046:ヒアデス・クラス①
この日、守護聖都の神聖宮にて、ルーンゴースト大陸の全国家を代表する全権大使と、サイメス連合国家の全権大使団との緊急会談は、平和的解決を迎えた。――――と、翌早朝には二つの大陸全土に報じられることになる。
「終わりました。これで大陸間条約は締結されます」
プリンスが、ふふ、と笑った。その表情はこの上なく美しいのに、ユニスは何故か背筋が寒くなった。
プリンスはシャールーン帝国宰相であり、今回の大陸間交渉におけるルーンゴースト側の全権大使だ。政治的取り引きなど、ユニスにはさっぱりわからないが、ここにユニスが居ることも、ルーンゴースト大陸の運命を動かすために用意された小さな歯車の一環なのだ。
「もういいですよ。自分の身体に戻ってください」
「え、そんな!? 急に言われても、どうやればいいのか……?」
ユニスはキョトキョトと暗い空間を見回した。
ここに来たのは自分の意思ではない。プリンスのシェインで強制的に肉体から引っこ抜かれ、知らない空間にポトリと置かれた。自力で肉体に戻る方法がわからないので居るようなものなのだ。
えーと、と、ユニスが頭を抱えて一分くらい経った頃。
それまで傍観していたプリンスが、ツッ、と傍に来た。おもむろに左手を伸ばしてユニスの顎をくいと掴み、顔を上向かされた。そうして、ユニスを見下ろしたプリンスは、微笑を浮かべた美貌を、ゆっくりと近付けてきた。
ユニスは目を限界まで大きく見開いた。プリンスの藍色の瞳を真正面に覗き込み、口唇が触れそうなほどに近付いた刹那、
――――やだ、怖い!
固く目をつむって『逃げ出した』次の瞬間、ユニスは肉体の目を開けていた。
ユニスは、ベースキャンプのベッドの上で上半身を起こした。ユニスを呼びに戸口に来たスタッフの男性と目が合う。
空中のどこかで、プリンスが、くすっ、と笑ったような気がした。
あぶないところだった。もう少しでプリンスの熱狂的なファンに集団リンチに掛けられ、八つ裂きにされて敢え無い最期を遂げても文句の言えない弱味になる恐るべき事情を抱えてしまう危機的状況だった。…………と、ユニスが、恐怖のあまり目からこぼれた涙を拭きながら外に出たら、
「これはすごい。巨大な……最大クラス……いや、ヒアデス・クラスの迷宮だ」
ディスプレイ前でトリエスター教授たちが、新しい遺跡の発見に感動していた。
晶斗がディスプレイを横から覗いている。
「あまり聞かないな。どういう遺跡だい?」
さりげなく自分の手首のセンサーを作動させ、トリエスター教授の解析した情報を頂戴していた。
「遺跡の古語だ。太古、星の配列に沿った巨大迷宮群が世界に存在したという。その時代、数多くの迷宮を星の群れにたとえて、星団の名で呼んだ。それがヒアデスだ。神話の名残だな。今では伝説級の巨大迷宮をそう呼ぶ。こうしちゃ、おれん」
トリエスター教授は、コンソールキイをすばやく叩いた。
「固定は時間との勝負だ。カタヤくん、君らは先に行け。とにかく中へジャイロを飛ばすんだ」
てきぱきと指示を与え、自らも大きな機材の袋をひとつ、背負い上げる。
「おーい、ユニス君はどこだ? まだ寝てるのか。誰か起こしてきてくれ」
ユニスは人垣をかき分けて、トリエスター教授へ近付いた。
「君は普通の固定を見たことがないだろう。いつもは本能だけでシェインを使っているようだからな」
「ええ、遺跡に入るときは一人で走り回っているから、共同作業なんか、どーせ、できないわよ」
原始動物扱いされてカチンときたユニスは、やけくそで応えた。
「ばかもの、未知に探求せずして科学者がつとまるか。単位をやらんぞ」
「学生じゃないから、そんなのいらないっ!」
「雇われたシェイナーの分際で何を言うか。いいから、急げ!」
トリエスター教授に引きずられるようにして問題の起こった現場へ向かう。
そこはとある民家だった。空間の歪みは、肉眼では見えない。
トリエスター教授の研究チームが民家の前に機材を運んでくる。道路は狭く、大掛かりな装置が置かれると、たちまち通行止めになった。
近隣の住人が何事かと窓から顔を出す。興奮した空気は、村中に伝播した。村人が野次馬に出てくる。近所の家は屋根の上まで人がいっぱいだ。
カタヤは民家の玄関口に、ジャイロセンサーを設置した。
民家の三階の窓からは、赤ん坊を抱いた主婦が不安そうに見下ろしていた。
「原点マーク。ジャイロ、発射」
青いジャイロが二つ、射出された。青白い耀きの弧を描き、屋根の上に飛んでいく。ふっと消えた。遺跡の門へ入ったのだ。
むりやり教授に走らされて来たユニスは、晶斗の横でしゃがみ込んだ。
「も、もういや。こういう肉体労働は苦手なのよ。部屋で休憩してくる」
ユニスはゼイゼイと息を荒げた。
「ヤワいなあ、迷図の中ではあんなに走り回ってたくせに」
晶斗は戦ったりしてきたわりには、疲れた様子が微塵も無い。
「あれだけ動き回って平気なんて、晶斗の方が変なのよ」
「基礎体力の差だな。普段の鍛え方が違うんだ」
「普通の世界の方が体が重いんだから。だいたいシェイナーならトリエスター教授がいるから、わたしは……」
ユニスの右の頬に、晶斗の手が当たったので、ユニスは息を止めた。晶斗は左手指の甲側でそっと触れていた。「いなくてもいいのにッ」と続けようとしていた残りの言葉は、ヒステリックな気持ちとまとめて、音になる前に喉の奥で霧散した。
「その目、どうしたんだ。泣いてたのか?」
「これは、その…………ちょっと怖い夢を見て、逃げ出さなきゃ、と思ったところで、目が覚めたの」
とても言えない。
意識体での状況とはいえ、プリンスにキスされそうになったなんて、晶斗どころか、この世の誰にも言えない。
「なんだそれ。よくわからんが、何かあったら俺に言えよ」
ユニスが、うん、とうなずくと、晶斗はユニスの背中をポンと叩いてトリエスター教授の方へ行った。




