023:脱出行
「ユニス!」
晶斗はユニスが消えた方へ駆け出そうとしたが、後頭部に強い衝撃を受けた。
「いってーっ」
晶斗は頭を抱えてうずくまった。目に涙が滲んでいる。その足下には、掌大の壊れた端末機が落ちていた。
「この、バカモノがッ。位相の断絶に巻き込まれなかっただけ、幸運と思わんか!」
「あー、教授、端末機がまた壊れ……」
「あの娘はシェイナーだ。君が一人ではぐれるより、よほど安全なんだぞ」
カタヤの悲痛な抗議の声は意に介さず、トリエスター教授は怒鳴った。
「でも、変なヤツがいたじゃないか。もし、ユニスがあいつに捕まったら……」
晶斗は後ろ頭にできた小さいコブを押さえながら立ち上がった。
「ユニスくんなら心配ない。得意の空間移送で逃げるだろう。それより、我我の方が大変だ。カタヤくん、現在地を再チェックしたまえ」
指示されたカタヤは、目を潤ませて端末機を拾い上げた。
「だめです、これも壊れました。これが最後の端末です」
「くそ、壊れやすい機械ばかりだな。では、本体の画面で見たまえ」
先に飛ばしたジャイロは正しいルートを進んでいた。
出口の門は十メートルほど先にある。
「やっとここまで来たな。とにかく外へ出るぞ」
「おい、待ってくれよ。ユニスはどうなる?」
晶斗の抗議に、教授がなにか言おうと口を開きかけたとき、
ギシリ。
三度目の軋みが重重しく空間を動いた。
晶斗の無事はシェインの透視で確認できた。
直後、ユニスは、ハッとした。
空間が安定している。
「迷宮が修復されたの!?」
ユニスがいるのは一階層目だ。人間が固定した門のある階層のどこか。
すなわち、出口は近い。
通路は安定していた。
まるで不安定にバラけていたパズルピースを、ピンと張った一本の糸で強引に矯正したようだった。ユニスにはとうてい真似できない力業だ。
「なにこれ、いったい誰のシェインなの? でもよかった、これですぐ出られ……」
むんずっ、とユニスの右肩を誰かが押さえた。
左肩を押さえる砂色のガードグローブが目に入った。ユニスより頭一つ分高い、明るい金髪の、黒いフルフェイスレンズで覆われた顔。黒いレンズは、目鼻立ちの輪郭だけが透けている。その口唇の両端が、ぎゅっと持ち上がった。
「おとなしくしろ。一緒に来るんだ」
声は少年のように高かった。肩を掴む手に力が入り、ユニスの心臓が縮み上がる、が、その手がユニスを突き飛ばした!
男の居た位置を、銀の閃光が斜めに切り裂いた。
尻から転んだユニスの鼻先を、白いコートの端がかすめた。目の前に来た白いブーツの持ち主の背中を、ユニスは見上げた。
遺跡と町で出会った黒髪の魔物狩人だ。ユニスと黄迷彩服の間で、抜き身の太刀を構えている。ピタリと定めた剣先は微動だにしない。
「なにをしている、早く逃げろ」
錆の利いた声が、ユニスを現実に引き戻した。声に弾かれるように起き上がり、めくらめっぽう走り出す。
黄迷彩服が、チッと舌打ちする音が聞こえた。
ユニスは走り、角を曲がった。
ふと、風を左の頬に感じた。
太刀を背負った白い魔物狩人がユニスに併走している。
黒いレンズ越しにもわかる端整な目鼻立ち。髪の色は黒いけども、見覚えのある美貌がすぐそこにある。
「あなた、プリンスでしょ!」
ユニスが止まると白い狩人も止まった。黒いヴァイザー越しに目線が合うと、その美しい口元をニヤリと歪めた。あの上品な大公殿下からは想像しにくい野性的な笑みだ。
「いつわかりました?」
「いつって……今だけど。じゃあ、この遺跡を元に戻したのも、プリンスの仕事よね。この近くには、他にそんなことができるシェイナーはいないもの」
ユニスが口唇を尖らせて言うと、プリンスはレンズ越しにわかるほど、愕然と目を見張った。
「驚きましたよ。簡単にバレたのかと思いました。この変装は、かなり成功した部類なんですから」
髪を黒く染めただけで、国中が知る際だった美貌は、一度プリンスに会ったことのある人間なら、黒いヴァイザー越しでも近くで見ればわかる。本人にとってはどの程度成功した変装なんだろうかと考えながら、ユニスは訊いた。
「どうしてプリンス……いえ、大公殿下がここにいるの。迷宮を修復したのも、わたしを助けに来たからじゃないでしょう?」
「私の事はプリンスで良いですよ。あなたを助けに来たんです」
プリンスは言いながら自分の左手の小指から金色の指輪を抜き取ると、その左手で、貴婦人の手を取るようにユニスの左手の指先を軽く掴み上げた。
指輪を、ユニスの左手中指にはめる。指輪はあつらえたように、第三関節にぴったりはまった。
「神聖宮へ来てください。これは通行証です。そこでお待ちしています」
プリンスが手を放した。
カチコチになったユニスは左手首を握りしめ、左手を顔の前に持ち上げた。
目は指輪に釘付けだ。
幼い頃から憧れだった国一番のアイドルスターに指輪を貰ってしまった! 何故どうしてこんな所で魔物狩人の変装をしているのとか、怪しい仕事の依頼の謎とか、これから逃げ出す予定とか、この瞬間すべて脳から吹き飛んだ。
「は、はいっ!」
ユニスは声が裏返った。プリンスが話している内容は聞こえているが、理解が脳細胞の表面を滑り落ちているような気がする。
「明日、必ず守護聖都フェルゴモール行きの列車に乗りなさい。約束ですよ」
プリンスはヴァイザーをはずした。
深海を思わせる藍色の瞳は影のなかで漆黒だ。
「はいいっ!」
さらに二段階ほどトーンがうわずってしまった。
「次は神聖宮で会いしましょう」
プリンスは音もなく後退した。
背後の通路へふわりと入り、たちまち闇に紛れて消える。
ユニスは胸の前で左手首を握りしめ、暗い通路の奥を眺めていた。
ぼんやりと突っ立っていると、
「ユニス、無事だったか!」
「はひっ?」
晶斗とトリエスター教授が走ってくる。
二人の背後には門が、白い長方形に開いていた。




