家督相続と父子相剋?
永禄7年10月、蘆名氏と二階堂氏の争いは一端終息を迎えた。
和睦の条件として、岩瀬郡西部境目の数村が蘆名領となり、伊達氏も兵を収めることとなった。
蘆名氏は、田村氏の安積郡進出と佐竹氏の南奥進出へ対応することになる。
そして12月、正式に伊達輝宗が伊達家の家督を継ぐこととなった。
ついに、兄上が伊達家の当主になったわけだ。
今後は兄上のもとで、伊達家が運営されていくわけだが、さすがにすぐさまというわけにはいかずしばらくは親父が中心になって運営されていくのだろう。
まあ、その親父は、米沢から側近の牧野久仲の所領内にある杉目城に移った。
親父の隠居によって、側近であった、中野宗時も杉目に移ったことにより、家中の人事も変わり、筆頭は今まで通り桑折景長が務めるが新たに鬼庭良直が評定衆に加わった。
とはいえ、兄上の為にもいろいろ働いていかないとなあ。
「兄上、少しよろしいでしょうか」
俺は、兄上に進言するため、執務室に向かう。そこには、良直と実元叔父がいた。
「六郎か、どうしたのだ」
「はい、少しお話したいことがございまして」
「うむ、構わん。話してみよ」
俺が、進言しようと思っているのは、常備兵だ。
歴史に特に興味がなかった俺は、大した知識は持っていないが、歴史の授業で、織田家が天下をとれたのは、兵農分離?だかで、常備軍をもっていたからだとか先生が熱弁していたのを思い出したのだ。
だから、兄上が家督を継いだらこれは進言しようと考えていた。
織田家は、数年前に桶狭間で今川義元を破り、今では、美濃や伊勢に侵攻しており、勢いにも乗っている。
その織田家でもやっていると言って、何とか伊達家でもやりたいんだが。
「兄上、伊達家で兵農分離を行い、常備兵をつくりいつでも戦を行えるようにしてはいかがかと」
「何、兵農分離だと」
「はい」
「六郎、兵農分離とはどういうことじゃ」
兵農分離についてよく理解していない、実元叔父が問いかけてくる。
「叔父上、兵農分離とは、農民の次男や三男を常備兵として雇い、訓練することでいつでも戦える兵を準備することです」
「うーむ、確かにそうすれば農閑期以外でも戦を行えるというわけか」
「はい。兄上いかがでしょうか」
「なるほど、そうなれば他家に対して有利になるのう」
兄上も常備兵の重要さについては分かっているようだ。
「兄上、なんでも今川を破った織田家でも兵農分離は行われているそうにございます」
「ほう、織田家か。そういえば六郎は以前織田家と誼を通じておくべきといっていたな」
「はい」
「よし、分かった。今すぐにとはいかんが少しずつでもその兵農分離を行ってみるとするか」
「はっ、ありがとうございます」
よし。これで伊達家の兵は強くなるはず。まあ訓練もしていかないといけないんだろうが。
とりあえず、伊達領すべてで行うわけにはいかないので、米沢の輝宗直属の一部家臣と実元叔父が実験的に兵農分離を行うようだ。
実際、伊達領すべてで行うとなると、いまだに実権の大半を握っている親父の了承を得ないといけない。
そのため、兄上ができる範囲でしか行えないのだ。
今は、まだいいけど、親父がずっと実権を手放さないようだと、また争いになってしまうかもしれないんだよなあ。
今の伊達家の実権は親父と中野親子が握ってるが、これに家中筆頭の桑折景長を含めて、おもしろくないと考えてる家臣は少なくない。
こいつらが、兄上について、家中があれるのは防がないといけないんだよなあ。
まあ、兄上と親父の仲は今のところおかしくないから大丈夫だと思うんだけど。
年が明けて、永禄8年になった。前年に和睦を結んでいた蘆名と二階堂だが、5月、再び、蘆名が岩瀬郡に進出し始めた。
親父は当然婿である二階堂盛義を助けるために、軍勢を出すように言ってきている。
一方の兄上は、勢力拡大中の蘆名とことを荒立てるのには反対の立場だ。
以前、兄上と親父の間で揉めるかもしれないと言っていたが、実はこの半年近くの間で、急速に二人の仲は悪化している。
兄上が内政や外交でいろいろ動こうとすることに、親父が口を出したり、反対してくるからだ。
今回のことだって、蘆名と手を結び、田村や相馬にあたり、さらに南奥進出を目指す佐竹に対応したい兄上に対して、親父は蘆名と同盟はありえないと考えており、婿である二階堂盛義を通して岩瀬郡に影響力を持ちたいという考えだ。
親父と爺さんに続いて、兄上と親父の間にも不穏な空気が立ち込めるとは。
なんでも、爺さんの親の尚宗とその父成宗の間でも争いがあったらしいから、そういう血筋なのかもしれないなあ。