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第七章 魔力の湖と、その深さ

 イザーク先生の授業は、最初の三日間は理論だけだった。


 魔力の性質、属性と無属性の根本的な違い、制御の仕組みと術式の構造。

 先生が話し始めると止まらなくなる傾向があったが、内容が面白いのでそれが苦にならない。


 三日目の授業が終わると、先生が言った。


 「セレス嬢、明日から実技に入ります。その前に一つ確認をさせてください」


 「何ですか?」


 「魔力を、ほんの少しだけ流してもらえますか。

 感覚をつかむためです」


 私は少し考えてから、頷いた。


 「どのくらい、少しですか?」


 「ろうそく一本分の火を灯せる程度で十分です」


 「……わかりました」


 私は目を閉じた。


 体の奥深くにある、巨大な何か——その表面をほんのわずか、

 針で突くより細い隙間を開ける。


 そこからごく微量を、指先に向けて流す。


 五感を内側に向け、制御糸を限界まで細くして、一滴だけ送り出す。


 指先に、わずかな熱と光が宿った。


 目を開けると、人差し指の先に小さな炎が灯っていた。

 ろうそく一本分より、少し小さいくらいだ。


 「……これでよいですか?」


 先生が答えない。


 私は先生を見た。


 先生の顔が、見たことのない表情をしていた。


 「先生?」


 「……ちょっと待ってください」


 先生が立ち上がり、部屋の隅に置いてあった荷物を探し始めた。

 がちゃがちゃと音を立て、革製の小さな箱を取り出した。


 中には魔力石が入っていた。

 王宮で使われていたものより、一回り大きい。


 「これに触れてみてください。力は入れなくていい、ただ触れるだけで」


 「……今出した程度の魔力で、ですか?」


 「はい」


 私は魔力石に触れた。

 今流している分——ろうそく一本分より少し小さい、ごく微量だけを保ったまま。


 石が光った。


 ……爆発するように眩く輝いた。


 私は即座に魔力を引き戻した。石の光が消える。


 「……これは?」


 先生は眼鏡を外し、レンズを拭き始めた。


 「この魔力石は、大陸で最高精度の計測石です。

 私が長年使ってきたものです。

 これで測った最高記録は……私の師匠でした。

 彼は大陸の魔法使いの頂点と言われた人で、計測すると石が半分まで光った」


 「……はい」


 「今、あなたが触れた瞬間に、石が満杯に達しました。

 それも、あなたが流していたのはその石の計測限界の、おそらく百分の一以下でしょう」


 部屋が静かになった。


 先生が眼鏡を戻し、私をまっすぐ見た。


 「つまり、本当に底がない」


 「……そう、思っています」


 「エリスから聞いていましたが」


 先生はゆっくりと椅子に座り直した。


 「正直に言います。私はこれほどの例を、文献の中にも三つしか知らない」


 「……その三つは?」


 先生が少し間を置いた。


 「一人は大昔の話で、記録が曖昧です。

 二人目は魔族の話です。大戦の時代に現れた、伝説的な魔法使いだと言われている。

 三人目は——」


 先生が黙った。


 「教えてもらえないんですか?」


 「今は、まだ言えません」


 「……わかりました」


 私は少し考えた。


 「制御訓練は、これから本格的にやりますよね?」


 「もちろんです。むしろ今の話を聞いて、急がなければと思っています。

 これほどの量があれば、制御が少しでも綻んだ瞬間に——」


 「大変なことになりますね」


 「ええ」


 「わかっています。だからこそ、ここまで七年間、一人でやってきました」


 先生は私を見て、静かに頷いた。


 「……七年間、よく持ちこたえた」


 「持ちこたえるしかなかったので」


 「それでも、だ」


 先生の声に、わずかな温もりがあった。


 「明日から本格的に始めましょう。

 目標は、底なしの湖の水を、スポイト一滴から大河まで、

 自在に制御できるようにすること。

 難しいですが——あなたの制御精度なら、時間をかければ必ず届く」


 「……よろしくお願いします」


 私は姿勢を正して頭を下げた。


 まあ、残業は嫌いだが、必要な残業はやる。


 前世でも、そうやって生きてきた。




◆◆◆




 その夜、祖母の部屋でお茶を飲んでいると、祖母が言った。


 「どうだった、今日は」


 「先生に計測石を使ってもらいました」


 「ほう。何と言っていた?」


 「石が満杯になった、と」


 祖母が静かにお茶を飲んだ。表情は変わらない。


 「……やっぱりそうか」


 「おばあちゃんはわかっていたんですか?」


 「大体ね。私が現役の頃に感じた魔力の圧と、昨日あんたから感じたものが

 まるで桁違いだったから」


 「……おばあちゃんも相当の魔力があるんですよね?

  翠銀の魔女、と呼ばれていたんですから」


 「私はそこそこ多い、という程度だよ。

 あんたと比べたら、川と海くらい違う」


 「そんなに……」


 「でもね、セレス」


 祖母が私を見た。


 「量があれば強い、というわけじゃない。

 使えなければ、持っていないのと同じ。

 それから——使えても、いつ使うか、何のために使うかを

 わかっていない人間は、ただ危険なだけだ」


 「……はい」


 「あんたが七年間、隠し続けたのは賢い判断だった。

 でも同時に、あんたは使い方も学んでいかないといけない。

 なぜなら——」


 祖母が窓の外、遠くの山脈を見た。


 「これから先、あんたが望まなくても、使わざるを得ない状況が来るかもしれない」


 「……王子たちのことですか?」


 「そればかりじゃない」


 祖母は少し遠い目をした。


 「もっと大きな話が、いつかあるかもしれない。

 その時のためにも、しっかり学んでおきなさい」


 私はその言葉を、胸の中にそっとしまった。


 窓の外、ウェスタリアの夜空に星が瞬いている。

 遠くの闇の中に、ヴェルタ山脈の影が浮かんでいた。


 あの山の向こうに、何があるのか。


 ……まあ、今は気にしても仕方ない。


 今日のところは、寝よう。


 前世でも、悩み事は寝て起きてから考える派だった。それが一番効率がいい。



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