どこのだれですか?
今の俺の名前は六郎。奥州探題伊達晴宗の息子だ。
まてまてまて、伊達晴宗って誰よ。それに六郎て誰。伊達なんて独眼竜政宗しか知らねーよ。
あと某お笑いコンビのツッコミが伊達家の子孫っていう今は役にたたなそーな知識しかない。
こんなことなら再放送してた大河ドラマ見ておくべきだった。
最初は俺が政宗なのか。確か病気で飛び出た右目を切り落とすんだよなあいやだな。まあ有名人だし最終的に仙台藩の藩主になれているからいいか。とか考えていたが政宗の幼名は梵天丸だよな。さすがにそれは思い出した。
そこで俺は母やおつきの女中、家臣なんかに政宗っていう名前の人いるか聞いてみたところ6代まえの当主が政宗というらしい。
だから、俺は政宗の子孫で今は江戸時代なのかと思ったがそういうわけではなく、まだ京都に足利将軍がいるらしい。
親父の奥州探題ていう役職も今年足利将軍より授けられたものだ。
親父は爺さんがなれなかった奥州探題になれて嬉しそうだ。
まあ今が何時代か分からないのは困るのでいろいろ聞いてきた結果、今の時代の年号が天文24年であるということと戦国時代であっているということは分かった。
家臣だけでなく親父と会ったときとかにいろいろ聞いてみたところ、豊臣秀吉とか徳川家康なんて人物は知らんと言われたが、織田信長は知っていると言われたからだ。
なんでも織田信友とかいう一族を攻めて清州城を奪ったらしい。
やっと知ってる人物出てきたーと思い、親父に信長と仲良くしましょうといったら、うつけといわれてるし、尾張一国すら治められていない、なによりそんな遠くのやつと仲良くなっても意味がないと断られてしまった。
うーん、残念だ。
というか、信長がうつけとか言われてたのって若い時だよな。
だから秀吉とか家康のことは知らなかったのか。
そうなると政宗くんはまだ生まれていないのかな。案外、兄上の子供かもなあ。
生まれたての頃は、まだ時代が分からなかったが、どの時代にしろ俺が当主になると勝手に思い込んでいたんだが、実は兄がいたみたいだ。
うん、兄が2人いて姉も3人もいたんだよ。しかも翌年には弟も生まれるはさらに4人も弟妹が生まれている。
俺は6男5女、11人兄弟の6人目だ。しかも全員母上から生まれている。
側室をもつことが普通のこの時代で、正室のみでしかも11人も子供がいるってすごすぎるだろう。
まあ一番上の兄である鶴千代丸兄上はすでに、母上のほうの爺さんである岩城重隆の養子になっている。
そのため次男である彦太郎兄上が伊達家の後継者だ。兄上は今年、元服していまでは輝宗となっている。
兄上とは5歳離れているが俺と1個下の弟小二郎ともども仲良くしてくれているので、兄上が後継者になることは大賛成だ。俺も元服すれば兄上のためにいろいろと働いていくつもりだ。
そうは言ってもできることは限られてくるのでとりあえず、言わなければないのは信長と仲良くしようってことだな。
「六郎、なんでそんな尾張の織田と仲良くしたほうがいいんだ」
「なんでって勘だよ。そんな気がするんだよ」
「勘ねえ、さすがにそんなんじゃあ父上も動かないだろ」
「そうかなあ、じゃあ兄上が当主になったら仲良くしてよ」
「わかったわかった。そのときまで織田家があるか分からないけどなあ」
うーん、未来を知ってるなんて言っても信じてもらえないだろうしなあ。しかも信長が天下を取りかけるってことは知ってても東北ではだれが勝つかなんてことは知らないからなあ。
それに戦国大名ってのは実は独裁ではないようだ。
実際親父も2年前まで抵抗勢力と戦っていたし、爺さんと親父の二人が家臣に領地の安堵状を出していたからそれの整理とかで結構大変だったようだ。
爺さんとの戦で親父についた中野とかいう親子がだいぶ力を持ってるし、今までうちの配下だった家も独立したりしてるらしい。
爺さんの婿だった相馬や蘆名ってのも独立したみたいだし、親父方だった留守景宗も独立してしまったらしい。
その結果爺さんが拡大した勢力は小さくなってしまった。爺さんも余計なことするなよなあ。
まあ、親父もいろいろと策略を考えてはいるようで、阿南姉上を二階堂に嫁がせようとか考えているようだ。
爺さんと壮絶な親子喧嘩したのにやることは結局同じ婚姻かよ。いろいろ複雑でもうわけが分からないんだよ。なんでみんな親戚になってるんだよ。
奥州探題に命じられた伊達晴宗は天文の乱終結後の7年間を思い出していた。
(父上と講和という形で戦を終わらせたがその後始末には手を焼かされたわ。蘆名や二階堂の寝返りが戦を終わらせる結果となった以上独立も仕方がなかったが、その結果伊達家の力は衰えてしまった。さらに留守の叔父も影響力をもつことになるし、重臣たちも力を持ってしまった。懸田宗俊めも抗戦を続けるので手間取ったがここからだ。やっと家内を収めた。ここからが勝負じゃ。)
「お館さま」
物思いにふける晴宗に重臣である中野宗時が声をかける。
中野宗時は天文の乱において晴宗方として戦い、今では重臣として家中一の権勢を誇っていた。
「おお常陸(中野宗時)、右兵衛からの書状か」
「はっ、そのようでございます」
宗時から書状を受け取った晴宗はそれをよみ笑みを浮かべる。
「ふむ、やはり右兵衛は高森殿よりの恩賞に不満があったようじゃな」
「それでは」
「うむ、どうやら叛旗を翻すようじゃ」
(まずは留守家よ、独立そうそう悪いが再び傘下に入ってもらうぞ)
晴宗は静かに書状の返事を書き始めた。
読んでいただきありがとうございます。