015:神の骨(ディバインボーンズ)
「これは支度金の一部です」
紫の絹布にガードナイフが鎮座している。
片刃の短剣型で柄はナックルガード付き。デザインはよくある軍用モデルだが、全体が妙に白っぽい。刃は鋼の銀色にあらず、鍔も柄も白絵の具を練り込んだような、くすんだ光沢だ。
「手にとってよくご覧ください」
プリンスに進められるまま、晶斗はナイフを手にした。
と、いきなり顔をナイフに近付け、食い入るようにその刃に見入った。
「これ、ディバイン・ボーンズか」
「そうです。それは『神の骨』です」
プリンスはうなずいた。
「ええ、これが!」
ユニスは晶斗に顔を寄せた。息がかかるほど間近なのも忘れて、白い刃に目を凝らす。
ディバイン・ボーンズは世界でも珍しい特殊金属だ。遺跡地帯でしか見つからず、その多くはナイフや剣などの武器に加工されている。ディバイン・ボーンズと言えば『神の骨製の武器』という意味でも通じるほどだ。
「一度だけ、軍事博物館で見たことがある。実用としては、上級将校が特別な任務の時に、政府から貸し出される程度だからな」
「ずっと前に、原石を遺跡の専門店で見たことがあるわ」
「ああ、市場にはほとんど出ないからな。シェインの専門の鍛冶師が鍛えれば、この世でもっとも硬い刃になる。ダイヤだってスパスパ切れるんだぞ」
二人で同時に溜め息を吐いた。
ユニスは真性のお宝を実際に見たのは初めてだった。
晶斗も実物を手に取って見るのは初めてだったらしい。ナイフを手に持ったまま、立ち上がった。
「いいのかよ。これ、国宝級のモンだろ」
「気に入っていただけたようですね」
大公は満足そうにうなずいた。
「私のコレクションですから、譲渡も自由なんです。それから支度金としてもう一つ、シェイナーのお嬢さんには『世界の迷図』を差し上げたいのですが」
今度の提案には物品は伴っていなかったが、晶斗が白いナイフを大事そうにかかえて座ったのと交替に、ユニスはガバッとテーブルに乗り出した。
「あれは、皇族専用の秘儀中の秘儀、国家登録されたルーンゴースト学術院のエリートシェイナーですら、踏破はおろか、目にすることさえかなわない、機密中の国家機密じゃ……」
横の晶斗が引いても、気にしていられない。プリンスは気にせず、淡々と話した。
「その皇家秘蔵の迷図を踏破する権利を進呈します。神殿に祀られたご神体ですが、実体は小さな迷宮で、フェルゴモア皇家の祖が造ったと伝えられています」
まるで家に飾ってある美術品の紹介でもしているようだ。
大陸創成の神話では、イーシャ、コルセニー、フェルゴウンの三神がルーンゴースト大陸を創造し、フェルゴウンの子孫がシャールーン帝国皇室の始祖となった。それが皇家の祖神フェルギミウス。プリンスの遠い祖先だ。フェルギミウスはシェイナーの初めとも云われ、世界の理をコントロールする能力を人間に与えた神という伝説もある。
「あのフェルギミウスが造ったという、世界の迷図を踏破する権利が、もらえる……」
ユニスは惚けたように呟きながら、腰を下ろした。ポケッとしていたら、肩先を晶斗につつかれた。
「その、ワールドメイズって、何なんだ?」
「すべてのシェイナーが一生に一度は夢見る希望と憧れの究極の迷図よ。踏破すれば、世界の理の秘密が明らかになるとか、神話に出てくるシェイナーのようなとてつもない力が手にはいる、という言い伝えがあるの」
ユニスがはしゃいで言うと、プリンスが口元をほころばせた。ユニスが喜んでいるのが嬉しいみたいに目を細めている。
「そうですね。そのようなものです。では、これで契約締結ということで、すぐ支度にかかっていただいてもよろしいですか」
「え、今からですか?」
ユニスは慌てて姿勢を正し、晶斗も急いで握っていたナイフを箱に戻した。
「ナイフはそのままお持ちください。世界の迷図に入る日時はまた改めて。では、今日は二時間後にまたお会いしましょう」
プリンスはついと立った。
「あの、二時間後って……」
驚いて顔を上げたユニスは、プリンスとまともに目が合った。
心臓が特大の鼓動をひと打ちする。
藍色の瞳に、呼吸が詰まった。
ユニスは微動もできず、その力強い眼に魅入られた。
グラビア雑誌で青い星の光にたとえられた麗しい眼差しと美貌。だが、目の前のプリンスはまるで冷たい銀の光を放っているようだ。
危険なゆえに美しい剣の鋭い切っ先のように。
ユニスの頭の中でプリンスの美しい声が反響した。
何を言っているのか意味はわからない。
唇の動きと音声がずれている、そんな感じがした。
「……ですから、くれぐれも遅れないように。個人での支度は一切無用です」
プリンスの言葉が終わったとたん、ユニスは楽に呼吸ができるようになった。でも、体はまだ固まっている。何時間も経ったように感じたのに、横に居る晶斗は箱にガードナイフを収め、手を引き戻したところだった。プリンスの目に見入っていたのは、ほんの一瞬だったのだ。
ユニスは瞬きしようとした。目蓋を閉じるのに、冷や汗が出るほどの集中が必要だった。目を開けたら、口角をあげたプリンスとまた視線が合った。
「もちろん、装備も、こちらで御用意させていただきます」
プリンスの美しい微笑みには一点の雲りすら無かった。
ユニスの体の硬直は、ほとんど解けていた。
「では、二時間後に遅れずロビーに来てください」
念を押すプリンスに、ユニスは応えなかった。ものすごい緊張に襲われて声が出なかった、と言った方が正しいかも知れない。
沈黙を承諾と解釈したか、プリンスは身を翻して隣室へ行き、執事がドアを閉めた。
その執事に追い立てられるように、ユニスと晶斗は特別室を出て、エレベーターで一階に向かった。




