第2話「閉ざされた門」
冷たい石壁に囲まれた狭い部屋には、窓から差し込む青白い月光だけが薄暗い影を落としていた。
空気は埃っぽく、湿ったカビの匂いが鼻をつく。
粗末な木製のベッドの端に腰掛けたアサヒは、自分の足元に広がる石畳の目地をただ見つめていた。
水晶の判定が終わった直後、彼は衛兵たちに両腕を掴まれ、この地下室へと乱暴に押し込まれた。
怒りや悲しみよりも、状況があまりにも現実離れしていることへの困惑が勝っている。
扉の向こう側から、時折鉄のブーツが石の床を叩く足音が聞こえては遠ざかっていく。
時間がどれほど経過したのかもわからない。
ただ、指先に残る水晶の冷たい感触だけが、記憶の端にこびりついて離れなかった。
突然、重い鉄の扉がきしむ音を立てて開かれた。
廊下の松明の明かりが部屋に流れ込み、アサヒは目を細めた。
逆光の中に立っていたのは、数人の衛兵を引き連れた第一王子エドワードだった。
彼は顔に布を当て、ひどい悪臭でも嗅いだかのように眉間にしわを寄せている。
「立て、偽物」
エドワードの声は低く、氷のように冷え切っていた。
「我が国の神聖な空気を、これ以上お前の存在で汚すことは許されない」
アサヒは静かに立ち上がり、姿勢を正した。
抵抗しても無意味であることは、周囲を取り囲む衛兵たちの剣の柄に置かれた手を見れば明らかだった。
エドワードの顎の動きに合わせ、一人の衛兵がアサヒの足元に粗末な布袋を放り投げた。
鈍い音を立てて落ちた袋からは、乾いたパンの匂いと古びた布の匂いが漏れ出している。
「それが貴様への最後の情けだ」
エドワードは軽蔑の眼差しをアサヒに向けたまま、冷ややかに告げた。
「北の国境を越え、フロスト帝国へと向かえ」
「フロスト帝国……」
アサヒの口から自然とこぼれたその言葉に、エドワードは嘲笑を浮かべた。
「そうだ。氷に閉ざされ、血も涙もない冷酷な皇帝が支配する死の国だ」
彼の言葉には、アサヒがその地で生きていくことなど到底できないだろうという確信が込められていた。
「二度と我らの領土に足を踏み入れるな」
背中を強く押され、アサヒは薄暗い廊下を歩かされた。
石の壁を這う冷気が、衣服の隙間から入り込んで肌を粟立たせる。
城の裏口へ向かう途中、すれ違う使用人や兵士たちは皆、アサヒの姿を見ると慌てて道を空け、まるで疫病神でも見るような目を向けた。
外に出ると、夜の空気は肺が痛くなるほど冷たかった。
空には無数の星が瞬いているが、その光は地上を暖めることはない。
城を囲む高い城壁に穿たれた、頑丈な鉄格子の門が重々しい音を立てて開かれる。
門の向こう側には、果てしなく続く暗い森と、その先に連なる雪を頂く山脈が黒い影となってそびえていた。
背中に冷たい刃を突きつけられるような感覚のまま、アサヒは門をくぐる。
足元の土は固く凍りつき、一歩踏み出すごとに乾いた音が響いた。
「さっさと行け」
衛兵の粗野な声とともに、背後で巨大な扉が閉ざされる。
金属と金属がぶつかり合う重い音が夜空に響き渡り、続いてかんぬきが下ろされる鈍い音が地の底から響くように伝わってきた。
アサヒは立ち止まり、振り返った。
見上げるほどの高い石壁は、彼を完全に拒絶している。
壁の向こう側には温かな光が漏れ見え、人々の営みの気配が感じられたが、こちら側にあるのは凍てつく風と底知れぬ闇だけだった。
肩から下げた布袋の重みだけが、今の彼に残されたすべてだった。
袋の中には、薄手の外套と数日分の固いパン、そして水筒が入っている。
外套を取り出して羽織るが、生地は薄く、北から吹き降ろす風を防ぐにはあまりにも頼りない。
それでも、立ち止まっていれば体温が奪われるだけだ。
アサヒは冷たい風に目を細め、荒涼とした大地に向けて足を踏み出した。
木々の枝が風に揺れて骨のような音を立て、遠くで名も知らぬ獣の遠吠えが響く。
自分の足音と呼吸の音だけが、耳元で大きく聞こえていた。
絶望する余裕すらないまま、ただ前に進むしかない事実が、冷たい風とともにアサヒの背中を押し続けていた。
指先はすでにかじかみ、感覚が鈍くなり始めている。
吐き出す息は白く濁り、闇の中に溶けては消えていく。
ここから先は、彼一人で生き抜かなければならない未知の世界だった。




