり年の差のない女子高生だった。自己紹介みたいなものが終わり、母親と美恵は健太の部屋を出て行った。「俺は小笠原秀平、KR高校から今年KK大学に入った。健太君はどの科目に好き嫌いや得意な事ってある?」と少しぎこちなく聞いた。「先生、俺の成績は特別いいわけじゃないけどKR高校に入れそうなレベルだと思う。数学と理科はいいけど社会科とか国語がちょっと弱い」としっかりした口調で大人びたしゃべり方だ。教科書を出して学校でやっていないところから教えて、試験があったらそれを見せてもらい理解できていないところを深く教えることにした。科目もその日の本人のやりたい科目を優先するようにした。あっという間に9時を過ぎた。するとドアをノックして姉の美恵がお盆に乗せたショートケーキとティーカップに入れた紅茶を持ってきてくれた。「ありがとうございます。美恵さんは何年生?」と質問してみた。美恵は相変わらず秀平を観察するような目をしながら「今SN高校の2年生です」と教えてくれた。SN高校は私立の中高、短大までの一貫の女子校でお嬢様のイメージが強い学校だ。「玄関にある先生の靴、大きいね」と言う。「27cmだからちょっと大きいだけ」と答える。たわいもない話をしながらケーキと紅茶をいただいて、今日の勉強は終わりにして宮本邸を後にした。大学に入学してから2週間で修平の環境は変わっていった。五月に入ると学業と家庭教師のアルバイトとフォークバンドの活動を中心に時間が動いていた。大学のカリキュラムは秀平自身が選択したものの朝9時前から1限目がスタートして終わるのが4時過ぎになる。高校時代と変わらないハードな生活でになった。講義をさぼっても誰からも叱られることも注意を受けることもなく出席日数が不足して単位が取れないだけの自己責任の世界だ。自由と責任がセットでついてくる事に変化は無い。生活のパターンに慣れた5月に入ったある日いつものように大学に行き1時限目の講義がある教室に行くとクラスメートを含む多くの学生が後ろの方から中間までの席に集中して座っている。秀平は先生に近い前の方の席に座る事にしている。ノートをしっかりとりたかったからだ。秀平は漠然と大学院への進学を考えていたからだ。純粋に自然科学や構造物、メカニズムが好きなだけだった。目的と具体的な行動が連結しない状態なのだ。大人から見ると賢明とは見えないだろう。教科書とノートをショルダーバッグから取り出していると後ろから「秀」と声をかけられた。俺を秀と呼ぶのはバンドメンバーの河野と岡村だけのはずだがと思いながら振り向くとワンゲル部の北山だった。横には河野もいる。「来週の土曜日にSN短大と合コンがあるっちゃけど、参加しきるね?」と河野が聞いてきた。秀平は「土曜日は家庭教師は無いし、大丈夫参加する」と答えると「合コンの時にバンド演奏やるけん、曲ば仕上げるぞ」と河野が言った。という事で屋外ではあるが演奏の場が決まった。10日間でフォークバンドの演奏曲を仕上げる必要がでてきた。それからが大変だった。メンバーの岡村と秀平は家庭教師のアルバイトがあったので最低でも週に2日は集合できない。岡村と秀平の家庭教師の日は火曜日だけ同じだったので実質7日間それも講義が終わった夕方5時以降からとなった。練習場所は河野の下宿している部屋だった。河野の下宿は大学の正門を出た路面電車に乗って2駅行った電停で降りてそこから徒歩で5分ほどのところにあった。国鉄戸畑駅からは海側に位置する古い木造の建物だった。そこの下宿では河野が唯一の1年生であとは上級生だった。上級生たちは勉学以外にも麻雀や女性で忙しいのか秀平達がバンド練習で集まった時はいつも誰もいなかった。夕方の時間帯ではあるが、大きな音を出してもどこからも苦情はなかった。各自がやりたい曲を2曲づつ持ち寄ることにしたが結局、河野はバンマスとしてアレンジや楽譜制作の方をやるので岡村が提示したTVの歌番組でも登場するデュオグループの2曲と秀平が提示したGRというトリオの曲とビートルズのALL MY LOVINGをやることになった。それぞれ音楽雑誌やフォークの楽譜が掲載された本を開いて3人でギターの音を合わせる。難しいコードが出てくると河野がコードの音のポジションを変えながら押さえ易い代替コードを何種類か弾いて簡単にしていく。次にギターでコードを弾きながら歌を入れていく。最初はユニゾンだけで、そしてハーモニーをいれるところになると主旋律と上三度という高音に分担する。岡村は声量があるが高音が弱いのでどうしても上三度は秀平の担当になってしまう。河野はギターでメロディーラインを弾くのでイントロ、間奏を担当し曲によっては下三度のハーモニーの担当と役回りが決まってきた。ALL MY LOVINGにはう~とか、あ~というバックコーラスは三音のハーモニーがついているのでその雰囲気を出すように少しアレンジする。秀平はボーカルでは主旋律をユニゾンで歌いながらさびになると上三度のハーモニーに変わるということをやった。河野はバンマスらしく日々練習した結果を簡単な楽譜にしてきた。楽譜と言っても歌詞とギターコードを記載したもので3人分をバインダーに奇麗に綴じてくる意外と几帳面な性格を持ち合わせていた。あっという間に合コンの日になっていたがとりあえずフォークバンドとして4曲完成した。SN女子短大との待ち合わせはJRの筑豊本線にあるローカル駅前で昼前の時刻、合わせて30人の学生が集合した。服装はというとパンツはジーンズ、インディゴブルーのデニム生地やカラージンズと上半身はTシャツか大きめの襟のシャツという組み合わせだった。色こそ違うが皆同じ格好をしていたのはアメリカへのあこがれが強かったのだと思う。初めて降りた駅から歩いて大きな公園まで移動した。秀平と河野と岡村はギターケースを抱えているので目立つし、何より歩きにくかった。ここ10日間ずっとギターを抱えて生活したような気すらした。公園の広場には荒れ果ててはいるもののステージがあった。周りは芝生になっていて木々は新緑が競うかのように鮮やかだった。そこで両方の大学の世話人、こっちは北山、SN女子短大の方は色白のモデルのように背の高い美人だった。これで北山のワンゲル入部の目的がはっきりした。まず、自己紹介から始まり、席取りゲームをしたり、模造紙に書いてきたクイズに答えて間違えたら罰ゲームをするとかで子供みたいに大騒ぎした。途中で昼食の時間になり、弁当は女子の手作り弁当だった。おにぎりやサンドイッチなど寮や自宅で作ったものらしい。アルコールは無かった。いよいよフォークバンドの登場となった。天井もないステージに上がり、ギターケースからギターを取り出して軽くチューニングする。今日に備えて昨夜からチューニングはそのままにしてあった。楽譜スタンドとかないのでクラスメートの何人かにバインダーをステージ上から見えるようにして下から持ってもらった。岡村は180cmを大きく超える身長で秀平も長身、リードギターの河野は秀平より20cmほど小さかったので、凸凹凸の奇妙なバランスだった。MCといやつを河野が必然的に担当した。河野の実家は呉服屋で子供の頃から人の出入りの多い環境で育ったらしくとても社交的だった。コードをジャランとやって最後の音の確認をすると演奏に入った。まずGRの曲から歌った。TVのコマーシャルでも曲の一部が流れていたのでそこのフレーズになると口ずさむ人も見えた。初めて大きな生声でしかも三人で音を合わせた。聴いてくれる人がいると練習とは異なる表現にチャレンジする気分が増してきて乗ってくるという感覚を経験した。最後の曲はJIのヒット曲だった。この曲になるとその場にいる人全員が声を出し歌っていた。秀平はさびになるとしっかり上三度のハーモニーをつける。エンディングがC/A♭/Cのコードで終わると拍手喝采は大げさだけど、駆け出しのアマチュアバンドでも聴く方と一体になれた。大げさに言うとここにウッドストックフェスティバルの欠片を味わう事ができたと思った。演奏が終わると散会になる。ギターを片付けていると女子が寄ってきて秀平に連絡先を聞いてきた。初めての事なので内心は焦ったがとりあえず、自宅の電話番号を交換した。彼女は熊本から来ていて寮生活をしている坂本美津子という名前であることは罰ゲームを一緒にやるはめになったので覚えていた。今回の合コンで世話役の美人の次に目立っていた。背は160cm以上あり、大きな二重の目にふくよかな身体つきが特徴だった。秀平の高校時代は女性とは全く縁がなく、女性アレルギーに近いものがあった。2年生から理系の選択したことも要因であるが高校自体に1学年500名のうち1割も女子がいなかったのが原因と秀平は考えていた。高校生活の前半は勉強ばかりして、後半は考古学部という地味な事をやっていたので女子の友人は全くいなかった。河野と岡村の方を見ると岡村も女子と話し込んでいる。河野は合コンの幹事である北山と例の美人と話をしている。後で河野によると皆から姫ちゃんと呼ばれている姫野恵子という名前だと教えてもらった。この合コンで知り合ってカップルになった組もあれば、連絡先の交換もしなかった人もいる。この時に初めて秀平はカップル成立の生存競争が厳しい事を知った。秀平はその後、坂本美津子と連絡を取りあい、北九州市内でデートを重ねたが、7月になると夏休みとなり彼女は故郷に帰省したのをきっかけにどちらともなく連絡をしなくなった。秀平はというと家庭教師のアルバイトが増えてちょっと忙しくはなっていた。夏休みの間だけという約束で最初の家庭教師を引き受けた宮本家から知り合いの子も見て欲しいと相談されたのだ。夏休みの間だけという条件で勉強を見ることになった。秀平は宮本家では弟の健太の勉強を見ていたが次第に姉の美恵も休憩時間を見計らって授業や宿題で分からないところを秀平に教えてもらうようになっていた。だから夜9時に終わるところが10時までになったりしていた。夏休みの間だけ勉強を見るのは美恵のSN高校の同級生だった。夏休みの間は昼間に教えることにした。午後2時から4時まで健太を見てから休憩をはさんで2時半から4時半まで美恵と彼女の同級生を見るようにした。家庭教師を依頼するような家庭には子供の部屋にもクーラーがついているので部屋の外は暑くても健太の部屋は快適だった。夏休みをきっかけにして月曜日と木曜日の夕方7時から10時過ぎまでは健太と美恵でと火曜日と金曜日も7時から9時過ぎまで家庭教師をする予定でいっぱいになってしまった。夏休みも終わり後期の講義が始まっていた。秀平はこの5ヶ月で10万円ほど稼いでいた。学費や服に遣っても半分は残っていたので岡村から指摘されて気になっていたフレット音痴のフォークギターを買い替えた。小倉の楽器屋でFG-200を買った。岡村の持っているギターの下のグレードだけど試し弾きをして気に入った。弦をMARTIN製に変えたらもっといい音が出ると思った。自力で稼いでちょっと高い買い物をした最初の経験だった。これからは何でも欲しい物が手に入るというより入れてやるという気にもなった瞬間だった。古いいギターは高校時代の友人に二束三文で売り払った。

第二章 大失恋

大学も10月から後期の日程に入り後期の6ヶ月分の学費を納入しなくてはならなかった。この当時は国立の場合6000円を秀平はアルバイトで稼いだ金で早速、納入した。何となく大人になってきた気がした。相変わらず週のうち4日間の夕方以降は家庭教師で予定が決まっていた。10月に入ると11月後半の土、日2日間で開催される大学の学園祭の準備が始まった。寮生を中心とした伝統的な催しに学科単位で運営する模擬店とこの期間だけ設置される野外ステージでのコンサートが恒例となっていた。この時は正式な軽音楽系のクラブは絶好の発表の機会となっていた。正式なクラブ活動としてロックバンドが2グループ、フォークグループが3グループあった。秀平たちのバンドはクラブには属していなかったがメインイベントである夜のステージ出演を学園祭の実行委員会に申し込んだ。その時にバンド名が必要という事になり河野と岡村と秀平は話し合ってバンド名をアフタースクールとし学園祭のステージに備えてレパートリーを増やすことを決めた。5月の合コン以来、3人の予定が合えば河野の部屋に集まって新しい曲をやっていたので完成度を上げていけばよかった。河野の部屋には時々先客が部屋の中で待っていた。何と河野には誰よりも早く彼女がいる事に秀平はギャップを感じた。なんせフォークをやれば女にもてるという不純な動機でバンドの方向性を決めた奴だ。河野によれば博多の高校の同級生で一緒に北九州の学校に出てきたという。小柄で丸い顔した彼女は「私は和田恵です。秀さんと岡村さんでしょ。聞いています」と挨拶した。秀平と岡村は頭をちょこんと下げて歓迎の笑顔を作った。それ以来バンドの練習に部屋の片隅にいる事もあった。フォークの世界では広島からYT、福岡からIYら強烈な個性で若者から支持されだしていたが秀平はあまり興味がなかった。というか今の3人の楽器編成で原曲の雰囲気を出せるのかを考えていたからだ。秀平にはIYの曲でやりたい曲はあったが、ベース、ドラムのリズムセクションとエレキギターの音が必要だった。そのような葛藤をしながら、ビートルズの曲と日本のトリオグループGRのハーモニーが心地よい曲をレパートリーとして増やしていった。そしていよいよ学園祭の日がやってきてその日は朝から大忙しとなった。原因は学科単位での模擬店でぜんざいとコーヒーを提供する喫茶店を出してテントの中でフォークバンド演奏が聴けるというフォーク喫茶をでばがめの赤松が企画したからだ。ぜんざい作りを担当した者は鍋、釜、ガスコンロ、材料の手配から怪しい味付けで動き回っていた。10時ごろからぼつぼつと人が集まりだした。同じキャンパスで学んでいる学生もいれば大学の周囲に住んでいる子供達や他の大学生や高校生もいる。9時ごろから昨夜張られたテントの模擬店にメニューや呼び込みの紙が貼ってある。テントは屋根だけでなく側面もビニールシートで囲い部屋構造になっていた。11月の終わりなので外が寒い事もあるが、舞台の演出も兼ねて暗くしていた。2日間だけのフォーク喫茶のステージは河野の所有するPA機器でそれなりの雰囲気となった。マイクロフォンをボーカル3本、ギターの音に2本のマイクロフォンを設置してミキサーと録音機材、パワーアンプとステレオから外したスピーカーを配線してすごく本格的になった。ボーカルにはエコーチェンバーという機械式にエコーをかける装置までいれてある。それに加え、暗い室内にスポットライトのような照明を当てる。このスポットライトが河野の手作り品だった。河野の女にもてるという事への拘りは尋常ではないなと秀平は思った。ここで装置のセッティングをしていたのがあのワンゲルの北山である。このコーヒー喫茶模擬店の客は圧倒的に女子が多かった。この場面で北山が暗躍するのは合コンのマネジメントぶりから納得できた。それにしてもギターのチューニングや発生練習をしている秀平と河野と岡村のマイクロフォンの出力を手際よくバランスさせていく。演奏の準備が整ったところでMC岡村がマイクロフォンに向かって挨拶をして、バンド名を初めて紹介した。「アフタースクールです。1曲目GRの曲から」でスタートした。狭いテントの中は熱気に溢れていた。5曲やって最後の曲は合コンの時に大盛り上がりしたJIの曲にした。やっぱり皆が知っている曲なのリズムを取ってくれたりしてうけがいい。こうして夜のステージの本番に備えた。1ステージが終わり息をつくために3人はテントの外に出た。するとでばがめの赤松が女子だけを選んで模擬店に勧誘しているではないか。都会の夜に見られる強引な客引きにも見えて3人はやっぱりというという感じで目を合わせた。目が笑っていた。昼からは模擬店の方が一段落すると屋外に設置された中央ステージをのぞいた。昼間から入れ替わり立ち代わりバンドが演奏していた。他の大学からもバンドが来るので飽きることはなかった。3時になると見覚えのあるバンドがステージに上がった。あのFRONTIER SPIRITSだ。顔見知りの4人にボーカルがいて5人だった。曲はジミヘンとかディープパープルをやっていた。秀平はメンバーに軽く手を振った。コピーのレベルは私立大学のバンドとは差があった。私立大学にはソロのアドリブになると聴き入ってしまうギターリストがたくさんいた。私立大学のバンドは練習量が多いのだろうと秀平は思った。周囲は殆ど真っ暗になった6時ごろにアフタースクールの出番がきた。ステージのすそでギターのチューニングを何度も確認して楽譜立と楽譜のバインダーをもっていた。楽譜立は河野と岡村は既に持っていたので秀平だけが買いそろえた。進行係からバンド名がアナウンスされて、いよいよ本格的なステージデビューの場面になった。楽譜立を設置してマイクロフォンのスタンドを各自の合った位置に合わせる。1曲目の楽譜を開いた。その時にまずいことに秀平は気づいた。強い風で楽譜がめくれてしまうのだ。楽譜立には見開きの本の両側をそれぞれ引っかける棒状のものがついているが、風には耐えられない。絶望的なのは照明が観客席の後ろからステージに向けて当てられる。逆光に近くマイクロフォンから少し離れた楽譜の歌詞すら読めない。河野は秀平と岡村の音を聞きながら合わせていくので問題ない。岡村は記憶力がよく、練習でもめったにミスをしない。問題は初心者秀平だと思った。ここまで来たら前に進むしかなかった。いつものように河野のMCで1曲目はGRの曲を演奏した。GRの曲は秀平が選定したので覚えていた。ビートルズになるとやや怪しくなった。危ないと思ったら秀平は岡村の方を向き左手をさっと見てコードを確認した。歌詞の方は自信がない部分は声を出さなかった。冷や汗もので何とか最後の曲にこぎつけた。その頃には楽譜立は強い風で倒れていた。JIのヒット曲になると秀平にも余裕が出てきてステージから客の顔を見ることができた。普段男子ばかりのキャンパスだが、今日は女子の数が目立つ。制服の上に紺色のコート来ている女子高生もいる。どこかで見たことのある女子達に気付いた。5月の合コンの時のメンバーだった。ステージの三人を指さし何か話している。坂本美津子もその中の一人だった。演奏としては模擬店での出来栄えには及ばなかった。ステージが終わった後も坂本美津子とは何も話はしなかった。ステージから軽く手を振っただけだった。秀平には何故それだけの淡泊な対応になったのか分からない。普通ならもっとガツガツと接近してもいいはずなのに、音楽の方が楽しかったのかもしれない。確かに河野が言う「女にもてるぞ」は当たっていた。記憶に残るデビューが終わり、キャンパスでの講義は続いていく。高校生活とあまり変わらないハードスケジュールの大学の講義は大きな学会発表がある時期などは教授の都合で休講になることがあり、1コマが90分で2コマ連続の講義とか実習があって、休講になると3時間ぽっかりと空いて時間を持て余す事になった。こういう時にワンゲル部の北山が登場するのだ。「いいところ知ってるから小倉に行こう」と退屈しているクラスメートを誘った。大学の中では学園祭の時から秀平のバンドメンバーとミキシングなど手伝ってくれた北山とワンゲル部の仲間数人と一緒に行動することが多くなっていた。大学の正門前の路面電車に乗り、KK大前から乗って九つ目の小倉駅前で降りた。あとは徒歩で繁華街を通り大きな看板が出ているビルの前で先頭を切る北山は立ち止まった。ビルを見上げると看板にはN電機ショールームと書いてある。N電機は総合家電機器のメーカーでトップを走り住宅や住宅設備も販売していて家電製品を展示して料理教室など開催して販売促進をしていた。1階にある歩道に面したガラスの自動ドアの中は明るい。北山が黒いマットを踏むとドアが開いた。北山について入ってそのまま直進すると1階の受付があり、二階まで吹き抜けの構造で階段を上って行くことができる。1階の右側は冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機、エアコンなど最新の機種が展示されていて歩道からはガラス越しに中が見えるようになっている。1階にいた受付の丸顔の普通にどこにでもいる感じの女性はニコッと北山に笑顔を向けた。北山は階段を上がっていった。上がりきったところに2階の受付があり、やはり女性がいた。北山に気付くとやはりやはり軽く笑顔を向けてくれる。「今日は大勢ね」と女性が北山に話しかけた。北山は「うん、予定してた講義が急になくなって時間ができたんで大学のクラスメートを連れてきた」と以前からの知り合いのように馴れ馴れしい。「まきちゃん、こいつらバンドやってるから時々レコードを録音しに来るよ」と秀平、河野、岡村を指して紹介した。北山には女性に巧み近づく才能があるんだと秀平は思いながら「俺は小笠原秀平、19歳」とうけ狙いで年齢までつけた。「私は槙恭子18歳です」と返してきた。「じゃあ、まきちゃんて名前じゃなく、苗字でしかも同級生?」と秀平は聞いた。名札に表記されている字を見てから「きへんに真で槙?」と立て続けに疑問に思ったことを秀平は口にした。「槙という植木があるでしょ。ちょっと珍しい苗字なのでよく聞かれる。槙恭子、早生まれです」と説明してくれた。槙恭子は薄く化粧をしているので秀平にとっては今までに接してきた女性との違和感を持ちながら好意をいだいた。その会話を遮るように「俺、河野義彦19歳。彼女あり」と続けた。それからしっかり者に見える岡村が「岡村純一です。よろしく」と普通に自己紹介した。北山が2階の奥に進んでいくので受付を後にして皆はついて行った。オーディオブームに合わせて総合家電メーカーはオーディオの分野に高級品のブランドを設定して各メーカーが競争していた。N電機はTCブランドとしてレコードプレーヤー、アンプ、スピーカー、4トラックカセットデッキを展示品として置いていて、展示品の横にはレコードがたくさん置いてあった。LPレコードは2000円したのでバンドをやっている人達には人気だった。レコードを誰が選択するのか洋楽ばかりでロック、ポピュラーソング、クラシック、ニューミュージックと幅も広かった。特に秀平はクラプトン、レーナードスキナード、ジョニーウィンター、リックデリンジャー、ディープパープル、クイーン、カーペンターズなど最新版を聴くことができた。ショールームには4トラックのカセットテープを持ち込むと好きなレコードをカセットデッキで録音することができた。この時をきっかけに秀平達は時間ができるとここに入りびたることになった。必然的に槙ちゃんこと槙恭子とも顔を合わせる事になった。あっという間に年が明けて2月の中旬に後期の試験があり、試験は1回で合格すれば優という評価になり、不合格の場合は追試を受けることになる。秀平は選択した単位はすべて取っていたので2月の後半から4月まで大学に行く必要はなかった。秀平は4トラックのカセットテープをまとめ買いして、N電機のショールームに通った。音楽を聴くのが目的だったはずが、心の中に槙ちゃんが住み着き始めていた。いつも午後から路線バスで小倉駅まで行った。槙ちゃんは日によって1階の受けにいることもあった。N電機ではショールームの販売促進の女性をPSレディと呼んでいた。PSレディは4人で持ち場を交代していた。槙ちゃんは大きな二重瞼の目と薄めの唇につんと尖った鼻で髪はパーマをかけて短め、色白の丸顔という顔立ちだった。座っていると気付かなかったが思ったより背は高く秀平と並ぶとちょうどいいくらいだった。春休みの午後、家庭教師のアルバイトのない日は毎日のようにN電機のショールームに行った。バンドのメンバーである河野は春休みに入ると実家のある博多に戻ってしまい、岡村は自宅は北九州だったが長期旅行や高校時代の仲間と会ったりしていたので秀平は一人で行動していた。いつものように午後からN電機のショールームに出かけた。昨日録音したカセットテープを秀平のデッキで再生すると音がこもっている。秀平はドルビーのノイズリダクションという機能を使わない主義だった。理由は簡単、音の高い成分がカットされてこもって聞こえたからだ。人によって好き嫌いや聞こえ方があるのであくまでも秀平の設定だった。操作を誤ってドルビーの回路をONにしたまま録音したのだろうと考えてやり替えるつもりでショールームの1階にいるPSレディに手を挙げて挨拶をしてからの2階に行った。槙ちゃんがいた。「こんちは」と秀平は槙ちゃんの目を見ながら声をかけてオーディオの展示室に入っていつも下げているデニム生地のショルダーバッグから新品のトラックカセットテープを取りだしているところに槙ちゃんが近づいてきた。「小笠原君、ちょっと話があるんだけど」と言った。「何?」と心臓が暴れまわるのを抑えて答えた。「小笠原君は英語得意だよね。だったらお願いがあるんだけどいい?」クリッとした目で頼まれるとどうしようもない。答えはYESしかない。「英語はしゃべれないけど、受験英語は得意だから読んだり書いたりはできるよ」と秀平は声が裏返りそうだった。槙ちゃんは「英語の取扱説明書を日本語に訳してもらいたいんだけど、それなりの代価はだすよ」と言う。何の取扱説明書かは槙ちゃんも知らないらしい。秀平は「いつまでにやればいいの?」と聞いた。「4月の終わりでいいと思う」と槙ちゃん。槙ちゃんも誰かから頼まれている様子。「それで英語の取扱説明書はどこにあるの?」と秀平が言うと「小笠原君が今度来る時までに準備しておくね」と槙ちゃんは答えた。秀平は同級生ではあるが少し化粧をした槙ちゃんに大人の女性を感じた。近くによるといい臭いはするし、なによりも君付けで呼ばれることに新鮮な感覚を感じたのは初めてだった。秀平は俺って変態になりつつあるのかとも思った。結局英語の取扱説明書を受け取ったのは4月に入ってからだった。取扱説明書は裏表印刷の2枚でプラント関係の機械の構造や取扱いについて記載されていた。早速、秀平は辞書を片手に英語を日本語に翻訳した。4月の新入生の入学式も終わり2年生の単位を申請してから講義も始まったので英語の中にある機械の専門用語とどうしても日本語として不自然な個所を大学の先生に教えてもらう事にした。講義が終わった後先生の部屋を訪ねて行った。英語の先生は丁寧に対応してくれた。約束の4月の終わりも前に翻訳は完成した。2年生になってバンド活動は暇があれば河野の部屋に集合して練習はしていたが、決まったステージでの演奏の予定はなかったが春となれば合コンのシーズンで又アフタースクールは余興係で駆り出されていた。北山の企画もあれば他のクラスメートからも是非参加してくれと頼まれた。そのたびにギターケースを抱えて歩き回った。少し忙しい中、翻訳を清書したものを槙ちゃんに持っていく事にした。4月の終わりに近い土曜日の午後にN電機のショールームに行った。今日は1階の受付に槙ちゃんは座っていた。秀平は自動ドアを通りまっすぐに槙ちゃんのところに行った。自動ドアが作動する音で秀平に気付いた槙ちゃんは立って待ち構えている。「こんちは。翻訳できたよ」と秀平は翻訳した4枚のレポート用紙を入れたA4サイズの茶封筒を手渡した。槙ちゃんが手を出し受け取った。その時に手と手が接触しそうなくらいに近づいた。パチッと音がして秀平の差し出している右腕の産毛が逆立つような気がして手をぎこちなく引っ込めた。こんな事は今までになかった。ひょっとして静電気のせいかと思った。「ありがとう。小笠原君」と言って槙ちゃんは茶封筒を受付にあるデスクにしまっていた。「小笠原君、来週どこかで会える時間ある?」と聞いてきた。秀平はこの展開に戸惑いながらあくまでもいつも通りの表情を保ちながら「講義と家庭教師の予定を外すと土曜日の午後か夕方はどう?」と返事をした。「いいよ。じゃあ場所は小倉駅の祇園太鼓の像があるところで時間は午後3時にしよう」と槙ちゃんが言うので決まった。秀平はその日は興奮を抑えながら自宅に戻った。秀平は中学校は小学校のから一緒に育った人が多く、高校は女子が少なく殆ど男子校に近かったのでいいなと思う女子はいたものの個人的な会話をした事がなかったので初めての出来事だった。秀平は気持ちを伝えたいと考え映画かドラマのように言葉で告白するシチュエーションは気恥ずかしくてとても自分には出来ないと悩んだ末、手紙にした。恋文なのだが、内容はストレートに『好きです、付き合って下さい』の単純明快なのか芸がないのかそれしか書けなかった。約束の日が来て待ち合わせの小倉駅の祇園太鼓の像のところに行った。約束時刻に余裕をもって行くのは秀平のいつもの癖だ。2時40分から槙ちゃんを待っていた。10分ほど過ぎるとN電機のショールームのある方角から槙ちゃんが歩いてやって来た。自宅は八幡と聞いていたので小倉英の方から来なかった事と合わせると仕事帰りだと想像した。秀平のところまで来ると槙ちゃんは「早いね、待った?」と聞いたので「うん、ほんの10分」と秀平は答えた。槙ちゃんはゆったりとしたプリーツの入った薄い青の生地にピンクの小さい花がちりばめられた柄のスカートに薄いピンクの襟の大きなブラウスを着てその上からクリーム色のカーディガンを羽織っていた。スカートの丈はひざ下まである長めの全体的にボディーラインが出ないようなコーディネートをしていた。秀平はベルボトムのジーンズに上は上半身にぴたっとした薄い青色のコットン生地のシャツの上に毛糸のベストを重ねていた。上半身にぴたっとしたシャツに腕まくりをするといのが秀平の好きなスタイルでロックミュージシャンのコンサートで有名なギターリストが着ていたのを見てからまねているのだ。二人はアーケード商店街のある方向に向かって歩き出した。気候は5月の連休前なので暑くも寒くもなく、一番快適な季節だったが今日は少し曇っていた。秀平の心は槙ちゃんと一緒にいるという喜びだけではなく、この後の事を考えると不安が沸いてきて空模様に近かった。秀平と槙ちゃんは並んではいるが、恋人同士でもない、友達でもない微妙な距離でどんどん歩いていく。アーケード街に突き当たり左に曲がって少し行くと楽器店があった。秀平はいつもの癖でショーケースに並んだギターを見ると視線が店内にあるアメリカ製のギターに移っていく。今はそんな時ではないと思い視線を槙ちゃんに向けた。ちょっと斜め上から槙ちゃんのブラウスの胸元から白い肌が見えて、秀平はこれもいけない、いけないと思い視線を外したが視線の落ち着くところが無い。槙ちゃんは「ここにしよう」と言って楽器店の向かいにある喫茶店を指さした。店の中に入るとアーケード街を往来する人が見えるガラス窓の席に空席を見つけ、向かい合って座った。女性の店員がメニューを二人の間に置いていった。秀平は「俺、コーヒー飲む。槙ちゃんは何にする?」と一応リードした。槙ちゃんは「紅茶とショートケーキにする」と言ってメニューにあるケーキを選んでいた。さっきの店員が注文を聞きにきた。「ブレンドコーヒーブラックと紅茶」と秀平は注文した。すると槙ちゃんは「苺ケーキ追加で」と言ったので秀平も「俺も一つ追加で」と頼んだ。飲み物とケーキが来る前に槙ちゃんは持っていたハンドバッグから白い封筒を取り出した。「これ、取扱説明書の翻訳料ね」と言ってその封筒を秀平に向かって差し出した。秀平は受け取り「ありがとう」と封筒の中を見た。10000円入っていた。A4で4枚分で10000円なので1枚当たり2500円と簡単な暗算をして、相場を知らない秀平はもらい過ぎだと思った。注文したコーヒー、紅茶、ケーキが2個テーブルに並んだ。「私コーヒー、苦手なんだ」と槙ちゃんは言う。「ショールームでも来客用に自動のコーヒーメーカーを使ってるよね。それでコーヒー飲めないの?」と秀平。槙ちゃんは「コーヒーの苦みがだめで砂糖をたくさん入れると味が変になるから」と説明した。秀平も以前からコーヒーをストレートで飲んでいた訳ではなく、子供の頃は砂糖を入れていた。大学に入ってから自宅にあるサイフォン式のコーヒーメーカーを使っていれるようになってからコーヒーの香りや味が分かるようになった。湯の温度とかは変えようがないので豆の種類と水でも味が大きく変化するものだと経験していた。秀平は「機会があったら俺が美味しいコーヒーをいれてやるよ」と言うと「そのうちね」と槙ちゃんは曖昧な返事。槙ちゃんが「小笠原君は大学出て何をしたいの?」と痛い質問をしてきた。「ギターリスト。嘘だよ。まだ2年生だし何をしたいか見つかっていないから大学院に進学しようと思ってる」と事実を秀平は伝えた。槙ちゃんは「私はオーストラリアとか海外旅行をしたいと思って貯金してる」と言う。一瞬会話が途切れ、秀平はその時が来たと思い、シャツの胸ポケットに入れてある四角い封筒を出してテーブルの上を滑らせて槙ちゃんの方に差し出した。槙ちゃんは「何?」と言い封筒を見ている。宛名を槙恭子様と書いているので秀平からの手紙というのは察しがついたはずだ。秀平は「いいから、中を見て」と言うと槙ちゃんは封筒から1枚の手紙を取り出した。槙ちゃんの手が止まった。そしてちょっとの間があってから槙ちゃんは「小笠原君、これありがとう。私も小笠原君のことは嫌いじゃないけど、今は考えられないの、気を悪くしないでね」と言った。秀平はガ~ンと頭を殴られたような感じがした。想定外の返事だった。秀平はひょっとして初恋、即失恋、それも大失恋だと考えられるだけまだいいやと思った。二人は用件が終わったので店を出ることにする。秀平は平静を装い、テーブルに裏返して置かれた請求書を取って席を立った。槙ちゃんは無言でついてくる。飲食代は秀平が払った。これは秀平の拘りで女子に払わせたくは無かった。重苦しい空気の中、小倉駅まで槙ちゃんを送っていった。秀平は歩いて帰ることにした。アーケード街から30分あればたどり着く距離だった。すぐに帰る気がしなかった。その日は終わって明日は日曜日だから気分転換になることをして月曜日から大学に行けばいいと思っていた。ところが月曜日の朝になっても胸のあたりが息苦しい。いつも通りに自宅を出てバス停に向かった。でもいつもの28番線に乗らずに小倉駅に行ってしまった。朝の駅前は通勤や通学の人や商店街の開店準備をする人がうようよいた。土曜日に槙ちゃんと歩いた通りから1本駅に近い通りにパン屋さんがありパンが焼きあがるいい香りがあたりに漂っていた。パン屋の中を見るとバゲットがブリキのバケツに何本か立ててあった。あまりにも美味しそうだったので1本買った。店員は細長い白い紙の袋に突っ込んでくれた。料金を支払い、包みを受け取ると秀平は小倉駅に向かった。何の目的もない。まさか線路に飛びこむほど深刻ではないにしてもこれまで経験したことのない胸のあたりの苦しさがあった。小倉駅で時刻表を眺めた。とりあえず、海だこんな時は海だ、海を見るに限ると決めた。半年近く思いを寄せた槙ちゃんの事は忘れよう思って、もがいた結果の行動だった。生まれて初めて学校をさぼった。小倉駅で入場券を買い門司港方面の列車に乗った。門司港からトンネルを通って下関に着いた。ここから山陰本線の普通列車に乗り込む。下関を出てから山間部に入る。やがて海が左手に見えてきた。手には小倉で買った白い袋に包まれたバゲットがある。腹がすいたので袋の上から飛び出ている丸い部分からかじった。外の皮はカリッとして中はふんわり柔らかかった。塩味がちょうどいい。列車は小串駅で止まった。海は近かったので降りることにした。改札口で駅員さんに言って小倉からの運賃を精算した。自動販売機でコーラを買った。駅を出てまっすぐに歩くと海岸の砂浜が見えてきた。山陰の海は緑がかった青い色をしている。砂は白っぽい。岩場もあり変化に富んでいる。車道を横切って砂浜に降りて行くと潮の香りのする風に包まれた。岩場の方に行くとジーンズの裾をまくってから一段高い岩に腰かけた。コーラの缶のプルタブを引っ張るとプシューと音がして密閉された容器に拘束されていた炭酸が一気に自由になって騒いでいるように見えた。秀平は缶の上に溢れたコーラをこぼさないように口をつけると、グーッと一口の喉に流し込んだ。スーッとする感覚が食堂から胃まで分かる。気持ちも一息付けた様な気がした。左手にコーラ、右手にバゲットをもって岩にできた窪みに潜んでいるカニや小魚を観察した。波の音はザーッと打ち寄せては引き返しながら砂浜を洗っている。確かに故郷に戻ったような安らぎを感じていた。悲劇のヒロインなら様になるけど俺男だから情けないと冷静に見るもう一人の自分がいた。その時ふいに大事なことに気付いた。槙ちゃんから頼まれた英文の扱い説明書を日本語に翻訳した件の依頼主は彼氏からのものだったんだと。そう考えると納得できるような気がしたし、槙ちゃんに何かあったら俺が出て行けばいい、今はこれ以上悩んでも仕方ないと次第に割り切れてきた。海の効果がでた~。すっきりしたところで、海岸線を右手に見ながら列車で小倉に戻った。自宅に帰るとバンマスの河野から電話があったと母親が言っていた。翌週大学の教室に行くと、河野が秀平を見つけて寄ってきた。「先週、講義ばさぼって、なんかあったんか?」と直球を投げてきた。秀平は「振られたと」剛速球を返球した。「そうか」とそれ以上深堀りはしなかった。意外に河野は優しい面もあった。その日には秀平が選択している量子力学の講義があった。京都大学から来た若い星野先生は量子力学はどんどん進化中で面白いという事と量子力学で宇宙をも包括する理論の体系ができると言う。先生の講義はよく脱線して、宇宙や天体、アインシュタインの相対性原理とか時空の話をしてくれた。天文学が好きだった秀平は真剣に講義を聞いていた。ふと星野先生なら分かるかも知れないと思って講義が終わってからその先生の部屋を秀平は訪れていた。ノックをすると「どうぞ」と中から聞こえるので「失礼します」と答えて部屋に入った。「2年生の小笠原秀平です。先生に質問していいですか?」と秀平は畏まって言った。「小笠原君か、いつも教室の前の方に座ってるね。それで聞きたいことって何?」と先生は言った。「タイムマシンはできるようになるんですか?」と天文に興味をもってからずっと疑問に思っていた事を質問をした。先生は一瞬戸惑ったような表情をしたが、秀平の真剣さを感じたのか「タイムマシンね、SF小説では存在しているが現実は未だ世界の物理学者が研究中だよ。でも時間がずれる現象や、時空を大きく歪ませるものすごく大きな重力とかが注目されていて、ブラックホールとかワームホールがキーとなるかも知れない」と回答してくれた。「将来的にはタイムトラベルをできるようになる可能性はあるよ」と丁寧に教えてくれた。帰り際に「参考になりそうな本の題名を書いたメモが入っているから」と言って茶色い封筒をくれた。結構分厚いので中身を確認もせずに持って帰った。秀平は時間を遡って槙ちゃんと行った喫茶店のあの時に渡してしまった封筒を取り戻したいと思った。大失恋事件の後もN電機のショールームには出入りして、槙ちゃんは今までと変わりのない笑顔で挨拶してくれたし、秀平も普通に会話をしていた。

第三章 守銭奴

槙ちゃんが話していたオーストラリアに行くという言葉が頭に残り、いつか自分と正面から向き合える時が来たら何時でも行けるように旅行資金を貯めておこうと秀平は考えていた。彼氏の事も秀平の状況からの憶測で槙ちゃんの口からはっきり彼氏の事を直接聞いた訳ではなかったが、そこを曖昧にしたのは彼女の優しさだったのかもしれなかった。秀平は家庭教師のアルバイトを増やすことにした。月曜日と木曜日は宮本家の健太が中学三年生、姉の美恵が高校三年生、美恵の同級生である白川家が火曜日と金曜日で埋まっていた。水曜日と土曜日の午後はバンド練習に取っておきたかった。残るは日曜日となってしまった。大学で最初に家庭教師先を紹介してくれた中野に聞いてみた。中野は「分かった。当たってみるよ」と言ってくれた。秀平はどこにあたるんだろうと思ったが、そのまま甘える事にした。翌日中野は日曜日の午前中に秀平の自宅に自転車で来てくれる中学2年の男子を紹介してくれた。これで月40000円にはなると秀平は皮算用した。バンド活動の方は女子短大のイベントに呼ばれるようになって、短大では英語や食物栄養科と服飾関係を学ぶ学科が多かったせいで料理や服の発表会を行う時に余興としてのフォークコンサートを依頼された。2年生になってからバンドの音の幅を広げようと河野がガットギターとエレキギターを使い分けしだした。イントロ、間奏の迫力がでてきた。シンガーソングライターIYの曲やGRの学生街を歌った曲をレパートリーにしていった。秀平のボーカルも良くなっていた。自然なビブラートをつけて高音の音量もでてきた。素人バンドでも乗りがあって気分よく演奏できた時は演奏の途中でも聴衆の女子学生から拍手が起きた。聴衆の心に少しでも入り込んだ瞬間だった。7月の夏休みを前にして秀平は家庭教師ではないアルバイトを探した。母親の知り合いで競馬場に勤めている人がいてそこで学生アルバイトが必要だとの事だったので早速面接に行った。約束の時刻に競馬場に行くとスーツを着た中年の男性が対応してくれた。小倉の競馬場ではレース開催は2月から3月にかけてと7月から8月にかけての年2回という事で期間中の土曜日、日曜日の朝9時から夕方5時まで拘束される、仕事は7月の競馬開催の日に先輩から習えという事で採用されてその日は終わった。小倉での競馬開催日が着て秀平は指示されたように出勤した。守衛がいる門を通り、売り場に通じる通路を通り他の人についていく。8時過ぎなので客は未だ入って来ない。秀平はアルバイトの男子学生が集まっている場所はすぐに分かったので、皆に挨拶をした。仕事は売り場ごとに販売した勝馬投票券の集計と配当金を全ての組み合わせで計算を算盤で行いその結果をレースがスタートする前に一覧表を黒板に正確に書き写す事だった。手動で集約する元の各売り場での情報はカーボンの複写付きの集計用紙をエアシューターというプラスチックのカプセルに伝票を入れて圧縮空気で配管したパイプの中を送り込むというシステムだった。アルバイトの仕事は集計用紙をカプセルから受け取り中央の計算をする人たちのところに走って持っていき、全売り上げと枠番の組み合わせごとに配当金を計算してその結果を黒板速報に書いてレースがスタートする前に客にどの券がどれだけ売れてどれが当たればいくらかの払い戻し金になるかを見せて確定するまでの一瞬の夢を提供する大事な仕事でもあった。金銭にかかわる事なので誤記をすると暴動も起きかねないという危うさも背負っていた。1期間の開催だけで家庭教師で稼ぐ金のニケ月分ほどになった。走り回る仕事は男子学生で売り場には補助として女子学生のアルバイトがたくさんいた。8月になると秀平は競馬場でのアルバイトにも慣れていた。周囲の学生からも信頼を得ていた。秀平は高校時代から大人っぽい字を書いていたので競馬場でも字がきれいだという理由で黒板書きの係になる事が多かった。最終集計の伝票を持って走って黒板のところまで行き素早く正確に書き写す。終わるとエアシューターのあるところに走って戻ってくるという事をレースのごとに12回繰り返すのだ。そのうちおばちゃんから声をかけられた。「ちょっと、学生さん名前は?あそこの子に頼まれたので連絡先を教えて」とおばちゃんは女子大生らしき人の方をちらちら見ながら言う。「俺、いや僕は小笠原秀平、20歳」又年齢まで付け加えた。秀平は7月で20歳になっていた。仕事で走り回っていたので「後で連絡します」と答えて定位置に戻った。売り場の方は販売を締め切ってから集計結果を秀平たちのいる中央の集計所へ集計結果を送ると一息つけるが、秀平の方はそこからが忙しくなる。秀平は自宅の電話番号を書いたメモを小太りのおばちゃんに何とか手渡すとおばちゃんもメモをくれた。おばちゃんの肩越しに見える彼女の方を見るとはにかんだような笑顔だ。八頭身でスタイルがいいというのが第一印象。4月の大失恋の後だったので秀平はウキウキ気分になった。その日は帰宅した夜に書いてある電話番号のダイヤルを回した。番号からいくと小倉北区の海に近い方だった。「もしもし、原さんのお宅でしょうか。小笠原秀平と申しますが、智子さんをお願いします」とお手本のような言葉をしゃべった。「はい、原です。私、智子です。すみません電話してもらって」と原智子は対応した。「原智子さん、顔は競馬場で見ているので分かるけど、大学生?」と秀平は身上調査。「はい、KT大学外国語学部の1年生です。」と簡略に言った。「俺はKK大学工学部で機械工学を勉強してる2年生です」といつもの口調の秀平。「小笠原さんの事、前から知っています。学園祭のステージで歌ってるのを見ました」と原智子は言った。秀平は「へえ、そういう事なら去年のあの時期は高校生?」原智子は「はい」と答えた。秀平は「来週の週末、競馬場のアルバイトで会えるからその日は一緒に帰る?」と相手に判断を委ねる様な聞き方をした。原智子は「うん、一緒に帰ろう」と返事をしたので順調なスタートだった。翌日、競馬場に行き昨日の同様に売り場建物の奥に入っていった。アルバイト学生の待機しているテーブルには既に何人か来ている。昨日秀平に仕事の内容を教えてくれた山本と言う先輩が手招きをするので「おはようございます」と言って近寄って行った。すると山本先輩は四角い銀色のビニール製の小さなものを秀平に差し出しながら「小笠原君、いざと言う時のためにこれをお守りとして持っとき」と言った。山本先輩の手にのっている物に見覚えはあった。高校の時に薬局を営んでいる家の息子がクラスにいて親の目を盗んで店の商品をこっそり学校に持って来て、得意げに見せびらかしていたあれと直観したが秀平は「何ですか?」と言いながら手を出して受け取っていた。見るとやはりコンドームだった。「お守りにします」と秀平は感謝の気持ちを込めて言った。でもいざと言う時ってどういう時なんだろうと考えた。昨日の原智子からのメモの事を知っているらしい。秀平は有難く頂戴する事にして財布の奥の神社のお守りと重ねてしまい込んだ。競馬場でのアルバイトは9月の1週目まで続いた。その間秀平と原智子は一緒に電車で小倉駅まで帰った。秀平は途中で降りた方が自宅に近かったがなるべく原智子と一緒にいる時間を増やしたかった。話の内容は、昨日見たTVの番組の話とか好きな音楽や映画なんかについてで、たわいもないもないものだった。小倉駅でそのまま分かれる事もあれば喫茶店に寄ることもあった。アーケード街を電車通り方向に行き今来た方向に逆戻りしたところにある紫川に近くの路地に面した喫茶店に入った。秀平は「ブレンドコーヒーブラックで」がお気に入りのオーダー。原智子はホットチョコレートを頼んだ。外は暑いのに二人とも冷たいものを頼まない。秀平にはコーヒーへの拘りがあって、年中ホットしか飲まない。彼女もコーヒーは苦手と言う。ミルクを多めに継ぎ足してスプーンで混ぜている。その彼女の手、指先に秀平の視線は注がれている。細いとにかく細い、背は高くスリムな事は外見で分かっていたがまじまじと手のひらや指を見るとか細いのだ。手のひらよりも指の方が長く奇麗な手をしている。男のごつごつした手とは作りが違っている。「ココア好きなんだね」と言うと原智子は「ホットチョコレートです」と言い換える。そんな彼女に特別な感情を持ち始めたのだが、9月の競馬場のアルバイトが終わると連絡が途絶えた。最初の電話は秀平がしたが、後は彼女から電話連絡をしてきた。アルバイトの最終日だった9月1週目の日曜日は自宅の前まで電車を乗り継いで送って行ったきりになってしまった。秀平は夜からは家庭教師に行く為、不在がちで連絡を取らないままになった。秀平の性格には淡泊に見える一面があった。でも秀平がある事を選択した時の心の葛藤は誰にも分からない。この頃からクラスメートから守銭奴と冗談で言われていた。周囲からはアルバイトに明け暮れている様に見えていた。9月も終わりになって今年も学園祭が11月にあるので今年は早めに準備しようとバンマス河野が言い出した。そこで秀平は有ることを思いついた。「FRONTIER SPIRITSの部室に行ってみよう」河野は練習中も秀平や岡村にギターや歌の注文を付けていた。ある時はエレキギターとフォークギターでハモって見ようと言い出して岡村がフォークギターで音符を再現するが、どうも上手くいかない。バンマスとしてできる範囲で音を広げようとしている。そこでロックバンドからヒントをもらおうという訳だ。早速、水曜日の練習時間の予定の時にFRONTIER SPIRITSの部室を訪ねた。部室のある廊下を歩いていくとあちらこちらから楽器の音が聞こえる。ロックやフォークのクラブがあるからだ。FRONTIER SPIRITSの部室のドアをノックし、ドアを開けるとベースの後藤以外の3人がいた。秀平も河野も岡村も去年の学園祭以来顔見知りになっていた。秀平は「こんちは」と挨拶をした。FRONTIER SPIRITSの今いるメンバーは皆3年生になっている。キーボードの本山が「遊びでセッションやる?」と言ってきた。秀平は「いいですか」と答えて置いてあるエレキベースを手に取った。すかさず「ベースできるの?」とバンマスの城山が聞く。「やったことないけどギターの3弦から6弦と同じでしょ」と秀平は答える。河野が「俺、ドラムできるんで叩いていいですか?」と城山に言っている。城山は「いいよ。じゃあ俺ギターやろう」と言ってギターケースからギターを取りだしチューニングしだした。岡村は本山の後ろについている。キーボードの本山が「じゃあキーAね」と言ってコードを演奏しだした。A/A/A/A7 D/D/A/A F7/E7/A7/E7と12小節やってターンアラウンドしている。河野は既にドラムを叩いているブルースなので8ビートで刻んでいる。バスドラの低いリズムにスネアドラムとハイハットシンバルを強弱つけながらスティックで叩いていく。時々おかずと言われるタムタムやフロアタムとクラッシュシンバル、ライドシンバルのジャンという音が入る。秀平はベースアンプから出てくる音を聞きながらベースギターの音量を上げていった。6弦の5フレットがAなのでここに左手の人差し指を置いて3度づつ上の音を弾いてみる。何度かキーボードについてポジションを確認する。リズムは基本的に1小節8回音を出しながらだんだんリズムを適当につけていく。何となく合ってきた。岡村は本山と入れ替わってキーボードに座っている。簡単なコードはあっという間に覚えて演奏した。そこにスタンバイしてコードを弾いていたギターの鈴木がソロに入る。5フレット辺りからその上のブルーススケールを弾いている。指が覚えているかのようにためらいもなくギターのフレット上を躍動している。鈴木がキーボードの岡村に視線を送った。すると本山が席を入れ替わりキーボードの音量が上がって、コードを何度か弾いてからソロに入った。ドローバーオルガンの様な設定の音だ。ひとしきり演奏したら本山が秀平に視線を投げてきた。初めてエレキベースを握っているのにと思いながらも聞き覚えのある好きなブルースのリズムをまねてみた。何とか音を外さず、大した冒険もせず、無難な演奏となった。秀平は一瞬手を挙げてギターを持っている城山に合図した。すると城山はソロを始めた。ギターはテレキャスターだった。ピックアップのセレクターはフロントで脂ぎった独特のキレのいい音がする。ブルーススケールでは秀平の知らない音も弾いている。緊張感のあるプレイだった。最後にバトンが河野に渡ってドラムソロとなった。アマチュアのバンドでソロをやっているのを見た事がなかった。もうジャズに近い演奏だった。ドラムが疲れただろうなと言うタイミングで城山がぱっと右手を上げたのを見て全員でブルースのリフレインに入った。12小節やってドラムがスネアロールの後バスドラをドンとキックしてエレキギターがブルスケールを上から下に降りてきた。そこで終了した。秀平にはプロミュージシャンにでもなって実力以上のパフォーマンスをしたかのような珠玉なひと時となった。この後、秀平たちは部室を出てそれぞれ帰宅した。この経験を機にバンマス河野が音の幅を広げようとエレキギターや12弦ギターを試すようになった。9月になってからフォークの世界は九州出身者で編成されたトリオの曲が注目されていたのでバンマス河野がやろうと言い出し取り組む事にした。すぐに季節はキャンパスの植木から色づいた葉が舞う11月となり学園祭の日になった。機械工学科は昨年の好評を受けてでばがめ赤松の取り仕切りによってコーヒー喫茶でぜんざいもメニューに加えて模擬店を立ち上げた。好評というのは模擬店の売り上げがよくて原価を差し引いても酒が飲めたという実績があったからだ。秀平達のバンドはもちろんテント内で演奏と決まっていた。週末の土曜日、日曜日なので近くの大学生や高校生、中学生もキャンパス内の模擬店を楽しむ事ができる。今年は家庭教師をしている宮本家の健太と姉の美恵ものぞきに来ると言っていた。学園祭当日、秀平は8時半にギターケースを抱えて模擬店の場所に到着した。バンマス河野は2年生になってから時々、車で下宿に戻ってきた。目的は演奏する時の機器を運ぶ為だった。生音で演奏するのは練習だけで人に聴かせる時はマイクロフォンを通しミキサーでバランスの取れた音にしたかったからだ。プロデューサー兼ミキサーは音楽音痴だけどワンゲル部の北山が電気機器に精通しているというだけで難しい作業をやってくれた。河野は実家が商売をしているので店の車もあるし、住み込みの見習いの店員がいて、その若い人から車を借りてくるのだった。パブリカという800CCのエンジンで2ドアだがPA装置を詰め込みバンドメンバー3人がすし詰め状態で移動する事もよくあった。今日はパブリカでやって来た。3人でPA装置を車から降ろし、設置作業にかかった。テントの外ではガスコンロでお湯を沸かしたり、ぜんざいを作ったりしている。テントの中に設定されたにわかスタジオで秀平たちは音出しを始めた。ギターのチューニングとマイクロフォンの位置、ミキサーのレベル設定を行いながら発声練習を兼ねて1曲やるのが普通になっていた。声のチューニングもあるのだ。時刻は10時を過ぎた。三々五々人が集まりだした。何人か客が椅子に座ったところで、バンマス河野がしゃべりだした。簡単なバンド紹介をしてから1曲目GRの学生街をテーマにした曲をやったらどんどん人がテント内に入ってきた。曲のヒットぶりが分かる。続いてレパートリーを演奏して最後の6曲目を演奏しだすと大盛り上がりになった。九州出身の3人グループの曲だった。河野が選曲は正しく、模擬店でも大人気の曲だった。ソロは河野がガットギターでマンドリン風にピックを使って弾いた。メロディーは岡村がとり、秀平は上のパート、河野が下のパートをとり要所要所でバックコーラスを入れる。拍手喝采で1回目の演奏が終わった。今回の演奏を北山がカセットデッキで録音していた。つまり演奏しなくてもテープを流せばフォーク喫茶の体裁はとれた。午後二時を過ぎると女子高生が増えてきた。秀平はテントの外で学校帰りかなと思って人の流れを見ていた。三時半から中央の仮設ステージで秀平達アフタースクールの出番だったので、模擬店での演奏は3時までには終了し本番のステージに向けてスタンバイした。出番が来た。ステージの横から階段を上がった。楽譜立をセットしてから楽譜のバインダーを置いた。手にしたギターのストラップを肩の後ろに回して胸のあたりにあるギターの位置を確認してからボーカル用、ギター用のマクロフォンの位置を微調整した。「テスト、テスト、テスト」とボーカルマイクのレベルを確認してギターのコードを軽く何度か弾いてマイクロフォンでバランスよく拾っているか確認する。河野はステージの観客側に背を向けて6弦を少し扱っている。何度かコードを弾いてから納得した様に前を向いた。今年は昼間なので楽譜が見えるし、風も無い。準備が整ったところでバンマス河野が「アフタースクールの3人です。じゃあビートルズのIF I FELL」と短く、しゃべってからギターのボディーをタン、タンと打ってからイントロ無しで歌から始まり3泊目からコード演奏が後に続く。頭の音を間違うと台無しになる。メインを秀平が歌い途中から河野が下のハーモニーを入れた。岡村は正確にリズムを刻む。河野はギターでところどころアルペジオやピッキングのストロークのテンポを変えたりして演奏している。秀平には皆の音がよく聴こえて気持ち良かった。2曲目はGRの大人気曲学生街を歌った曲をやった。メインボーカルは岡村がとった。秀平は上のハーモニーを担当した。やはり観客の拍手が多い。演奏が終わると、「先生、かっこいいよ」と女子の声がする。声のする方向を見ると家庭教師で勉強を見ている宮本美恵が手を振っている。横には同級生と思われる同じ青いコートを着た女子が何人か一緒だ。しきりにステージの方を指さして話をしている。秀平はおいおい俺を先生と呼ぶのはやめろと思いながら両手を上げて小さく交差させて×の信号を送った。河野と岡村はそんな照れている秀平を見て笑みを浮かべている。演奏は続けられ、次はGRの曲で秀平が好きなメジャーセブンのコードが使われている曲を歌った。歌の最後のところはメインの秀平のメロディーに上と下にハーモニーをつけた。音がきれいに会う時は他の二人の音がよく聴こえていた。最後の曲となり河野が選択した4畳半フォークと言われる曲をやった。これは岡村がメインを歌いイントロと間奏も演奏した。秀平はと岡村はさびの部分でハモのコーラスをした。演奏が終わると拍手が多かった。フォークに大きな影響を与えた曲だったが秀平は好みではなかった。やはりブルースに傾倒していた。秀平達はステージを降りて模擬店のテントに戻った。店内では午前中の練習演奏を録音したテープで音を流していた。さすが北山と秀平は感心した。テープで流すならオリジナルのプロの曲にすればいいのにとも思ったが、素人がやるからいいんだと考えなおした。ステージを見ていた宮本美恵たちの姿を探したが見つからなかった。翌週に宮本家に行った時に聞いたところでは美恵は同級生4人と学校の帰りに学園祭に来て、模擬店から音が聞こえるので大学生の呼び込みの言う通りに中に入りぜんざいを注文して食べたと言う。弟の健太は来なかったらしい。大学生の呼び込みはでばがめ赤松に違いなかった。年が明け2月となり宮本美恵、健太兄弟と美恵の同級生の3人が受験生だ。美恵と美恵の同級生は中高大と一貫校なので普通にやっていればよかったが健太はKR高校を目指しているので最後の追い込みというところだった。秀平も2月は後期の試験があるが修平はバンド練習や家庭教師などのアルバイトをしても日頃からきちんとやるべきことはやっていた。自分の試験の都合で家庭教師を休む事はしなかった。子供達に課題をさせている間に自分も本を読めたからだ。3月に入って試験が終わり、も受験生の3人は皆合格した。秀平は2月で単位が全て取れていたので早めに春休みになっていた。3年生になるので秀平は今までにアルバイトで稼いだ貯金を確認した。100万円近くあった。これが守銭奴になった事の対価だと秀平は思った。運転免許を取って車を買おうと思った。周りの大学生はたいていの人が1年生に上がる春休みや夏休みを利用して自動車の運転免許を取っていた。取得するまでに1ケ月は自動車学校に通わなければならなかったので学生は春休みと夏休みに集中した。この百万円は大失恋をした槙ちゃんといつの日にか一緒にオーストラリアに行く時の資金として貯めてきたものだ。早速3月から自動車学校に入り運転免許を取った15万円かかった。北山の親父の紹介でトヨタの販売店を紹介してもらい車を買いに行った。新車と中古車を展示している。学生も車を持つ人が増えてきたが、だいたい360ccの軽自動車だった。秀平は展示車の中からモスグリーンのタイヤが収まる前後のフェンダーに出っ張りのある部品がボルトで取り付けられている車に目が留まった。TE27スプリンタートレノだった。昭和47年製の2年落ち中古車で70万円の値札がついている。ボンネットの中や室内を見せてもらう。ボンネットの中にはDOHC1600ccの2TGエンジンがSOLEXキャブレター2連で収まっている。エンジンの黒いヘッドカバーが異常に大きく見える。運転席に座るとハンドルは3本スポークで握りは細いが革製、パネルには丸形のメーターが並ぶ。エンジンをかけた。カタカタカタ、ボーンと一発始動、アクセルを踏んで何度かあおってみるとボコボコボコとSOLEXから吸気音する。秀平はまだ仮免の状態だが、買う事に決めた。免許証が受け取れる日に合わせてTE27トレノの納車を合わせてもらった。4月25日に貯金の残りを持って車を受け取った。ナンバープレートは北九州55に83-28だった。秀平は865Kgと軽量ボディーにオーバーフェンダーが大きく張り出していて無骨な感じのするトレノがますます好きになった。

第四章 疾走

秀平は3年生となり大学の講義は専門の科目ばかりになった。量子力学の講義を受けられなくなったのが寂しかったが宇宙物理学者が分かり易く書いた本を少しづつ読んでいった。3年生になってから秀平は新しい家庭教師先を探していた。宮本家の美恵とその同級生がそろって高校の系列の短大に入学した。健太だけは高校でも勉強を見ることになったが、アルバイトの家庭教師は以前と同じレベルで稼いでおきたいというのが理由だ。結局母親の職場の人が紹介してくれたところに行くことになった。教えるのは中学三年生の高校受験をひかえた女子だった。家があるのは門司区で秀平の住む小倉北区からは30kmほど離れていた。秀平はちょうど車を買っていたので何処にでも行くことは可能だった。5月の初めに自宅に伺った。教えられた場所に行き邸宅の前に車を停めた。家がでかい。門までに坂になったアプローチがありしばらく歩く。大きな石を門にしている家の周りは生垣で囲まれ庭は池のある日本庭園であることが分かる。秀平には何の種類の樹木か分からない。よくある庇が突出奥にある玄関の入り口は引き戸式だった。壁の側面にあるチャイムを鳴らすと、40過ぎと思われる美人の母親が出てきた。「こんばんは、初めまして。家庭教師の小笠原秀平です。谷川さんからの紹介で来ました」と挨拶をして家にあげてもらった。応接室に案内された。日本庭園に面して暖炉があり、皮張りのソファーの応接セットがそなえられていた。天井にはシャンデリアもある。先ほど対応してくれた母親は秀平を応接室のソファーに腰かけるように促して部屋を出た。部屋の中をきょろきょろと見ていると母親が父親と女の子を連れて入ってきた。母親が持っているお盆に載っているコーヒーカップ&ソーサーは青い色のマイセンだと分かった。母親はマイセンに入れたコーヒーを4人分ガラス製のテーブルの上に置いた。秀平は慣れないシチュエーションに思わず席を立ち、親子に頭を下げた。父親が「まあ座ってください。平田です。よろしくお願いいたします。」と挨拶した。「小笠原秀平といいます。KK大学の3年生です。」と自己紹介をした。「この子が今度、高校受験なので勉強を見てください。」と平田さんは言った。「亜由美です。よろしくお願いします。」と言って平田亜由美が頭をちょこんと下げた。秀平も亜由美に向かって頭を下げた。コーヒーを飲んだ後、応接室の隣にある和室に案内された。亜由美が勉強をする準備ができている。その部屋に秀平と亜由美は向かい合って座った。「亜由美さんはどの教科が嫌いとか苦手とかあるの?」と秀平は弱点からいつものように把握しようと質問した。「兄と同じMJ高校を志望しています。数学と理科が苦手です。」と言う。ありがちな事だなと秀平は思った。宿題があるというのでそれをやらせることにした。英語と数学がプリントで課題になっていたので自習の形で解答させて、その結果を秀平がチェックをした。間違えた問題について教科書に戻ってどこがおかしいか確認させ、類似の問題を探し、理解したか確認をするというのが秀平のやり方だった。本人にやらせる時間が多い。基本的に本人に勉強をさせてそれを横で応援するというスタンスの教え方だった。7時から初めて8時半になると玄関の方から音がして人が返ってきたのが分かった。すると扉をたたく音がして背の高い男の子が入ってきた。「こんばんは、兄の平田雄一です。後でちょっと勉強の分からないとこ見てくれますか?」と学生服を着たままの雄一は言った。秀平は「構わないよ」と返事をした。返事を受けて雄一は部屋を出て行った。亜由美の話では亜由美も雄一もテニスクラブに所属していて高校生の雄一はいつも帰りは遅いらしい。秀平は平田家に来てからすべての出来事と登場人物がまるでドラマの世界に迷い込んだような気がしていた。雄一と亜由美は母親によく似た顔立ちで身体はすらりとして細い。亜由美はどこから見ても欠点など見当たらないし雄一も目が大きく奇麗な顔立ちをしている。9時を過ぎて母親がケーキとコーヒーを出してくれた。ケーキを食べ終えると亜由美は「ありがとうございました」と言って部屋を出ると同時に兄の雄一が入ってきた。「先生は趣味とかありますか?」と聞く。秀平は「音楽が好きでバンドとかやってるよ」とあいさつ代わりの会話の後、音楽の好みやオーディオの話をした。雄一はMJ高校3年生で成績は学年でトップクラスで分からないところを要領よく質問できる子だった。基本的に頭がいいなと秀平は感じた。結局雄一の勉強を11時まで見た。「じゃあ、今日はこの辺で終わろう」と言って秀平は立ち上がった。雄一も立ちあがると玄関まで送ってくれた。この日をきっかけに月曜日と木曜日は門司で兄妹二人、火曜日と金曜日は宮本健太の家庭教師をする事になった。車を手に入れてからは行動範囲が広がり、自ら慌ただしい環境を作っていた。大学の講義は専門分野ばかりとなり、教室での講義だけではなく工作機械による加工自習や設計製図やコンピュータのプログラム制作と内容が深くはなったが、宇宙や天文学の話が聞けないで本を読む事で知識を深めていた。7月に入って大学は夏休み目前となった。大学の前期の試験は夏休み明けの9月中旬以降で秀平は日頃家庭教師をする合間に自分の勉強をして時間を無駄にしないよう、心がけていた。7月の後半から8月までは小倉競馬場のアルバイトがあったからだ。高校生も1学期の期末試験は終わって勉強以外の行事が増えて生活に少し余裕が出る時期だ。16日の火曜日に宮本家に行き、夜7時から9時まで健太の家庭教師をして休憩系時間となった。いつもなら母親がお茶とお菓子を持ってくるのだが、今日に限っては姉の美恵がお茶とお菓子を3人分お盆に載せて部屋に入ってきた。「先生、こんばんは」と美恵が言う。秀平は美恵に会釈をしながら「こんばんは、久しぶり」と返事をした。2月の受験が終わってからは宮本家には週に2日は来ていたのに、美恵と面と向かって話す機会はなかった。7月20日の土曜日に祇園祭に行こうと言う。母親に短大の友人と夜の小倉の街に出ていくと言ったら反対されて小笠原さんと健太と3人で行くならいいという結論になったらしい。そういう成り行きで美恵の同級生は同行せずに3人で行く事になった。秀平は土曜日の夜7時に車で迎えに行った。宮本邸の前の道路に車を停めてエンジンを切る。すると車の気配が聞こえたのか健太がドアを開けて出てきた。「おっ、こんばんは」といつもの癖で右手を軽く上げて健太に挨拶をする。健太の後ろには白っぽく輝く物体、いや人だ。姉の美恵が浴衣を着ている。白と紺色が混じった生地に朝顔の花が描かれている帯を後ろで大きく結んでいる。気を取られて美恵の後ろにいる母親に気付くのが一瞬遅れた。悟られないように母親にも頭を下げると母親は「先生、すみません。お手数をとらせて。」と言ったので「僕の方こそ。いつもよくしていただいていますので」と秀平はお礼を言った。母親は秀平に近づき、軍資金と言って白い封筒を手渡そうとしたが、秀平は受け取らなかった。理由は自分も楽しみにしていた事だったからだ。今まで女子とのデートでもそうであったように。美恵と健太は車に近づき、健太は「トレノでしょ」と言った。さすが男の子と思った。「販売台数が少ないマニアックな車をよく分かるな」と秀平は健太に言った。「先生、何この自衛隊みたいな色」と言って前輪のオーバーフェンダーのところを触っているのは美恵だ。先生と言う言葉にちょっと引っ掛かったが「モスグリーンという色だよ」と秀平は説明したがスポーツタイプの車によく使われる色だという事に女子は関心があるはずもなかった。美恵が助手席に座ったので健太は秀平が運転席のシートバックを前に倒してから身体をかがめて後部シートに乗り込んだ。トレノは2ドアのクーペタイプなので後部座席は前のシートバックをフロントガラス側に倒す面倒な操作があったのだ。秀平は助手席のドアが閉まっているのを確認してシートバックをもとの位置に戻してから運転席に滑り込む。シート全体を後ろスライドさせてシートバックの傾きも微調整した。「シートベルトしてね」と秀平は言って自分もシートベルトのバックルをカチッと差し込んだ。イグニッションキーシリンダーにキーを差し込みクラッチペダルを踏んでエンジンキーを回すと2TGが機械的な音を出して作動した。秀平は手動のハンドルをちょっと回して顔をだして母親に「じゃあ行ってきます」と挨拶をしてからアクセルを踏みゆっくりとクラッチを繋ぐとマフラーからDOHCの乾いた音を出しながら、発進した。「健太の部屋はクーラーがついているけどこの車は自然冷房だからね」と秀平は言って後部シートの三角窓も開けるように健太に指示した。助手席の窓は半分くらい降りている。女子に風ががんがん当たると髪や服装がはだけるのでは無いかと思って秀平が前もって調整していた。想定していた3人の並びだった。想定外なのは美恵が浴衣を着てきた事だ。秀平はいつものジーンズに麻生地の長袖の開襟シャツの袖をまくっている、健太は半ズボンにTシャツといういで立ちだった。日は落ち掛かっているとは言え7時過ぎの車の中は暑い。しかし車が走っている時は2枚のドアの窓から風が入ってきた。ふといい香りがするのに気付いた。それは秀平の隣の方からだ。風呂上り特有の石鹸と髪のシャンプーの成分が体温と車内の温度で揮発して美恵の全身から放出され漂っているのだ。そこに外気が美恵を通過して秀平まで香りを運んでいる。秀平は頭がクラッとしたが、いかんいかんと気を取り直して運転に集中した。車が信号停車になると風が止まって最悪だった。「先生、この車の乗り心地がゴツゴツしてる」と美恵が言い出した。「これはね、モータースポーツのベースマシンで使われるような車だからね。こんなもん」と秀平は説明する。「前の方からガーガーって音もうるさいよ」と又、美恵がクレームをつける。後ろから会話を聞いていた健太が「姉貴、祇園に連れてってもらうんだから文句ばっかり言うと帰りは置いて帰られるぞ」と健太からの助け舟でひとまず、クレームは沈静化した。宮本邸を出てから10分間の出来事である。祇園祭の会場は小倉城と道を挟んで市民会館がありその前が公園になっていてここに屋台が並んでいた。図書館の近くに駐車できるところを見つけて車を停めた。3人は車を降りた。秀平は助手席側に回りドアを開けると下駄をはいた足がすっと伸びてきて両足をそろえて降りるような格好になった。健太は美恵が降りたのを確認してから、助手席のシートバックを倒してシートを前にずらしてから降りてきた。さすが健太、状況の飲み込みと気配りが人間として成長したなと思って一連の動作を観察していた。三人並ぶのは初めてだった。健太は最初に会った3年前から15cmくらい大きくなっている。秀平と変わらない。美恵は母親に似ていて中肉中背といったところで下駄を履いていても秀平とは10cm以上身長差がある。三人は屋台のある公園に向かって歩き出した。秀平が「恵美ちゃん、だいたいあの先生って呼ぶのはやめてっちゃ」と普段は殆ど使わない小倉の方言で言った。「先生、じゃあ何て呼ぶの。秀平さん?小笠原さん?小笠原君?」と少しむきになったような言い方で美恵は答えた。秀平は心の中で俺を小笠原君と呼ぶのは槙ちゃんだけだと何故か思いだした。むきになる美恵も可愛いなと思いながら「さんづけでいいんじゃない」と言った。「それなら秀平さんね」と美恵が言うので秀平は「名前じゃなくて苗字の方」と秀平は強い口調で言う。そんな二人のやり取りを健太はニヤニヤして見ている。そんな会話をしながら、5分ほど歩くと人が多くなり、ざわざわ音も大きくなった。7時半に公園に人をかき分けたどり着いた。とりあえず店を見て回る。すると健太が箸巻きを見つけ食べようと言うので3本買った。3本を受け取った秀平は健太と美恵に1本ずつ手渡しする。美恵に渡す時に美恵の指が秀平の手に触れた。その瞬間いつか経験した槙ちゃんの手が触れそうになった時の場面がフラッシュバックした。秀平は又反射的に手を引っ込めた。車の中ではクレームばかり言っていた美恵を見ると髪の毛は高校を卒業してから伸ばしていて今は肩の下まである。今日は浴衣に合わせて髪を二本の三つ編みにしてそれを上に束ねて持ち上げたところに花飾りのついたピンで留めている。箸巻きを食べながら歩いた。祭りだから食べるけど、中身の無いお好み焼き見たいな味だった。箸巻きを食べ終わったので秀平は健太と美恵の箸を受け取ってごみ箱を見つけてその中に捨てた。美恵から箸を受け取る時はなるべく手が接触しないように汚い物でもつまむような状態になった。美恵は怪訝そうな目つきをしたが、時はそのまま通り過ぎた。もう少し川よりに歩くと美恵が風船釣りをするというので3人分の代金で1000円を渡して400円お釣を受け取った。健太と美恵が座り込んで紙縒りの先につけられたS字型のフックで水に浮かべた風船を括っているゴムの小さな輪っかを狙っている。美恵が「あらっ、悔しい。もうちょっとだったのに」と吊り上げかかった風船が水中に落ちてしまった事をしきりに悔しがるので秀平は自分が持っていたフックのついた紙縒りを美恵に「ほーら。と言って」手渡した。秀平がしまったと思た時には遅かった。秀平の指が美恵の指と完全に重なってしまった。美恵はどう感じたかは分からないが、秀平の方は指とは言え柔らかく、温かい皮膚に接触して、動揺している事を知られたくないと感じた。元とはいえ家庭教師の先生と生徒の関係だ。なんかまずいと秀平の心のブレーキが作動する。確かに美恵の浴衣姿は輝いて何かのエネルギーを発散している。突然ドンドンドンドーンと合図の打ち上げ花火が上がり、川辺に設置されたたくさんの筒から花火が上がり始めた。時計を見ると8時を過ぎている。花火の音がする方向に顔を向ける形になるが、同じ姿勢を続けると首が痛くなる。秀平達のいる場所が花火を打ち上げる場所の真横に近かった。たぶん秀平の実家でも宮本家からでも花火は見えている。花火が上がるたびにほとんど遅れもなくドーンと音と振動が伝わってくる。全身で感じる花火だった。川からは涼しい空気が流れ込んでくる。祭りの賑わいの真ん中にいるのにその空間から三人だけが抜け出して存在している感覚にとらわれている。この美しい瞬間が永遠になればいいのにと思ったのは秀平の繊細な感性を表す一面だった。秀平は普段はつけない腕時計を見た。既に9時前になった。美恵は大学生だから少し遅くなってもいいが健太は高校生だから早めに送り届けようと思って秀平は「よし、帰るぞ」二人に声をかけた。本当はもう少しこの楽しい時間を続く事を望んだ秀平なので自分に対して言い聞かせる言葉だった。3人はトレノの待つ場所へ歩いて戻った。来た時の様に乗り込み秀平はトレノをスタートさせた。宮本邸に戻ったのは9時10分、予定の範囲だった。トレノが家の前で停車するとすぐに母親が玄関に出てきて美恵と健太を出迎えた。どうもトレノが近づいて来た事がエンジン音で分かってしまう様だ。秀平が先に車から降りて、美恵と健太が降りてくる。母親が近づいてきて「今夜はありがとうございました」と言って頭を軽く下げた。秀平は「美恵さんのボディーガードを無事に終わりました」と答えた。美恵と健太は「弱そうなボディーガード」と言って笑った。「健太君、来週の火曜日ね」と言うと美恵が「先生、健太をよろしくね」と言って手を振った。先生と呼ぶのはやめてと思いながら秀平は車に乗り込んで自宅に向かった。翌週からも火曜日と金曜日は宮本邸で健太の家庭教師を続けた。金曜日は帰りが9時半頃に三萩野に行く交差点を横切って自宅にむかうのだがいつも三萩野方向が騒がしい事に気付いた。人がたくさんいる気配がするし、車のマフラーから出される爆音とタイヤのキキキキキーとなく音が聞こえる。興味本位で近寄った。インターチェンジの先が国道10号線方向と南区、小倉駅に行く分岐の交差点だった。そのインターチェンジを過ぎて交差点に進入すると、信号も何も無視して車が走り回っている。暴走族だった。パトカーや警察もいるが走っている車とそれを見て煽る群衆が一体となって異様な空気なのが分かる。治安のいい日本の中にできた無法地帯だった。秀平は暴走する車を避けて交差点を左折して群衆がいる歩道の前で停車した。トレノに乗った秀平がこの交差点に進入してきただけで群衆が拍手で出迎えるのだ。暴走車両と間違えている。秀平は車を降りてしばらく暴走車を観察した。車はサバンナRX3、トレノ、レビン、ギャランFTOGSR、ランサーGSR、フィアットX1/9、トランザムというスポーツタイプの車が交差点で区切られた四角いエリアを一方向に周回している。群衆の多いところに来るとスピンターンをして方向を変えて、又周回に戻るという事をしていた。細かいルールなどは有るはずがないので車同士がぶつかるし、技術が未熟なドライバーは横転するし、中にはコーナーのドリフト中にワイドタイヤが外れて飛んでいくような事故も起きている。一番迷惑しているのはタクシーの運転手で暴走車を避けて右往左往していた。そんな様子を眺めていた秀平に若い女性が近寄ってきた。見るとTシャツに下はショートパンツ、如何にも自宅でくつろいでいた服装だ。秀平は股上の深いジーンズをサスペンダーで吊り上はコットン生地で生成りの長袖開襟シャツを腕まくりして着ている。靴はコンバースのバッシュで黒のオールスターといういで立ちで髪の毛は肩につくまではいかないが少し長めでセンターでバサッと分けている。その若い彼女は秀平をどのように思ったのか「ねえ、走らんと?」と聞いてくる。「ええ、俺、暴走族じゃないよ」と答えた。「でも、車ここにあるやん」とトレノを指さす。小倉弁丸出しでそれも友人にしゃべるような話し方だ。「こんな無秩序なところ危ないよ」と秀平はしり込みして言った。するとその子は「乗るよ」と言って助手席にさっさと乗り込んだ。秀平は仕方なく、強引だなと思いながらも運転席座りシートベルトをしてからトレノを走らせる。「シートベルトしろよ」と秀平は彼女に言ってUターンして暴走車に合流すると群衆から拍手が起きている。クアクセルを踏んでクラッチをポンと繋いでやるとタイヤがスリップしてキューという音と共に白煙が出る。そのまま左回りに走ってコーナーに突っ込むときはギヤを手前でシフトダウンしてコーナー出口でフル加速してドリフトまではいかなくても派手に見える走り方で1回走って元の場所に戻って停車した。すると彼女は「どっか、行こう」と言う。彼女は20歳前後に見えてちょっと可愛い顔をしていた。観察していると悪い奴でもなさそうなので提案を受け入れる事にした。秀平はトレノを南区の方に走らせた。暴走車にぶつからないように交差点をうまく抜けた。そのままカルスト台地のある山の上に向かって一気に走った。車の窓は運転席も助手席も半分くらい窓を下ろしている。山道を登りだす外気の温度が下がってひんやりしてくるのが風で分かる。目指す駐車場に着いた。車がまばらに何台か駐車している。秀平が運転中は、彼女はずっと暗い窓の外を見ていた。天気は良かったので山を上り始めてからは遠くの街明かり見えて奇麗だった。駐車場に着いてから秀平は好きな天文の話をしだした。フロントウィンドウ越しに見える星の話をした。山の上なので邪魔な明かりがなく、普段は肉眼で気づかない星を恐ろしいくらいたくさん見る事ができた。北斗七星からカシオペア座、はくちょう座、こと座など形を指さしながら秀平は得意になって説明しても彼女はなんだか関心を示さない。突然彼女の口が開き「ねえ、なにもせんの?」と発言した。秀平は頭のどこかに期待があったかも知れない展開だ。それに彼女にとってこういうシチュエーションでの対応は心得ているという事なのかと思いながら、秀平は助手席のシートバックを倒すレバーに手が届くように上半身を彼女に覆いかぶせた。レバーに手が届いた。レバーを回すとカチッと音がして彼女の体重がかかるシートを後ろに倒した。彼女は車の天井を見てじっとしている。秀平は運転席のシートから助手席シートに移って本能に身を任せた。秀平が我に返ると名前も知らない彼女を抱いてしまっていた。競馬場のアルバイトの山本先輩からもらったお守りが役に立った。彼女を三萩野に送り届けた時は午前2時を過ぎていた。暴走族と群衆の数は減ってはいるがまだ騒いでいた。彼女は別れ際に電話番号を書いたメモを置いていった。秀平は自宅の電話を教えていないので、秀平から連絡する以外に彼女と再会する方法はなかった。翌日の朝刊を見ると地方版に夕べの暴走族に関する記事があり暴走車約60台でそれをあおる群衆が5000人集まって騒いでいたと書いてある。秀平は「俺、この中の一人か」と独り言を言った。7月の終わりの土曜日から小倉競馬場でのアルバイトが始まった。春と夏の小倉競馬は開催するので秀平は2年生の夏からアルバイトをしているので3回目になる。春の開催中のアルバイトが始待った初日に去年の夏に付き合っていた原智子との再会を期待していたが、もう彼女の姿はなかった。完全に去年の夏で終わったのだ。白く細い指だけが記憶に残っている。9月の1週目まで競馬場のアルバイトが終わった頃に三萩野で会った女の子に電話をした。名前を聞かなかったのでどう説明しようかと思いながらダイヤルを回した。「この間、三萩野の交差点でモスグリーンの車に乗っていた小笠原と言いますが、お嬢さんは・・・」と秀平が言うと「私よ私」と答えた。とにかくつながってほっとした。「俺、小笠原秀平。KK大学3年生って言ったよね」と言うと「聞いたよ、私は朱美」とだけ言う。まあいいかと思って土曜日の午後にデートの約束をした。約束の日に待ち合わせ場所にトレノで向かった。近くまで行くと歩道に朱美が見えてきた。もう一人女の子がいる。車を停めて秀平は降りた。「やあ、朱美さん」と挨拶をすると朱美は「これは姉さん」と言ってもう一人の女性を紹介した。二人を車に乗せて秀平は門司港に向かって199号線の海沿いをドライブした。秀平の好きな海が見えるコースだ。和布刈まで行き、海峡を行きかう船を見ながら歩いて、ソフトクリームを食べた。秀平は3人分支払うのはいつもの癖だ。どうも様子がおかしいし、お姉さんは朱美の素行を見張っているとしか思えなくなった。お姉さんは秀平と朱美の噛み合わない会話を聞いているだけだった。後ろからついてくる。その時、秀平は有る予想をした。朱美はまだ高校生で、お姉さんはちょっとはみ出した行動をする妹がどんな男と付き合い出したのか、どんな男なのか値踏みをする目的でデートについて来たのではないかと思った。もしも朱美が未成年の学生だとすると秀平はとんでもない事をした事になる。これは危ない危ないと思って、夕方には車で送り届けてそれ以来、連絡はしなかった。結局、苗字や住所も知らない。行きずりの出来事、秀平にとっては不本意であり、軽率だと思ったが、逆に女性というものが分からなくなった。本当に好意を抱き好きになった相手でも時には振り向いてくれてもその先で突然終焉を迎え、全く気付かずに通り過ぎるだけの人もいるし、本能だけの出会いで終わる場合もある事がとても不可解だった。すぐに10月となり、バンド活動ができるのも3年生までと思っていたので最後の演奏になると予測していた。4年生は卒論の研究に入ると実験やデータ解析でスケジュールが詰まっている。メンバーの研究室も異なり集まる事が難しいからだ。学園祭がやってきて今年はおでんにするかぜんざいにするかで迷った結果、餅つきをしてぜんざいに入れるという企画になった。もちろんでばがめ赤松の取り仕切りだ。秀平の守銭奴ぶりというかアルバイトのペースは変わらなかった。稼ぐのはいいが、貯めたお金使う暇が無かった。何か買うとすれば楽器があったが、海外製の高価な楽器はアマチュアの範囲では必要は無いと考えていた。模擬店の外ではガスコンロに蒸篭をのせて湯気が出ている。横には御影石の臼や杵がある。長テーブルも置かれその上には木製の餅箱や片栗粉も置いてある。もち米が蒸し上がると赤松が布巾の上にのったもち米の塊を臼に放り込む。「交代で餅をつけよ」と赤松が模擬店の支度をしているクラスメートに声をかけると臼の近くにいる者から杵を手に取って餅をつきだした。一人で杵を臼に向かって振り下ろし、赤松が時々バケツから水をすくって臼の表面にへばり着いた餅を引きはがしては塊の内側に丸め込んでいる。「次、秀やれや」と言ったのは河野だった。餅をついたことは無かったが杵を握り構えた。秀平は小さい時から右手も左手も使うのでどう構えたものか考えて、左手を前方に右手を後方にして杵の柄を握った。すると自然に左足を前にしてバランスをとって勢いよく杵の先端を振り下ろした。1発目は餅からそれて臼の半球状に凹んだ側面に当たって、その反動で杵の柄が左右に振れた。秀平は踏ん張って2発目を振り下ろした。餅の真ん中に命中、後は要領を得てうまくついていた。杵は人が変わってリレーのように作業が入れ替わった餅とぜんざいの準備ができた。秀平達は9時からテントの中でPA装置を設定した。演奏の準備にかかる。何度もしてきた手慣れた作業だった。1曲演奏してミキシングやマイクロフォンの位置を調整した。10時ごろから人が集まりだし、午後になると模擬店が並ぶ通りは大勢の人が珍しそうに中の様子をうかがっていく。秀平達のアフタースクールは午前中2回演奏し、午後からも2回演奏をした。秀平はTVのコマーシャルとかで一瞬流れるCMの曲とかもギターで音を拾って演奏する事があった。河野や岡村に内緒でいきなりスカイラインの歌とかイントロを途中まで演奏して、中断する事をよくやった。聴衆の方は最後まで聴けるのだという前提を中断されると「あ~」と声を出して残念がると同時に笑いも誘う事ができてそれが面白かった。フェイントだ。実際にイントロはアコースティックギターで同じコードでも開放弦の音をうまく響かせカッティングもかっこよかった。2回目の演奏が終わってテントの外に出ると、女子高生が2人近寄ってきた。そのうちの一人が「秀様、できたら連絡先を教えてください」と言った。秀平はえっと思い、「俺、小笠原秀平。3年生」と咄嗟に口に出た。いつもの口調だ。「どうして俺の名前知ってるの?」と秀平は疑問をぶつけた。するともう一人の女子高生が「私が野口さんに家庭教師をしてもらっていて、学園祭に来たら、この子が小笠原さんの事を知りたいと言い出したので野口さんから聞きました」と説明した。小笠原に説明をした女子高生は秀平に向かってその友人の背中を押した。秀平に近づいた女子高生は「私はYH高校の三年生で大谷良子です。野口さんから名前は聞きました。野口さんが秀と呼んでたので秀様と呼んでいいですか?」と言う。秀平は「まあ、いいけど。秀様は少し恥ずかしいな」と答えた。今年は中央ステージでの演奏は予定していなかったのでバンドの演奏場面も少なかった。この日に秀平は大谷良子と連絡先を交換してそれからは時々会う様になった。しかし秀平には躊躇があった。8月の三萩野の事件があったばかりで、又女子高生に近づいていいのだろうとかという迷いと彼女自身が大学進学を控えた受験生だった事に起因していた。秀平は勉強を教える訳にもいかず彼女との接し方に悩んだ。基本的に秀平からは電話連絡しないようにして、彼女の都合にすべて合わせる事にして勉強への負担をかけない事にした。12月も終わりになって二人とも冬休みのある日の午前中、彼女から電話があり、「もしもし、秀様、私新しいレコードを買ったから今から遊びに行ってもいい?」と言う。秀平は「今日は寒いし、部屋にいるから来てもいいよ。カセットテープに録音してやるよ」と言って電話を切った。午後1時過ぎになってから大谷良子は訪ねてきた。玄関のチャイムが鳴るので秀平は玄関のドアを開けると濃紺のダッフルコートを着た大谷良子がレコードの入ったバッグを持って立っていた。秀平の家族はたまたま明日まで不在だったのでとりあえず炬燵のある部屋に二人で入った。「寒かったろ。飲み物いれようか」と言ってアルコールランプとサイフォンを準備し、コーヒーを入れた。部屋中コーヒーの香りが充満して喫茶店の様だ。大谷良子は砂糖を入れたが、コーヒーを飲んだ。秀平は普段通りにブラックで飲む。大谷良子は人気の女性シンガーソングライターのアルバムを出して「私、これを買ったので秀様と一緒に聴きたいと思って」と言う。カセットデッキに新しい4トラックのテープをセットし、レコードプレーヤーのターンテーブルの上に良子から受け取ったLPレコードをそっと置いた。針がついているカートリッジを曲の初めの位置に置き慎重にカートリッジがついているアームを下ろす。シャカシャカと軽い音の後に曲が再生される。曲が出る前にカセットデッキのポーズを解除するこれで録音開始。新譜を聴きながら良子は最近身の回りであった事とか話している。秀平は聞き役になる事が多い。秀平は「受験勉強はうまくいってる?」と聞くと良子は「できる事はやってる。疲れると秀様に電話したり、会いに来たりしているの。」と言う。二人は小さな炬燵の一辺に並んで座っている。ステレオから音楽が流れ時間が過ぎていく。冬の夕暮れは早い。外が暗くなりかけた頃、良子は眠いといい秀平に寄りかかってきた。秀平は良子が疲れているんだろうなと思ってそのまま肩を動かさないようにしていた。するとだんだん良子の身体に力が抜けてきていよいよ秀平に体重をかけている。すると秀平の左腕に何か柔らかい塊が触れている事に気付いた。秀平は思わず横にいる大谷良子の顔を覗いた。目をつぶっている。普段は二重瞼で大きな黒い目しか見た事が無かったが、すごくまつげが長くかわいい顔をしているなと改めて感じた。こんなに近くで顔を見なかったからだ。秀平の手が彼女の胸にのびた。着ているタートルネックのセーターの上から大きく膨らんでいるあたりに止まった。ちょっと指先でセーターの上から触れてみると彼女は動かない。手のひらで強く推すととても柔らかい。危うく本能に支配されそうになった時、またしてももう一人の客観的な秀平が出てきて、危ない危ないと言っているのが聞こえる。そこで秀平の手の動きは止まった。よかった、冷静になれそうだった。第二の三萩野事件を引き起こすところだった。ぎりぎりのところで踏みとどまったと秀平は思った。しかしその時に彼女が何を考え、何を望んで来ていたのかは知る由も無い。年が明けてからも何度か彼女から連絡があり、トレノで迎えに行き、若松の海岸線や小文字山の展望台で散歩をしてから家に夕方までには送り届けるという過ごし方をした。2月になるとさすがに彼女からの連絡は途絶え、夜は家庭教師に行っている門司の受験生の追い込みに集中した。3月になって平田邸の兄平田雄一は志望校である文科系の難関国立大学に合格し、妹平田亜由美もMJ高校に合格した。秀平は平田邸に行く時は夜7時から11時過ぎまで勉強を見ていた。帰りに小倉の旦過市場を通るので屋台のおでんとうどんを食べて帰宅する事がルーティーンになっていた。秀平は家庭教師に自分の時間とエネルギーを費やしているのはどうしてだろうと思う事があった。それは親に押し付けられとしても勉強を教わる方と教える方が共有できる目的が明確にあった事が大きいと結論を出していた。秀平自身の後期試験は予定通りに単位を取得し、4年生への進級が決まっていた。春休みになっていたので昼間は自宅にいる事が多かった。3月の終わりになって大谷良子から連絡があって秀平の部屋に来た。久し振りにこの部屋で話をする。良子は大学に合格して4月になったら関西へ行くと言う。どこの学校とか何を学ぶとか何をしたいのかとかを話題にした事がなかった。彼女は秀平に貸したままにしていたあのLPレコードを持って帰った。思い出の夕方に録音したカセットテープはあの日に彼女に渡してあった。「秀様、4ヶ月の短い時間だったけどありがとう。じゃあ私行く」と言って玄関を出た。秀平は「良子ちゃん、最後に教えてよ。何故、俺の事を秀様と呼んでたの?」と質問をした。「それは秀様が私にとって王子様だったからです」と答えて踵を返すとそのまま歩いて行った。秀平は良子の後ろ姿に向かって「頑張れよ。じゃあまたね」と告げて右手を軽く上げた。良子の姿が視界から見えなくなって手を下ろして「王子様か」と独り言を言って、自分に足りないものが少し見えたような気がした。外の空気はだいぶ肌に優しくなってきた。4月になって秀平達は4年生、一緒に入学したクラスメートの1割ほどは進級できずにいなくなったが顔を知らない上級生がその代わりに留年していたのでクラスのトータルは変わらなかった。河野も博多から戻って来ていつもの大学生活となった。秀平はN電機のPショールームには時々行って新譜のレコードをチェックして聴いていた。いつものように1階の受付を通って階段を上がり2階に着いた。受付を見ると槙ちゃんがいる。秀平は普段通りに「こんちは、気候がよくなったね」と声をかけた。「小笠原君、なんか久し振りね」と言う。「3月は一人で何度か来てレコードを録音したよ。」と秀平。「小笠原君、相談があるんだけど」と槙ちゃん。秀平は槙ちゃんの『小笠原君』に弱い。「槙ちゃん、何?」と秀平。「1階のショールームで若い人向けに料理教室をやるんだけど、余興にミニコンサートできる?」と槙ちゃんからの依頼があった。持ち時間は30分くらいでショールームにあるPA装置を使っていいという。「おまけがあって、小笠原君たちも一緒に展示室の料理機器を使って料理に参加して欲しいの」と言う。秀平は迷わず「いいよ、やるよ」と返事をした。この話をバンドのメンバーに話すと河野は乗り気でOK、岡村は仕方ないなみたいな態度だったが、OKをとりつけた。約束の当日は午前中からPショールームに行った。秀平にはやりたい事があった。料理教室は午後からだった。河野と秀平は必要なPA装置を選択して、2階の人がいない小さなホールでセッティングを始めた。Pブランドの本格的なPA措置だったので河野はPショールームのエンジニアをつかまえて操作を習っていた。マイクロフォンからの音だしでバランスを確認すると秀平と河野と岡村は1曲IYで能古島を歌った曲を歌とギターのコード演奏でカセットテープに録音し、本番ではテープの音を流しながら生演奏を重ねて録音しようとしていた。準備が整い、1階にPA装置を移動させた。午後からは秀平達は槙ちゃんから手渡された首からかけるエプロンと頭には三角巾をして料理教室の参加者を待った。女子大生やいかにも結婚したての新妻風の人、30過ぎに見える女性若達がこのイベントに集まってきた。総勢20名程度にPショールームの女性スタッフが3人控えていた。2時になったので料理教室がスタートした。大山さんという年配のPSレディが本日の予定を説明しだした。「料理は電子レンジでクッキーを作るという事で材料のバター、グラニュー糖、卵、薄力粉、ベーキングパウダー、チョコレートを用意します」と秀平達のなじみのない材料の名前を言っていた。本来はオーブンを使うところを電子レンジで作るらしい事しか分からない。秀平達もエプロンをしているので大山さんの指示通りに作業していった。ステンレスのボールに粉やバターや砂糖を混ぜて電動ミキサーで撹拌した。後はチョコレートやフルーツを混ぜて生地を作りそれをステンレス製の型で押してクッキーの形にして電子レンジに入れていた。秀平達は生地を作るくらいしか手を出すところを無かった。出来上がると槙ちゃんがコーヒーと紅茶の準備をして耐熱ガラスのピッチャーにいれて持ってきた。それから参加者全員で試食会をした。通りかかかったビジネスマンやOLたちがその様子をガラス越しに見ては通り過ぎて行く。3時のおやつが終わると秀平達はエプロンと三角巾を外して演奏の準備をした。3人がマイクロフォンの設置された所にスタンバイする。バンマス河野が「テスト、テスト」と発生してPA装置の確認をして、「こんにちは。KK大学のフォークバンド、アフタースクールです。ミニコンサートをやらせてもらいます。クッキーは美味しかったですね。是非、N電機の電子レンジを使ってください。」と挨拶をして場を和ませた。「最初にIYの能古島を歌います」と言って今朝録音したテープを再生した。C7のストロークを合図に3人の生演奏を重ねる。録音した演奏は秀平がメインボーカルを取っている。サビの部分の音が高いからだ。生演奏では3人で同じ旋律を歌いだした。ユニゾンでの合唱になるが各自、声の質が違うので事の幅は感じられる。いよいよさびにきた。オリジナルの曲にも楽譜にも無いコーラスをつける試みをした。秀平は上の音で河野は下の音で岡村は主旋律を歌った。ハモっている音が分厚く聴こえる。間奏になった。この曲のオリジナルはデキシーランドジャズスタイルで管楽器のソロが入るのだが、岡村は録音とは異なるハイコードを正確なリズムでカットしている。秀平と河野が視線を合わせた後、アドリブでギターソロを始めた。秀平は4フレットと6フレットで音を組み合わせて思いついたメロディーを弾き始めた。河野は秀平のギターのポジションを見てから9フレットと11フレットの位置で感性に任せて弾いた。秀平は音を合わせそこなうと、弦を素早くチョーキングして音を上げてしのいでいく。いくつかスケールを間違えた。そのたびに河野が秀平の方をちらっと見る。いわゆるツインリードというのをやった。音楽を全身で感じている瞬間だった。歌に戻る寸前に秀平と河野は視線を合わせる。ギターはコード演奏に戻り、歌が入り、3部合唱を混ぜ、最後は秀平の高音で終わる。小さな拍手が起きる。アフタースクールの3人は3年前とは確実に変わっていたのと同時に3人で演奏する時がもう無いのではないかという事も感じていた。後の曲は生演奏のみで秀平の好きなGRの曲、ビートルズの曲を合わせて4曲演奏してミニコンサートを終了した。料理教室も解散となり参加者は引き上げて行った。秀平達は使ったPA装置やギターを片付けていた。3人のPSレディ達も料理に使った容器やカップを片付けている。河野が「さっきの演奏、録音したばい」と言う。朝の録音演奏を再生しながら生演奏をかぶせた多重録音をしていた。秀平は宝物ができたと思っていたら、槙ちゃんが近づいて来て「河野さん、岡村さん、小笠原君、今日は本当にありがとう。とってもうけていたね。」と言った。バンマス河野が「おかげで、料理ば含めて面白かったばい」と笑顔で答えた。岡村は横で頭を少し下げて、俺も同じという表現をした。秀平は無事に終わってほっとしながら、「いつでも引き受けるよ」と調子よく返事をした。季節は4月の中旬、春の空気があたりに充満して乾燥した風が色んな花や緑葉の入り混じった臭いをばらまいていた。4年生の秀平は大学では研究室に入って卒業研究をして卒論を書いて合格する事が残された単位だった。教養棟での講義もないし、何よりも生活の中心が所属した研究室の教授や講師や大学院生達と実験や外国語の論文を読んでディスカッションする初めての環境の中にいた。キャンパスではクラスメートと会うのは昼休みくらいで昼食も以前のクラスメートと一緒にはならなかった。秀平の心には隙間ができていた。家庭教師のアルバイトは宮本家の健太が高校2年生で継続していたが、親戚の中学3年生の女子を見てくれという依頼があって引き受ける事にした。何故か秀平が勉強を教える子は女子が多かった。一般的に男子に比べて女子の方が精神年齢が高いと言われるが20歳過ぎた大人の大学生と対等以上の対処ができる女子を観察してきたので確かにそうだと秀平は思っていた。5月の連休を前にした頃になって秀平はN電機のPショールームに行った。いつものようにレコードが置いてある2階に行った。受付には槙ちゃんがいた。秀平に気付いた槙ちゃんが「小笠原君、このあいだはお疲れ様。今日は何?」と聞くので「新譜のレコードを見に来た」と秀平が言うと「ウェザーリポートとかいいよ」と答えた。「じゃ聞いてみる」と言って秀平はレコードの場所に行ってヘッドフォンで聴きながらカセットテープで録音していた。すると槙ちゃんが秀平の方にやって来て秀平に対してジェスチャーでヘッドフォンを外してというような動作をするので、ヘッドフォンを耳からずらした。「小笠原君、4年生だね。何をするのか決めた?」と聞く。「俺、大学院に行く。そのつもりで1年生からやってきたから」と答えた。いつもと雰囲気が違うので槙ちゃんの質問に秀平は時間が2年前に戻ったような気がして、半分冗談のつもりで「コーヒーでも飲みに行く?」と聞いてしまった。あっさり「いいよ。何時でも」と予想外の返事が返ってきた。「じゃあ土曜日の午後、槙ちゃんの仕事が終わってからの時間でどう?俺、今車持ってるからそのまま家まで送って行くよ」と秀平は提案した。今週の土曜日に槙ちゃんと会う約束をした。小倉の繁華街は駐車場が少ないし、有料の駐車場は高いので小倉の町中に行く時はいつもバスを利用していた。約束の土曜日が来て秀平はトレノに乗って小倉の繁華街に向かった。N電機はオフィスビル街の一角にあり、ビルの横には有料の駐車場があったのでそこに駐車した。Pショールームの前で槙ちゃんを待った。2時ごろになって槙ちゃんはPショールームの従業員出入り口から出てきた。トレノを残して繁華街にあるいつぞやの喫茶店に向かった。15分くらいは歩いた。喫茶店に入り、ウェイトレスに先導されてウィンドウ側の席に向かい合って座った。ウェイトレスは一旦、テーブルを離れるとすぐに水の入ったデュレックスのグラスを2個テーブルに置いて注文を受ける態勢になっている。「俺はブレンドコーヒーをブラックで、槙ちゃんは紅茶でいい?」と秀平は槙ちゃんに確認をするとうなずくのでウェイトレスはそれをメモして引っ込んだ。「2年ぶりだね。ここの店」と秀平が言うと槙ちゃんは「そうね。2年ね」とオウム返しに言う。秀平は「そういえば、槙ちゃんは前から俺の人生に対する姿勢に関わる事を聞くよね」と今週も聞かれた事を思い出しながら言った。「そうね。小笠原君を見てるといつも飄々としてて、何か聞くと何でも答えて、音楽も詳しいし、大学卒業してどういう社会人になるのかなって先輩として気になってた」と槙ちゃんは言う。「ちょっと待って、その先輩って、同級生だから、気になる存在だけでいいよ」と秀平は言い返した。「私は3月生まれだけど、18歳で就職しているから社会人として先輩だよ」と説明した。コーヒーと紅茶がテーブルに置かれた。槙ちゃんは紅茶に砂糖を入れてスプーンで混ぜている。どこかで経験した風景だと秀平は思った。秀平は以前から心地いいなと感じたその時はその場面を前にも経験したことがあるように感じる事がよくあった。秀平はコーヒーを一口飲んでから「俺は7月生まれだから俺の方が年上だよ」とは言ってみたものの、槙ちゃんに限らず、女性に対して何の抵抗の手段にもならないのは分かっていた。喫茶店の外に出た時は3時を過ぎていた。支払いはいつものように秀平が終わらせると「ありがとう」と槙ちゃんは言うのも以前と変わらない。歩いてトレノを停めているN電機の近くまで戻った。二人で料金所の横を通り、トレノの前で止まった。秀平は運転席側のドアを開け上半身を車内にかがみこむように入れると助手席のドアをロックしているドアロックピンをカチッと押し上げてから車の外から助手席のドアに回り込んでドアを開けて槙ちゃんに乗るように促した。シートの前後位置が窮屈過ぎないか気になったからだ。槙ちゃんも結構、背が高かった。秀平はエンジンをかけ、料金所で料金を支払ってから道路に出た。左折して少し走ると「小笠原君、暴走族みたいなこの車なんていうの?」と聞くので「トレノっていう車だよ」と答えると「変な名前ねえ」と言った。「スペイン語」と短く秀平は運転しながら答えた。槙ちゃんの家は八幡の方だったので国道を福岡方面に走り途中で帆柱山のケーブルカー乗り場がある方角に左折して少し山を登っていく。ケーブルカーの乗り場がある駐車場に着くと今登ってきた斜面の方に車の前方を向けてエンジンを切った。そのまま車内からでも下界の夕暮れの景色が見える。ケーブルカーに乗って上まで行く事にして二人で乗り込んだ。シートは山を登る角度に合わせて水平になるように階段状にしてあるのに合わせて床も階段になっている。空いているシートに腰かける為に歩くのに姿勢が少し前屈みになって不安定になる。秀平はさりげなく、槙ちゃんの手を握って支えた。5分も乗ると山頂に着いた。ケーブルカーを降りて展望台まで歩いた。二人はずっと手を繋いでいる。駐車場よりも高い所にあるので八幡の町並みや工場、その先に洞海湾や赤い吊り橋がオレンジ色の夕暮れ色を背景にして見える。しばらくそこで過ごした後、暗くなる前にケーブルカーに乗って駐車場に戻った。車に乗り込んで登ってきた道を降りて行った。県道に突き当たりここで左折して直進する。20分で槙ちゃんの家に近づいた。槙ちゃんの家の前の路地につながる手前で駐車できるスペースを探して秀平は車を停めた。そこから二人で歩いて槙ちゃんの家に向かった。数分で門の前に着いてしまった。時計を見ると7時前で夕焼けがまだうっすら残っているのが分かる。槙ちゃんの家は閑静な住宅街の中にあった。今日は帰らなくてはいけないと思った瞬間、秀平の手は槙ちゃんを抱き寄せていた。そのまま顔を下に向けじっとしている槙ちゃんの唇にキスをした。彼女は眼を瞑って顔を上に向けた態勢になっている。そのまま二人はじっとしていた。時間が止まって欲しいと思ったのは秀平だけなのか槙ちゃんの心までは読めない。どのくらいの時間が経過したかは分からなかったが、やがて槙ちゃんは秀平の両腕からすーっと抜けて背中を向けた。秀平にはスローモーションの様に長く感じたが、実際には1分間の出来事だったのかも知れない。槙ちゃんは「今日は送ってくれてありがとう。暴走族さん、これからもよろしくね」と言ったので秀平は「はい。暴走族、また連絡します」と返事をした。後ろ髪をひかれるとはこの様な事なんだと思いながら、秀平は車に戻った。両手に槙ちゃんの体温を感じながら自宅に戻った。それから秀平は大学での卒業研究に取り組みながら大学院の試験準備を進めた。日本社会の経済は高度成長時代であったが、秀平が大学に入ってからドルショックというアメリア発信の経済のバランス調整やオイルショックという出来事があり、日本の経済は大きく影響を受けた。特に新卒者の就職が厳しい環境になっていた。就職希望者が求人名簿を見ながら就職活動をしている時に秀平は大学院進学の受験勉強を続けていた。大学側は世の中の変動に対処して夏休み前に大学院の入学試験を行う事を決めた。日曜日には槙ちゃんとデートをするという生活に慣れていった。二人きりでいると槙ちゃんは秀平に甘えてきた。つないだ秀平の手の平をくすぐったり、並んで歩く時は秀平の左腕にぴったりくっついてきた。そのうち槙ちゃんの自宅におじゃました。槙ちゃんには3歳上のお姉ちゃんがいた。槙ちゃんが小さい頃にお父さんとお母さんが離婚して姉妹は父親が引き取って育てたという。秀平自身も父親が放蕩を初めて家を出たままだったから、槙ちゃんと似たような環境だと思った。槙ちゃんの性格が強そうに見えるのはそんなところからきているのだと秀平は槙恭子が少し理解できた。その日は父親が仕事で不在だったのでお姉さんが作ってくれた夕食を3人で食べた。お姉さんと槙ちゃんは食事の後片付けをして7時になった。2階にある槙ちゃんの部屋に移動した。2階に続く階段を上ると和室2部屋の和室が向かい合って並んでいた。玄関の上の部屋が槙ちゃんの部屋だった。畳の上にベッドと小さいテーブルが置いてあって、洋服箪笥と女子らしいドレッサーが壁際に置いてあった。手をつないだまま二人並んで背中からベッドに倒れこんだ。ドスンと音がしてマットのスプリングが上下した。しばらく天井を眺めていると「母とは小さい時に離れ離れになったけど、時々連絡を取ってる」と槙ちゃんがポツリと言った。秀平自身は自分のプライベートは人には話した事は無い。秀平は急に槙ちゃんが愛おしく思えて仰向けになっている姿勢を反転させて槙ちゃんを抱きしめた。そのまま目を開いたまま唇を重ねていたら槙ちゃんが顔を横にずらしてから「ねえ、小笠原君の目、近くで見ると可愛い」と槙ちゃんが声を出した。「よく、言われる」と目の前にある槙ちゃんの顔を見ながら答えた。「小笠原君の目は奥二重だね」と言ってクスクスと笑う。「へー、他にこんなに近づいて小笠原君の顔を見る人がいるんだ?」と槙ちゃんがちょっと絡んできた。「それがね、不思議な事に男、中学の時から教室で俺の後ろの席にいる奴に消しゴムとか貸すのに後ろを向いた時に小笠原、お前のその目がかっこいいなって言う奴がいたんだ」と弁解をした。槙ちゃんの目は二重でどちらかと言えばきりっとしている。鼻が小さく少し上を向いていてシャープな感じを与える。秀平は槙ちゃんの上の服のボタンを外していった。槙ちゃんは身を任せている。ブラジャーのホックを外した。白い乳房が露わになった。秀平も上半身裸になりそのまま身体を密着させた。槙ちゃんの体温と、白く柔らかい二つの乳房を通して心臓の鼓動までが秀平に伝わってくる。そして手の平で触れたピンク色の乳頭は美しい突起として秀平の脳裏に焼き付いた。二人は互いの体温を感じながらそのままじっとしていた。槙ちゃんも何も言わない。秀平にとっては手を伸ばせばもっと先に進む事ができたのに何故か今まで大切にしてきたものが壊れる様な気がして怖くて動けなくなった。静寂の中でうとうとしながら30分位経って、槙ちゃんが上半身を起こして服を身に着けだした。それを見て秀平も服を着た。独身女性の部屋に遅くまでおじゃまするのもおかしいと思って秀平は「今日はもう帰るよ」と切り出した。槙ちゃんは「うん、私のおっぱいなかなかだったでしょ」と笑みを浮かべながら冗談めいた口調で言った。「世界一奇麗だった」としか秀平は答えようがなかった。本当は比較するほど知らないのに。6月になって大学近くのバイパスをトレノで走っている時に、スピード違反で警察に捕まった。ネズミ捕りで車速を計測されて30km/時を超えていた。そこのバイパスはよく取り締まりをする場所と認識して注意していたのだが、その時は設置されたオービスに気付かずにアクセルを踏んでいた。今までに駐車違反やなんかで5点減点の状態で6点減点が追加され、60日の免停、略式裁判と警察の講習を受けても30日は運転できない状態になった。罰金3万円も収めた。大学には以前の様にバスで通学すればよかったが槙ちゃんと会いたい時に会えなくなった。そこで槙ちゃんの提案で秀平が大学に行かない予定に合わせて槙ちゃんが土曜休みを取り国鉄の駅で待ち合わせる事にした。秀平は自宅を午前中に出て国鉄で黒崎駅に向かう。黒崎駅のホームに降りると槙ちゃんが迎えに来てくれていた。秀平はすぐに槙ちゃんを見つけて手を上げてから近づいて行った。槙ちゃんが先に「小笠原君、ご苦労様。迷わずに来られた?」と上から目線で秀平に言葉をかける。秀平は「子供じゃないよ。でも家を出てから2時間はかかってる」と答えて槙ちゃんの顔を見ている。秀平の視線をそらしてから出口の方を向くと槙ちゃんは「じゃあ、行こうか」と言って秀平の腕を引っ張る様に歩き出す。秀平にとって黒崎の街に来たのは初めてで右も左も分からない。槙ちゃんがこっちと言う方向にアーケード街を帆柱山のケーブルカーが見える方向に歩いた。「スピード違反で免停になってから、トレノは河野に預けてるから一ヶ月は運転しないよ」と言って槙ちゃんと会わなかった間の出来事をしゃべりながら5分ほど行ったところを右の路地に入り、女性向けの靴や服を飾っているショーウィンドーの向かい側にある2階の喫茶店に入った。その間、槙ちゃんは秀平の左腕に自分の右腕を回してずっとくっついている。喫茶店では昼食をとった。スパゲティと定食みたいなのを注文して二人で半分ずつ分けて食べた。食後にコーヒーと紅茶をいつものように飲んでから、予定していた映画を観に行った。観たのは大きな鮫と人の一騎打ちみたいな映画だった。映像では人が鮫に襲われたり、恐怖を演出する音響効果が時々入り客を驚かすような構成だった。槙ちゃんはずっと秀平の手を握ったままなので、恐怖で緊張した時は強く握ってくるのが分かる。そんな時、秀平は空いている右の手の平を槙ちゃんの手の上に重ねた。映画が終わって外に出ると日差しがもう傾いている。土曜日の夕方の駅前は人が多かった。槙ちゃんもバスで乗らなきゃいけないので早めに帰ろうという事になった。今度は秀平がバス停まで送り、槙ちゃんがバスに乗ってから「槙ちゃん、気を付けて。またね」とバスのシートに座ってこちらを見ている槙ちゃんに声をかけた。彼女は小さく手を振っている。バスが行ってから、秀平は国鉄の駅に向かった。帰りの列車からはケーブルカーで見た景色が間近に見えたが秀平の心の中に違和感があった。秀平は懸命に打ち消そうとするが、今日の槙ちゃんとのデートの満足感がの何か違う。秀平はその事については考えるのを避けた。秀平の免停は7月中旬までで大学の卒業研究も夏休みは関係なかった。それから槙ちゃんとは何となく連絡をせずに過ごしていると一通の封筒が届いた。宛名は小笠原秀平様、送り主は槙恭子と女性らしい文字で書いてある。手紙には「私の大好きな暴走族さんへ、小笠原君、しばらく会っていないので手紙を書きました。四月に小笠原君にミニコンサートを頼んでからはずっと一緒にいるような気がします。今年に入ってから付き合っていた彼とは事情があって別れた直後に小笠原君に会うとほっとする私がいました。小笠君は何も聞かずに私の頼み事や我がままを聞いてくれました。よかったらまた連絡下さい。槙恭子」と短い内容で書いてあった。秀平はもうすぐ22歳、槙ちゃんは社会人の同級生、このまま彼女の人生、全てを受け止める事ができるだろうかという事を考えて自分に自信が持てなかった。あれだけ好きだった槙ちゃんからこんな手紙をもらってもすぐに行動を起こせない自分が情けないとも思った。秀平はしばらく悩んだ末、手紙の返事は出さない事にした。何をしても彼女を傷つける事が想像できたから。秀平の頬を湿った何かが流れた。秀平のオーストラリア貯金は終わった。

第五章 Bメロ

秀平は翌年大学院に進み、環境は大きく変わった。クラスメートは就職する者、そのまま秀平と一緒に大学院に進む者、県外の大学の大学院に進む者とかで進路はばらばらとなっていた。ずっと続けてきたアルバイトで家庭教師をしている宮本家の健太が高校3年生となった。姉の宮本美恵は短大を卒業して北九州市内の銀行に就職をした。宮本家の親戚の中学3年の女子も志望校に進学した。勉強を見るのは健太だけになっていた。健太は志望の大学に合格して、下宿も決まった。秀平は大学院での1年生の生活が終わろうとする頃、母方の叔父さんが早く就職しろとしきりに言うので真剣に考えていた。槙ちゃんがいつか秀平に問いかけた何をしたいのか目的地が見えないのだ。3月になって大学院を辞める事にした。3月20日に叔父さんが紹介した八幡にある企業の追加募集試験を受けた。会社の規模は小さかったが、早くから海外に拠点を展開し、世界に通用する技術を持った企業だった。その叔父さんによれば、財務状態が健全で堅実な経営をしているらしいので将来性は高かった。世間は就職難の時代で追加募集試験には秀平を含めて大卒者が4人受験した。すぐに合格の連絡があり、あっさり就職が決まった。3月31日にトレノに布団とラジカセを積み込んで会社の寮に向かった。男子の新入社員は入社から一ケ月間に及ぶ合宿研修があるのだ。4月1日が入社式だった。同期は40名いた。男子30名、女子10名で全員での社員研修が1週間あり、その後は男子のみで合宿研修が続いた。一ケ月の社員研修を終えて修平は精密機械の設計を担当する部署に配属となった。すぐに5月の連休が来たのでこれを機に寮を出て小倉の実家に戻った。連休明けからは自宅から八幡にある会社まで通勤した。7月の中旬に土曜、日曜の連休があり、研修中に同期の仲間ができて慰安旅行をする事になった。男子4名女子4名のメンバーで1泊2日の日程で阿蘇に行った。メンバーの中から秀平ともう一人が車出しをした。秀平の車はモスグリーンのトレノでもう一台の車は普通のグレーのスプリンターだった。見かけは同じだったのでこっちの車の方が広くていいとか言って争う事はなかった。何となく男子2人、女子2人ずつがそれぞれの車に乗り込んだ。秀平は助手席シートのバックシートを前に倒して、女子2人を後部シートに導いた。「悪いけど足元にはモケットの生地の敷物があるから裸足になってね」と言った。「小笠原さん、意外にきれい好きなんですか?」とシートに座りながら浅尾由美子が言った。浅尾由美子は高校卒業で入社同期なので秀平とは5歳違う。2台に分乗して車は目的地に向かって出発したのは朝9時だった。国道を走りすぐに高速度道路に入った。秀平のトレノの方が目立つので先頭を走る。何かの理由で距離が離れても追いつく時に見つけ易いからだ。1時間走ったところでパーキングに立ち寄った。トイレと身体のリフレッシュ目的だ。秀平の女性への気遣いだった。4人で車の外に降り立った。「浅尾さん、背が高いね」と秀平は気になった浅尾由美子に話しかける。「ええ、165cm超えてるのでいやなんです」と笑顔で答えた。浅尾由美子はショートパンツに茶色のコットン生地の長袖のシャツの袖をまくって着ている。足元を見るとベルトで留めるぺたっとしたかかとの低い靴を履いている。秀平はよほど背が高いのを気にしてるんだと思った。パーキングにある喫茶店に入った。車に乗っているグループで4人ずつに分かれてテーブルに着いた。ウェイトレスが注文を聞きに来た。秀平は「コーヒー四つでいい?」と3人に聞いた。浅尾由美子が「私はカフェオレで」と言った。秀平はカフェオレを知らなかった。「カフェオレって何?」と秀平が聞くと「高校生の時からこれしか飲めない」と由美子は答えた。秀平は「じゃあ一つはそれね」と注文してしばらくして、注文が届いた。カフェオレはミルク色の強いコーヒーに見えた。秀平は「なーんだ、コーヒー牛乳か」と言ってしまった。浅尾由美子は「小笠原さん、これがカフェオレ。コーヒー牛乳じゃありません」と笑顔で説明した。秀平にはやはり違いが分からなかった。高速は2時間ほど走ると国道に降りて阿蘇に向けて走る。高速では窓を閉めて暑さに耐えていたが、国道では時速60kmなので窓全開で外気をいっぱいに取り入れながら走る。「浅尾さん、高速道路は窓閉めきって暑かったろ?」と大声で後ろに言う。「小笠原さん、私は暑さは平気」と答えた。助手席に座ったのは男子の柿田で道路地図を片手にナビをしてくれている。宿泊は草千里にある施設を予約していた。国道を走って1時間で草千里に到着して展望台にある駐車場に車を停めた。秀平達8人は外に出た。天気はいいし、気温も20℃くらいで最高だなと秀平は思った。2月からこの7月までの間で環境は更に変わった。目標ははっきりしないけど、働いて食べていくという選択をした自分がいる事や槙ちゃんの全てを受け入れるとか責任を持つとかの自信が持てなかった事に対する自己嫌悪に近い感情は抱えたままだったが、奇麗な景色と風の中にいるこの時だけは現実の混とんとしたものを忘れる事ができた。ふと浅尾由美子を見ると眩しい。手足が長く背が高いので目立ってしまう。若さがはじけている様に秀平の目には映った。8人を含むすべての景色が煌きの一片を形成しているかの様に見える。秀平はこのカメラの視界で切り取ったような瞬間はきっと忘れないと感じていた。仲間内だけの慰安旅行を終えて仕事をする生活に戻ったが秀平にとって浅尾由美子が気になる存在になっていた。旅行の時に車を出したもう一人である太田が旅行の時撮影した写真を送って来た。5枚の写真は旅行中のスナップや全員並んで写った写真や秀平と浅尾由美子が大きく写った写真があった。写真を見て気付いた事があった。太田が秀平に送って来た写真はたくさん撮影した中で秀平が写っているものだけを選択しているはずなのに、秀平が写っている写真には必ず浅尾由美子が写っている。しかも秀平に対して笑顔を向けているし、秀平もそろって屈託のない満面の笑みを浮かべている。7月も終わりになって八幡で祇園祭があったので秀平は浅尾由美子を誘った。同期入社の柿田がどうしてもついて来ると言うのでその方が浅尾由美子の親も安心だろうと考えて3人で行く事になった。会社は土曜日は休日ではなかったので仕事が終わってから彼女を自宅まで迎えに行った。秀平は柿田の自宅で浴衣に着替え、下駄をシートの下に置きスニーカーで運転した。柿田は気を利かせて後方のシートに靴を脱いで座っている。柿田は「車に乗るのに裸足でのらなあかへんとか聞いた事ないぞ」と妙な関西弁交じりで文句を言った。悪態をつくのを聞き流しているうちに彼女との待ち合わせ場所に到着した。彼女は秀平に分かり易くバス停の近くに浴衣を着て立っていた。彼女の前に車を停めて車の外に出た。「待った?仕事の後で着替えるの大変だったろ?」と秀平は挨拶する。「仕事が終わってから私服に着替えて急いでバス停に行ったら、丁度バスが来てそれに乗れたのでいつもより早く帰れたの」と言う。青の生地に白と赤とピンクの花が配置された浴衣を着ていて、元々背中まである髪の毛を後ろで一本に束ねて丸めてくくっている。いつ見ても女子の浴衣姿は可愛いなと感じた。秀平は初めて浴衣を着た。秀平は紺色のよくある浴衣を着ていた。7時なので外はまだ明るい。祭りの会場の手前で駐車場を見つけ停めた後、3人で歩いた。秀平と浅尾由美子は並んで前を歩き少し離れて柿田がついて来た。話題はこのあいだの旅行の事が多かった。練り歩く神輿を見たり、屋台の綿飴を買って食べた。秀平の口の周りがべとべとになったのを見て浅尾由美子は持っていた小物入れからティシュペーパーを出してくれた。浅尾由美子の顔を見るとやはり口の横にピンク色の綿の粒がついているのに気付いた秀平は「浅尾さんじっとしてて」と言って口の横に手を伸ばし指でつまみ取った。その間、浅尾由美子は秀平の方を見て何が起こるのだろうと身体が固まった様にじっとしていた。秀平が指でとった物を捨てるのを見てちょっと恥ずかしそうに笑った。帰りは浅尾由美子の自宅まで行き母親と挨拶をして送り届けてから帰った。柿田は二人の付き添いみたいにずっと付き合ってくれた。それから秀平と由美子との付き合いが始まった。デートは休日の土曜日か日曜日の朝から毎週のように出かけた。由美子は服装のセンスが良かった。持っている服を下と上で組み合わせを変えて変化を持たせ、何かアクセサリーを足していた。上服は頭からかぶるTシャツのようなものは好まず、ブラウスが多かった。そこも秀平の趣味と似ていた。由美子のセンスは色のコーディネートがしっかりしていて履物まで服と同系色でグラデーションをつけていた。そういう工夫をする由美子にはとても女の子らしさを感じた。トレノで遠くまでよくドライブをした。「小笠原さん、この車は他では見かけないけど」と言う。「そうね。大衆車のスプリンターにレースでも使えるようなエンジンを載せたので扱い易くはないし、油圧計とか油温計とかがついてる代わりにラジオがついていないマニアックな車なんだ」と何度も答えた様な気がする説明をする。由美子は改めてトレノの室内をキョロキョロ見ている。付き合いだして3ケ月になるが、秀平は由美子の事を浅尾さんと呼んで、由美子の方も秀平を小笠原さんと苗字で呼んでいた。トレノの室内にあるコンソールボックスには秀平がカーショップで買ったカーステレオ、カセットテープデッキを自分で取り付けていて部屋にあるステレオと変わらないとまではいかないが、かなりの高音質で音楽を聴けた。秀平が今までに録音してきたライブラリーは相当な数になっていた。デートの時は彼女の好みも考えてロックとかブルースとかは選択しなかった。ユーミンさんと達郎さんの曲が多かった。11月になってから国東半島に行って石仏巡りをしてみようとなって、由美子が手弁当を作り朝から出かけた。紅葉にはまだ早いが、寒くも暑くもなくトレノの窓を全開にする必要もなかった。ドライブ中は二人でよく対向車でゲームをした。それは秀平が好きで次に欲しい車がTA22セリカで由美子が好きな車が117クーペだった。それぞれが好きな車がすれ違った時にカウントしていくという二人だけのルールのゲームだった。117クーペはイタリア人の有名デザイナーによるデザインで車通には評価が高かった。美しい物に対する彼女のセンスがうかがえると秀平は思ったしそんな由美子が好きだった。ゲームはいつも秀平が勝った。それは生産されて流通している量が圧倒的にセリカの方が多かったからだ。目的地に着くまで「あっ来た」とか「今は私の勝ち」とか車の中で騒ぐので退屈する事はなかった。国東では213号線を走りながら、案内の掲示を見つけるたびに有名な寺や石仏を見て回った。昼の弁当は駐車場に停めた車の中でとった。カセットテープからの音楽が聴けるからだ。由美子の手作りという弁当は美味しかった。彼女を見ていると家庭的な長所をたくさん持っていると勝手に感じた。午後になって富貴寺に立ち寄った。周りの木々の葉はまだ黄色で覆われ、由美子はブラウン系のロングスカートに薄いベージュの長袖シャツ、髪はロングで後ろに一本に束ねている。足元は素足に茶色のサンダルを履いている。そんな由美子は最高に周囲と調和していた。夕食は由美子の家で食べる様にしていたので3時くらいから帰路についた。最初はいつも通りにゲームをしてはしゃいでいたが、そのうち静かになった。時計を見ると5時、助手席を見ると由美子が寝ている。トレノのシートはセミバケットなので背中のホールドはいい。そう簡単には左右に姿勢が崩れないので顔を下に向けたまま目を瞑っている。とにかく可愛い寝顔を見て秀平は子供を見るような感情ってこんなのかなと思った。八幡にある彼女の自宅に戻ったのは6時半を過ぎていた。その頃には由美子の顔は車の前方を見ていた。家に着くと母親が出迎えてくれて、応接室に通された。そこで母親と父親に初めて挨拶をした。卵型の顔の由美子の顔は母親によく似ていて背の高い所は父親譲りだなと秀平は感じた。挨拶をすますと由美子の部屋に案内されて、部屋にある小さな低いテーブルを前にして座った。テーブルの角を挟んで見つめあう様な座り方だ。数分してからドアをノックする音がして母親が2人分の夕食を運んできてくれた。ハンバーグにコーンポタージュとグリーンサラダをテーブルの上に置いた。二人だけで今日のドライブの事を話しながら、出されたものを全部食べた。ちょっと時間がたってから母親が今度はお茶を持ってきて食事に使った食器をひいていった。薄緑のお茶をいただいた。後味がすっきりして丁度よかった。なんでもないおしゃべりをしながら、左手側にいる由美子を見ていると自然に手を伸ばし肩を抱き寄せていた。テーブルが邪魔なので秀平は由美子の方に移動して押し倒すようにキスをした。両腕を彼女の背中に回して強く抱きしめた。彼女のブラウスの上から乳房が押し潰れるくらいに秀平の回した腕の力が強くなった。「小笠原さん、苦しくて息ができない」と秀平の下にいる由美子がもがきながら言ったので抱きしめている両腕の力を緩めた。「小笠原さん、顔がチクチクする」と由美子が言う。「文句が多いなあ」と秀平は言って由美子から顔を離すついでにデコピンで額を軽くはじいた。由美子は反射的に顔を横にずらしてかわそうとする。その動作や表情が可愛い。そのままじっと由美子の瞳を見ていたら急にある感情が暴走を始めて秀平の手が由美子のスカートに伸びた。すると由美子は「いや」と拒否した。秀平は混乱した。どうして?自分がこんなに好きなっているのに受け止めてくれない由美子の態度が分からない。分かり合うってどういう事なんだろうか、何時心の扉をノックしたらいいというのかと秀平は自問自答していた。秀平はどんな場合も相手が苦痛になる事には深入りしなかったし、ここから先立ち入ってはいけないと感じたパーソナルスペースを尊重してきたつもりだ。それが結果としていつも自分が逃げ出したり相手が別の選択をする事につながって結局うまくいかなかったとのだと思う。しばらくそのままの態勢でじっとしていた。どれだけ時間が経過したのだろうか、秀平はがっかりした事を由美子に悟られない様に「今日は疲れたね。遅くなったから帰るよ」と言って帰る準備をした。由美子の部屋のある2階から1階に降りて由美子の両親に挨拶をして玄関を出た。由美子が手を振っている。「じゃあ、明日の朝ね」と秀平は普段通りに聞こえる様に言って手を振った。10月に入ってから、朝は秀平が由美子を家の近くのバス停で車に乗せて彼女の所属する事業所に送ってから秀平は自分の所属する事業所に小倉から通っていた。帰りには秀平は残業をする事が多かったので彼女と都合は合わなかったのでウィークデイにデートする事はなかった。街中をデートする時は映画を見た後に関西風お好み焼きを食べるというのがお決まりのコースだった。二人並んで歩く時に由美子は秀平の左手に手を回してくっついてくる。由美子の長く伸ばした髪が揺れて時折秀平の顔にかかる事もあった。その時は必ずいい香りがした。日頃から秀平は知っている人が歩いているのを見かけると気軽に声をかけて途中まで乗せて送る事があった。それは学生時代から車に乗っていたので車を持っていな人を乗せる習慣があった事に起因していたかも知れない。誰でも親切心からそうするように。12月になっていつものように残業をして夕方7時過ぎに車で会社を出たら歩いている顔見知りの女子社員を見つけた。車を停めて助手席のウィンドウを下げて「どの道を通っても帰れるから乗る?」とその女子に声をかけた。秀平の顔を確認して「お願いします」と言って助手席に乗って来た。「小笠原さんでしょ」と彼女は言うので「小笠原秀平、24歳」と答えた。「神山優子よ。小笠原さんは隣の事務所で見かけるから知ってる、今年の新入社員でしょ」と神山優子は言う。「神山さん、どこまで送ったらいい?」と秀平が聞くと「道は私が案内する」と言う。車を発進させた。神山優子は道を左折、右折とか指示を出していた。トレノは5速のミッションを積んでいる。秀平の運転の癖で左手は球状のシフトノブを握ったままだ。運転中に突然、神山優子が秀平の左手に彼女の右手をそっと乗せてきた。秀平はドキッとしたが、ここは平然を装い対処しなければならない。重ねられた手はそのままで秀平はギアチェンジをする。シフトノブが動いても神山優子の手は離れない。そのまま彼女の自宅前に到着した。秀平は車を停めてエンジンを切る。「神山さん、どうかした?俺に何かあるの?」と秀平は疑問に対する答えを要求する。「小笠原さん、ありがとう、ここで降りる」と言って神山優子は秀平の質問には答えずに去った。秀平は気になったが車のエンジンをかけそのまま帰宅する方向にハンドルを切った。翌日、朝はいつも通りに浅尾由美子をバス停で車に乗せ、彼女の勤める事業所で降ろし、それから自分の所属部門のある事業所まで通勤した。社員食堂では昨夜の神山優子がいた。昨夜の態度が気になって口の堅い職場の人を選んで神山優子の事を探ってみた。すると評判がよくない。まず、集約すると嘘つきで不倫をしていて自傷の事件があるという驚きの話を聞いた。2,3日経ってから秀平は残業をしてから帰路についた。会社を出たところのバス停にまた神山優子がいるのが分かった。そのまま通り過ぎる事もできたが、どういう訳か秀平は車を停めてしまった。「神山さん、送るよ」と優子に声をかけた。「じゅあ、乗る」と言って神山優子はトレノの助手席に座った。車を発進させた。「小笠原さん、今日時間ある?」と神山優子が突然言った。秀平は彼女の家まで送ったらそのまま帰るつもりだったが、「いいよ、時間あるよ」と答えた。家の近くまで来ると人気のない公園を探し、駐車スペースに車を停めてエンジンを切った。しばらく沈黙があってから、秀平から「この間の俺に対する態度は何か意味があったの?」とストレートに聞いてみた。「うん、小笠原さんを見ていたらいいなと思っただけ」と神山優子は言う。「そう、神山さん、いくつ?」と秀平は質問した。「20歳よ、入社して2年目」と答える。「俺より4歳若いんだ」と秀平は当たり前のことを言った。突然、神山優子は泣き出す。「私、苦しくて誰かに助けて欲しい」と声を絞り出して言う。秀平は俺とはそんな深刻な相談を受ける間柄じゃないのにと戸惑いながらもいつもの彼流の優しさから「どうした、どうした。何か言ってみろよ。俺の方が年上だから」と脈絡のない言葉で応えようとする。「小笠原さんと一緒ならいい事がありそうな気がしてずっと見てた」と神谷裕子は言う。「私、前から妻子のある人を好きになって付き合っているの、それが苦しくて悩んで自分の手を切ったこともあるの」と神山優子は続けて苦しみの核心に触れる事に関して自分から話した。秀平が神山優子の方を見ると泣いている。この状況は知らない人が見ると、とても深刻な別れ話でもめているカップルの様に見えるだろうと秀平は思ったが、どうしていいか分からず「どうしてそんな馬鹿なことをやるんだ。第一妻子ある人と関係を持つとかドラマの中だけでいいよ。第一その人は神山さんの全てを受け止める力はあっても権利がないんだろ。」と少し怒った。そう言い放った秀平にも大好きだった人と何かがすれ違った苦い過去を思い出した。「でも、妻子ある男の人って包容力があって、優しいし」と神山優子は言った。「それって若い男は受け止める力が無いって事?」と秀平は神山優子に聞いたが、それは同時に自身への問いかけでもあった。神山優子黙ったままじっとしている。会話のない空白の時間が流れる。神山優子がゆっくり身体を秀平の方に倒してきた。そのまま秀平の顔に近づき、キスをした。秀平は訳が分からなかったが、このまま彼女を放置する事は出来ないし、全てが悲しいと感じた。秀平は助手席のシートを倒して移動した。秀平はこの時期はトレンチコートを着たまま運転をしているのでトレンチコートごと神山優子に覆い被さっている。流れに任せ、本能に任せて秀平の身体が動いた。神山優子を抱いてしまった。抱き合った時に彼女の左手首には傷跡があるのを秀平は気づいた。競馬場のアルバイトで山本先輩がくれたお守りは三萩野事件で使ってしまった後、秀平は新しいお守りの補充を買ってトレノのダッシュボードにしまっておいた。秀平は神山優子を今いる暗い世界から陽の当たる世界に連れ出したいと単純に思った。一連の彼女の不可解な態度は秀平に対するヘルプコールだったのだと理解した。それからは仕事後の帰りは一緒に帰るようになった。秀平は悩み始めた。完全に浅尾由美子と神山優子と同時に付き合っている事になる。朝は由美子を迎えに行き、顔を合わせる、その後仕事をして帰りは優子を送って帰る。帰りは優子とレストランで食事する事も増えた。嘘の付けない秀平は悩んだ挙句、二人を天秤にかけてしまった。浅尾由美子は明るく純真で素直な性格、天真爛漫な眩しいくらいの若さを持っているが神山優子は殆ど一人、不倫で悩んでいる、年齢相応な生き方をしていないという様な比較をした。その結果秀平は弱い方をなんとかしたいと心が傾いた。しかしこの思いを浅尾由美子にどのように伝えるか。由美子をできる限り傷つけたくはなかったので尚更、深く悩んだ。秀平は手紙を書いた。「浅尾由美子様  直接言葉で言いたかったけど、君を傷つける事が分かっているので文章にしました。君はまだ子供なので分かってもらえないと思いますが、僕がそばにいてあげないと危ない人がいるようになりました。明日から朝迎えに行けません。僕が嘘をつき続けるのは由美子さんに一番したくない事です。間違っている事はいやです。これだけじゃ分かってもらえないと思いますが、由美子さんを嫌いになった訳ではないです。 小笠原秀平」秀平はこの手紙を書いた翌日の朝、浅尾由美子に渡した。車を降りる時に「浅野さん、後でこれ読んで」と秀平はやっとの事で声を絞り出した。由美子は受け取って職場に向かった。由美子はその日会社を早退して、それからしばらく欠勤した。秀平にも職場から電話が入って無断欠勤を知った。秀平は自分の仕事が終わってから彼女の友人の自宅を順番に訪問して、由美子の状況について聞きまわった。彼女の自宅に電話すればよかったのだが、それは怖くてできなかった。結局1週間後には由美子は元気に出勤して仕事をしていると同じ職場の友人から連絡があり、安堵した。しかしそれだけ彼女を追い込んで傷つけてしまった事を思い知った。秀平が避けたかった事だったのに、どうしようもなかった。手紙を渡したのは1月13日の金曜日、秀平は迷信とか占いとかは信じない方だが1月13日の金曜日は決して忘れないだろうと思った。その後、秀平は神山優子と仕事以外の時間は一緒に過ごす事が多くなった。彼女には年の離れた姉がいて母親は福岡の方で長期療養中で入院状態、それに父親が泊まり込みで付き添っている状態だった。両親は年老いていたので彼女一人っきりという環境だった。土曜日休み、日曜日には福岡の療養所に彼女を連れて行き、仕事場への通勤は一緒だった。こういう生活が2年近く続いた11月くらいから秀平の体調がおかしくなっていた。元々通勤だけでも時間がかかり、残業をして帰ると殆ど家にいる時間が無いので母親からは土曜日、日曜日くらいは自宅でゆっくりするように言われていたくらいに自宅で休む事がなかった。秀平は高い熱が突然出て3日間寝込むと熱は下がって仕事に戻るというサイクルを繰り返していた。年が明けるとだんだん高熱で寝ている時間が多くなり、ついに入院する事になった。三ヶ月間市立病院に入院した。入院後一ヶ月で熱は出なくなった。しかし病名の判定がつかないのと今まで熱が出たり下がったりを繰り返していた為、復調したとは判断されなかったので日常の生活スタイルで過ごして再発しないか様子を見る事を主治医から提言された。土曜日の朝から日曜日の夜まで自由にしていい事になった。秀平はトレノを病院の駐車場に停めた。土曜日の朝からトレノで外出して日曜日の夕食を済ませて病院に戻って身体の状態の変化を見るという生活に入った。会社には長期休みの届けを出しているし、どのように外出するかが問題だった。幸いに病院には研修中の看護婦さんがたくさんいた。看護学校で学びながら実習をしている中卒、高卒の女性がたくさんいた。その中で土曜日と日曜日に一緒に外出してくれる人を見つけてはトレノでドライブに出かけた。事情を知らない人が秀平を見ると、いいかげんな奴としか見えない行動であったが秀平としては主治医の指示通り、普段の生活と同じくらい身体に負荷をかけて異常が発生するかを確認していたのだ。又土曜日の朝になった。三月に入るとは実習生は一人ももいなかくなり秀平は病室にいた。午後の面会時間になると主任の看護婦さんが「小笠原さん、奇麗な彼女が面会に来てますよ」と病室の窓の外を見ている秀平に話しかけた。声の方に振り向くと看護婦さんの後ろに見覚えのある紺色の生地のワンピースに黒のジャケットを着た若い女性立っている。「先生、大丈夫なんですか?」「私立病院に入院してるって中野さんから聞いてびっくりしました」と言っている声の主は宮本美恵だった。「美恵ちゃん、久し振り。元気にしてた?」と秀平は先生という響きと聞き覚えのある声に反応して聞き返した。「昨年の秋から調子悪くて、今年に入っても変わらないので2月から入院してる」と秀平が手短に説明する。宮本家と同級生の中野は町内が同じなので中野から秀平の事を聞いていたようだ。中野は大学を卒業してから市役所に就職していた。秀平が入院の手続きをしている時にたまたま中野が業務で市立病院に来た時に出くわしていた。2月の初めの話だ。「美恵ちゃん、もう先生はちょっと」と秀平が照れて言う。「先生は先生だから仕方ないわよ」と美恵が言う。「先生、病院の横の駐車場であの緑色の車見かけたよ」と美恵が言った。「モスグリーンだけど。トレノによく気が付いたね」と秀平が言うと「珍しい車だからすぐに分かる。先生、あの看護婦さん私の事を彼女と言ってたわね」と笑っている。「美恵ちゃん、俺と2つ違いだから24歳になった?」と秀平はつい聞いてしまった。「先生、先生が26歳になってたら正解よ」と答えた。「元気そうで少し安心した」と言う美恵の言葉が秀平にとってはどんな薬よりも効能があるような気がした。美恵は短大を卒業してから都市銀行に就職していた。「これ、お見舞い」と言って美恵はお菓子の箱を置いていった。帰り際に「健太にもよろしくね」と秀平が美恵に声をかけると「先生のおかげで健太は今年の春から4年生よ。先生の事伝えておくね」と美恵は答えた。秀平は美恵の後ろ姿をしばらく見送った。秀平には5年前のあの夏の夜の美恵が頭の中に浮かんだが、彼女はもはや立派なレディだった。もう3月をになっていた。その後4月まで入院していたが結局病名ははっきりしない、自律神経の乱れとい病名で片付けられた。5月になって休んでいた職場に復帰した。神山優子は退職してもういなかった。秀平は彼女を追う事はしなかった。秀平はあの日の選択で家庭的で純真な浅尾由美子を失い、そして神山優子もいなくなった。結局、秀平には神山優子の全てを受け止める力など到底なかった。ただの偽善者として迷惑をかけ、神山優子をも結局ひどい目に合わせただけに終わった。秀平はあの1月13日金曜日に手紙をどうして渡してしまったのだろうと自分を責めるしかなかった。秀平は退院してすぐに、大学生の時からずっと一緒だった彼女とも別れた。愛車のトレノを手放したのだ。車とはいえ学生時代からずっと行動を共にしてきたのでまるで戦友の様な愛着があった。その代わりに買ったのはTA22セリカ1600GTVだった。エンジンはトレノと同じ2TGにSOLEXを装備している。トレノと比べると車重が重たくなったが、リヤのサスペンションが4リンクリジットコイルになり随分とコーナーが安定していた。運転席のシートに座ると膝をまっすぐに伸ばす感覚でドアを開けるとすぐに地面だと思うほど座席が低かった。家庭教師のアルバイトでオーストラリア貯金をした時の預金がそのまま通帳に残っていたのでそれを殆ど全部遣った。5月の2週目に浅尾由美子のいる事業所に業務の用件で午後からセリカに乗って移動した。社員食堂にある自販機でいつもは飲まない缶コーヒーを買おうとしていたら、秀平の目に浅尾由美子の姿が飛び込んできた。由美子は秀平に近づいていて「小笠原さん、私今日で会社を辞めます。ありがとうございました」と言う。秀平は驚いたが、内心は浅尾由美子の顔を二年ぶりに見る事が出来て素直にうれしかった。「浅尾さん、辞めるの。今までご苦労様、これからも頑張ってね」というつまらない言葉しか言えなかったのに彼女は笑顔でうなずいた。それから秀平が右手を差し出すと由美子も手をそっと差し出して二人は握手をした。その時の浅尾由美子の笑顔は大人に見えた。彼女は21歳になったはずだ。仕事の用件が終わって帰宅しようとセリカのシートに座った時、ふと誰も座っていない助手席のシートを見てしまった。このセリカの事を浅尾由美子が知る事はないし、二人だけしか知らない対向車ゲームを覚えているだろうか、そしてこのセリカに乗る事は絶対にないんだと思ったら秀平は切なくなった。6月になって秀平は以前から気になっていた女性と新たな付き合いが始まった。彼女とは職場が同じで会社に入ってから3年間ずっと身近にいたのに、存在をお互いに意識しなかった。きっかけは秀平が入院中に見舞いに来てくれた時に初めて話をした事だった。心身ともに疲れ果てていた秀平には一緒に歩いて行ける人に思えた。明るく、面倒見の良いタイプで彼女との付き合いには何の障害もなく秀平の友人や環境にも馴染んで翌年には結婚をした。小笠原秀平28歳、妻洋子23歳というカップルが誕生した。秀平は洋子といると風穴だらけの気持ちが楽だった。何よりもずっと前からの知り合いの様な安心感と懐かしさみたいなものに包まれた感じを持った。洋子と秀平は互いの持っているパーソナルスペースにうまく入り込む事ができたのだろう。


第六章 ダル・セーニョ

秀平は「パパ、起きて、出かけるんでしょ」と言う声で目を開けた。秀平の頭の中には「秀、秀様、秀平、小笠原君、小笠原さん」と呼ぶ声が頭の中に残っている気がして部屋を見回すと、洋子がキッチンに立っている。そうだ「今から小倉の実家に行くんだった」と正気を取り戻した。カレンダーは昭和64年年3月のページになっている。実際は昭和天皇の崩御を受けて1月8日から元号は平成になっていたが印刷は昭和のままだ。秀平は母親の弟が急に亡くなってその通夜に出席する為に会社を早退して午後4時に出掛けようとしていたところだったのを思い出した。昼食を食べた後、まだ時間があるとくつろいでいたら夕方近くになってちょっとの時間寝込んでしまったのだ。「幼稚園のバスがもうすぐ来るから私出迎えに行くわよ」と洋子が言う。6歳と4歳になる女の子が幼稚園に行っている。「俺、一人で着替えて行くから大丈夫」と秀平は答えた。喪服は秀平が分かり易い様に洋服ダンスの上からハンガーで吊るしてある。秀平は喪服に着替えると玄関を出て駐車場で車に乗り込んだ。シートに座りエンジンをかけると4A-GEU型のエンジンが乾いた機械的な音を出す。車はT140コロナGTだ。秀平は結婚して子供を持つようになってから4ドアセダンで家族が乗り易い事を条件に選定した。エンジンは昔のトレノに載っていた2TGの後継というだけあって一気に高回転まで吹け上る。FRとしては最後のコロナになる。秀平の拘りで足回りはレース用の部品で硬くして、コーナーを曲がる時にタイヤのグリップ力と直進性を確保する様にしてあるので洋子でも安心して運転できる。但し5速マニュアルのトランスミッションだ。そんな車のシートベルトをしてから高速道路のインターに向かう。トンネルの前のインターから小倉方面を目指す。料金所でカードを受け取り、本線の進入路を走って加速する。4A-GEUはストレスなくエンジンが回って加速する。右側に見える本線に車がいない事をサイドミラーで確認すると右にハンドルを切って加速する。昔と違って、パワーステアリング、パワーウィンドウ、やエアコンがついていてウィンドウを開けたまま走る事が無くなった。時計を見ると4時40分は過ぎているのが分かった。すぐに桜の花が咲くと見物客で賑わう公園を左手に見ながらトンネルに入った。高速とはいえ制限速度は時速60kmなので70km程度で走っていると、突然前方に対向車がいる。それも物凄いスピードを出しているのが分かる。秀平は今走って来た道路と見える景色を確認するが、新入方向を間違ったりはしていない。どうしてと考えている間にも車間距離が狭まっていく。2車線あるので対向して来る車の車線の位置を確認しようと車を凝視した。おかしい、北九州55に83-28モスグリーンのトレノだ。しかも運転しているのはと思った瞬間、当たり全体に閃光が走り強い衝撃波と共に何かが秀平の身体を通り過ぎた感覚があった。ハッとしてスピードメーターを見ると車は時速180kmで走っている。トンネルの先が明るい。トンネルの出口だ。サイドミラーでぶつかったはずのトレノの姿を探すが見えない。何かがおかしいと思ったら自分が握っているハンドルはトレノのもので車自体がトレノになっている。秀平は咄嗟に右足はブレーキとアクセルに掛かっている。踵でアクセルを少し踏んでエンジンの回転数を上げてからギヤーをシフトダウンさせてエンジンブレーキとフットブレーキを使って減速する。トレノのフットブレーキだけでは心もとなかったからだ。時速180kmから70kmまで減速した。まだ秀平に何が起こったのかつかめていない。走っている車線と方向が違う事にも気づく。小倉方面と逆に走っている。見た事があるインターで降りた。料金は乗る時に払ったその領収書が助手席のシートに無造作に置かれている。国道に突き当たると景色が何か少し違う。国道を走っている車が皆古いのでオールドカー倶楽部が催しをやっているのかと思った。インターを降りて安全な場所に車を停めた。カーステレオはカセットデッキだけでラジオはついていない。何か情報が欲しい。秀平はダッシュボードにあるはずの車検証を探すと黒いビニールを取り出した。整備手帳や、説明書の中に車検証があった。所有者の氏名は小笠原秀平となっていて初年度登録昭和48年3月で車検は昭和52年4月から昭和54年4月までと分かった。これからどうして良いのか知恵が浮かばない。道路の向こうに喫茶店があったので入ることにした。その前にルームミラーに映る自分の顔を見た。ちょっと若いし、髪の毛はストレートだ。昭和54年頃から流行りのパーマをかけていた。喫茶店までトレノを動かして駐車場に入れた。喫茶店に入り、ブレンドコーヒーを注文する。コーヒーがくるまで店の中をきょろきょろと見回した。カレンダーを見つけた。昭和52年の3月になっている。コップの水を飲んでから頭の側面を手で叩いてみた。痛い感覚はある。夢ではないみたいだ。コーヒーを飲んで精算しようとして、しまったと思った。財布を確認してなかったからだ。慌てて着ているジャケットの内ポケットを手で探ると、あったあった、財布がある。取り出すと最近まで使っていた財布に間違いない。中から千円札を取り出すと伊藤博文だ。そのまま渡してお釣りをもらった。100円玉は同じだった。慌ててレシートの日付をみると昭和52年3月13日と印字されている。自分の服装を見るとジーンズに茶色のコットン生地のジャケットを着ていた。学生時代に着ていた見覚えのある服だ。自分で買ったのだから覚えている。とにかく今分かる原点に帰ろうと考えた。原点とは小倉の実家に向かおうと出発した家族のいるアパートだ。喫茶店からは近い。前の道路を直進してから右折すればいい。トレノのエンジンをかけて動き出した。ボンネットからSOLEXの音がする。10分も走るとアパートのあるはずの通りに到着したが、目を疑う光景だ。辺りは夕方特有の夕焼け空で薄暗くなりかけている。アパアートの前の道路もその高台にあるはずの建物が無い。大型ダンプが停まっていて赤土を運んだ後の掃除をしている。どう見ても宅地の造成中、しかも道路も工事中なのだ。秀平の家族もいない。今までに見た事実からいくと秀平は12年前にいる事になる。そんな事があるはずが無いと思った瞬間、小倉方面からトレノに乗って来た時に運転していた奴は何処に行ったのかそしてどこに行こうとしていたのかと考えた。「あっ」と秀平は独り言を言った。一つ思い当たる事は3月13日月曜日は会社の下見に来ていて試験は1週間後だった。秀平は工事現場にいても仕方ないと思って、就職していたというか現時点では入社試験を受ける予定の会社を道路からでも確認するのが目的だった。相当に嫌な予感がしてきた。もしも秀平が何かの原因でタイムスリップをしてしまったのなら、当事者が最も考えなくてはいけないのはパラドックスの問題だ。時代の異なる同一人物は接触してはいけないという事ともう一つ、歴史を変えてはいけないのだ。歴史を変えると未来の自分や歩んできた足跡がなくなる。実際にこんな現象に遭遇した人の記録は無い。秀平の持っている宇宙物理や時空の知られている理論を思いつくだけ頭の中で考えたが状況の把握ができない。とりあえず、歴史を変えないようにできるだけ行動しようと思った。会社を見てから小倉の実家に戻って事実を確認しようと結論を出した。20分ほど車を走らせると見覚えのある建物が見えてきた。やはり業績の拡大により増築する前の状態だ。それを確認すると首都高のインターまで行き先ほどのトンネルを通過した。今度は何もない。そのまま小倉の実家に戻った。駐車場にトレノを停めて家に入ると母親がいる。「ご飯は炬燵の上ね、それで会社どうだった?」と聞くので「小規模みたいだけど叔父さんが経営の内容がいいと評価してるから将来性があると思うよ」と未来に影響がない様に答えた。カレンダーを見るとやはり昭和52年3月だ。時計は7時を指している。確かに母親も若い。未来では今頃、大学院の1年を終わって退学の申請をしていた時期だ。「お母さん、変な事聞くけどいくつになった?」と秀平が聞くと「なんね、藪から棒に、46歳だけど」と答えた。秀平が23歳で母親が23歳の時に生まれたと聞いていたから計算は合うと秀平はつまらない事実確認をした。秀平が中学生の時からずっと使ってきた勉強机の上の本棚を見ると機械関係の専門書と量子力学、天文学、宇宙物理の本が並んでいる。自分が買った本だった。明日は大学で量子力学の天野先生の部屋訪ねてみよう。退学の申請手続きはその後でいい。今、自分がここにいるという事は今までいた秀平は何処にいるんだと考えて「えっ、まさか」と秀平は声を上げた。もしも自分と入れ替わったとすれば向こうの秀平はたぶん12年間の記憶がないまま35歳になってしまっている可能性がある。どうやって現状を把握して、空白の12年間を抱えて秀平はうまくやっていけるのだろうか、妻の洋子と子供達はどうしているだろうか、そんな事を考えながら寝てしまった。翌朝目が覚めた。悪い夢を見ただけならいいなと周りをじっくり見ると、小倉の実家だ。次に新聞を見た。日付は3月14日火曜日だ、リクルート事件の記事とよかトピアの9月開催の記事が出ている。昨日の続きの中にいる事を秀平は確認した。秀平は大学生時代、腕時計をつけなかった。束縛の象徴のような気がしていたから。今はそんな事は言ってられないので机の中を探してクオーツTypeⅡの腕時計を取り出した。時刻は合っているが、日付がずれている。14日火曜日に合わせた。朝食を済ませてからトレノを運転して大学に行った。大学は2月に卒論の発表が終わり、3月25日の卒業式があるだけで講義はやっていない。大学院などの研究に関わっている人がいる程度でいつもよりキャンパス内に人が少ない。教養棟に行った。1階にある掲示板で星野先生の部屋を探す。205号室が星野時雄先生だと分かった。腕時計を見ると9時30分だ。秀平は階段を上って2階の通路に着いた。通路を進んで行くと205号室があった。秀平は木製のドアをノックした。すると部屋の中から「どうぞ」と男の声がするので秀平は「失礼します」と言って部屋に入りドア閉めた。40歳前後に見える星野先生はアタッシュケースの様なケースに収まったワンボードマイコンAppleIを机に置いて操作している手を止めて秀平の方を見た。秀平は「ご無沙汰しています。卒業生の小笠原です」と普通の挨拶をしてからしまったと思った。星野はすかさず、「小笠原君、教室で会う事はなくなったが、キャンパス内ではちょこちょこ会っているよ」と怪訝そうに言った。秀平は最初からどう説明していいのか言葉を探してようやく「先生、タイムマシンを作って下さい」といきなり言った。「小笠原君、君は今大学院1年生だったね」と星野先生。「実は2年にはいかずに就職しようと決めたんです。でも問題があるんです」と秀平は切り出した。「大学院を途中で退学するのはもったいないあ、どうしてそんな事になったんだ。話せる範囲でいいから話してくれ」と星野は言って、かけていた椅子から立ってローパーティションで間仕切りされた机と椅子のある方へ秀平を案内した。二人は向かい合って椅子に座った。「先生、大学院の話よりも僕が今から説明する事を信じてもらえますか?」と秀平は星野の顔色を窺うように言った。「小笠原君、内容をまだ聞いてもないんだけど、君が真面目な人間である事は承知しているよ、それでなんだい?」と答えた。「今、ここにいる僕は昨日の僕じゃないんです」と秀平は衝撃的な言葉を言った。一瞬、間をおいてから星野は「新たな気持ちで何かに取り組むって事かい?」と質問する。「いや、そういう事じゃなくて、簡単に言うとここにいる小笠原秀平は未来から来ています」と秀平は更に衝撃的な言葉を選んだ。「小笠原君、その事実を証明できる客観的な事実を示す事ができるかい?」と星野は物理学者らしく聞き返す。「僕に今できる事は記憶の中にあるこれから起こる事を示すくらいです」と秀平は思いつきで言った。星野は「今日は昭和52年3月14日火曜日だから明日以降ですぐに確認できる事件がいいだろう、証明に時間がかかり過ぎても意味がない」と言った。「先生、今から思い出して書いてみます」と言って秀平は今から昭和52年の3月で記憶にある事ノートに箇条書きする事にした。「①7月にキャンディーズが解散する②9月に王貞治がホームランの世界記録を樹立する③9月赤軍派の日航機ハイジャック事件④6月AppleⅡアメリカで販売、先生すぐには3月の出来事が出てきません」と秀平は言って頭を左手で掻きむしった。「一番近い事件で6月か」と星野が言う。「事件が起きるかどうかはその時になれば分かるとして、君がこの時代に来たという状況を説明してくれ」と続けた。秀平は12年後の1989年は北九州の地元企業に就職していて、結婚して勤務先から車で10分のところにあるアパートに家族四人で暮らしていたが秀平は3月13日の夕方4時過ぎに家を出て首都高を通って小倉の実家に向かっている最中に山の麓にある桜の有名な公園を左方向に見ながらトンネルに入ると対向車がものすごいスピードで走って来て閃光と共に二台は衝撃した。その閃光と衝撃の後に秀平が気付いた時には対向車に乗って小倉と反対車線のトンネルの中にいて、自分が乗っていたはずのコロナが消えてしまった。車のミラーから確認しても事故などの痕跡もない事を説明した。星野はしばらく考え込んだ。「時空をタイムスリップする事は否定できない事なんだが、そういうメカニズムを作る事や制御する方法はまだ分からない。仮説は世界中の学者が考えその証明をしようと数式に取り組んでいるのは以前説明したよね。量子力学と一般相対性理論から量子宇宙論が体系化されてきたけれど、結論は簡単にはでないよ」と重々しく言った。「やっぱり僕はタイムスリップしたんだ。僕はどうしたらいいんでしょうか?まだ誰にもこの話はしていないし、話したとしても信じてくれない」と言って秀平は俯いた。「小笠原君、もしも君がタイムスリップしてここにいるならパラドックスの問題、歴史を変えてはいけないという考え方があるのを知っているはずだから今から君は自分の記憶に従って未来に存在する人がいなくなるような事をしない為の行動をしてくれ」と星野は言った。「記憶と言っても僕にしてみれば12年前の3月の事すら覚えていないんです」と秀平は言った。「小笠原君、今度はいつ来れるかい。それまでにこれからの対処方法を考えてみるよ」と星野が言うので「今日はこの後、退学の手続きをして3月20日月曜日の入社試験にそなえるはずなので21日に伺います」と回答した。秀平は研究室の先生と事務棟に寄って退学の書類を提出した。それから自宅に戻った。3月14日火曜日から3月20日月曜日までの未来の1週間に絞って考える事にした。自分が写っているアルバムが参考にならないか引っ張りだした。子供の頃から高校の修学旅行や大学の入学式や合コンでバンド演奏をしているショットに見入っていたが家の中を探ってもこれから先の事の記録はあるはずが無い事に気付いた。すべて自分一人で対応しないといけないのだ。そうするうちに今日が火曜日だったと思って宮本邸に電話をした。「はい、宮本です」と女性の声で返事があった。「もしもし、小笠原ですけど、健太君をお願いします」と秀平は健太に昨日までいた秀平の事を確認しようとしていた。「先生、私よ、美恵よ」と姉の美恵が電話を取っていた。秀平は思わず「よおっ、美恵ちゃん久し振り」と言ってしまった。「先生、この間みんなで健太の合格祝いとお別れ会とを一緒にしたばかりじゃない」と美恵は言った。ここにいる秀平入院している時に美恵が見舞いに来てくれた時からは9年ぶりに美恵の声を聞くのだから懐かしいのは当然だった。「そうだったね、その後どうしているかなと思ってね」と秀平は動揺を胡麻化しながら言った。「健太は今日明日と下宿探しに博多に行って家にはいないけど、伝言だったら伝えます」と美恵が言うので「元気でやってくれと伝えといて」と言って電話を切った。家庭教師も終わっていたのだ。こんな場面は覚えていない。今電話してしまった事の影響が未来に及ぶと考えると又頭の中が混乱してきた。3月20日月曜日、入社試験の日だ。10時から筆記試験があって昼食をはさんで午後1時から面接の予定だった。秀平は入り口の守衛に用件を告げて、指示された場所にトレノを停めた。40分早く着いていた。事務所に案内されて控室で待機した。すると3人の受験者がすぐに部屋に入って来た。各自公共の交通機関で来ている。午前中の試験が終わった。昼食は会社の食堂で弁当が出され、4人で食べた。誰ともなく自己紹介を始めた。順に「KY大学出身の岩本です」、「KA大学から来た中島です。よろしく」、「KY大学の高山といいます」と3人は言った。秀平は心の中で3人とも知ってるよと思いながら「KK大学、大学院1年で中退の小笠原です。よろしく」と人生で2回目の場面を演じた。昼食後の面接は控室から順番に呼ばれた。秀平は2番目に面接を受けた。ドアをノックして「失礼します」と言って部屋に入ると知った顔がずらり並んでいる。人事部長や総務部長と人事の担採用当者がいた。この人5年後に係長になったはずだと言う人もいる。質問をされる内容は決まっている上に秀平は2度目なのでとても滑らかに回答できた。4人共面接が終わり事務所から出た。高山が「俺、3年生を2回やってる上に試験は難しかったし自信ないな」と言うので結果を知っている秀平は思わず「大丈夫。皆、合格するよ」と言った。秀平だけが車で来ていたので3人を希望するバス停や国鉄の駅まで送ってから帰宅した。今日も何とか秀平の知っている未来を変える様な大きな事件はなかった。明日は大学で星野先生と会う約束をしているので昔先生からもらった量子力学や宇宙物理や天文学の文献の入った茶色の封筒の事を思い出した。結婚して実家を出る時に段ボールの中に教科書やいらない写真と一緒に納戸に押し込んでそのままにしていた。納戸を開けると秀平の荷物がまだたくさんある。捨ててしまっても生活していくには困らないものばかりだ。サッカーボール、バスケットボール、工具箱、野球のバットなど懐かしい物が目に入り、つい気を取られる。奥の壁際に段ボールが積みかさねて置かれている。表にマジックで中身が書かれているので本・写真と言うのを探した。あった、確かに秀平の字だ。その段ボールを引っ張り出して蓋を開けた。大学で使用した本やノートや学生時代の写真が紙袋に放り込まれている。A4サイズの封筒がいくつかあるが、電化製品のカタログの下に茶色の封筒があった。手に取って中の書類を早速確認した。量子力学や物理学の研究者論文のコピーだ。殆どが英語で中にはドイツ語で書かれているものもある。現状を理解するヒントはないかとコピーを流し読みするがキーワードが目につかないので封筒に戻そうとした時、ホッチキスで綴じられたコピーの裏面の白紙部分に黒のボールペンで文字が書かれている事に気が付いた。「小笠原君、君が遭遇している問題の対処を考えよう 1979年3月14日に 星野時雄」と書かれている。先週星野先生のところに行った日付になっている。そんなばかな、と秀平は思ったが、先週先生から何も受け取っていないし、ここにずっと入っていないのだ。秀平のいるのは1997年だからこのコピーは4年前の1973年のものになる。又頭が混乱してきた。翌日、9時30分に教養棟にある205号室のドアをノックした。星野先生の声がして秀平は部屋の中に入った。先週と同じ奥のローパーティションで間仕切りされた部屋の机の椅子に座った。秀平は開口一番「星野先生、家にこんな物があったんですけど、見て下さい」と言って手に持っている茶色の封筒を差し出した。星野は封筒から文献のコピーを取り出し、ボールペンで書かれた文字の面を表にして机に置いた。「これは小笠原君が2年生の時に私の部屋でタイムマシンの話をした時に私が君に渡したものだ」と星野は言った。「先生、名前の前の日付はどういう事ですか?1973年昭和48年で僕が2年生の時には未来だった1977年昭和52年3月14日に僕が先生を訪問する事が分かっていたのですか?」と質問をぶつけた。「小笠原君、驚かないでくれ、君が2年生の時に私と話をした時には私はタイムスリップして来た小笠原君と既に会っているんだよ」と星野は衝撃な事を言った。「それじゃあ、僕が先生を訪ねたのは今日で2回目という事ですか?1回目に訪問した僕はどうなったんですか?」と聞いた。すると星野は「小笠原君、その前に私の話を聞いてくれ。私の記憶では君は今回で2回目の訪問だという事は全く同じ人生をある期間について2度経験していることになる」と答えた。秀平は「でも僕にはそんな記憶はありません。だからこうして先生を訪ねています」と秀平は言う。星野は「私も2度タイムスリップしているんだ。そして君と条件が異なるのは一人単独でしかもタイムスリップした時代が異なるんだ。私にはその記憶があるんだよ、恐らく小笠原君の様に過去の自分と未来の自分が入れ替わった場合は私とは何かが異なるのかも知れない。」秀平は「先生はどの時代から来たんですか?」と聞く。「今の私は2000年から1968年に戻って今に至っている」と星野が説明した。「それじゃ、一度目僕と二度目の僕がこの先どうなるかもご存知なんですね、僕は元の1989年平成元年に戻れるんですか?」と秀平は結論を急いだ。「信じられないだろうが、小笠原君に渡した文献のコピーが入った茶色の封筒を渡した時は既に君はタイムスリップして2度目の人生を送っていた。つまりリピートの中にいたんだ。」と星野は説明した。秀平が色んな場面で過去にも同じような経験をした感覚を持った事を思い出した。「小笠原君、君も知っている通り、歴史に手を加えられないんだ。もし私が何か言って君の意思決定が君自身と家族の未来に影響を与えてはいけないと考えるべきなんだ」と星野は秀平を諭す様に言う。「でも、やらなきゃいけない事はどのように未来の自分と過去の自分が入れ替わったのかを分析して、交錯してしまった世界を元に修復する事だ、そうでないと君の場合はこのタイムスリップを同じところでずっとリピートするかも知れない」と星野は言う。「先生、僕は具体的に何をすればいいんですか?」と秀平は聞いた。すると先生はワンボードマイコンの横に積み上げていた書類を持ってきた。「これを見てくれ」と言って星野は文献の一部に書かれているチャートを提示した。「太陽の黒点の数と磁気活動の変化を示している。X軸は日付でY軸は磁気の強さを示したもので振れ幅はあるがおよそ11年ほどの周期で山と谷が現れる。ここまではいいね」と星野は言って小笠原の顔を見る。小笠原は「周期がある事は知っています」と答える。「じゃあ、小笠原君が今の時代に遡ったのは何時?」と星野は問いかけた。「1989年の3月13日です」と回答して秀平は机のチャートを見た。確かに1979年から1981年までの間が山になっている。星野は続けて「太陽の黒点の発生は太陽の活動と関係していて黒点が多い時期は太陽風がいつもより大量に地球に押し寄せてくる事になる。地球自体が大きな磁石と考えると磁場が大きく乱れるその時期が今だ」と説明した。秀平は「先生、そこは分かりました。でも何故3月14日なんですか」と秀平が聞く。星野は「小笠原君は先週発生したカナダケベック州の大停電事故を知ってるだろ?」と秀平に聞く。「テレビのニュースで知っています」と答えた。「3月13日のカナダの東部で発電施設の電線網に大量の電流が流れてブレーカーを落としている。それくらい太陽は地球に影響力がある」「小笠原君、ここに来た時刻を覚えているかい。恐らく停電尾時刻と一致しているはずだ」と星野が言う。秀平は「インターから高速に入った時に16時40分だったという事は覚えています」と答えた。「カナダ東部時間で2時44分、日本時間で16時44分だ」と言って星野は次の資料を広げた。九州の地図に赤い線があちらこちらにある。星野は「これは地図の上に分かっている活断層のある場所を赤い線で描いてある。北九州の近くを見てくれ、小倉南区の方には小倉断層が八幡方面では福智山断層がある。重要な事は断層と磁場に関係があると考えている」と地図を指さしながら説明した。秀平は黙って聞いている。「小笠原君、ここで一つ言っておくが時空に影響を与えるにはものすごいエネルギーが必要だと言われているしそれを制御する方法は今もない事は君が2年生の時から変わっていない。私がやろうとしているのは君がここにやって来た時の状態を示すデータを調べ特異な事があればそれをすべて再現すれば時空を移動できるのではないかと考えているんだ」「私は九州道にあるトンネルを走っている時に突然前方に光の塊が現れその中に閃光と一緒に車ごと巻き込まれていた」と星野は説明した。「そうだったんですか。あの時の条件をそろえるという考えは分かりました」と秀平は答えた。星野は又違う資料を広げた。それは潮と月齢が書かれた一覧表で地域は北九州となっている。星野は「月の引力も関わるかと考えて3月14日を調べると中潮で月齢5.4だった、その条件がそろうのは1977年では3月25日、6月15日、12月16日1979年では3月4日となるのでここから抜け出すにはこのどこかの日を選ばなくてはいけない」秀平は一度に色々な情報に触れて困惑気味になった。「星野先生、明日も同じ時間に来て相談できますか?」と秀平は聞いた。自分が現実をよく理解して決断する為に時間が欲しかった。星野先生は了解してくれたのでその日は帰宅した。秀平が即答を躊躇したのは今の自分はあの時に行けるのではないかとの思いがあったからだ。あの時とは1978年1月13日金曜日だ。ずっと心の奥にしまっておいた彼女への思いが募ってきたからだ。自分の心も分からず、当然彼女の心も知らずに勝手に一人で行動した時の秀平を後悔していた。秀平が今考えている事は未来を変える事になる。パラドックス問題に突き当たる。整理すると3月25日に全ての条件がそろった時にあのトンネルから1989年の秀平と入れ替わる可能性に賭けるか、このまま1978年1月13日金曜日を迎えるのかのどちらかだと秀平は思った。


第七章 コーダマーク

あくる日の3月22日に星野先生の部屋を訪ねた。昨日話をしたテーブルには資料がそのまま置いてある。先生と向かい合って椅子に腰かけた。秀平は「先生、僕はこのままこの時代にいます」と昨夜出した結論を思い切って言った。星野は「小笠原君、分かったと言うべきか分かっていたと言うべきか」と含みを持った言い方をした。「星野先生、それはどういう意味ですか?」と秀平は星野の謎かけに質問をする。星野がすぐに答えないので「星野先生、先生は2度もタイムスリップをした時にその時代にいた先生と同時には存在できないはずですよね」と聞いた。「私は2000年の時代から1968年に行ってしまった時に宇宙というか時空がポンと弾けて二つに分岐して片方に私が他方に過去の私がそれぞれ独立に存在し始めて私は今に及んでいると捉える方が現実に無理が無いと考えている」と星野は自身の身の上を答える。「先生、僕の場合、やっぱり1977年と1989年の間の人生をずっとリピートし続けるんですか?」と秀平は作日の星野の言った事に疑問をぶつける。星野は何故か黙っている。「ここを抜けだすにはどうすればいいのですか?」秀平は頭を抱えた。「小笠原君、パラレルワールドを知ってるよね」と星野は秀平に聞く。星野は「私が自分の説明に適用したのは一部の物理学者が研究している仮説で時空が葉脈の様に分岐してそれぞれの宇宙、時空が存在するというやつだ」と簡単に説明する。秀平は「先生、それ知っています。本で読みました」星野は「小笠原君、君も理解できていると思うが、リピートの中にいる君が抜けだすには二つ方法が考えられる。一つは例のトンネルでタイムスリップする時にエネルギーの条件を少し変えてみる。しかし目標となるコーダマークをどの小節につけられるかは分からないのでどの時代に行くかは分からないという事だ。そしてそれがパラレルワールドへの入り口かも知れない。」と秀平に告げた。「先生、僕と入れ替わった1989年の僕はどうしているんでしょうか?彼の方は1977年からは僕の記憶を持たずに突然1989年の未来に行ってしまっています、彼と僕が残してきた家族が気になります」と秀平は聞いた。「それを知るのは難しいね。時代の異なる同一人物が接触する事はできないからだ。1989年3月13日にタイムスリップした君と何も起こらなかった君が同時に存在していてここにいるのは1977年に戻った小笠原君と考えた方がいいのかも知れない」と星野は言った。「3月13日にトンネルでタイムスリップしなかった僕は今も1989年の世界で何もなくトンネルを通り過ぎているという事ですか?それじゃあ僕と入れ替わったコロナに乗った僕はどこに?」と秀平は自身の理解を確認する。「コロナに入れ替わった小笠原君は宇宙の原理を破綻させないどこかの時空、いや宇宙で存在しているかも知れない」と星野は答えた。秀平は星野先生の言葉に引っ掛かっていた。秀平が時空の歪が強い場所を通った時に太陽と月からのエネルギーを加えてピークになった時に時空を移動するトンネルの入り口ができるというのが星野先生の見解だった。星野先生は秀平とこの話をするのが2回目とも言っていたが、秀平にとってはやはり1回目としてしか認識していない。今とは異なる秀平があのトンネルをタイムスリップして星野先生に会っている事になる。星野先生自身は2回タイムスリップして時空を遡っているが2回とも星野先生はそこにいるはずの自身とは遭遇していないのだ。その事についてはタイムスリップした瞬間に同じ時空、世界がポンともう一つ生まれてそこにいたはずの星野先生はそちらの時空で生き続けていると考えるべきなのか。星野先生はトンネルの中で突然一人で時空を移動しているのに対して秀平は過去の秀平と車ごと入れ替わって時空を移動している。最初に星野先生を訪問して助けを求めた秀平の記憶はないが、星野先生は今回の秀平の訪問を知っていたという自分の身の回りに起こった事を理屈と照合しようとするが、秀平にはこの星野先生の意見を受け入れるしか答えが思いつかない。星野先生は2000年の世界の宇宙物理の知識を持って秀平の質問に答えてはくれるが秀平の意思決定には干渉しないまま、4月1日の入社式が迫って来た。3月31日には会社の寮に入った。記憶通りに布団とラジカセをトレノに積み込んでいる。カセットテープには秀平が好きなCROSS ROADSが録音されている。星野先生自身はできる限り同じ人生を選択しリピートしていくと言っていたが、仮に分岐した世界に迷い込んでも誰にも分からないのなら秀平が今会っている星野先生は秀平が量子力学を最初に講義を受けた時の星野先生と同じ人なのだろうかと次々に疑問が湧いてくる。秀平は3月25日の月齢5.4の日にあのトンネルにトレノで行けば、1975年まで戻る事もできるのではないかと微かな期待をしていたが星野先生の説明であっさりとあきらめた。どこに着地するのか分からなくてはリスクが高すぎるので今を続ける方を選択した方がいいと思った。秀平が1975年に拘ったのは人生最初の分岐点のような気がしていたからだ。星野先生はどういう訳か2000年から二度タイムスリップしているが戻った時が異なるのだと言う。今の星野先生は1968年からリピートの人生を歩んでいるがその前は1957年らしい。タイムスリップしてしまった人はもっとたくさんいるはずだが、その事を明らかにする人はいないから分からないだけと星野先生は言っていた。秀平は一度目のタイムスリップで人生をリピートしている。星野先生は今の秀平の未来については教えてくれないし、干渉もしない。7月中旬になって男女8人で阿蘇に行く場面がおとずれた。緑の高原で見る浅尾由美子はやはり輝いている。秀平は旅行中、浅尾由美子と一緒に行動し、あの時と同じ様に記念の写真を太田が撮ってくれる。旅行が終わって5枚の写真をもらった。浅尾由美子がいつも秀平の方を見て笑っている事に気付いたあの写真だ。浅尾由美子が何故秀平の方を見ていたか理由が分かった。秀平がいつも浅尾由美子を笑わそうとしていたからだった。秀平は今、後悔をしないように分かれ道を選択していった。神山優子には近寄らず、体調を崩して入院する事もなかった。秀平は記憶している出会いを過去とは異なる選択をしていった。つまりパラドックスの問題に触れていった。その結果未来が異なってしまった人もいるがその人は過去を知らないので何事も起こらない。「秀、秀様、秀平、小笠原君、小笠原さん」と呼ぶ声がして目を覚ました。窓の外は明るい。ベッドの横を見ると横に寝ているのは妻の由美子だ、そう浅尾由美子だ。秀平はあの1978年1月13日に手紙など渡してもいないし、書いてもいない。浅尾由美子とは2年近く付き合って周りに祝福されて1979年6月に結婚した。カレンダーは1989年3月29日水曜日だ。3月13日には何も起こらなかった。第一の関門はクリアーした。次に太陽の活動が活発になるのは11年後の2000年だ。心に空いた穴は一つ減って、一つ増えて結局、タイムスリップする前の秀平と同じだった。まだ眠たい目で壁に掛かった時計を見ると午前6時半、会社に行く準備をしなくちゃいけないと思っていたら、気配に気付いた由美子が目を覚ました。「秀平さん、起きるの早いね」と由美子が言う。「おはよう、由美子」と答える。結婚してから浅尾由美子は秀平の事を秀平さんと呼ぶようになった。由美子はベッドから起き上がって降りた。由美子は隣の子供部屋で寝ている子供を起こして朝食の準備にかかりだした。秀平と由美子の子供は小学校3年生で双子の男の子だ。秀平は息子達と外でサッカーをしているとふと娘がいた異なる世界の事を思い出すが、その事は星野先生しか知らない事だ。朝食を食べようとキッチンに向かって歩き出した時に秀平は部屋の隅で埃を被っているギターが気になって手に取った。チューニングを確認して音を出してみた。そこそこに合っていると思えたのは秀平の音感が衰えたせいかも知れない。Aのブルーススケールを弾いてみる。しばらく弾いてはなかったが、指と耳が覚えている。ギターの横に楽譜がある。開いてみると学生時代に演奏していた曲だ。五線紙に書かれた楽譜を眺めるとD.S. が目が留まったのでコーダマークを探して指で楽譜をなぞっていた。するとキッチンの方から「秀平さん、早く着替えないと遅れるよ」と由美子が言っている。秀平は「今行く」と返事をした。「俺のコーダマークは・・・」と秀平は小さく呟いた。秀平は今、地図にものっていない記憶にもない未知の道を歩いている。この先の人生もリピートするかは誰にも分からない。


あとがき

ここからが本当のあとがきです。舞台は北九州にしています。首都圏とは異なる条件の地方都市の出来事。本小説は昭和世代それも団塊の世代の方々へ送る意味が強い。平成最後が叫ばれると昭和が又遠い存在になってしまう危機感から私が記憶している昭和の空気感を残したい。振り返ると青春、思春期という定義をする言葉で当てはめてみるが、生きている最中にはそんな事はどうでもよくて、美しい物、心地いい空間、会話しなくても通じる友人とかっこいい事を求めていたと思う。主人公小笠原秀平はちょっとかっこいい設定にしているが、秀平が経験したり見たりした事はその時の若い人にはそう言えばああゆう奴いたねと思ってもらえればうれしい。是非音楽を聴きながら読んで欲しい。前書きはコニーフランシスもボーイハント、第一章はダニーオズモンドのパピーラブ、第二章はビートルズのひとりぼっちのあいつ、第三章はガロの学生街の喫茶店、第四章は松任谷由美中央フリーウェイ、第五章は山下達郎のアドリーミングデイ、第六章はエリッククラプトンのクロスロード、第七章は浜田省吾の星の指輪、一人でも昭和を感じてくれたら最高です。文字数の制限で前書きと本文とあとがきに分散しましたが本来、前書きが第一章です。



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