第50話
気づけば、俺は古びた珈琲店の中にいた。
店に入ってきた時の位置に座ったままで、
目の前の古ぼけた鳩時計の示す時間は変わっていない。
…今のは全部、夢だったのだろうか。
そんな事をボーッと考えていれば、
目の前に差し出されたのはティッシュ箱で。
「あれ、なんで…」
その時、俺は初めて自分が泣いている事に
気がついた。
一度気づけば涙は留まることを知らなくて。
ついには声を出して泣き出してしまう。
そんな俺の背中を、ここの店主である彼_雨野さんは静かにさすっていてくれた。
_ 奈月と俺は、幼馴染だった。
小さい頃からずっと仲が良くて、何をするにも一緒で。
小さい時、奈月の家に遊びに行ったこともあったが、とても優しい両親だったのを覚えている。
けれど小学5年生の時、奈月の両親が離婚した。
原因は母親の浮気だったらしい。
後で奈月は笑って話してくれたけど、
無理してるんだろうな、そうすぐに分かった。
奈月を引き取ったのは父親で、
その日から、彼女の生活は変わった。
父親が、暴力を振るうようになったのだ。
「…おい!奈月!」
中学2年生の春、教室で友達と談笑している奈月に廊下から声をかければ、
キョトンとした顔で俺を見る。
「なに?」
そう言って首をかしげる奈月に少し腹が立って、
無言で手首を掴んで教室から連れ出した。
「ちょっと!!」
文句をいう奈月を引っ張って、
連れてきたのは誰もいない中庭。
「どうしたの?痛いんだけど!」
怪我してたら責任とってよね、そう言って奈月はおどけて笑う。
そんな彼女の上着の袖をまくれば。
「…っ…!」
見えたのは最近できたばかりの、痣。
それも一つじゃない。
何個も何個も、重なるように痣が出来ていた。
「…嘘ついたのかよ。」
俺の言葉にあちゃー、と奈月はおどけて舌を出す。
中学校に入ってから暴力は減った、
奈月はこの前そう言っていたのだ。
俺がため息をつくと、奈月はまた笑う。
けどその笑顔はとても痛々しくて。
責めるつもりはない。
奈月の事だ、心配をかけたくなかったのだろう。それは分かっている。
昔から奈月はそういう奴なのだ。
自分がどれだけ辛くても、周りを心配させないようにとにかく笑う。
…でも、これだけ一緒にいるんだ。
その笑顔が本物か偽物かなんて、
すぐに見分けがつく。
俺が何も言わないのを怒ってると解釈したのか、ごめん、と俯いて謝る奈月。
「…俺には嘘をつかない事。」
「…はい。」
「無理して笑うのもやめる事。」
「はい。」
「数学の課題写させてくれる事。」
「それは嫌。」
「ちえー。」
そんな彼女の頭をぽんぽん、と叩いてから笑えば、
彼女も上を向いて楽しそうに笑う。
俺が奈月にしてあげれる事なんて全然無くて、
彼女の苦しみを完璧に理解する事はできない。
でも、絶対に側にいよう。
彼女が無理して笑わなくて済むように、
苦しい時は苦しいと言えるように。
そう、心に決めていた。




