054:ヒアデス・クラス⑨
ユニスは静かな水面に飛び込むように、すんなりと壁面に入った。
ユニスが壁に入った後で、目を剥いていたフラッターは、晶斗が落ち着きはらっているので、さらに面食らっていた。
「俺は二十年ほど遺跡を発掘しているが、あんなことができるシェイナーなんて見たことないぞ」
「俺もあいつに会うまでは信じられなかったけどさ。あいつが大陸でも最高のシェイナーなのは保障するぜ。なんてったって、俺の相棒だしな」
晶斗は薄笑いを浮かべていた。フラッターがユニスに感心しているのが嬉しいらしい。
「変わった惚気もあったもんだな。お嬢さんはシャールーン帝国の特産品ってわけか。まあ、世界広しといえど、シェイナーが生まれるのはこのルーンゴースト大陸だけだしな。あのお嬢さんは……もしかしたら、この遺跡よりも価値が在るぞ?」
ルーンゴーストの外には、シェイナーがいないのか? いや、大陸の周辺諸国に、シェインの作法は大なり小なり、形を変えて存在する。だが、対極する科学文明サイメス、この世界で二番目の大陸には、国境以外に歪みは存在せず、遺跡も無く、シェイナーは生まれないという。
「おい、このセンサーの反応は――なんて娘だ。あっという間に、七つの壁を通り抜けやがッた。おなじ階層内とはいえ、普通に移動したら五時間はかかる距離だぞ」
フラッターが息を呑む。
「一瞬でこの階層から反応が消えた。一秒以内に、上下の二階層以上を移動したのか。なんてやつだ!」
「俺ら、いらないよな。外で待ってるか?」
ユニスは走る速度を上げた。
壁も床も関係無く、すべてが通り道になる。今は下るだけだが、その気になれば、重力を無視していくらでも上昇できる。天井も障害にはならない、山より高い迷宮の頂上までも、ひとっ飛びで行けるだろう。
「体もこれまでより軽いし……あたしの能力すべてが強くなったみたい」
守護聖都の神殿でプリンスのテキストを踏破してから、透視能力が格段に冴えたのは気付いていた。濃い色つきサングラスが、ある日突然、透明レンズになったような感じだ。プリンスのおかげと思うのは少少癪に障るが、この事だけは感謝しても良いだろう。
その頃、ユニスに待機を命じられた男二人は、センサーをチェックする片手間に、次善の策を相談していた。ところが、マックス保安官から遺跡破壊用の機材を貰おうという内容が、なぜかユニスと晶斗の事情に滑っていた。
「ところで、君たちはどこまでいっているんだ。結婚してもこの仕事を続けるのか?」
「俺たちは仕事でトリエスター教授に雇われているだけだ」
晶斗はひどく冷めた言い方で返した。ユニスはドキリとした。やはりシャールーン帝国の冷凍少女絡みで変な噂が立つのは迷惑に思っているのだろうか。
「なんだ、君たち、蹴砂の町のホテルでも同じ部屋に居たのに、恋人になってないのか?」
「だから、コンビを組んでいるだけで……。いや、それよりあんた、なんで俺たちの泊まっていたホテルの部屋まで知っている?」
「朝の大通りでラディウスを渡す渡さないの大騒ぎをしていただろう。あの日の午後には町中の発掘屋が、君たち二人の事を知っていたぞ」
ユニスは走りながら頭を抱えた。
町中であんな大騒ぎをしたのだから、噂になって当然だった。今度からはすぐに逃げよう。きっと噂を聞いた人はフラッターのように、ユニスと晶斗が恋人同士だと誤解している。
それでなくても冷凍少女のユニスを知っている人は多いのに、晶斗が東邦郡に帰った後、ユニスが一人で遺跡地帯にいたらどんな好奇の目を向けられるか怖い――――。
「怪しいな。あんたはいつからユニスに目を付けていたんだ?」
「あの日の午後さ。俺が目を付けたのは帰還者の方だよ。君が保護された日にマックスから聞いた。遺跡地帯の保安局全部に、近年の遭難者の身元について問い合わせがあったんだ。回覧はそれっきりだったが、俺は勘を働かせて、すぐに蹴砂の町へ調べに行ったってわけさ」
「それで駅で待ち伏せしてたのか。やけに良いタイミングだったな」
「君らがカップルなら、勧誘も簡単なのにな。優秀なシェイナーも帰還者も大歓迎だ。君だけでも契約の件は考えておいてくれ」
「断っておくよ。俺は絶対にあいつとのコンビは解消しないつもりだからな」
あれ? 今の会話だと晶斗は東邦郡に帰らないつもりなのかしら?
ユニスはシェインの耳を澄ましつつ、次次に壁を通過しながら、二つに分けていた透視力を、さらに分割した。目的地に固定してある分と、自分の進行方向の索敵だ。晶斗を見守る分は絶対に動かさない。これで透視は三つになった。
ユニスが意識して同時に操れるシェインは五つだ。今は透視、身を護る結界、移動する空間移送に分散されている。
もしもこの状況で魔物とか遺跡荒らしなんかに遭遇したら、ちょっとまずい。
そうか、シェイナーが護衛戦闘士と一緒に行動するメリットはそこにあるのか――――ユニスは目を細めた。だったら、晶斗の言うように、コンビをずっと組んでいても、良いかもしれない。晶斗はマユリカから冷凍少女の話を聞いても、ユニスへの態度を変えなかった奇特な人種だし――――。
遠くの通路に人影が座る。若い母親が赤ん坊に顔をよせ、かたく目を閉じていた。
「以前のわたしの透視力なら視えなかったな。これだけはプリンスに感謝ね」
壁から飛び出したユニスを見て、母親は悲鳴を上げた。赤ん坊をぎゅっと抱きしめる。
「落ち着いて! 助けに来たのよ!」
壁に当てた手の下の影が、渦巻き状にぐにゃりと歪む。シェインで無理やり空間をねじ曲げ、通路を繋ぐ。ポッカリ開いた暗い穴は、門のある階層の、晶斗たちの待つあの場所へ直通のトンネルを形成する。空間には当然、過負荷がかかる。その代償としてあちこちに危険な歪みが生じるが、そこは抜かりなく抑えてある。だからユニスが死ぬか能力が消えないかぎり、このシェインのトンネルは安全に保たれる。
母親のいかっていた肩がガクリと落ちた。
「こんなことができるなんて、あなた、シェイナーなの?」
「そうよ。さあ、入って。すぐに外へ出られるわ」
並んでトンネルを歩くこと、わずか十数歩で、ユニスは晶斗とフラッターの前に戻って来た。
「よ、おかえり」
晶斗がへたり込む母親から赤ん坊を抱き取り、母親の方はフラッターが軽軽と横抱きに抱え上げた。
「よし、門まで戻ろうぜ」
「待って、歩かなくても良いわ」
ユニスは前の壁に手を当てた。たちまち暗いトンネルが穿たれる。
「その向こうが、外よ」
トンネルは三歩で明るい外に出た。
村の広場だ。ユニスたちが入った遺跡の門からは、やや東にずれている。振り向いたトリエスター教授たちから喝采の声が上がる。母子は待機していた医療チームの手に引き渡された。
「おい、ユニスくんはどこに行った?」
トリエスター教授が晶斗に訊ねる。
でも、ユニスはもう外にいなかったので、返事はできなかった。
晶斗が「えっ?」と辺りを見回すが、シェインのトンネルはとっくに消した。
「あいつ、迷宮に残りやがった!」
晶斗が怒っている。
ユニスは迷宮の通路を走りながら、シェインの目と耳ですべてを把握していた。




