企み!?
永禄7年8月、伊達輝宗と羽州探題最上義守の娘義姫が結婚することとなる。
最上氏は羽州探題とはいえ、永正17年に後継者争いから伊達稙宗の侵入を許し、当時わずか2歳の最上義守を当主とすることで、伊達氏に服属することとなった。
天文の乱においては義守は当初稙宗につき、最上氏の勢力を拡大させ、伊達氏からの独立を果たした。
蘆名氏が稙宗を裏切り、晴宗方が優勢となると、義守も寝返り、晴宗の勝利に一役買った。
義守は、伊達氏から長谷堂城や長井郡を奪い、それを稙宗から認められることで独立を果たし(この時点で晴宗は最上氏の長井郡領有と独立を認めていない)、最終的には晴宗に味方し、勝利に貢献したことで晴宗も長井郡領有と独立を認めざるを得ない状況に持ち込んだのである。
その後、永禄3年に勢力拡大のため寒河江兼広を攻めたがこれには失敗した。しかしこの年に、足利義輝に使者を送り嫡男義光に偏諱を賜っている。さらに、今回の結婚の前年には義光と共に上洛し、義輝に謁見し足利家の一門として(最上氏は足利家の一門で三管領の一家でもある斯波氏の一族で奥州探題として奥州に下向した斯波家兼の次男斯波兼頼が出羽に勢力を築き羽州探題に任命され最上郡山形を根拠地としたことで最上氏を名乗るようになる。尚、家兼の長男で兼頼の兄にあたる直持が奥州探題を継ぎ大崎氏を名乗るようになる)、御所号を称することを許され、山形御所と名乗ることとなるなど、非常に勢いに乗っていた。
「御所様、義姫様の一行は無事伊達領内に入ったそうでございます。伊達家からも桑折播磨守殿、小梁川安房守殿がお迎えに来られ、米沢までの案内をなさるようでございます」
天文の乱において、若輩の義守を補佐し、最上家の伊達家からの独立に一役買った重臣氏家定直が義守に話しかける。
「そうか、これで伊達との間で不要な争いがおこることは避けられるかの」
「はい、左京大夫(晴宗)様は先の戦で衰えた伊達家の勢力を取り戻したいようですが、南奥や出羽の我らと婚姻をとおして親睦を深める、そして洞の中に取り込む、やっていることは先代稙宗公と同じですな」
「うむ、だが晴宗殿のやり方は間違ってはおるまい。現に、我が最上の本家筋である大崎が代々務めた奥州探題の職を手にしておる。それに、奥州における御公儀の認める大名衆は会津守護の蘆名と伊達のみじゃ」
「はい、もはや奥州においては大崎氏など相手にならないでしょうな」
「そうよのう、しかし晴宗殿はしばらくは南奥や中奥に目を向けたいのであろう。そのために我らと婚姻を結んだ。これで我らを気にせずにほかに集中できるからのう」
「そうでしょうな、ですがそのおかげで我らも伊達家を気にせずに寒河江に対応できます」
「そういうことじゃ」
(晴宗は再び儂を麾下に治めたいのであろうがそうはいかんぞ。伊達家ごときの下にたつのは二度とごめんよ)
義守にとっては稙宗によって当主とされ伊達家に服属していたことは屈辱であった。
「伊予(氏家定直)、同族のよしみよ、大崎との関係を濃くしておくぞ。伊達家が留守や国分などの宮城郡の領主どもに手を出しているので大崎としても気が気ではなかろう」
「なるほど、大崎氏が伊達の麾下に入られれば困りますしな。かしこまりました、大崎の執事は某と同じ氏家氏、こちらも同族として繋ぎをつけておきましょう」
「うむ、頼むぞ」
「それから、もう一つ。左京大夫様ですが、どうやら近く隠居して家督を譲るつもりのようでございます」
「ほう、それでは婿殿が当主となるわけか。それならだいぶ伊達家との仲が深まるかもしれんのう」
最上義守にしてみれば、晴宗から独立を認められたとはいえ天文の乱において当初は、争った経緯がある。それに晴宗にしてみても最終的には味方になったとしても、途中からであるしなにより独立を認めることとなってしまった。
今回、婚姻を結ぶとはいえ、両者の仲はいいとは言えない。
しかし、当主が輝宗となれば、舅婿の関係で晴宗とよりは良い関係を築けるかもしれない。
さすがに、輝宗も幼少ではないし、まだ晴宗も生きている以上、伊達家を乗っ取るということはできないが、それなりの影響力は与えられるかもしれない。
伊達家の当主交代は義守にとっては悪いことではなかった。
「それなのですが、おそらく左京大夫様は実権を手放さないと思われます」
「むっ、そうか。では晴宗殿が亡くなるまでは今と変わらずということか」
「はい。しかし、左京大夫様と輝宗殿の仲がよろしくなくなれば」
「なにっ、そうなれば再び御家騒動となるということか」
「はっ、それに今の実権は左京大夫様と中野常陸、牧野弾正親子が握っております。そのことにほかの重臣や家中筆頭ともいえる桑折播磨などは不満を抱いているもよう。このものらが、輝宗殿を担ぎ上げれば、おそらく先の御家騒動のように他領主を巻き込んでの争いとなるかと」
「よし、何が起きてもいいように情報を集めておけ。此度は婿殿に味方することにしよう」
「はっ、お任せください」
義守は、もし御家騒動が起これば輝宗につき、最上家のさらなる勢力拡大、うまくいけば伊達家を支配下におくということをひそかに企んでいた。
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