PLAY.1 あたしだって、運命の恋したいっ!
プルルルルルル
「終点ー、渋谷ー渋谷ー、
傘のお忘れ物にお気をつけくださいーぃ。
渋谷ー渋谷ー」
アナウンスする人が変われども、
何故だか声色とリズムは全く変わらない井の頭線の駅員の声。
それを合図に、ホームに人間が吹き出てきた。
降車した乗客と入れ替わって、あたしは座席に座る。
二号車の進行方向寄りの四人席だ。
毎朝毎晩、大体同じ車両に乗ってしまうのは、なぜなんだろう。
夕方の渋谷は、飲み屋からの焼き鳥の匂いが漂っている。
あたし、白咲 ニケは、むくんだ足を引きずるようにタラタラと帰路についていた。
ふと、目の前の窓に自分が映っているのを見た。
あたしの隣には、女子高生がケータイをいじりながら、目の前に立つ彼氏だろう少年と楽しげに会話をしている。
かたや、都内で一人暮らしの派遣社員(24歳)、彼氏いない歴、7年。
自分と比べると、切ないものがこみ上げてきた。
(ずいぶん、年くっちゃったな)
女子高生は、薄目のメイクをして無邪気に笑っている。
(リア充、爆発しろ)
息にならないため息をついて、視線を窓から外してヘッドホンをつけた。
がたたん がたたん
がたたん がたん たたん
帰りに、コンビニで唐揚げ買って帰ることにしよう。
*
「たーだいまぁ、っと」
返事は100%来ない帰宅の挨拶をする。
1Kのマンションは、ロフトがあるというだけの理由で選んだ。
ベッドと最低限の家具だけが置いてある。
モノクロの色彩と、アイアンの調度で統一している部屋は、飽きが来なくて気に入っている。
一人暮らしには慣れた。
田舎にいる家族は恋しいけど、意地みたいにこの都から離れられずにいる。
冷蔵庫から缶チューハイを取り出す。
ぷしっ
「ゴッゴッゴッゴッ、……ぷは」
一気に流し込むと、喉奥がキィンと冷やされて気持ちいい。
「さってと」
あたしはセミシングルのベッドに倒れこむと、ケータイをいじり始める。
目当ては勿論ーー、
「ああーっ! 新作出てるぅ!
配信始まってたんだぁ、見なきゃァァァ!」
突然のハイテンション、これである。
ーー白咲 ニケ、立派な成人オタクだ。
一応、会社の人には秘密である。
「ふぁぁあ! まさかの声優がこの布陣で来るとはっ!
やるな、フィップスタジオめっ!憎いっ、憎いぞぉぉ!!」
大学デビューに失敗し、甘酸っぱいどころか、ひたすら酸っぱい思い出ばかりを残して、今に至る。
友達からは、ダメンズウォーカーのレッテルを張られた。
ウブだの芋だのと散々言われた結果、すっかり恋には逃げ腰になってしまった。
リアルな男との恋を面倒だと悟ったあたしは、二次元へ癒しを求めた。
ーーこのストレス社会で生き抜く為、当然の自衛行為であると思う(断言)。
アフター5は直帰して、アニメの動画サイトや二次創作サイトを巡るのが、あたしの大事な大事な自己メンテナンスタイムというわけだ。
『ーー人生変えるなら、今でしょ!!』
新作のアニメのダウンロードが終わり、再生ボタンを押すと、YouTubeから無責任な自己啓発系のCM文句が流れてくる。
薄明かりの中で、ヘッドホンをつけてケータイにかじりついている、カミングスーンアラサー女……。
うん。暗いのは分かってんだ。
「はーぁあ」
ごろん
寝返りを打つと、カサリと求人誌が手の甲に当たった。
「ダブルワーク、探さなきゃだっけ」
東京の一人暮らしは独身女に冷たい。
家賃、生活費、税金、保険料、交通費、ケータイ代金……、あれよあれよと飛んでいく。
「所詮、お金がなきゃ幸せにはなれないのよねぇ、お金ほしぃぃい」
お金がないと、何もできない。
守りたいものも守れないし、
自由なんて、夢のまた夢。
「……あたし、このままおばさんになっちゃうのかな……」
職場と自宅との往復だけの毎日。
休日は、翌日の仕事のために寝てるだけ。
「あたしだって、運命の恋とか、してみたいよ」
ケータイの液晶には、男女がキスしてるラブシーンが流れてる。
こんなあたしだけど、恋はしてる。
ずっとずっと前から、好きな人がいる。
告白も出来ないまま、もう何年も経って腐りかけたヌカ床のような、初恋。
「あー、このチートキャラ、あいつに似てるなぁ……」
*
「ーーニケ、ニケ!」
呼ばれてあたしは目を覚ます。
「んん?」
目の前には、幼馴染の吉良 総司がいた。
「そ、そうじくん!?」
たまらず大声を出す。
「大丈夫か? ニケ」
太陽みたいにキラキラした笑顔を向けられて、思わず目が眩む。
(ま、まばゆいっ)
総司は、あたしの2コ上のお兄さん。
ずっと憧れていた人だ。
今は、大阪でサラリーマンをしてるはず。
(……あ、これ夢か)
オタクの強みとは、適応能力が抜群だというところだと思う。
それはそれでよし、ということで、スーツ姿の幼馴染を堪能することにした。
ダークグレーのオーダーメイドに、深いエンジのネクタイがよく似合っている。
「何、ぼーっとしてんだ?
シャワー浴びてこいよ、ニケ」
「へぇ?! し、シャワー?」
辺りを見渡すと、明らかにここは自宅ではなかった。
どうやら、ホテル、のようだ。
でも、ビジネスホテルという感じではない。ピンクの間接照明に、部屋の大半をダブルベッドが占めている。窓は小さい。
「んんん!?」
普段、会社のマニュアル通りにしか回転しない仕様の脳みそをフル回転させる。
「ら、ら、ら、ら、ら、ら、」
「ふふ、ニケ、頭でも打ったの?」
頭を抱えるあたしを見て、総司はクスクスと笑う。
サラリと揺れる黒髪が無駄に長いまつげにかかる。
(クッソ尊いッッッ!!結婚しよ!)
ーーじゃなくて!
「ねぇ、ニケ? 照れてんの?」
とん
いつのまに、あたしは、壁際に追いやられていた。
「か、壁どんってッッ(タグの中にしか存在しないんじゃないの?)」
「ん?」
どこか色っぽい総司の態度は、なんだか違う男の人みたいだ。
息がかかるくらいまで接近すると、総司はあたしの顎をとらえた。
少しだけ茶色かかった瞳の中にあたしがいる。
ーー今しかない!
YouTubeのCMが、ここにきてあたしの背中を押した。
あたしは、ありったけの勇気を振り絞る。
「総司くん、あたし、ずっと好きだった」
ーーーーーーーー。
総司くんはなぜか動きを止めた。
ギュッと両目をつむっていたあたしは、ソロソロと薄目を開ける。
「?」
あたしと目が合うと、総司くんはスウ、とあたしから離れる。
「えっと、あの……?」
「そーゆーの、勘弁な。
キモいんだけど、マジで」
そう、彼は言い放ち、侮蔑の眼差しであたしを見た。
「ぃぃいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああっっ!!」
ハッと気づくと、あたしは湯船の中に居た。
「うう、寝てたの……?」
あたしは、狭いユニットバスに浸かっていた。
長くうたた寝していたのか、すっかりお湯は冷めている。
「それにしても、酷い夢」
メンタルダメージが計り知れない。
遣る瀬無さと、やり場のない怒りがこみ上げて、兎に角恥ずかしい。
ぶくぶくぶく
湯船に沈む。
(告白、かぁ……何年してないんだろー)
風呂場の窓から、月が見えた。
ちゃぽ
小指をかざしてみる。
運命の糸とやらがついていると言われる、小指を。
物語の中では、キャラクターたちはみんな運命の糸とやらに導かれて幸せになってる。
運命の恋とやらを成就されて幸せそうに笑うのがハッピーエンドなんだ。
「あたしだって……」
別に努力してないわけじゃない。
仕事だって人並みにこなしてるし。
近所付き合いもソコソコしてる。
ただ、なんだか足りないのだ。
大事な大事なモノが、
ずっと満たされないまま走ってる。
「あたしは、悪くなーーーぁッいっ!!!」
あたしは、むんず、と湯船を掴んで立ち上がり、
ムズムズと腹の奥から煮えたぎる欲求不満を声にして吐き出した。
ずば、ん、どぶぉん
お湯が盛大に波を打つ。
その時、
ーーーーズッルゥ
「へ?」
勢いに任せて忘れていた。
うちの湯船は、とても滑りやすいことを。
どったーん!
「!?」
あたしは、足元を滑らせ、しこたま湯船の枠に頭を打ち付けた。
ぐわんぐわんと脳みそが揺れている。
ちょっと気持ちいいのは、あたしがマゾっ気があるからなのか、
ただ、これアカン奴やってことだけは分かった。
(ああ、一度でいいから総司くんにギュッてして欲しかったな……)
24才の嫁入り前の女の死に様が素っ裸とか、ないわ…………。