祖父死亡‼
永禄8年5月、兄上は親父からの要請を受け、小梁川宗秀と白石宗利を派遣した。
今回は兄上が折れて、親父を立てる形となった。
戦況は芳しくないようだが、とりあえず、蘆名氏を牽制することはできている。
そんななかで6月に入ると、伊達家繁栄の基礎を築きながら、恐怖政治で伊達家中を恐慌状態にまで追い込み、天文の乱を起こしてしまった、ある意味戦国の傑物であった伊達稙宗が死去した。
結局、俺は一度も爺さんと顔を合わせることはできなかったな。
爺さんは、天文の乱で、足利義輝からの仲介や、二階堂、蘆名、相馬、岩城さらに稙宗方の武将であった懸田俊宗からの調停を受け、最終的に弟の留守景宗からの意見を受け、稙宗方が勝利したが、晴宗に家督を譲るという形で稙宗の顔を立て、終息した。
その後は最後まで爺さんの味方についた、婿の相馬顕胤とその息子、つまり孫で俺と従弟の相馬盛胤の領地に近い、丸森城に隠居した。
まあ、その後の爺さんは娘のいる相馬領に遊びに行ったりして暮らしていたようだから、気楽に生きていたんだろう。
こんな感じで爺さんが亡くなったのだが、今度は相馬が、爺さんから遺言で丸森城を譲られたとか言い出して、一気に丸森城を占領されてしまった。
相馬はさらに伊具郡を侵略するつもりのようなので、実元叔父が対応している。
爺さんが死んで悲しむべきなんだろうが、ほんと伊達家にしてみれば最後まで問題残して逝きやがって…
二階堂の岩瀬郡とは違い、伊達家の領地を奪われたわけだから、これには兄上も怒り、奪い返したいようだ。
しかし、相馬盛胤はかなりの戦上手らしいので難しそうだ。
あまり相馬にだけ注視していると、三春の田村も出てくる。
現状では田村は蘆名と敵対しているので、伊達と争っているわけではないが、別に田村と同盟を結んでいるわけではないし、かつては安積郡を巡って、争ったことがあるから、仲は良くない。田村家当主の田村隆顕は、相馬と同盟関係にあるので、おそらく相馬側につくだろう。
兄上も相馬に対抗するため、実兄である岩城親隆に、相馬攻めを要請している。岩城氏は代々相馬と田村と争っていたため、今回の相馬攻めも了承してくれたとのことだ。
そんな中で、蘆名の二階堂攻めは熾烈を極め、二階堂方の旗色がかなり悪くなっているらしい。
蘆名と同盟を結びたい兄上にしてみても、蘆名が大勝し、二階堂氏を完全に傘下に収められてはまずいので、軍勢をさらに派遣するつもりのようだ。そのため、相馬との争いは一端終わらせたいらしい。
そこで、兄上は亘理の叔父を通して、相馬に和睦を要請した。
相馬も宿敵岩城氏からの侵攻に悩まされていたので、和睦は受け入れるようで、8月に和睦が成立した。
「とりあえず、相馬との戦は一時休戦じゃ」
「うむ、今回は仕方がなかろう」
「叔父上、此度は和睦の仲介ありがとうございました」
「ああ、相馬とは父上を通して誼を通じておったからのう」
現在、米沢では、今後の方針が相談されている。
ひとまず、相馬との問題は解決したので、蘆名との問題が現在最大の問題だ。
「左京大夫(輝宗)殿、ここは御自ら出馬し、会津に出陣されてはいかがかな」
「分かりました。某も出陣しましょう。米沢の留守は叔父上にお願いしてよろしいでしょうか」
「分かり申した。お受けいたしましょう」
兄上が自ら出陣することとなり、実元叔父が留守を預かることになった。
「六郎も叔父上を手伝ってくれ」
「かしこまりました」
俺も、居残り組のようだ。
「亘理の叔父上は亘理城にて相馬の警戒をお願いします」
「しかと承った。まあ、岩城に攻め込まれて、相馬もまた伊具に攻め込む余力はなかろう。それに彼奴らはだいぶ兄上に痛めつけられたらしいからのう」
「ああ、六郎に言われて、農民の次男坊三男坊を集めて戦に備えておったからな。まだまだ、不十分とはいえ、この兵農分離は使えるかもしれんな」
おお!俺が進言した兵農分離と常備兵は役に立ったようだ。勇猛果敢で知られる相馬相手に、善戦したんだから、合格だろう。
「そうか。ではいずれは、全兵を常備兵にすることを考えるべきかもしれんな。ともかく、それは蘆名を打ち破ってからよ。出陣じゃ」
「「「はっ」」」
兄上は、鬼庭良直らを率いて耶麻郡へ向けて出陣していった。
蘆名相手にも、兄上直属の常備兵たちが活躍してくれればいいんだが。




