第42話
いないでほしい。
だってそうだ、この時間には誰もいるはずがないのだ。
雨野さんはコーヒー豆の仕込みをしていて、
要は学校に行っていて、
拓海さんは学校で授業をしている。
だから、この時間に篠山荘に人がいるはずない。
…いるはずないのに。
「…っ…なんで…。」
その人は、突然帰ってきた私に驚いて目を見開く。
なんで、はこっちの台詞だ。
どうしてここにいるの。なんで。
「…たくみ…さん…。」
拓海さんは大きなキャリーバックを持っていて、
玄関の扉に手をかけていた。
出て行こうとしているのは、明らかで。
心の中はぐちゃぐちゃで、
訳が分からなくて、
しばらく視線だけが交わる。
突然現れた私に硬い表情をしていた拓海さんは、一旦顔を伏せて。
突然、何かを諦めたように、笑った。
「…奈月。」
あまりにも優しい声で私を呼ぶから、堪え切れなくて涙がこぼれだす。
そんな私に近づいた拓海さんは、泣いている私を見て困ったように笑う。
「奈月。」
彼はもう一度、私の名前を呼んで。
「お前の人生はお前だけのものだ。」
「っ…」
「誰かのせいにするなよ、絶対。」
そう言って私の頭をポン、と叩いた。
しゃくりあげる私に、彼は優しく笑う。
「…じゃあな。」
そう言って拓海さんは歩き出す。
待って。
訳が分からない。
どうして急に。
そんなこと言われたって。
ねえ。
行かないで。
言いたいことはたくさんあった。
けれど声を出すことができなくて、
追いかけようと思っても、地面に縫い付けられたように足は全く動かない。
拓海さんは一度も振り返らなかった。




