第57話
目を開くと、俺が立っていたのは先程までいた珈琲店が裏に見える古い建物の前で。
立てかけてある看板には、『篠山荘』と掠れた文字で書いてある。
…ここは、宿、なのか?
「…ここにはお前と俺を含めて5人住んでいる。」
不意に聞こえてきた声に驚いて隣を見れば、
そこには雨野さんが立っていて。
「ここは家だよ、お前達の。」
そう言って微笑んだ雨野さん。
…不思議なことばかりだ。なぜは俺はここにいるんだろうか。
少し考えてみるけど、そんな事わかるはずもなくて。
でも、もうそんな事どうだっていい。
不思議と焦りや戸惑いはなかった。
ああ、奇跡が起こってるんだ。
涙が溢れそうになるのを必死で堪える。
時間は奈月がいなくなるちょうど1年前。
そこには、奈月以外に2人の人物がいた。
2人とも、一目みてすぐに誰か分かった。
といっても知り合いだった訳ではない。
2人を見たのは、テレビの画面の中。
奈月が自殺した日、同じ日に自殺した人物がいたのだ。
「あら、新しい入居者?」
俺を見て、彼女は嬉しそうに笑った。
少し話しただけでも彼女の人柄の良さはにじみ出ていて。
それはテレビで流れていたあの写真と同じ笑顔だった。
__ 今井鈴香さん。
彼女は、正義感の強い女性だった。
昔から誰かが誰かをいじめている事があればすぐに飛んでいって、
ボコボコにされても決して屈しない。
人一倍優しい女性だった。
そう、画面の中でアナウンサーは語った。
そんな彼女は大学を卒業して無事会社に就職し、
一見順風満帆な生活を送っているように見えた、が。
女性が多数を占めるその会社の中では、
新入社員へのイビリが常習化していたのだ。
全員に対してではない、的を1人に絞って。
その対象は鈴香さんではなかった。
対象となったのは、鈴香さんと同期で入社した女子社員で。
誰もが誰も見て見ぬ振りをした。
理不尽に怒鳴られる彼女を見て、
無理に仕事を押し付けられる彼女を見て、
それを見て高笑いする周りの社員を見て。
…けれど、彼女だけは違った。
鈴香さんだけは、見て見ぬふりをしなかったのだ。
理不尽に怒鳴る上司を指摘し、
仕事を押し付ける事に真っ向から意見を言い、
笑っている社員にあなたは間違っている、と何度も注意をした。
しかしそれで収まることはなく。
事態は悪化していってしまう。
徐々に鈴香さんにも仕事が押し付けられるようになった。
勤務時間内に終わらないような量の仕事を押し付けられ、
ミスをしていないのに怒鳴られる。
『本当にっ…本当にいい子で…っ…。』
テレビの中で泣きながらそう語っていたのは、
最初にターゲットにされていた鈴香さんの同僚らしい。
インタビューの中で、その同僚は涙を流しながら鈴香さんの直前の様子を語る。
彼女は、それでもずっと笑っていたそうだ。
理不尽な上司の攻撃に耐えながら、
押し付けられた仕事も夜遅くまで残って全て片付け、
毎日、笑っていたのだ。
ごめん、私のせいで。その同僚がそう謝れば、
何言ってんの、あなたは何も悪くないでしょ。そう言って明るく笑って。
亡くなるその日も普段と変わらない様子だった、と彼女は語った。
いつも通り上司の罵倒に耐えて、仕事をこなして、本当にいつも通り。
笑って、会社を出て行った。




