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天色のなみだ  作者: 夏目はるの
44/70

第44話

熱からも回復して、

しばらくは落ち着いた日々が続いた。


2人がいなくなった篠山荘はとても静かで。

でもそれを誰も口には出さなかった。

…いや、出せなかったのかもしれない。



「奈月、今日委員会で遅くなるから先帰ってて。」

「分かった。」


わざわざ教室にまで言いに来てくれた要に手を振って、教室を出る。


篠山荘に着いて、ふと、雨野さんの珈琲店に行ってみようと思い立った。


篠山荘の古びた階段を進んで、

裏口から外へ出れば、そこにはもう雨野さんのお店がある。


路地裏に溶け込む珈琲店はとてもおしゃれとは言えないが、

なにか不思議な雰囲気があった。



「…雨野さん?」


ガラガラ、とドアを開ければ、

鼻をくすぐるコーヒーのいい香り。


開店前のため中にお客さんはいなかった。


入ってすぐ目についたのは古ぼけた鳩時計。

壁にはモノクロの写真が貼られていて、

周りの棚には壺や時計、様々なものが飾られていた。


一見ただ古い物を集めたようにも見えるが、

なにか不思議な魅力を感じる。


まるで、ここだけ時が止まってるみたいだ。


「…ここに来るなんて珍しい。」

「すみません、お邪魔でしたか?」


店の奥から現れた雨野さんは、私の言葉にゆっくりと首を振る。


そして私にカウンター席に座るように促すと、

コーヒーを一杯淹れてくれた。



時々コーヒーを啜りながら、特に会話することなく過ぎていく時間。


会話がないからといって気まずい訳ではなく、とても心地よく時間は流れる。


不意に、机の端っこに立て掛けてある写真に目が止まった。


「…それ、雨野さん?」


写真はかなり前のものだろうか。

まだ若い雨野さんが今と変わらない仏頂面で写っていて、

その側には綺麗な女の人、そしてまだ5歳くらいだろうか、小さい男の子が写っていた。


「…ああ。」


私の質問に短くそう答える雨野さん。


…奥さんと息子さんだろうか。


そう言えば私、雨野さんの事なにも知らないなあ。


それ以上人の事情に首を突っ込むのも躊躇われて、じっと写真を見つめる。


女の人は、とても優しく笑っていた。

男の子は少し緊張した面持ちをしていて、

写真を撮る事はあまりなかったのかな、なんて思った。


しばらくして、写真を見ながら思いを巡らせていた私を

雨野さんがじっと見つめていることに気がつく。


「…どうかしましたか?」


そう尋ねると、雨野さんはゆっくりと口開いた。


「…人には人の人生があるんだ。」


ちらっと写真に目を移した雨野さんは、

それから真っ直ぐ私を見て。


「その人生はその人にしかつくれない。」


雨野さんの言葉には重みがあった。

…そして、どこか悲しかった。


なぜか少し泣きそうになって俯いた私に、雨野さんは表情を緩める。


「だから、その人の人生が幸せだったかなんて、本人にしか分からないんだ。」


さっき写真を見たときの雨野さんは、一瞬だけだけれど、とても悲しい目をしていた。


彼にはきっと昔、なにかがあったんだろう。



私を見て、雨野さんは優しく笑う。


「人生の価値を決めるのは周りじゃない。

…奈月、お前自身だ。」



その言葉は、すっと胸に染み込んだ。


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