05:雇用条件
「ちょっと、部屋って、まさか、わたしの部屋に行く気なの。バカ言わないで、部屋くらい、自分で取りなさいよ」
慌てふためくユニスに向かい、晶斗はにかっと舌を出した。
「だって俺、文無しで宿無しだもん。給料前払いしてくれるなら、自活するけどさ?」
くれ、と右手を出す晶斗のふざけた顔と提案に、ユニスは言葉が出なくなった。
晶斗は、すぐ手を引っ込めた。
「なら、これで決まりだな。俺だって切実なんだよ。あ、それから、安心してくれ。雇い主には手を出さないのが信条でね」
「そういう問題じゃないわよッ!」
とにかく落ち着かねば。お茶を一口飲もうと、ユニスは右手でカップをわしっとつかんだ。
ピシリッ。
ユニスの手の中で、カップが砕けた。
カップの底に残っていた薄紅色のスパイスティーが受け皿にあふれ……は、しなかった。
しまった!――――……苦苦しい思いでユニスは右手を開いた。
崩れかけた陶器の破片は、カップの形を留めた薄紅色の氷の塊に閉じ込められていた。
カップが割れたのはユニスの握力に非ず、理律の力だ。空間を操り歪みを整える力が引き起こした歪みの結果。それが近くにあったカップに作用した。ほんの一瞬、沸点を越えた怒りと焦りの暴発。子ども時代以来の大失態だ。
「ったく、もう! 人の神経を逆撫でして、何をしたいのよ」
ユニスが両手を置いたテーブル表面から、純白の冷気が噴き上がった。
周囲の温度が急速に下がっていく。
白い冷気はテーブルのふちから滔々と流れ落ちた。
「おっと」晶斗が一歩、テーブルから距離を取った。
流れ落ちた白い冷気が、晶斗が座っていた椅子に触れる。と、椅子のクッション部分が一瞬で白く凍結した。冷気は床を這って広がっていく。空気で薄められた冷気は凍結させる力こそ失っていたが、足下にあり得ない冷風を感じた周辺の客席が大きくざわめいた。
あの娘、シェイナーだわ。
まあ、あんな女の子が?
こんな処でシェインを使ったの?
あらやだ、危険じゃないのかしら。
――――客は、我先にレストランから出て行った。
従業員は入口近くで、成り行きを見守っているようだ。ユニスは心の中で舌打ちした。保安局にはすでに通報されているだろう。保安官が来るのは時間の問題だ。
「それが君の得意技か。おもしろいことができるじゃないか」
晶斗だけが、ユニスの真正面で薄笑いを浮かべていた。さっきから立っていた位置から身動き一つしていない。
「あなたこそ、いい度胸だわ。いいわよ、雇ってあげても」
ユニスはサッと椅子を立った。スパイスティーで赤く染まった右手を振る。指先からバラ色の細かい氷が剥がれ飛んだ。その手でびしっと晶斗を指差した。
「ただしっ! わたしのテストを受けてもらうわよ。遺跡に入って、迷宮の中を遅れず連いて来られたなら! 雇ってあげてもいいわ」
「未固定の迷宮を踏破するってやつか。いいだろう、準備は?」
晶斗の顔からおどけた色が消えた。
乗ったな! と、ユニスはほくそ笑んだ。
「用意は何もいらないわ。安全はわたしが保証してあげる」
「なるほど、遺跡の中に置き去りにはしないか。親切だね」
晶斗が初めて顔を歪めた。
もう一度迷宮に入るのは、迷宮で遭難した晶斗にとっては死に等しい恐怖のはずだ。歪みは未知の恐怖であり、遺跡はその塊である。もしも遭難したら、二度目に助かる保証はないのだ。
「あら、嫌なら断ってくれていいのよ。だって、普通の人は、遺跡地帯に近付くだけでも危険ですもの」
ユニスがわざと意地悪な言い方をすると、晶斗がぎりっと歯を食いしばったように見えた。
「……いいだろう、いつやる?」
やらないと言わなかったのは、護衛戦闘士のプライドか。
護衛戦闘士がいくら強くても、しょせんは普通の人間だ。何の準備もせずに未固定の遺跡に入り、迷宮を踏破して出てくることはできない。
シェイナーではない人間が迷宮で迷うのは、死の宣告に等しい。
これまでユニスをシェイナーと知った上で声を掛けてくる連中は、たいがいこの条件を聞いた処で引いて逃げ出したものだった。
だが、晶斗は、ユニスに読み取れるような怯えや虚勢は見せなかった。
ユニスのことを若すぎるからと馬鹿にもせず。
凍りついたテーブルを見てもバケモノ扱いすることもなく。
ユニスが何と答えるのかを待っている。
「今夜よ。月が出てからね」
気が付くと、ユニスは笑顔で応じていた。




