表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/14

余目信有

「父上、六郎様後継を決めた以上、こちらから伊達家に知らせを送るべきかと」


 ようやく決心した伊勢に対して信有がさらに話しかける。


「我等の方からか。伊達家との取次は紀伊や遠江じゃ。我等が口を出すと面倒ではないか」

「父上、六郎様を迎え入れる以上、我が余目家が、それを歓迎しているということを露わにすべきかと」

「なるほどのう」


「余目家はかつて伊達家と一揆を結んでおります。それに留守家中における名声や家格としては当家は外様の花渕や吉田、伊達家からきた辺見とは格が違います。養子として、来た後のことを考えれば、我等を無下にはできません」

「確かにそうじゃな」

「晴宗公は、ともかく輝宗公と六郎様の兄弟仲はよろしいとか。輝宗公に六郎様を盛り立てる由をお話しし、できればそこで六郎様とお会いしてみたいと思います」

「うむ、分かった、そちに米沢に行ってもらおう」

「かしこまりました」


 伊達家との交渉を一任された、信有は父の前を辞去した。






 留守氏の一族であり重臣の余目家の当主である、余目伊勢守信家の嫡男、三郎太郎信家はすでに元服しているが、幼いころから、才を発揮し、留守家中において将来を期待されていた。


 留守家当主である顕宗が村岡右兵衛との争いで高森城から落ち延びた際、余目氏の居城東光寺城に逗留したことがあったことから、顕宗からの信頼も厚く、将来の留守家を背負って立つ人物と見込まれていた。


 留守家中において、余目氏は、留守家臣団について書かれた文書によると、殿つけで書かれており、これは4家しかないことからも、家中における立場が高かったことが分かる。


 ちなみに他の家は吉田、郷六、南目であるが、この郷六は留守家の宿敵国分家の一族で、南目家も国分家中に籍を置いていた、いわば留守・国分両属の領主であり、単純な家臣ということはできなかった。

 吉田氏は余目氏と同じ留守家の一族で、外様の吉田右近とは別の家であった。


 余目氏、吉田氏ともに高森城下に屋敷を持つもののみが殿つけで記載され、それ以外の一族には敬称がついていなかった。

 なお、余目氏は、留守家の祖である伊沢家景が下向したさいについてきた一族17家に記載されておらず、それ以降に枝分かれし、かつ影響力を持った一族である。


 それはさておき、このように留守家中で期待されていた信有は、余目氏の所領において、年貢を安くしたり、兵農分離を行い常備兵を編成するなど実績をのこしており、家中の若い家臣からも慕われ、年代の近い佐藤三郎や村岡右兵衛の子息らとも親交を深めていた。




 そんな信有であるが、史実における記載は、余目伊勢守嫡男で、留守政景に逆らい父と共に改易され落ち延びていったというもののみである。


 ちなみに、その後余目氏は政景が奥羽仕置きで所領を没収され、一関に移るときに赦され、復帰し、伊勢の孫が家老として取りたてられた。



 史実において、余目親子は最終的に、六郎を受け入れたものの、遂には破綻し、没落してしまった。


 信有はその将来を回避しようとしていた。

 なぜ、そのような未来を、彼が知っていたのかというと、信有も六郎と同じ未来の知識を持つ人物であったらだ。



(史実通り伊達家から養子を押し付けられそうだな)


 信有は、戦国時代より遥か未来、平成の世において、大学を出て会社員として生活していた。

 彼は、六郎とは違い、戦国時代に詳しかったことから、自分の家である余目氏の未来を把握していた。


(いくら未来をしり、余目家を強くしようにも、余目程度ではどうにもならない。まだ留守家の方ができることは増えそうだが、いかんせん小大名である以上どうしようもないから、留守政景に追放されないようにしようと考えていたが…)


 信有は当初は、自領を富ませて、留守家の国力を強くし、伊達家の影響を排除することや、一族であることから自身か、弟が留守家を継ぐという事も考えたが、すでに伊達家からの影響を受けていたことや、村岡右兵衛の反乱、そして悲しいかな、留守家中では強力な一族とはいえ、弱小領主の中の一族というだけで、とてもそれらを実行するような地力がなかった。


 それ故、政景を迎え入れても、逆らわず、むしろ統治に進んで協力することで難を逃れようと考えていた。


 事実、実際の歴史でも、当初は政景も余目伊勢に協力を求めていたし、輝宗から、協力をお願いする書状が届くなど、重視されていた。

 史実では、信有がどのような態度をとったのか定かではないが、父伊勢守と共に追放されている以上、反抗的だったものと思われるが、自分が今や信有である以上、進んで協力すれば歴史は変わると考えていた。

 ましてや、父伊勢守は、かなり信有のことを信頼している以上、自分が進言すれば、父も受け入れると思っていた。


 しかし、信有が違和感を持ったのは、伊達家の動きであった。

 鉄砲が集まっているということや、兵農分離が進んでいるという事に違和感をもった。


(東北でも、鉄砲は早い段階から存在し、それなりの数もあったという説も聞いたことはあるが、この永禄時点だとそれほどの数はない。余目家でもなんとか鉄砲を集めて20丁ほどだ。留守家全体でも、これを含めて50丁あるかどうかだろう。兵農分離も伊達輝宗が行ったということは知らない)


(自分以外にも転生者がいるのか)


 そして信有が疑問を持ったことがもう一つあった。


(留守政景が子供時代、才に溢れていたという話は聞いたことがないな。それに若いころ、特に留守家に養子にくる頃はかなり血気盛んだったというが、人柄を探ってみると、穏やかで下の者の意見もよく聞く人物だとか。)


(もしかするとこいつが転生者かもしれないな。それを確かめるためにも米沢にいくのが一番か)


読んでいただきありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ