050:ヒアデス・クラス⑤
「ちっ、遅かったか……迷宮に呑み込まれた」
音もなく、なんの跡も残さずに消えてしまう。その恐怖を誰よりもよく知る暗い眼が、ユニスのすぐそばにあった。
「遺跡の迷宮を探索して遭難者を救助するのは、時間との勝負だ。君ならどうする?」
晶斗の声が急によそよそしく聞こえた。
ユニスはためらいなく即答した。
「助けに行くわ。あれが入り口なのよ。遺跡のほとんどはあの上に滞留しているわ。もう動いていないから、これ以上は落ちて来ないと思うわ」
ユニスの説明が聞こえた人々は、急いで持ち場に戻って来た。機材をチェックし、アラームを解除し、新たな探査設定に切り替える。
「トリエスター教授、遺跡に入るわよ。お望みの迷宮踏破、わたし一人でしてやろうじゃないの!」
「よく言ったぞ、ユニス君! 我我がフォローしてやるから、安心して走ってこい。……あの門は窓の外へ向いているな。ここには、あの高さに届く足場はない。家の中からはくぐれない角度だ。さて、どうするかな……」
「ふ、オレの出番だな」
マックス保安官の呟きが聞こえると、その周囲にいた人人が、潮が引くように、ずざざっ、と距離を取った。マックス保安官を中心にドーナツ状のスペースが確保される。マックス保安官は細いロープの束を肩にかけ、ニヒルに佇んでいた。
「あの窓の上にフックを打ち込んで、ロープを伝って上ればいい」
「良いアイデアだ。ユニス、俺のトランクを出してくれ」
ユニスが右手を上げて下ろすと、黒いトランクを持っていた。晶斗の護衛戦闘士用アイテム入れだ。おお、と複数の驚嘆の声があがった。
「理律のポケット(ホール)を使いこなしているぞ! あの歳でたいしたものだ」
「どうしてあの子は学術院どこにも所属していないんだ?」
「ぜひうちの研究室にもらいたい。スカウトの懸賞金はまだ有効だったはずだ」
すると、トリエスター教授のやけに得意げな声がした。
「ふっ、残念だが、冷凍少女の懸賞金額は、うちの学術院が現在もダントツでトップだ。この件が知れ渡ったら、また額が跳ね上がるだろう」
厳かな予言にも似たトリエスター教授の宣告に、学者の面面から、おお~、と感嘆の声が上がる。
「だから、賞金首じゃないってば!」
「落ち着けよ。それだけシェイナーとしての評価が高いってことだろ……たぶん」
悔しそうに呻くユニスを、晶斗はトランクを開けながら、目を合わさずになだめた。トランクからいくつかアイテムを出し、ガードベストとベルトに装着する。
マックス保安官は大きな手の中でロープの端を細工した。
「昔は大型ライフルを使ったものだが」
そして、スチャッと腰の銃を構え……腹の肉に邪魔されて手が届かない。左手で腹の脂肪を寄せ、銃をホルスターから抜いた。その銃身の先に、鋭い鈎爪型の金属を取り付ける。
「むんっ!」
パンッと、銃声がとどろいた。一瞬遅れで、ヒュルヒュルとロープが宙を泳ぎ伸びる。ロープの先端は窓枠の下に、宙ぶらりんに垂れさがった。
窓枠のあたりに、晶斗は目を凝らした。
「えっ、今の、なにを撃ったんだ?」
「ロープの端に細い糸を結んで、糸を通したフックを撃ち出したんだ」
と、晶斗の隣でフラッターが解説する。妙にしみじみした口調だ。
「昔はもう少しスリムで、それなりに様になったものだが……」
「今はあの体型なのにか! それ、どんだけ昔の話だよ!?」
「二十年ほど昔だな。早撃ちマックスといえば、遺跡地帯で知らぬ人はいない、一流の護衛戦闘士だったんだが……」
どこか遠い目になるフラッター。
「保安官になってから、ヤツは変わってしまったんだ……」
マックス保安官は、クイッ、と糸を引いた。ロープがするすると、生き物のように壁を這い上がり、窓の上のフックを抜けてまた降りてくる。その糸の端をフラッターに渡した。
「これをこの辺に固定してくれ」
マックス保安官の依頼に、フラッターは渡された糸を、手早くたぐり寄せた。ロープの端をつかみ、足元の石畳の継ぎ目にパウチから出したU型の楔で押さえ、ブーツの踵の一撃で打ち込む。反対の端を保安官が引き、通りの向かいの家の、窓の鉄柵にくくりつけた。細いロープが地上と窓枠をつないでピンと張られた。
「よし、行け」
トリエスター教授の指示に、ユニスは固まった。
「むちゃ言わないで。おさるじゃあるまいし」
「この前みたいに飛べないのかよ?」
晶斗が言うのは、神聖宮で世界の迷図 に入るとき、ユニスは軽く二メートル以上の跳躍をしたことだ。
「あの時は、世界の迷図の影響が強くて、あの神聖宮全体が遺跡の中の雰囲気に近かったのよ。この村の空間は普通だし、あの窓枠まで三メートル以上はあるもの」
「じゃあ、俺が先に上がって引きあげるか」
「そうしろ。下でのフォローはオレがしてやるよ」
フラッターが別のロープで輪を作り、ユニスにくぐらせて、両脇の下で大きさを調整した。その端を晶斗が腰に巻き付けてから張られたロープに左足を引っかけ、楽らくと登っていく。腕をのばせば窓枠をつかめる距離で、首から上が消えた。門の中の空間に、晶斗の頭だけが入ったのだ。
観衆が息をつめて見守る中、再び晶斗の頭が現れた。
「入り口付近に人はいない」
晶斗はロープから足をはずした。門の端に両腕でぶら下がり、つま先から門へ入れる。ロープをたぐるにつれ、足から腰へ、胴から胸へと消えていく。ロープから両手が離れて消え、窓の下に立つユニスのロープが、クイクイッと引かれた。軽く引き返すと、ロープのたわみがなくなり、ゆっくりとユニスの体が持ち上がった。 ユニスが入ると、フラッターは晶斗と同じくらい身軽にロープをよじ昇り、あっというまに門をくぐった。
ユニス達が通路を移動し始めた頃、外では、教授がディスプレイを再びチェックしていた。遺跡の中に検知できる生体反応が送り込んだ三人分しかないためだ。
「やはり、外からではこれが限界だな。マックス保安官、我我も入口の内側まで入りたいんだが、足場に利用できる特殊車両か何かはないのかね?」
マックス保安官は分厚い肩をすくめた。
「なにせ田舎だからな。高い脚立を集めて足場を組めるように手配しよう」
マックス保安官と入れ替わりに、カタヤが前に立った。
「教授、彼らは踏破していないのに、入り口付近は固定されつつあります。遺跡がこのまますべて実体化すれば……村は落ちた遺跡の下敷きになる。遺跡地帯ではかつてない大惨事だ……」
報告するカタヤの広い額を汗の玉が流れ落ちた。
トリエスター教授は顔をこわばらせた。トリエスター教授とカタヤの見守っていた人人が息を呑む。
「手をこまねいていれば、遺跡は自然に移動するかも知れないが、あの母子は助かるまい。いまわかるのは」
人びとはトリエスター教授に注目した。
「こいつを踏破すれば、歴史に名が残るのは確かだ」




