019:失われた十年
わあ、と、男の悲鳴が聞こえた。
ユニスは全速力で保安局事務所へ走り込んだ。
晶斗がカウンター越しに若い保安局員の胸倉を摑み、引きずり出そうとしている。
「いい加減にしとけよ。俺の忍耐にも限度ってもんがあるぞ」
殺気立った晶斗の声が壁にはね返ってきた。
ユニスは晶斗の右腕に飛びついた。
「ちょっと、落ち着いてよ。それじゃ、喋れないでしょ?」
晶斗は手を離した。保安局員はよろめき、真っ赤な顔で喉を押さえて激しく咳き込んだ。
「で、なにがあったの?」
晶斗は保安局員の方へ顎をしゃくった。
「こいつが、俺の身分証が発行できないって言いやがるんだ」
事務所内には、他に人がいない。
カウンターに散らばる書類を一枚取って見れば、晶斗の写真が付いていた。
短く刈り上げた髪に青い制服の上半身。顔は遭難する以前のものだが、少し肉付きが良いだけで、あんまり変わっていない。
「なんだ、きれいに撮れてるじゃない。誰が見ても晶斗だってわかるわよ?」
顔を上げると、保安局員と眼が合った。彼は唇を歪めた。
「それは今朝届いた。東邦郡の護衛戦闘士・天狼こと晶斗・ヘルクレストは、十年前に死んでいる。遺跡の探索中に行方不明になって、死亡が確認された。捜索中のリストになかったから、照会に時間がかかったんだ」
ユニスはもう一度書類を見た。数枚をざっと読み通し、ぽつりとつぶやく。
「十年?……」
となりの晶斗を指差し確認しつつ、
「ようするに、平たく言えば、この晶斗は幽霊?」
「そんなわけあるか!」
またもや怒る晶斗。
保安局員は笑いかけて晶斗に睨まれ、横を向いた。
「だって、これ、当時の事故現場にいた全員が、晶斗の死亡を確認したって書いてあるみたいよ」
書類をまとめるユニスの前に、保安局員は写真付きの一枚を抜き出して見せた。
「そうだよ。遺跡がらみの行方不明は、遺体が一部でも発見されない限り、行方不明扱いだ。まれに目撃者がいて、行方不明時の状況が生存可能率1パーセント以下、遺体回収も不可能であったと証明された場合だけ、死亡届はすみやかに受理されることになる」
その中央にくっきりと『処理済み』のスタンプマークが押してある。
「晶斗にはそれが適用されたのね」
「そうだ。彼についての公式のデータは抹消されてたんだ。でも、彼は名の知れた護衛戦闘士だったから、それを手がかりに身元が検索できた。晶斗・ヘルクレストを知らなくても、シリウスの活躍は地元では伝説になっているらしいね」
晶斗はふてくされた表情で、ぎろり、と保安局員を睨んだ。
「俺はガードファイターになる前は東邦郡の軍にいたんだぞ。一般と違って、軍での記録は確実に保管される。何年経とうが、照会も手続きも、民間人よりはるかに簡単に済むはずだ」
晶斗はユニスの手から書類をひったくり、カウンターに叩きつけた。
「俺が遭難したのは迷宮の探索中で、東邦郡が招集した踏破隊にいたんだ。当時の探索班の隊長に確認しろ! 軍時代から知ってる少佐だっ!」
だが、保安局員も負けてはいない。別のファイルを晶斗の目の前にべしっ、と叩き置く。
「そっちも確認した。佐官クラスなら部下の保証人になれるからな。しかし、事故当時、君はすでに民間の護衛戦闘士だったし、その少佐は事故の直後に退役していた。現在は民間人だ。当局から呼びつけることはできない」
「くそ、俺の事故でブルッたのかよ。自分だけとっとと年金生活に突入しやがって……」
晶斗は紙面にざっと目を走らせ、片手で握り潰すと、保安局員に投げつけた。保安局員は紙ゴミをひょいと躱し、いかめしく眉間に縦皺を寄せ、首を横に振った。
「だから、順番に手続きを踏んで、十年前に遺跡で行方不明になった被害者本人だ、という証明が、先にいるんだよ。知人友人に会えるのは、それからなんだ」
ユニスは首を大きくかしげた。
「どうして? ここに本人が生きているのに、医者の診断書じゃだめなの?」
「死亡が確認されているから、DNAも指紋も網膜認証もだめだ。最近は科学で偽造ができるからね。一番速いのは彼の郷里でしかるべき機関へ出頭し、もろもろの検査を受けて家族や友人に再会するのが最良策なんだが」
保安局員は晶斗の反応を窺った。皮膚の一枚下に爆発寸前の怒りが沸騰しているような、シリアスな表情だ。
「彼は、遺跡からの帰還者として当局に保護されたから、身元が判明するまで、この町から十キロ以上離れてはいけない、滞留命令が出ている」
「違反すると、どうなるの?」
「当局の保護が受けられなくなる。どこへ行こうと死者の名を騙る流れ者だ。ましてや彼は十年も経っている。家族も友人も様子が変わっているだろう。死んだはずの家族が突然現れたら、君ならどうする?」
「そりゃ、ものすごく、驚くでしょうね」
ユニスが大きくうなずくと、晶斗は悔しそうに歯を食いしばった。プイとあさっての方を向き、腕組みして腰でカウンターにもたれかかる。
「そんなの、知るかよ。今は旅費がないから帰れないだけだ。カードさえあれば、東邦郡にある自分の貯金を引き出して、自力で帰ってやるさ。あんたが何でもいいから書類を発行してくれりゃそれですむんだ」
と吐き捨てるように言った。
保安局員はムッと口を歪めたが、忍耐強く晶斗を諭した。
「だから、そのためには守護聖都の捜査官の到着を待つ必要があるんだよ。東邦郡の捜査官が来るのはその後になる。送還まで何ヶ月かかるかわからないが、気長に待つんだね」
「てめえ、他人事だと思って……」
怒りをあらわに、晶斗が保安局員に向き直ったときだった。
「もっとも、君たちの知り合いに、ルーンゴースト学術院か聖都の有力者でもいれば、優先してもらえたりもするんだが……」
晶斗の動きがピタリと止まった。
「それは、あれか。有名人や政治家なんかが何かと優遇してもらえるという、VIP待遇とかいうやつか?」
「そうだ。特にこのシャールーン帝国では、遺跡の研究は重大な国家事業でもある。遺跡絡みの案件は、何に置いても優先されることが多いんだ。誰か、心当たりがあるなら、連絡してみるかい?」
晶斗は何も言わなかったが、ユニスは、にっこりして訊ねた。
「ね、それってたとえば、プリンス……宰相のセプティリオン大公殿下とか、学術院のトリエスター教授とかは?」
さりげなく発音された二つの名前に、保安局員の目がまん丸くなった。
「二人とも遺跡の研究じゃトップレベルだ。身元引受人になってもらえれば、即日、町を出られるよ。知り合いなのかい?」
ユニスは笑顔を崩さず、首を横に振った。
「ううん、雑誌で見ただけ。でも、確かに専門家に知り合いがいれば、先にそっちへ連絡する方が、お得よねー。ねー、晶斗?」
だが、ユニスが話を振っても、晶斗はそれから一言も発しなかった。
二人はほどなく保安局を出た。
保安局の玄関前で、ユニスは、周囲の風景をぐるりと眺め回した。
街道は北から南へ直線に延びて、横道から観光用の大型バスや砂にまみれた砂漠用ジープが行き交う。人通りは少なく、午後の強い陽射しに、ユニスは額の汗を手の甲で拭きながら、真っ青な空を見上げた。
「じゃ、とりあえず行きましょうか?」
「……どこへだ?」
晶斗は玄関の低い階段の上に、すとんと腰を下ろした。
「十年だ」絞り出すような声だった。「十年経ってる」
晶斗は冷静そうに見えたが、その目は暗く、感情が読み取れなかった。
「迷宮で時間の歪みが発生するのは知ってた。三ヶ月くらいだと思っていた」
左手首の腕時計の文字盤に視線を落とす。使い込んだ軍用時計だ。頑丈で高性能。時間と日付が一目でわかる。
「東邦郡とこっちじゃ、使ってる暦が違うからな。昨日、保安局で時刻を合わせたときも、気づかなかった」
トントンと軽快に階段を下りたユニスは、階段の上にいる晶斗へ振り向いた。
「そりゃ、ショックでしょうけど」
「おまえにわかるのかよ?」
「いーえ、わかんない。だから、ここへ行ってみましょ」
右手をピッと一振りして名刺カードを出す。指先でカードを挟み、頭上に掲げた。
「トリエスター教授のところ」
晶斗は怪しそうにユニスの右腕をじろじろ見下ろした。
「そのカード、どこから出した?」
「サイトショップのマスターにもらったの」
「そうじゃないだろう。それに、さっき左手に持ってたピンクの巾着袋も、どこへやったんだ?」
ユニスはにんまり笑い、手を振った。カードが消える。右肩の少し上をさして、
「ここよ。理律のポケット(シェインホール)って、知ってる? 自分の周りの空間に入れ場所を作るの。わたしの一部だから、移動してもここにあるわ」
「便利なもんだな」
晶斗が呆れたふうな、軽い口調で言った。
「相手は学術院の大物よ。この機会にコネつけとくのも悪くないわよ」
ウインクして、ユニスはさっさと歩き出した。
ゆっくり立ち上がった晶斗は、一瞬だけ、寂しそうにも悲しそうにも取れる表情を浮かべてから、すぐにユニスの後を追ってきた。




