第65話
千里と別れた後、
俺には行きたい場所があって。
花屋さんで花を買って、
電車に揺られること数時間。
着いたのは、
廃墟と化したビルの屋上。
そこには色とりどりの花がたくさん置かれていて、
やっぱり彼女は周りから愛されていたんだなあ、なんて思った。
鈴香さんは、会社の近くのこのビルの屋上から飛び降りたらしい。
屋上の柵から下をのぞけば、
やはりかなりの高さがあって。
鈴香さん基本的に男前だけどビビりだし、
気が強いように見えて繊細だし。
・・ああ。
怖かったんだろうなあ。
彼女の笑顔を思い出して胸が苦しくなる。
鈴香さんが亡くなった後、
彼女が働いていた会社は経営側の判断で幕を下ろした。
鈴香さんに助けられた同僚は、
少しでも自分や鈴香さんと同じようなことを経験する人が減るようにと、
自らの力で新たな相談窓口を開設したそうだ。
『ありきたりな言葉かもしれませんが、彼女の死を無駄にしたくないんです。』
インタビューでそう語った彼女の目は潤んでいて、
けれど、強い光を灯していて。
一緒に働いていた先輩たちはどうなったのか分からない。
鈴香さんの死から何かを感じたのかもしれないし、
何も感じず、また同じようなことを繰り返しているのかもしれない。
それは分からない、分からないけれど。
鈴香さんの死から始まった何かがある、救われる人がいる。
優しくて強い彼女は、それをなによりも喜ぶんじゃないかな、なんて。
鈴香さんは亡くなった日もいつもと変わらない様子だったらしい。
いつものように辛そうな様子など一切見せずに、明るく笑って。
その笑顔の下にどれだけの不安を隠していたのだろう。
『要くんに出会えてよかった。』
そう言った鈴香さんの優しい笑顔を思い出す。
「…俺も、鈴香さんに出会えて良かったよ。ありがとう。」
この声は、彼女に届いているだろうか。
木が生い茂る森の中、
一本の木の側には沢山の花が置かれていた。
そこには先客がいて。
まだ30前半に見えるその男の人は、
俺の姿に気づくと静かに頭を下げた。
俺も頭を下げて、木の側へと近づく。
拓海さんが亡くなった後、
今までの校長先生が辞職し、新たな先生が就任した。
『私の願いはたった1つです。ここにいる皆さんに、ずっと笑っていてほしい。
ただそれだけです。そのために自分が何が出来るかを考えていきたい』
50代前半だという新たな校長は、
教員、保護者、生徒たちの前でそう語ったという。
亡くなった生徒、拓海さんの事について触れた時は、
涙ながらに話をしていたそうだ。
「・・・・。」
拓海さんは、ここで首を吊ったらしい。
「…彼は、勉強が得意じゃなかったんですよ。」
その男性はゆっくりと口を開く。
拓海さんの学生時代を知っているのだろうか。
「それどころか生活態度も悪くて。毎日注意ばっかりしてました。」
「…それは何となく想像つきます。」
俺の言葉に彼はははっ、と笑う。
拓海さん、時々ヤンキー感出てたもんなあ。
彼はゆっくりと息を吐いて、
でも、と言葉を繋げる。
「昔から、誰よりもまっすぐで優しい子でした。」
「…それも、想像つきます。」
俺の言葉に今度は悲しそうに微笑む。
不器用な拓海さんの優しさは、
今まで多くの人を救ってきたのだろう。
しばらくの沈黙の後、それでは、と俺に頭を下げて立ち去ろうとした男の人。
不意に気になって彼を呼び止めた。
「あの!」
「…なにか?」
「…なんのお仕事をされているんですか?」
「教師です。」
なんでこんな事が気になったのかはわからない。
けれど、俺の口からこぼれたのはこんな質問で。
「…なんの、教科を担当しているんですか?」
彼は少し不思議そうな顔をした後、
なにかを懐かしむように笑った。
「数学です。」
そう答えた後、もう一度彼は俺に頭を下げた。
俺もそれに答えてから、木に向き直る。
『生きろよ』
そう言って微笑んだ拓海さんを、
俺は一生忘れない。
拓海さんの生徒が亡くなった場所は、
車通りの少ない道路の隅。
彼はそこの傍にあるマンションから飛び降りたらしい。
電柱の傍には花だけなく、お菓子やジュースも供えられていて。
そこには1人の中学生らしき少年の姿があった。
彼はその花たちをじっと見つめてから、
目を閉じて手を合わせる。
何分間そうしていたのだろうか。
目を開いて俺の存在に気付いた彼は、
一瞬驚いてからペコリと頭を下げた。
俺も礼を返してから、
電柱の傍に花を供える。
「・・すっげー優しかったんです。」
ポツリ、と語りだした彼は涙声で。
「いい奴だったんですよ本当に。いつも人のことばっか考えてて。」
「・・そうなんだ。」
「こいつの事が嫌いとか、そんなこと絶対になくて。」
「・・うん。」
「本当に、本当に。」
「そんなつもりじゃなかったのになあ。」
そう吐き出した彼の声が大きく震える。
こらえきれず、彼は泣き出して。
「ごめんなさい・・良太も、先生も・・ごめんなさい・・」
彼の背中に手を添えてさする。
まだ中学生だ。その体は小さくて。
後悔、しているんだろう。
いじめを行っていた彼らは、
現在も亡くなった子の両親の下へ謝りに通っているらしい。
まだ一度もお線香をあげさせてもらえた事はない。
玄関にすらあげてもらえたこともない。
でもそんなの当たり前だ、と泣き終えた彼は言う。
許してもらえないのなんて当たり前だ。
それだけの事を自分たちはしたんだ。
「これから俺たちに出来る事を考えていきます。」
そう言ってから彼は深く礼をした彼の目は、
とても真っすぐで。
彼は決めたのだ。
自分たちの過ちを認めて、
でもそれでも進んでいくと、決めたのだ。
拓海さんに知らせてあげたいな、
そう思ったけど、きっと彼の事だ。
すぐ傍で見守ってあげてるんだろうな。なんて。




