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殺人者を殺す列

作者: Junbi
掲載日:2026/08/13

 刑務所では、あまりうまくやれていなかった。同じ房の連中には菓子を取られ、掃除を押しつけられた。文句を言うと、冗談だと言われた。本気にする方が悪い。気にするから面白がられる。そう言って笑われると、それ以上怒る方が小さい人間のような気がした。

 少し前まで、俺たちは食堂でテレビを見ていた。

 胸に名札をつけた宇宙人が、病気も老いも死もなくなると説明していた。話し終えるより先に、食堂の中へ、その場にいた全員分の扉が現れた。

 扉を開けば楽園へ行けることも、どれが自分のものなのかも、なぜか全員が分かった。囚人たちは椅子や食器を蹴散らし、我先に殺到した。扉は逃げず、全員分あった。くぐれば刑期も罪状も関係なくなる。順番を守ろうとする者はいなかった。

 刑務官たちも、それを脱獄として止めるべきか考える余裕はなかった。押し寄せる囚人に踏みつぶされる前に、それぞれ自分の扉へ避難するように駆け込んだ。

 俺もすぐに立ち上がった。しかし、誰かに肩で弾かれ、別の男には足を踏まれた。倒れた椅子に膝をぶつけ、床に手をついているあいだに、食堂にいた人間は次々と消えていった。

 最後には、食堂に俺と俺の扉だけが残った。

 そのまま、すぐにくぐってもよかった。

 しかし、ここまで押しのけられたあとで、慌てて追いかけるのも少し癪だった。それに、久しぶりに感じる孤独が、やけに心地よかった。

 俺は詰所の壁から鍵束を外した。

 刑務官の椅子は、囚人用のものより少し柔らかかった。背もたれに体を預け、机の引き出しを開けた。書類、ボールペン、胃薬、個包装の飴。囚人の私物を勝手に触れば懲罰になるが、刑務官の机を漁った場合にどうなるのかは分からない。もっとも、咎める人間はもういなかった。

 飴を舐めながら、放送用のマイクを手にした。

「午後の作業は中止です」

 自分の声が、誰もいない廊下に響いた。

「本日の入浴は、時間無制限とします」

 返事はなかった。

 もう少し面白いことを言おうとしたが、何も思いつかなかった。俺はマイクを戻し、詰所を出た。

 職員しか入れない部屋を覗いた。食堂の裏では、まだ封の切られていないパンを見つけ、業務用のジャムを多めに塗った。最初は誰かに見咎められる気がして立ったまま食べていたが、半分ほど食べたところで、もう隠れる必要もないことに気づいた。

 残りを食べながら、建物のさらに奥へ進んだ。

 歩くたびに、鍵束が鳴った。

 普段なら、こちらへ来るなと言われる廊下にも入った。閉まった扉があれば、鍵を順番に試した。開いた部屋に何もなくても、開けられるというだけで楽しかった。

 やがて、普段は囚人が立ち入れない単独室の区画へ着いた。入口の鉄扉も、鍵束の中の一本で開いた。

 その廊下の途中に、楽園の扉があった。

 俺のものではなかった。

 扉の脇には、一室だけ閉じたままの単独室があった。中にいるのが誰なのかは、すぐに見当がついた。数日前に入ってきたばかりの殺人犯が別の囚人と揉め、刑務官たちに取り押さえられた。この区画へ連れていかれるのを、俺も見ていた。

 一人暮らしの老人をナイフで刺し、金を奪った男だった。逮捕後、報道陣に向かって中指を立て、裁判では泣いている遺族を見て笑ったと報じられた。事件はテレビで繰り返し流され、刑務所でもたいていの者が男の顔を知っていた。報道どおりかどうかは、俺たちには関係なかったが、ここではちょっとした有名人だった。

 俺は鉄扉の監視窓を開けた。

 房の中は薄暗かった。男は奥の寝台に座っていた。窓が小さいので、顔の半分と、膝の上で組んだ手くらいしか見えない。

「よう」

 声をかけると、男が顔を上げた。

「誰だ」

「誰でもいいだろ。他の連中は、もうみんな行ったぞ」

「そうか」

「お前の扉も出てる。この房の前だ」

 男の目だけが、監視窓の向こうへ向いた。

「鍵、開けてやろうか」

 俺は見せびらかすように、窓の前で鍵束を回した。

「いらない」

「扉は外だぞ」

「あとでいい」

 膝の上で組んだ指も動かなかった。

 食堂でもみくちゃにされた俺には、男の落ち着きぶりが気に入らなかった。どうせ外へ出してやるなら、その口で頼ませ、礼を言わせてからにしたかった。

「テレビの説明、聞いてないのか。楽園だぞ」

「テレビの音が、ここまで聞こえると思うか」

「そうだよな」

 俺は親切のつもりで説明した。向こうじゃ、誰でも幸せになれるらしい。金にも困らない。好きなだけ女も抱ける。病気もしない。老けない。死なない。前科があっても関係ない。

 死んだ人間にも会えるらしい。

「……そうか」

 返事の前に、わずかな間があった。それは、楽園を歓迎する返事には聞こえなかった。

 俺は、男が扉を後回しにする理由に心当たりがあった。

「死んだ人間は、元気だったころの姿に戻るらしいぞ」

 男の組んでいた手がほどけた。

「お前が殺した爺さん、七十過ぎだったんだろ」

「ああ」

「向こうじゃ若返ってるな」

「若返る?」

「一番元気だったころじゃないか。三十くらいかもな」

 宇宙人は、そこまで説明していなかった。俺が勝手に足した。

 男は、ほどけた手を組み直そうとした。だが、指は途中で止まった。

 俺は少し楽しくなった。

「若いころは、体が大きかったかもしれないぞ。柔道でもやってたら、お前より強いだろうな」

 今度は返事がなかった。

「柔道じゃなくて、空手やボクシングかもな」

 俺は笑った。

 男の目つきが変わった。普段なら、それだけで窓を閉めたと思う。しかし今は、間に厚い鉄扉があり、鍵も俺が持っていた。

「関係ない」

 男は、ほどけた手を膝の間へ押し込んだ。

「関係ないってことはないだろ」

「向こうでは死なない」

「死なないだけで、殴られても痛くないとは言ってなかったぞ」

「言わなかっただけだ」

「どうだろうな」

「知ったふりをするな」

「説明を聞いてないお前よりは知ってる」

 男の顎が、わずかに上がった。

「爺さんだけじゃない。遺族も向こうにいるだろうな。裁判で笑った理由を、向こうでゆっくり説明できるぞ」

「あれは事件を笑ったんじゃない」

 その返事だけは早かった。

「それを本人たちに言えばいい」

「会うとは限らない」

「お前は顔が売れてるからな。誰かが見つければ、遺族にも伝わる。向こうには時間がいくらでもあるんだ」

「簡単には見つからない」

「探す方も死なない。急ぐ必要はないだろ」

 楽園がどれほど広いのかも、人を探す方法があるのかも、俺は知らなかった。

「俺はもう罰を受けている」

「まだ入って数日だろ」

 男の手が、寝台の縁をつかんだ。

 殺人犯がうろたえているように思えて、俺はなんとなく良いことをしている気になった。

 そもそも、こいつが楽園へ行けることも面白くはない。

 俺は空き巣で捕まった。留守の家から現金と腕時計と、箱に入ったままのゲーム機を盗んだ。悪いことをしたとは思う。それでも、人は殺していない。なのに、扉をくぐれば行き先は同じで、同じものを受け取る。それはおかしいような気がした。

 そう考えると、男をもっと怖がらせたくなった。

「そういえば、説明の最後に言ってたな。向こうでは、お前みたいなやつを懲らしめてもいいらしい。最初は被害者と遺族。そのあとに希望者が並ぶ」

「並んで、どうする」

「ひとり一回、お前がやったのと同じことをする」

「同じこと?」

「お前、爺さんを刺したろ」

「関係のない人間も、俺を刺すのか」

「人殺しが嫌いなやつは多いからな」

「人殺しが嫌いなのに、俺を殺すのか」

「お前は死なない。だから殺したことにはならないんだろ」

 男は二度、短く首を振った。そして自身に聞かせるように言った。

「……刺されても傷は治る」

「ああ。だから困るよな」

「困る?」

 声が少し掠れていた。

「治ったら、また刺せる」

 監視窓の向こうで、男の喉が動いた。

「俺は何回刺されるんだ」

「さあな。希望者だけでも相当いるんじゃないか」

「そんなことはありえない」

「お前も、こっちでありえないことをしたろ」

 俺は声を出して笑った。

 自分で作った嘘なのに、話すほど本当らしく思えてきた。

 笑い声が廊下の奥へ消えたあと、男が言った。

「……宇宙人は、人を殺したやつなら刺していいと言ったのか」

「言ったよ」

「ひとり一回とも?」

 俺はすぐに答えられなかった。

「言い方は違ったかもしれない」

「嘘だな」

 寝台が軋んだ。

 足音が近づき、監視窓いっぱいに、テレビで何度も見た顔が現れた。額が鉄板に触れそうな近さだった。

「俺が怖がってると思って、面白かったのか」

 笑いが止まった。

「冗談だよ。本気にする方が悪いだろ」

 同じ房の連中も、俺にそう言った。

 今度は俺が言う側だった。

 男は何も言わなかった。

 俺は鍵束を回そうとしたが、うまく輪に指が入らず、鍵同士が細かく鳴った。

 そのとき、単独室の中で、かちりと音がした。

 房の鉄扉の鍵ではなかった。

 鍵穴は俺の目の前にあり、俺は触っていない。

 振り返ると、廊下にあった楽園の扉が消えていた。

「おい、お前の扉が消えたぞ」

「ああ。こっちにある」

 監視窓からは、房の奥が見えなかった。

 怯えたと思われるのが癪だったから、俺は口の端を歪めて言った。

「よかったな。爺さんが向こうで待ってるぞ」

 言ってすぐ、やめておけばよかったと思った。

 男は顔を横へ向けたまま、しばらく動かなかった。

 やがて、視線だけを俺へ戻した。

 顔が窓から消え、足音が遠ざかっていった。

「行くのか」

「ああ。お前より先にな」

 房の奥で、扉の取っ手が動いた。

 男は、ささやくような声で言った。

「お前も来るんだろ?」

「当たり前だ。行かない理由がない」

 声が上ずらないように答えた。

「先に行く」

「勝手にしろ」

「お前を待つ」

「俺を?」

「ああ、お前を待つ」

 なぜ、とは聞かなかった。

 暗闇の中で、男が笑っているような気がした。

「ひとり一回っていうのは嘘なんだろ。なら、何回やってもいいわけだ」

 房の奥で扉が開いた。

 しばらくして、閉まる音がした。

 監視窓を覗く気にはならなかった。かといって、食堂に戻る気にもならなかった。俺は鍵束を握り直し、詰所へ引き返した。

 刑務官の椅子に座り、パソコンを引き寄せると、検索欄に文字を打ち込んだ。


 宇宙人 楽園 暴行 痛み


 検索候補の一番上には、すでに「楽園 犯罪者 復讐」とあった。


楽園の扉が開いた世界を、もっとヘンテコな角度から

https://ncode.syosetu.com/n2083mn/


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