013:プリンス登場
遅すぎる朝食を取りに入ったホテルのレストランで、ユニスは四杯目のスパイスティーを一気に飲み干した。
「あんまりだわ。このわたしが、犯罪者みたいに調書を取られるなんてっ!」
「そーだな。あの保安官、ちょっとおかしいんだよなー……」
「どういうことよ。おかしいとこって、何? 逮捕された経験でもあるの?」
ユニスが訊くと、晶斗はちらりとユニスの顔を見てから、視線をコーヒーへ落とした。ユニスはお祝いのワインくらいは奢る気でいたのに、晶斗は体調が本調子ではないからと固辞し、軽い朝食を済ませた後は、コーヒーもちょっと口をつけただけで水を飲んでいる。
「なぜ、俺達はまだ逮捕されていないのか。そこが問題かもしれないぞ」
晶斗は後頭部で手を組み、頭上のシャンデリアを見上げた。
「あの保安官だが、ユニスと俺のことを、やけにしっかり覚えていると思わないか」
「それは、昨日、わたしが落とし物を届けたからでしょ」
「昨日はレストランで、ちょっとした騒ぎになったろ。それでも、保安官は来なかったんだぜ。ホテルからの問い合わせも無かった。おかしいだろ」
「何なの、それ。まるで裏に変な陰謀でもあるみたいな言い方をしないでよ。保安局にわたしの手配写真でも貼ってあったんじゃないでしょうね」
「え、指名手配される覚えがあるのか」
晶斗にまじまじと見つめられ、ユニスは下唇を噛んだ。さりげなく言ったつもりだったが、冗談で笑い飛ばすには、晶斗の疑惑を掻き立て過ぎたことに気付く。
「つまり、世の中には悪いシェイナーもいるから、警戒されることがあるの。また登録しろって勧告が来たら、どうしょうかしら、と……」
この説明に嘘は無い。理由の全部でもないが。
「それは拒否したんじゃなかったのか」
怪訝に訊ねる晶斗に、ユニスは首を横にふった。どこまで説明すべきかを考えながら、ゆっくりと口を開く。
「それほど簡単な問題じゃないのよ。シャールーン帝国では、シェインを持つ者には登録の義務があると、説明したでしょ。罰則はないけど、わたしくらいのシェイナーになると、居場所を常に連絡する義務とかもあって、いろいろ面倒くさいの」
「で、野放しか? そっちの方が問題になりそうに思えるが」
「連絡先は実家にしてあるから。わたしの家族は、わたしのことを、去年、守護聖都フェルゴモールの国家公務員になった親友と一緒にいると思っているわ。わたしは聖都でアルバイトで働きながら、親友とルームシェアしていることになっているの」
ユニスの説明に、晶斗は「ええ」とわざとらしく目を丸くした。
「家族に嘘ついてんのかよ。ほとんど家出じゃないか。うわーっ、最低だな。俺も、まずいところに就職しちまったもんだ」
「そこは幼馴染みの親友とルームシェアしているからいいの! お給料はちゃんと払うわよ」
「給料日はいつ?」
「う……それは」
ユニスは卓上で、両手を握り締めた。
「いま、手元にまとまった現金がないのよ。あとで例の物を換金するから、少し待って。それまでの必要経費はちゃんと持つから」
「ふうん……それならいいけどね」
意外にすんなり晶斗が納得したとき、ロビーの方からどよめきがあがった。
「今の、なにかしら?」
ロビーの方へ顔を向けて、ユニスはぎょっとした。
女性の団体だ。ウエイトレス、制服のロビー係、遺跡観光のツアーパックの派手なおばさんたちまでが玄関ホールからレストランのあるロビーにまで充満している! そして、彼女らが何かに期待する熱い雰囲気が、ひしひしと押し寄せてくる。レストランの室温は確実に五度は上昇しているはずだ。
「おい、なんか気色悪いぞ。部屋に戻ろうぜ」
気づけば、客席にいる男は晶斗ひとりだった。客も従業員も、男は等しく入り口やホールの片隅で、居心地悪そうに固まっている。
「たしかに変だわ。巻き込まれないうちに帰りましょうか」
ユニスは椅子から腰を浮かしたとき。
ざわめきが熄んだ。
あちらこちらで熱い溜め息が吐き出される。
「ああ、大公殿下……!」
熱波にその背を追われるように、すらりと上背ある白い紳士がホールを横切り、レストランに入ってきた。静かな人びとの間を抜けると、ざわめきの波が大公の背を追って来る。シャンデリアの下を通るたび、長めの銀の髪が金の輪の輝きを放った。
その麗しい姿がユニスの視界に入ったとき、目は大公殿下に固定されてしまった。ユニスは椅子から腰を浮かせた姿勢で動けなくなった。
「信じられないけど、本物のプリンスだわ…………」
「プリンスって、こんなとこに皇族が来たのか?」
晶斗は、まるで初めて見るように首を傾げてロビーの方を見ている。
「まさか、晶斗は知らないの? シャールーン帝国宰相閣下にして、守護聖都フェルゴモールで最も有名なアイドル、七星華宮アルファルド・コル・レオニスさま。現皇帝の直系曾孫の、セプティリオン大公殿下よ。ファンの間でプリンスと言えば、大公殿下の代名詞なんだから」
「初めて聞いたな」
「プリンスはシェイナーで、遺跡の研究家でもあるのよ。遺跡地帯では有名人よ」
「俺は……東邦郡の人間だからな」
晶斗は素っ気なく言い、ユニスはプリンスを見るのに夢中で、晶斗がどんな表情をしているのかには気付かなかった。
プリンスが、レストランの入口から入ってくる。
まっすぐに、ユニスの方目指して歩いてくる。
ユニスはへなへなと椅子に腰を下ろした。
「気のせいじゃないわ。どうしょう、こっちに来ちゃう……」
「なにを怯えているんだよ。知り合いなのか?」
「まさかッ。わからないから怖いのよ」
やだ逃げ出せない、と焦り出したユニスを他人事のように眺めていた晶斗も、大公殿下が至近距離まで来るとさすがに頬に緊張を走らせた。
大公殿下はユニスの前に立った。
ユニスを見下ろす瞳は、黒と見紛うほど深い藍色だ。色素の薄い肌色と青味を帯びた銀の髪。伝説の美姫よりも美しい、と宮廷詩人が評したその麗しい容姿は、名工の彫り上げた美神の彫刻のごとき美丈夫だ。
あまりにまっすぐ見つめられるので、ユニスは藍色の瞳に吸い込まれるかと怖くなった。
「はじめまして、おふたかた」
声は低くなめらかで、帝国の上流階級特有のサラサラした発音が耳についた。
「驚かせたのなら申し訳ありません。わたくしは七星華宮と申します」
大公は右手を襟なし上着の胸元に当てた。上着のボタンはカメオ細工だ。膝までの砂漠用ブーツは真新しい。貴族の青年が好むシンプルな平服だが、白麻シャツのカフスボタンは星青玉だ。腰には白革ベルトが二本。一本は剣帯で、左に宝石を散りばめた細剣が吊り下がる。単なる飾りではなく、彼が皇族でも軍の領域に属す身分証をも兼ねていた。
「は、はい! なにか、御用でしょうか?」
あがりまくったユニスとは対照的に、晶斗は冷ややかだった。
「大公殿下だろ。シャールーン帝国の宰相閣下が、俺たちに何の用だい?」
晶斗は卓に肘をつき、目線だけ上げた。その不遜な態度は、晶斗はプリンスに対して敵意があるのではないかとユニスが危ぶんだほど露骨だった。
「はは、一応プライベートの旅行なんですが、どこでもばれますね。座ってもいいですか?」
「ああ、どうぞ」
ハラハラするユニスを無視して、晶斗は無愛想を崩さない。相手が宰相だろうが美形アイドルだろうが、まったく態度を変えないのが、晶斗という男の信条なのだろう。
大公がユニスの真正面の席に着いた。
レストランはしんとした。
「お二人に話があるのですが……」
大公は、静かな店内を一眸した。
皆が息を殺し、聞き耳を立てている。どんなに小さな声で話しても、レストランの隅々まで届きそうだ。
ふいにユニスは、ゾッと全身に鳥肌を立てて我に返った。背後から、恐ろしく冷たい複数の視線を感じる。ロビーに集っている女性たちの、嫉妬と羨望の眼差しだ。それらが見えない矢となり、ユニスの全身にぷすぷすと突き刺さってくる。
プリンスの美貌にうっとりしている場合じゃない。
こんな目立つ場所でプリンスと話をするなんて、下手を打てば、プリンス・ファンの手でレストランを出る前に抹殺されるかもしれない。世の熱狂的なプリンス・ファンの中には、公共の場だろうと人目があろうと、気にしない狂信者もいる。
「あの、ちょっと、その前に、お願いがッ!」
こんなふうにユニスがプリンスに話しかけただけでも、万死に値すると考えるプリンスのファンは確実に存在する。ユニスは慌てて声を小さくした。
「場所を変えませんか。ここは危険だと思います」
ユニスがこのレストランから生きて出るには、今すぐプリンスに連れ出してもらうしかない。
晶斗は怪訝そうにユニスを見つめたが、プリンスはユニスの言った「危険」の意味を理解してくれたようだ。
「そうですね、ここでは少し話しにくいようです。よろしければ私の部屋へいらしてください」
プリンスの提案に、二つ返事でユニスは立った。だが、晶斗は、いかにもだるそうに腰を上げた。




