ココア
料理は、特別得意な方ではなかった。せいぜい僕が上手に作れるのは、甘いパンケーキと、型抜きのいるクッキーと、それからこれは料理に入るのか微妙なところだけれど、ココアをいれるのが得意だった。
金色の缶の蓋を開けて、パウダーを鍋のすみっこに振る。コンロのつまみを回す。最初に粉を煎るのだ。甘くて香ばしい、喉の奥まで埋めるようないい匂いがしてくるから、スプーンで牛乳を一杯たらして、表面がつやつやに見えるようになるまで混ぜる。残った牛乳をちょっとずつ足して、全部入ったら、あとは好きなだけ煮込めばいい。
そういう僕の仕草の一切を、彼はにこにこしながら眺めている。カウンターに肘をついて、体をちょこっと折り曲げて、本当に楽しそうに。いつの頃に知ったか、彼はあまり料理をやらないらしくて(冷蔵庫の中の生肉に目を丸くしていたのを見たことがある!)、僕の仕草が全部珍しいようだ。だけどこうして暮らすようになってもうじき二度目の春が来るのだから、そろそろなれてもいいんじゃないかと思う。
「月は、凄いよなぁ。手慣れてて綺麗で、よく似合う。ここまで甘い匂いがする」
「それは、まぁ。好きだからじゃないの」
あんまりあたたかい顔で、声で見つめてくるから、僕は照れくさくなってしまう。にこにこしようとするほっぺたに力を入れて、わざと唇を尖らせて返事した。彼はそういう僕を見て、またにこにこする。鍋をかたむけて、中身をカップに注いでいるあいだも、きっと同じようにぼくを見ていただろう。
軽くなった鍋を流し台に置いて、カップをテーブルへ持っていく。ぼくが彼、彼がぼくの分を持ったので、コースターに向かう腕が交差した。顔が近くなったので、お決まりのように軽く口を合わせてから腰をおろした。
テーブルは長方形で、たぶんつま先が向かい合うのが普通なんだろうけど、今は小指と小指がくっついている。ぼくは、彼の、その存外華奢な指が木ベラを握ってココアを煮るところを想像して、さっき彼がしていたのと同じようににこにこした。こういう顔も得意な方ではない。カップの中でもったりしたブラウンがぼくの顔をそっくりそのまま真似ていることだろう。目を合わせないようにしてぼくごとココアを飲みきると、白いカップがくすんで灰色になった気がした。
隣では、彼がまだココアを飲んでいる。彼のココアにブラウンが無くなっても、きっと灰色にはならないと思う。世界が燃えて灰になったって、きっと彼はカラフルなままでいるから、できればぼくはそんな彼にココアを作ってあげたいのだ。小さな好きでもたくさん重ねれば、大好きになるだろうか。星に願うようなつまらない願掛けを毎日している。
ぼくが全てを嫌になっても、彼はぼくが好きだと言った。それは本当だろう。ぼくは彼を焼くことは出来ない。今日を焼いて灰にしたって、彼だけは色づいたままなのだ。