030:迷図の幻影
晶斗がドアに近づくより速く、ドアの前に、半透明な緑の球体が出現した。
「なにっ?」
球体は風船のように、どんどん大きく膨らんでいく。
ぽかんと眺めていたユニスを晶斗は片手でひっ抱え、隣の部屋へ飛び込んだ。
二人で引き戸の隙間から様子をうかがう。
「なにあれ?」
「わからん、センサーに反応はない。でも外には誰かいたようだ」
やがて、天井にまで膨張した球体は……。
音もなく、弾けた! その内側から深い藍色の闇があふれ出る。壁を、床を、天井をめがけて、闇は黒い怒濤のごとく室内を荒れ狂った。
闇にはまばゆい金銀の粉が溶け込んでいた。闇が室内に満ちると、光の粉は急激に輝きを強めた。きらめきながらあちこちで集合し、たくさんの小さな渦を形成し、くるくると右回りに回転し始める。
室内は、あっという間に、無数の小さい銀河が漂う、永遠の夜の宇宙に呑み込まれた。
ユニスはドアの隙間にへばりついた。
「うわあ、迷図みたい」
晶斗は、手首の装置を見下ろしていた。
「空間走査に切り替えても、歪みの反応はない。あれはただの幻影だ」
「わかるわよ、それくらい。シェインの波動を感じないもの。で、何かテはあるの?」
「面倒だから、消すぜ」
晶斗はベルトから銀のスティックを一本引き抜き、ドアの隙間から宇宙に投げ入れた。
スティックはコトンと床に落ちるや、スパークして青白い稲妻を生んだ。稲妻は銀の蜘蛛の巣のように広がり、ユニスの眼に閃光を焼き付けてから、宇宙の幻影もろともに、消滅した。
ユニスは引き戸を大きく引き開けた。
沈黙した銀のスティック近くに、透明な卵形の物体が落ちている。内部には虹色の光が瞬いていたが、晶斗が拾うと光は消えた。
「3D投影装置だ。サイメス製のやつだな」
世界にはいくつかの大陸があり、最大の二つがルーンゴーストとサイメスだ。
二つの大陸には異なる文明が発達した。
ルーンゴーストでは太古より『理律』を主に据えた文明が育まれ、サイメスではシェインの無い文明が進化したのだ。
「こんな小さいのが? 鮮明な幻影術はハイレベルのシェイナーでも難しいのよ」
「サイメスの科学も、ようやく理律の文明のレベルに追いついたってことさ」
そのとき、透明卵の中心から、丸い影が膨れ上がった!
「わっ!」
と、晶斗は透明卵を放り出し、ユニスは隣室に走り込んだ。
影は不格好な短い手足をそなえていた。二頭身の擬人画めいた姿だ。大きな頭をもたげて、太い腕を振り上げ、晶斗の頭上から落ちかかった。
跳んで退いた晶斗の、右手の指先から一条の銀線が伸びて怪物の影に繋がる。
ユニスの目が捉えたのは光の軌跡。直線に飛んだガードナイフの残像だった。
影は、縦真っ二つに切り裂かれ、ゆうらりと左右に分かれて、空気に溶けた。
淡い色の絨毯に、ガードナイフの黒い柄が突き立っている。
晶斗は靴の先で、透明卵の残骸を軽く押した。破片が崩れ、カシャリと鳴る。ガードナイフを絨毯から引き抜くと、腰の後ろの鞘に収めた。
「二重の罠だ。壊れたと安心して触れば、もう一度発動する。でも殺す気はないらしいな。さっきのも今のも、殺傷力はゼロだ」
「イタズラにしては、やけに凝っているわね」
カケラの傍にユニスはしゃがんだ。割れたら、ただのガラスみたいだ。
「珠は無事か?」
ユニスは右肩の斜め上を、ちらりと目をやった。
「シェインでは何も変わったことは感じないわ。珠は理律のポケットの中だもの。あ、でも、わたしより強い人なら、無理矢理取り出せないこともないけど。この列車には他のシェイナーはいないと思うわ」
晶斗は切符の確認に来た車掌に、ほかの乗客について尋ねてみた。この列車は昨夜遅くに用意された臨時便で、客数は少ないらしい。
「予約客は俺たちだけだ。残りは遺跡地帯と聖都を往復する発掘家とか護衛戦闘士みたいなヤツばかりだな。疑えばキリがないや」
晶斗はドアの外に動態センサーを付けた。これで廊下の様子がチェックできる。
ユニスは晶斗に言われ、シェインの結界なるものを作り出した。
「細かい作業は苦手なんだけど……」
両手の間に淡い光の珠を結ぶ。それを大きくして、部屋を丸ごと包むように、力の障壁を張るのだ。
ユニスが作り出したシェインの光は、空間に溶け込む前には、能力者ではない晶斗の眼にも光の色が見えるほど強かった。光の強さはシェイナーの能力の強さだ。それは水色と薄い緑と、柔らかなバラ色が入り交じった美しい輝きだった。
「シェイナーの障壁の光なんて、初めて見たよ。君は、いったいどれだけ強いシェイナーなんだ?」
晶斗は感嘆しきりだったが、ユニスは肩を竦めた。
「そんなの知らないわ。シェインの強さを測った事なんてないもの」
結界を張り終えると、光は消えた。
これで、ユニスの意に沿わないシェイナーやそのシェイン、装置類の影響は、一切入れない。
「サイメスの装置を使うなら、あの迷宮で会ったブローザの海賊かしら? 客車のどこかにいるなら、わたしが顔を見たらわかるんじゃない?」
「やめとけ。どうせ、わからないようにしているだろうし、命を取る気まではなさそうだ。こういうときはやり過ごす方が無難だ」
ユニスは何度か廊下へ出ようとしたが、晶斗は頑としてドアを通さなかった。
夜が明けた。
朝焼けの中に、ルーンゴースト大陸の中央を、東北と西南に隔てる大山脈が遠くなる。大河を渡った特別列車は、草原を抜ける青い風のように、一直線に東へ向かっていく。
「この列車、守護聖都についたら機関車を連結して、東邦郡まで行くんだよ。知ってた?」
窓辺でけだるい午後の陽射しを浴びていると、ひどく眠くなってくる。
晶斗は窓に頭を向け、ソファに寝ころんでいた。
「……いや」
腹の上に両手をのせ、目を軽く閉じている。
「黙って乗ってれば、東邦郡に帰れるわ」
「ここまで来たんだ。最後まで付き合うよ。給料も、もらってないしね」
「そういえば……」
「忘れンなよ」
その日の夕方遅く、特別列車『アルタイル』は、シャールーン帝国の首都、守護聖都フェルゴモールへ到着した。




