022:記憶の回廊
ユニスと晶斗は列のしんがりに付いた。ユニスは最後尾になろうとしたが、晶斗が危険だと言って許さず、晶斗がユニスのすぐ後ろに付くことで妥協した。
一階層分を上がるのは、それほど時間がかからなかった。また、トリエスター教授の冷静な指揮と、シェイナーのユニスがいるという安心感で、パニックを起こす者も出ない。
だから、ユニスが背後にいる晶斗の異変に気付いたのは、二階層部分に入り、しばらく進んでからだった。
晶斗が何かに驚いた。――らしいのを、ユニスは察知した。
遺跡地帯に入る前から、用心して、晶斗には『シェインの糸』を付けてある。目には見えない命綱だ。長さは無限。ユニスが外すか、ユニスより強力なシェイナーによって断ち切られるか、最悪、ユニスが死なない限りは外れることはない。これが在る限り、ユニスは晶斗を見失うことはないのだ。――――だが、シェインの透視だけでは視えないものもある。
皆は黙々と歩いていた。ユニスは少しずつ歩調を遅らせ、晶斗の左側にぴったり並んだ。ユニスの移動に気付かない晶斗の左手を、ユニスは右手で掴み取った。
晶斗はそれにも気付かない。
しっかりと晶斗の手を握り締めたとたん、ユニスは晶斗のものすごい緊張状態をダイレクトに感じて、息が詰まりそうになった。
突如として、ただでさえ薄暗かった通路が天井が見えないほど暗くなった。空気が水飴みたいに重い粘り気を帯びる。
現実の風景ではない。
視ようと思って視たわけでもない。
シェインの糸で繋がっているせいだ。
晶斗の記憶は、あまりにも強烈で鮮明な映像記憶だった。加えて、ユニスの透視能力が並み外れていたせいで、ユニスにも体感できるほどに、同調する条件がそろった。
晶斗の目の中で、現実のトリエスター教授一行が目指す通路の先、壁と床との消失点の色彩が水に滲むインクのように、じんわりとぼやけていく。入れ替わりに過去の風景が、過去の通路が、かつて晶斗が体験した生生しい感覚が、晶斗の五感を揺さぶって出現した。
『…………れは、迷宮かもしれない。レンズを下ろせ!』
晶斗の記憶に刻まれた声が再生される。
複数のシルエットが晶斗を囲んでいた。晶斗の仲間だ。
『サイト、原点マーク』
『起点、取りました』
そして、晶斗を含めた調査隊は出発したのだ。これは、晶斗が遭難した記憶の追体験なのだ。助かってからも、何度も何度も再生されている、記憶に焦げ付いた焼き印なのだ。
『霧?』
『ミストホールだ!』
深緑の霧の壁が、たちまち視界を塞いでいく。
『シリウス!』絶望の声が響いた。仲間が晶斗を探している。位相の断絶に巻き込まれた晶斗が必死で伸ばした手は、近くに来た隊員の体をすり抜けた。
『シリウスはどこだ、どこにいる?』
晶斗の顎がわなないた。
ユニスは慌てて晶斗の左手をギュッと握って引っ張った、が、
「おれはここだっ!」
晶斗は叫び、現実のトリエスター教授一行の歩みが止まった。
トリエスター教授らが怪訝そうに振り返る。
「どうかしたのかね?」
「あ、いや……すまない、独り言だ」
晶斗はユニスが横に立っているのに気付き、ぎこちなく顔を背けた。
「まだ調子が悪いのよ。気にしない方がいいわ。酔い止め、飲む?」
ユニスはピンクの巾着の口をゆるめ、手を入れた。
晶斗が眉をしかめた。
「なんで、そんなの持ってるの?」
「テストの遺跡から出たときも、ふらついたでしょ。念のため用意しておいたの」
「なるほどな。しかし、今の彼に必要なのは安定剤だ」
トリエスター教授は、ベルトのパウチからコイン大の青いピルケースを取り出し、晶斗に放り投げた。ケースは半透明で、中身の赤い錠剤が見える。
「君の状態は、帰還者に特有のトラウマによる症状だ。遺跡で行方不明になった状況を思い出し、追体験する。一錠、飲んどけ。副作用は一切なし、眠くもならん」
晶斗はにやっと笑い、胸ポケットに薬のケースを押し込んだ。
「ありがたくもらっとくよ。これ以上ひどくなったら、遠慮なく飲ませてもらう」
「聞きしにまさる頑固ものだな。倒れても知らんぞ」
一行が再び進もうとしたとき、
「教授、前方に人が」
おおよそ、十メートルほど前方に、黄色っぽい服装の男がいた。砂漠用の迷彩服だ。顔面をカバーする黒のフルフェイスレンズ。特徴は明るい金髪だけの男は、左手をさっと振った。
大人の拳くらいの黒いボールみたいな物が、教授の前に落ちて転がる。
教授は、わわっ!、とあわてふためいた声を上げ、叫んだ。
「逃げろ!」
うわーっ! と口ぐちに叫び、一行は元来た方へ、あたふたと走り出した。
「なに、いまのはっ」
「手榴弾だろ、いいから走れっ!」
その答えの正しさを証明するように、背後で爆音が轟いた。鼓膜を麻痺させる大音響だ。
まばゆいオレンジの光がふくれあがり、通路の先までを一気に照らし出す。
衝撃波と爆風が、必死で走る一行の背に追いついた。一瞬で、ユニスの長い髪がすべて逆立った。皆が背に衝撃を受けて押され、前のめりになった。
もっとも体重の軽いユニスだけが背中からのけぞり、足が浮き上がった。
一瞬の無重力。
ギシッ、と空間のどこかが重く軋んだ。
次の瞬間、ユニスは左肩からななめに床に落ちていた。
全身に響いた痛みに歯を食いしばり、顔を上げたとき、差しだされた晶斗の手は目の前で消えた。
目の前の風景が、丸ごとすべて、掻き消すように、失われた。
「どうしてっ」
ユニスはパッと体を起こした。左半身に痛みが走るが、気にしてはいられない。この程度の打ち身なら自分でシェインを調整して自己治癒できる。
それより、目の前で消えた晶斗は何処に?
通路には人の気配がない。
「また、位相がずれたんだ……」
わずかな位置のずれ。それが文字通り、場所を分けた。
通路の雰囲気は同じだった。ユニスは移動していない。取り残されたのはユニスなのだ。
ユニスはハッとして振り返った。
まだらに薄れゆく煙の向こうから、黄土色の迷彩色が近づいて来る。
ユニスは反対方向へ走り出した。走りながら、感覚を研ぎ澄ます。脳内の暗いスクリーンに、輝く構造体が浮かび上がる。
複雑な迷宮の回廊。光の線模様の立体的な映像だ。路を探す。ユニスの意識の目が、暗い通路をすさまじい速さで飛翔する。
あった、門だ!
三階層分上方。最短距離は――――まず次の角を右へ。
走るうちに通路の脇道が増えていく。通路の空間が変化している。迷宮が惑わしの本領を発揮してきた。シェイナーでなければ空間構造を読み解けず、ここで遭難してしまう。
階段も坂道もないが、そろそろ一階層分は上方へ移動した。と、ユニスが確信できた頃合いに、背後に気配を感じて、ユニスは総毛立った。
『あの変な男が追ってきた?』
ユニスは荒い息を整えようと何度も深呼吸した。
通路の向こうには気配はない。
それでも怖い。
耳元でドキドキと自分の鼓動がうるさかった。脚の動きが急に鈍くなる。
もう、全力疾走はできそうになかった。




