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天色のなみだ  作者: 夏目はるの
62/70

第62話

「…ありがとうございます。」


落ち着いた俺に、雨野さんはコーヒーを淹れてくれた。


無言のままで時間が過ぎていく中、

机の端にある1枚の写真に目が止まる。


写真はかなり色褪せていて。

そこには仏頂面の雨野さん、

その隣には綺麗な女の人、そしてまだ5歳くらいだろうか、

小さい男の子が写っていた。


俺が写真を見ているの事に気付いたのだろう。

雨野さんがゆっくりと語り始める。


「俺の妻と息子だ。…もう死んじまったけどな。」


そう言って、彼は悲しそうに目を伏せた。



若い頃の雨野さんは一般企業でサラリーマンとして働いていた。


仕事熱心で頭の回転も早かった雨野さんは順調に出世し、

仕事がなによりも大切だっだそうだ。


毎日朝は早く、帰ってくるのも妻と息子が眠った後。

休みの日も出勤して仕事をこなし、家族で食事する機会もほとんどなくて。


それでも奥さんは何一つ不満も言わず、

わがままを言う息子さんをなだめていたそうだ。


そんなある日、仕事終わりの雨野さんに一本の電話が入って。

知らない番号からの電話、不思議に思って出れば。



「…雷にでも打たれたのかと思ったよ。」


そのくらいの衝撃だった、そう言って雨野さんは笑う。

その表情はとても悲しくて。


買い物帰りの奥さんが運転する車が、トラックと正面衝突した。

原因は向こうの信号無視。


奥さんも息子さんも、即死だったそうだ。


「死ぬほど後悔した。

…いや、死んでしまおうと思った。」


彼は失ってから始めて気がついたのだという。


一番大切なものは何なのか。

どれだけ妻と息子に寂しい思いをさせていたのか。

側に人がいてくれるのは当たり前ではなかったのだ。



伝えたくても、

もう感謝の言葉も謝罪も何一つ聞いてもらえないのだ。



俺は旦那としても父としても最低だった、

そう言って雨野さんは自分のことを嗤う。


その後家族で暮らしていた家を売り、

会社も辞め、

なにかをやる事もなくただ日々を過ごしていた雨野さん。


そんな彼は、ある日。

俺と同じように急に外に出る気になったのだと言う。


久しぶりの外出に眩暈を覚え、

なんとなく立ち寄った古ぼけた珈琲店。


中には、1人の老人がいた。


「…俺もお前と同じ経験をしたんだよ。」


雨野さんは俺の方を見て優しく笑う。



…雨野さんも奇跡を見たんだ。

俺と同じ。

大切な人に、もう一度会うことを望んだんだ。



「この店はその時の老人から譲り受けたんだ。ただ俺は彼の事は何も知らない。名前すら分からない。…ただ。」


そこまで言って、雨野さんは俺をまっすぐに見る。


「…『いつか。いつかお前と同じような子が現れるだろう。過去は変えられないと分かっていても、大切な人に会いたい、そう望む人間が。』」



「『そいつの願いを叶えてやれるのは、きっとお前だけだよ。』」



老人の言葉を繰り返した彼は、

仏頂面を崩して微笑む。


再び泣きそうになるのを堪えて、

言葉を絞り出す。


「…今のは…夢だったんですかね。」


俺の言葉に、そうかもしれないな、と雨野さんは頷く。

頷きながら、でも、と彼は言う。



「俺は見てたよ、お前と奈月の事。」


胸が熱くなって、

涙が溢れないように上を向いた。


その時、チャリ、と首元からききなれない音がして、

驚いて首元に手を持っていけば。


「っ…!」


駄目だった、また涙が溢れた。

喋る事も何もできなくなって、嗚咽が漏れる。


俺の首元にあったのは、

奈月にあげたリング型のネックレス。


無くなってしまったはずの、ネックレス。


指で何度もその形をなぞる。


夢でもいいと思った。

この珈琲店に来たのも、雨野さんに会ったのも、奈月にもう一度会えたのも。

全て夢だったのだと。目を覚ませば俺はまだ部屋の中で寝ているんじゃないか。


…それでも、いい。

夢でも奈月に会えたならそれだけで十分なんだと。


でもネックレスはここにある。

あるはずのないものが、ここにあるのだ。


2人で見たあの天色の海は、

嘘では無かった。


嗚咽を漏らす俺の肩を雨野さんがさすってくれる。




…奈月、奈月。


最後まで側にいてやれなくごめんな。

ネックレスがあったから寂しくなかった、そう言ってお前は笑ったけどさ。

ほんとは心細かっただろ。昔から人に本心見せないもんなあ、お前は。



…奈月。



ごめんな。




もう一度俺に会ってくれて、ありがとう。

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